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RAW選手名簿 このプロフィールはWikipediaから提供させてもらいました。
[新規トピ]
≫ ジェフハーディー
By HBH
2006-09-12 22:02:52
レスラーとしてのキャリア初期は兄と共に歩んでいる。ドリー・ファンク・ジュニアの元でプロレスラーとしての基礎トレーニングを積んだ後、1993年ECWFにて兄との兄弟対決で共にプロレスデビュー。兄弟はタッグチームとして歩み、WWF(後のWWE)とは、1994年、1996年に契約のチャンスがあったものの契約に至らなかった。その間、オメガ・レスリングなどのインディー系プロレス団体で活動を行っていた。オメガ・レスリングには、後のリタ、シャノン・ムーア、グレゴリー・ヘルムズ、クリストファー・ダニエルズ(後に日本で「カレーマン」というマスクマンに扮する)なども所属していた。

1999年に兄弟ともにWWFと契約。以降ハーディー・ボーイズとしてタッグ戦線で活躍する。兄弟でのタッグチーム活動は2002年まで続くことになる。

2002年からシングルプレーヤーに転向し、RAWに所属する(マットはスマックダウンへ移籍している)。RAWで行なわれたジ・アンダーテイカーとのラダー・マッチは彼のキャリアにおけるベストバウトとの声もある。トリッシュ・ストラタスとのストーリーが展開中の2003年4月22日にWWEを解雇された。

WWE解雇後はROHへ所属した後2004年7月からTNAに所属、Xディヴィジョン戦線のレスラーとして活動していたが、ヘビー級のレスラーとの抗争が多かった。TNA内でのジェフの人気は高く、彼のグッズの売上はTNA所属レスラーの中でも常に上位にあった。

その後2006年8月にWWEと再契約し、SummerSlam直後のRAWに登場している。

得意技
ツイスト・オブ・フェイト
スワントーンボム
ウィスパー・イン・ザ・ウィンド
ポエトリー・イン・モーション

WWE
WWEタッグ王座 : 5回(&マット・ハーディー)
WCW
WCWタッグ王座 : 1回(&マット・ハーディー)

pc
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≫ カリート
By HBH
2006-09-12 22:01:21
プエルトリコにあるプロレス団体WWCのオーナーでプエルトリコの帝王と呼ばれるカルロス・コロンの息子。 2000年にWWCでデビューし、タッグ王座やユニバーサル王座を獲得。

2003年にWWEと契約し、1年間OVWで活動。2004年にWWEに昇格し、SmackDown!デビュー戦でジョン・シナを破りUS王座を獲得。その後ヘスースと組んでシナと抗争。2005年にはマット・モーガンと組んでビッグ・ショーと抗争したが、同年6月のドラフトでRAWに移籍。RAWデビュー戦でシェルトン・ベンジャミンを破りIC王座を獲得。現在のリングネームはカリートと縮められた。

「自分はクールだ」と主張し、クールじゃない奴にはリンゴをかじり相手に吐きつけるというキャラで、そのためリンゴを持って登場する事が多い。カリートス・カバナというスーパースターを呼んで話を聞くというコーナーを持ち司会を務めているが、結局最後にはゲストと争う事になる。

偉大なレスラーの父カルロス・コロンの影響からかレスリング技術は高く、その憎めないキャラからヒールの立場にありながらも観客から声援を浴びるという人気者。

2005年のサマースラム以降、クリス・マスターズと組んでショーン・マイケルズ、リック・フレアーと抗争し、2006年のレッスル・マニアでマスターズと決裂し、ベビーターンした今後が注目される。

必殺技
アップルミスト
スウィンギング・ネックブリーカー
バック・クラッカー(変形バックブリーカー)
WWEに昇格して間もない頃は、「オーバードライブ」を使っていた

