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RAW選手名簿
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リックフレアー
By HBH
2006-09-12 21:36:11
学生時代はアマチュアレスリングおよびアメフトを行っていた。プロレスデビューは1972年12月10日。ミネアポリスに拠点を置くAWAにてデビュー戦を行った。

1974年にNWAに活躍の場を移した。そこでNWAミッドアトランティックタッグ王座、ミッドアトランティックTV王座、ミッドアトランティックヘビー級王座と立て続けに王座を獲得する活躍を見せる。1975年10月4日、セスナ機の事故に遭い、医者から引退勧告を受けるもレスラーとして復帰した。復帰後もNWAミッドアトランティックヘビー級王座、世界タッグ王座(パートナー : グレッグ・バレンタイン)US王座など複数の王座を獲得した。

1981年、NWA世界ヘビー級王座を初戴冠。後に同王座を8回獲得していく。1986年、アーン・アンダーソン、オレイ・アンダーソン、タリー・ブランチャード、およびマネージャーのJ.J.ディロンと共にチーム、フォー・ホースメンを結成した。

1991年9月に、それまで所属していたNWAからの流れを汲むWCWを離脱、WWFへ移籍した。1992年1月にロイヤルランブルで優勝、およびWWF王座を獲得した。

1993年2月にWWFを離脱、WCWへ復帰した。またフォー・ホースメンを再結成した。1998年に、エリック・ビショフとの対立からWCW離脱寸前までいくも、アーン・アンダーソンの働きにより残留。その後WCWには消滅まで所属していた。

WCW消滅後、2001年にWWEに所属する。ビンス・マクマホンとのWWE共同経営者というギミックを与えられ、ベビーフェイスとして活躍した。2003年には、トリプルH、バティスタ、ランディ・オートンと共にヒールのユニット、エボリューションを結成した。

ランディ・オートン、バティスタらが単独でファンを沸かすことができるキャラクターに成長して次々と抜けていき(アングル上はエボリューションと抗争するための脱退)、トリプルHも休養に入ったためにエボリューションはフェードアウトしていった。2005年8月に、ショーン・マイケルズと組んでベビーフェースにターン。カリート、クリス・マスターズと抗争後10月のWWE・ホームカミングから旧友のトリプルHとの抗争した。

トリプルHとの抗争はサバイバー・シリーズまで続いた。サバイバー・シリーズ後はプライベートで起こした交通トラブルネタをエッジがあげつらった事をきっかけに抗争開始した。

日本との関わり
日本および日本人レスラーとの関わりも深い。初来日は1973年、国際プロレスの興行である。NWA王者として全日本プロレスの興行でも来日し、ジャンボ鶴田、天龍源一郎、長州力、谷津嘉章、テリー・ファンク、ハーリー・レイス、ザ・グレート・カブキといったそうそうたる顔ぶれの挑戦を受けて全て防衛に成功している。WCWと新日本プロレスが提携していたころは新日本にも参戦し、G1クライマックスに参加したほか、1995年4月には、アントニオ猪木と北朝鮮にてプロレスの試合を行っている。

得意技
足4の字固め
逆水平チョップ
一発