タイトル履歴
WWE
IC王座 : 1回
US王座 : 1回
WWC
WWC ユニバーサル王座:8回
WWC 世界タッグ王座:2回(&コナン:1回)(&エディ・コル:1回)

pc
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≫ チャボゲレロ
By HBH
2006-09-12 21:59:51
経歴
プロレスの名門一家に育ったということもあり、初めてリングにあがったのは4歳の時である。そのときの対戦相手は当時7歳の叔父エディ・ゲレロ。両者は年齢が近かったこともあり、兄弟のように育っていくことになる。

プロレスラーとしてのデビューは1994年。WCWに所属した。WCW時代には新日本プロレスにも登場している。WCW時代にはラティーノ・ワールド・オーダー(lWo)の一員としても活動している(但しlWoリーダーのエディ・ゲレロはストーリー上加入を認めていなかった)。

WCW解雇後にはWWFに移籍。チャボ・ゲレロのリングネームで活動を開始する。永らく前座試合やタフイナフの教官を務めたりとストーリーのメインに絡むことは少なかった。

2002年に入りエディ・ゲレロとのタッグチーム「ロス・ゲレロス」結成とともに人気が一気にブレイクする。「ズルして、ダマして、盗み取れ(Lie Cheat Steal)」がゲレロ家の家訓であるとし、軽妙でズル賢い試合で高い人気を得、WWE・タッグチーム王座も獲得している。ロス・ゲレロスのストーリーが終了してエディと抗争した際には、父親のチャボ・ゲレロと共に行動していた。その後はクルーザー級戦線のレスラーとして活動していた。

2005年にスマックダウンからロウに移籍。同時にギミックとリングネームを変更。白人社会の上流階級というギミックで、ゴルフルックがトレードマークのカーウィン・ホワイトとなる。

2005年11月13日に叔父のエディ・ゲレロが死去した際の第一発見者で、WWEの公式発表の際にはビンス・マクマホンと共に会見を行っている。エディの死の後に行われ、エディに捧げる大会となったスマックダウンにて、チャボ・ゲレロとしてリングに立ち、JBLと対戦。エディの必殺技であるフロッグ・スプラッシュにて勝利した。

必殺技
トルネードDDT
ゴリー・ボム
フロッグスプラッシュ

タイトル履歴
WWE
WWE・クルーザー級王座 :3回
WWE・タッグチーム王座 : 2回(&エディ・ゲレロ)
WCW
WCWクルーザー級王座 : 2回
WCWタッグ王座 : 1回

pc
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≫ クリスマスターズ
By HBH
2006-09-12 21:58:03
元々はボディビルをしており、カリフォルニア州のボディビルディング王者でもあった。

2002年にプロレスデビュー。アメリカのプロレス団体UPWにてトレーニングを積んだ後、WWEの下部組織であるOVWに移籍。2005年にWWEのRawに登場。WWE登場に際し、The Masterpieceの愛称がつけられた。デビュー戦において、対戦相手のスティーブン・リチャーズの鼻を破壊した。

その後しばらく自分のマスター・ロックを外せたら賞金がもらえるという「マスター・ロック・チャレンジ」という企画を何度かやったが、結局マスター・ロックを外せた人は今のところ、1人もいない。

過去デビューしてからは、ビッグ・ショー、シェルトン・ベンジャミンと抗争を繰り広げていたが、サマースラム後はカリートと手を組んで、ベビーフェイスに戻ったショーン・マイケルズ、トリプルHの負傷欠場によりシングルレスラーとしてベビーターンしたリック・フレアーと抗争。2005年10月に入りリック・フレアーとの抗争は終了したが、10月21日のスマックダウン収録に登場。エッジとともにレイ・ミステリオを襲撃しマスター・ロックをかける。これをきっかけとしてスマックダウンのスーパースターとの抗争を開始した。2005年11月のスマックダウン収録では、マスター・ロックをスマックダウンのGMであるセオドア・ロングにかけるなど両番組間の抗争でも大きな活躍を見せ、サバイバー・シリーズでのロウ対スマックダウンの対抗戦でも、ロウ代表に入った。

2006年1月New Year's Revolutionではエリミネーション・チェンバー戦出場者の一人としてWWE王座に挑戦するまでに成長。そのエリミネーション・チェンバー戦や続くRoyal Rumbleでは共闘していたはずのカリートに敗退させられた。カリートとはタッグ・チームとしても活動、その微妙な関係はWrestleMania 22において世界タッグ王座戦で敗退するまで続いた。その試合を機に抗争に突入。

得意技
マスター・ロック(フルネルソン固めの一種)

タイトル履歴
OVW
OVW南部タッグ王座 : 1回(パートナー : Brent Albright)
pc
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≫ エッジ
By HBH
2006-09-12 21:56:02
経歴
スチュ・ハートのハート道場出身。1993年にプロレスデビューを果たす。小学生の時からの親友であるクリスチャンも1995年にプロレスデビューを果たし、タッグチームを結成する。アメリカやカナダのインディ団体に所属して試合をしていた後、1998年にWWE(当時WWF)と契約する。WWFでは同じカナダ出身のブレット・ハートのトレーニングを受けた。後にクリスチャンにもWWF入りを勧め、クリスチャンもWWF入りした。

WWFではクリスチャン、ガングレルと共にジ・アンダーテイカーのチーム、ミニストリー・オブ・ダークネスに入りヒールを確立。ハードコアマッチを得意として、ハーディー・ボーイズなどと抗争を繰り広げる。

2001年にキング・オブ・ザ・リング優勝し、またクリスチャンと長年続けたタッグチームを解消している。この頃からベビーフェイスになる。

2002年から首の怪我が深刻化し、WWEから長期離脱して治療を行う。怪我から復帰したのは2004年であり、復帰した番組はRAWである。復帰後はショーン・マイケルズとの抗争などを通じて徐々にヒール化していった。

2005年に行われたレッスルマニア21にて、ラダー・マッチであるマネー・イン・ザ・バンク戦に勝利。レッスルマニア22までの間に世界ヘビー級に挑戦する権利を有した。試合にて獲得した、権利書の入っている鞄を常に持ち歩くことが、レッスルマニア21以降のエッジのギミックとなっている。2005年のバックラッシュ以降、ギミック上ケインと結婚していたリタと不倫、そして結婚するというストーリーが展開されている。リタとはギミックのみならず実生活においても関係を持ったため、それが原因でリタは実生活での恋人であったマット・ハーディーと別れることとなる。このストーリーの最初は、リタのギミック上の前夫であるケインとの抗争であったが、2005年7月以降はマット・ハーディーと抗争が行われている。2005年10月に行われたWWE・ホームカミングにおいて、敗者RAW追放マッチをマット・ハーディーと行い勝利。マット・ハーディーはスマックダウンへと移籍した。10月21日のSmackDown!に私服姿で登場。クリス・マスターズとともにレイ・ミステリオを襲撃し、スマックダウンとの抗争の火蓋を切った。しかし胸部の怪我により、サバイバー・シリーズへ向けた抗争ストーリーからは離脱。サバイバー・シリーズでは、リタと共に「Cutting Edge」というトークショーを行った。

2006年1月のニュー・イヤーズ・レボリューションにおいて、「鞄」の権利を行使してジョン・シナと対戦し勝利。WWE王座を獲得した。獲得後のRAWでリタとLive Sexショーを行うなど、ヒールの王者として振舞い、前王者のジョン・シナやリック・フレアーらと抗争を深めた。2006年2月ロイヤルランブルにて再戦権を行使したジョン・シナに王座を奪回され、さらにエッジがジョン・シナに対して再戦権を行使した試合においてレフェリーを行ったミック・フォーリーと遺恨が勃発。WrestleMania 22にてハードコアマッチを戦い、これに勝利した。その後はフォーリーと手を組みECWと対立し、ECW One Night Stand 2006でテリー・ファンク&トミー・ドリーマーと対戦、さらにその大会のメインであったジョン・シナvsロブ・ヴァン・ダムのWWE王座戦に乱入、ヴァン・ダムの勝利をアシストする。そして7月3日のRAW番組内でヴァン・ダム、シナとの3WAYWWE王座戦を制し、2度目のWWE王座戴冠となった。

得意技
スピアー
インパラー(エッジキューション)
エッジュケイター
鞄攻撃

タイトル履歴
WWE
WWE王座 : 2回
IC王座 : 5回
US王座 : 1回
世界タッグ王座 : 10回(&クリスチャン x7、ハルク・ホーガン x1、クリス・ベノワ x2)
WWEタッグ王座 : 1回(&レイ・ミステリオ)
2001年キング・オブ・ザ・リング優勝

pc
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≫ ユージン
By HBH
2006-09-12 21:49:51
WWEの下部団体OVWでは"ミスター・レスリング”のギミックでその名に恥じないリングワークでOVWヘビー級王座を9回獲得。また現在同じくWWEで活躍しているロブ・コンウェイともタッグを組みOVWタッグ王座を10回獲得している。

2003年にWWEに昇格し、偽ドインク・ザ・クラウンとしてデビューしたが、そのギミックはあまり受け入れられず2004年にディンスモア自身のアイデアで生まれたユージンという知的障害ギミックで再デビュー。エリック・ビショフの甥という設定であり、知的障害ながらもレスリング技術は天才的。ビショフに教育係兼コーチを任されたウィリアム・リーガルも舌を巻くほどの技術で、一度見た昔の有名レスラーの必殺技もリングで出してしまう程であった。一方ビショフはユージンの存在を良くは思っておらず、トリプルHが率いるヒールユニットエボリューションと組んで始末しようとするがユージンの奔放な行動にかき回されなかなか計画通りに行かず、結局エボリューションの怒りを買って襲撃されてしまう。

エボリューションとの抗争以降はリーガルと組んで世界タッグ王座を獲得した。

2005年のニュー・イヤーズ・レボリューションの試合中に怪我をし、一時WWEを離脱する。しかし人気レスラーであるため、レッスルマニアのプロモCMへの出演、および怪我が完治する前にレッスルマニア21への登場を果たす。レッスルマニア21ではモハメド・ハッサンに襲撃され、ハルク・ホーガン登場のきっかけをつくった。

怪我から復帰した後はRAWに移籍してきたカート・アングルと金メダルを賭けて抗争した。

2005年11月、ヨーロッパ遠征中に鎮痛剤の副作用により緊急入院。その後の欠場期間中にそのままWWEとの契約が切れてしまうのではとの噂もあったが、2006年ロイヤルランブルで電撃復帰した。

得意技
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過去の名レスラーの真似
前述の通りユージンというギミック上では天才的なレスリング技術を持つためにユージンは過去の名レスラーの得意技を簡単に繰り出せてしまうという設定になっている。以下はユージンがWWEの試合で出した過去の名レスラーの必殺技である。

ロック・ボトム(ザ・ロック)
ピープルズ・エルボー(ザ・ロック)
ストーン・コールド・スタナー(ストーン・コールド・スティーブ・オースチン)
ランニング・レッグ・ドロップ(ハルク・ホーガン)
ペディグリー(トリプルH)

タイトル履歴
OVW
OVWヘビー級王座 : 9回
OVWタッグ王座 : 11回(&ロブ・コンウェイx10、Flash Flanagan x1)
WWE
世界タッグ王座 : 1回(&ウィリアム・リーガル)
HWA
HWAヘビー級王座 : 1回
MCW
MCWタッグ王座 : 1回(&ロブ・コンウェイ)

pc
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≫ グレゴリーヘルムズ
By HBH
2006-09-12 21:48:39
生時代はアマレスを行っていた。プロレスデビューは1991年で、キッド・ビシャスというリングネームでCCWAでのデビューであった。その後団体を渡り歩いていく。オメガ・レスリング時代は、マット・ハーディーらと共に活動していた。

オメガ・レスリング時代の同僚であるシャノン・ムーアとのタッグチーム、バッド・ストリート・ボーイズにてWCWと契約、2000年に登場した。その後、シャノン・ムーア、エヴァン・カレイジャスと共にヒールのチーム、3カウントを結成する。3カウント脱退後にはWCWクルーザー級を獲得している。

WCW崩壊後はWWE(当時WWF)に移籍する。2001年には、アメコミに登場するヒーロー、グリーン・ランタンをもとにスーパーヒーローにギミックを変更。同時にザ・ハリケーンのリングネームを用いだす。スパイク・ダッドリーのギミック上の恋人であったモーリー・ホーリーを奪って、マイティ・モーリーとして同系統のギミックのパートナーとして活動させる。後にマイティ・モーリーはレッスルマニア18でザ・ハリケーンを裏切り、当時ザ・ハリケーンが保持していたWWE・ハードコア王座を奪っている。

2003年からロージーがパートナーとなる。ロージーとは、2005年5月1日に行われた特番バックラッシュにてWWEタッグ王座を獲得した。タッグ王座獲得後、ステイシー・キーブラーがチームに加入するも、同年8月に行われたドラフトにてステイシー・キーブラーがスマックダウンに移籍したことによりチームを離脱した。

2005年10月に、ギミックチェンジと共にヒールターンを実施。マスクマンから素顔に戻り、またリングネームを本名に戻した。2005年12月12日には、タジリのWWE退団前最後の試合の対戦相手をつとめた。

2006年ロイヤルランブルにおいてRAW所属のままクルーザー級王者となり、その翌週スマックダウンへ移籍した。

リングネーム
現在、過去に用いたことがあるリングネーム

グレゴリー・ヘルムズ(本名、現在も利用中)
ザ・ハリケーン
キッド・ビシャス

必殺技
アイ・オブ・ハリケーン
シャイニング・ウィザード
チョークスラム
バーターブレイカー

タイトル履歴
WWE
タッグ王座 : 2回(&ケイン、ロージー)
クルーザー級王座 : 1回
ヨーロッパ王座 : 1回
ハードコア王座 : 1回
WCW
クルーザー級王座 : 1回
ハードコア王座 : 1回
その他
NWAワイルドサイド タッグ王座 : 1回(&シャノン・ムーア)
SCW王座 : 1回
SCW タッグ王座 : 1回(&Mike Maverick)
オメガ・プロレスリングタッグ王座 : 1回(&Mike Maverick)
SWA ライトヘビー級王座 : 1回
CCW ライトヘビー級王座 : 1回
NDW ライトヘビー級王座 : 1回
NDW タッグ王座 : 1回(&Mike Maverick)
WWO ライトヘビー級王座 : 1回
TCW テキサスタッグ王座 : 1回(&Lenny Lane)

pc
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≫ ジョンシナ
By HBH
2006-09-12 21:46:44
大学卒業後スポーツ用品メーカーに勤めながらボディビルを行っていたが、プロレスラーに転向。インディ団体での活動後WWEと契約。WWE傘下のファーム団体、OVW時代はザ・プロトタイプのリングネームで活動。

2002年、SmackDown!にて、1996年のアトランタオリンピック金メダリストであるカート・アングルとの対戦でWWEデビュー。

ラッパーを模したギミックでいつも過激なマイクパフォーマンスでファンを魅了する。キメ台詞は「Word Life(これマジ)」「You Can't See Me(お前なんか見えっこねぇ)」。日本公演で来日した際にコーヒー牛乳が気に入り、2005年7月のハウスショーでの来日公演では、マイクパフォーマンスでも取り入れていた。WWE登場初期は、その過激なマイクパフォーマンスからヒールであったが、人気の高まりとともにベビーフェイスに転向。

2004年、ビッグショーからUS王座を奪取する。

2005年、2月に行われたPPV No Way Out 2004の挑戦者決定トーナメントで、カートを破り、ついにWWE最高峰の王座であるWWE王座への挑戦が決定。4月3日に行われた、WWE最高峰のPPVWrestleMania 21で王者JBLと対決し勝利、WWE王座を獲得。 WrestleMania後もJBLとの抗争は続き、5月のPPVJudgment Day 2005ではJBLとの「I Quit Match」に勝利し、WWE王座を防衛。

また、音楽業界にも参入し、ファーストアルバム「You Can't See Me」を発売した。

同年6月、ドラフトによりRAWに移籍した。WWE首脳陣からは、これからの飛躍がますます期待され、WWEになくてはならない一人と目された。そのためRAW移籍後もRAWのスーパースターと次々抗争を繰り返していくことになる。

移籍後はRAWのGM(当時)のエリック・ビショフとの抗争を経てカート・アングル、デバリらと抗争した。しかしながらシナの絶対的ベビーフェイスに対してブーイングを浴びせる観客も多かった。 特に2006年にイリノイ州シカゴで行われたWrestle Mania 22では、年に一度の大舞台で本来ベビーフェイスとしての登場だったにも関わらず、心無い観客達からはヒールであるトリプルHに声援が送られ、シナが登場すると観客達はブーイングをあびせた。

2006年1月のNew Year's Revolution 2006にて、長期保持してきたWWE王座をエッジに奪われた。エッジにタイトルを奪われてから、再びWWE王座獲得前の強大な敵に挑むスタイルに戻り、人気も戻りつつある。しかし、この頃からファンのブーイングもギミックの一つと見なされるようになっている。

Royal Rumble 2006では、再戦権を行使して再び王者のエッジと対戦。隙を突いてF-UからのSTF-Uを極め、エッジがタップアウト。王座奪回に成功し、実質的にWrestleMania 22におけるRAWのメインイベントへの出場権を獲得した事となった。WrestleMania 22のメイン戦ではトリプルHと王座戦を行い、STF-UでトリプルHをタップアウトさせて防衛。Backlash 2006では前WWE王者のエッジ、トリプルHとトリプルスレット戦で対戦したが、ここでも防衛に成功した。

WWEvsECWの抗争が始まると、その年のWrestleMania 22で行われていたマネー・イン・ザ・バンク・ラダー・マッチを制し、1年間に1度だけ有効の挑戦権を手に入れたロブ・ヴァン・ダムが挑戦権を使用し、ECW One Night Stand 2006でシナに挑戦すると宣言。迎えた防衛戦では乱入したエッジのスピアーを受け、それによってロブ・ヴァン・ダムにWWE王座を奪われてしまった。

王座移動後もシナはECWのレスラー達と抗争。Vengeance 2006でサブゥーと対戦し、タップアウト勝ちを奪った。その後はWWE王座を巡って再びエッジとの抗争を繰り広げている。

必殺技
F-U(デスバレーボム)
ファイブ・ナックル・シャッフル
STF-U(STF)
スローバック (変形フェイスクラッシャー)

決めセリフ
Word Life
You can't see me

タイトル履歴
WWE
WWE王座:2回
US王座:2回
OVW
OVWヘビー級王座:1回
OVW南部タッグ王座:1回(&リコ:1回)
UPW
UPWヘビー級王座:1回

pc
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≫ ケイン
By HBH
2006-09-12 21:40:41
1992年にプロレスデビュー。デビュー当時のリングネームはUnibombであった。 日本へは藤原組に本名で数度来日している。USWA、SMWなどで試合を行い、またSMWにてアル・スノーと共にタッグ王座を保持していた。1993年にWWFにサバイバー・シリーズから登場。リングネームはBlack Knightとなる。その後、歯医者ギミックのアイザック・ヤンカム(Dr. Isaac Yankem)として登場するがすぐにフェードアウト、続いて退団したケビン・ナッシュのギミックを継ぎ2代目ディーゼル(Diesel)に変身するがファンの不評を買い、またもフェードアウト。1997年に現在のリングネームであるケインとなる。

ケインはギミックによりジ・アンダーテイカーの異父弟(父はテイカーのマネージャー、ポール・ベアラーという設定)として登場し、また兄が起こした火事により顔に大火傷を負わされた事への復讐をする、というアングルが組まれた。火傷を隠すためのマスクがトレードマークであった。アンダーテイカーとの抗争、共闘などを通じてWWFのトップレスラーに上り詰め、ストーン・コールド・スティーブ・オースチン、トリプルH、ビッグ・ショー、カート・アングル、そしてビンス・マクマホンなどWWEの他のトップレスラーと抗争を繰り広げていく。

WWEのTV放送分離後はRaw所属となり、ベビーフェイスとしてロブ・ヴァン・ダムとタッグ結成しWWEタッグ王座を獲得している。2003年6月に、トリプルHとの世界ヘビー級タイトル戦に敗れたため、マスクを外した。以後素顔にて活動している。その後ロブ・ヴァン・ダムとのタッグを解消するとともにヒールに転向する。

2003年のサバイバーシリーズでは、ビンス・マクマホン対ジ・アンダーテイカーのベリードアライブマッチ(生き埋めデスマッチ)で、ビンス・マクマホンの勝利をアシストした(この試合後休暇に入っていたジ・アンダーテイカーが2004年のレッスルマニア20にて復帰した際、ケインとの試合が組まれた)。

2004年に入り、ショーン・マイケルズとの抗争の後、DIVAのリタとのストーリーが中心に組まれた。リタを巡ってのマット・ハーディーとの抗争、リタとの結婚、妊娠、ジーン・スニツキーの攻撃による流産、その後の抗争、という一連のアングルが組まれた。2005年に入り、リタがエッジと浮気するストーリが展開し、ギミック上の結婚を解消、エッジと抗争に入った。エッジとの抗争のメインがマット・ハーディーに移ると休暇期間に突入した。同年10月にRawに復帰。PPVタブー・チューズデイにてビッグ・ショーとタッグを組み、巨漢レスラー2人によるダブルチョークスラムがフィニッシュムーブとなる。2005年のサバイバー・シリーズでのスマックダウンとの対抗戦に向けたストーリーでは、ダブルチョークスラムによりバティスタに筋肉断絶の重傷を負わせている。

得意技
チョークスラム
ツームストン・パイルドライバー

その他
ニックネームは赤い処刑マシーン(Big Red Machine)。同名のニックネームを持つ事から元メジャーリーグ選手のピート・ローズとの間に遺恨が生じ、レッスルマニアでピートがケインの試合に乱入してはツームストン・パイルドライバーを受ける光景は一時期名物化した。後にこのケインとのムーブによって、ピート・ローズは2004年にWWE殿堂入りすることとなった。その際に、ケインが盾を授与するプレゼンターを務めた。
 そして、入場時耳栓をしているという噂がある。

タイトル履歴
WWE

WWFヘビー級王座 : 1回
IC王座 : 2回
WWE世界タッグ王座 : 9回(&マンカインドx2、ジ・アンダーテイカーx2、Xパックx2、ロブ・ヴァン・ダム、ザ・ハリケーン、ビッグ・ショー)
WWE・ハードコア王座 : 1回
WCW

WCW世界タッグ王座 : 1回(&ジ・アンダーテイカー)
SMW

SMWタッグ王座 : 1回(&アル・スノー)
USWA

USWAヘビー級王座 : 1回
USWA南部ヘビー級王座 : 1回

pc
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≫ リックフレアー
By HBH
2006-09-12 21:36:11
学生時代はアマチュアレスリングおよびアメフトを行っていた。プロレスデビューは1972年12月10日。ミネアポリスに拠点を置くAWAにてデビュー戦を行った。

1974年にNWAに活躍の場を移した。そこでNWAミッドアトランティックタッグ王座、ミッドアトランティックTV王座、ミッドアトランティックヘビー級王座と立て続けに王座を獲得する活躍を見せる。1975年10月4日、セスナ機の事故に遭い、医者から引退勧告を受けるもレスラーとして復帰した。復帰後もNWAミッドアトランティックヘビー級王座、世界タッグ王座(パートナー : グレッグ・バレンタイン)US王座など複数の王座を獲得した。

1981年、NWA世界ヘビー級王座を初戴冠。後に同王座を8回獲得していく。1986年、アーン・アンダーソン、オレイ・アンダーソン、タリー・ブランチャード、およびマネージャーのJ.J.ディロンと共にチーム、フォー・ホースメンを結成した。

1991年9月に、それまで所属していたNWAからの流れを汲むWCWを離脱、WWFへ移籍した。1992年1月にロイヤルランブルで優勝、およびWWF王座を獲得した。

1993年2月にWWFを離脱、WCWへ復帰した。またフォー・ホースメンを再結成した。1998年に、エリック・ビショフとの対立からWCW離脱寸前までいくも、アーン・アンダーソンの働きにより残留。その後WCWには消滅まで所属していた。

WCW消滅後、2001年にWWEに所属する。ビンス・マクマホンとのWWE共同経営者というギミックを与えられ、ベビーフェイスとして活躍した。2003年には、トリプルH、バティスタ、ランディ・オートンと共にヒールのユニット、エボリューションを結成した。

ランディ・オートン、バティスタらが単独でファンを沸かすことができるキャラクターに成長して次々と抜けていき(アングル上はエボリューションと抗争するための脱退)、トリプルHも休養に入ったためにエボリューションはフェードアウトしていった。2005年8月に、ショーン・マイケルズと組んでベビーフェースにターン。カリート、クリス・マスターズと抗争後10月のWWE・ホームカミングから旧友のトリプルHとの抗争した。

トリプルHとの抗争はサバイバー・シリーズまで続いた。サバイバー・シリーズ後はプライベートで起こした交通トラブルネタをエッジがあげつらった事をきっかけに抗争開始した。

日本との関わり
日本および日本人レスラーとの関わりも深い。初来日は1973年、国際プロレスの興行である。NWA王者として全日本プロレスの興行でも来日し、ジャンボ鶴田、天龍源一郎、長州力、谷津嘉章、テリー・ファンク、ハーリー・レイス、ザ・グレート・カブキといったそうそうたる顔ぶれの挑戦を受けて全て防衛に成功している。WCWと新日本プロレスが提携していたころは新日本にも参戦し、G1クライマックスに参加したほか、1995年4月には、アントニオ猪木と北朝鮮にてプロレスの試合を行っている。

得意技
足4の字固め
逆水平チョップ
一発浴びせる毎に観客がフレアーの決め台詞「Wooooo!!」と叫ぶのが通例。
他にも得意技ではないが、コーナーからダイビング攻撃を狙うとほぼデッドリー・ドライブで投げられるお約束ムーヴがある。その際タイツをつかまれて尻が丸出しになったまま飛んでいくこともたびたびだが、本人いわく「(テレビ中継がない)ハウス・ショーでしかやらない」とのこと。2005年になって、トリプルHからこのムーブを揶揄されたことをきっかけに奮起したのか、ようやく投げられずに攻撃を成功させられるようになった

タイトル履歴
NWA
NWA世界ヘビー級王座 : 11回
NWA USヘビー級王座(Toronto version) : 2回
NWA Mid-Atlantic ヘビー級王座 : 3回
NWA/NWA Mid-Atlantic TV王座 : 2回
NWA Missouri ヘビー級王座 : 1回
NWA 世界タッグ王座 : 3回
NWA Mid-Atlantic タッグ王座 : 3回
WCW
WCW 世界王座 : 8回
WCW インターナショナル王座 : 1回
WCW/NWA/Mid-Atlantic US王座 : 6回
WWE
WWF王座 : 2回
世界タッグ王座 : 2回(&バティスタ)
IC王座 : 1回

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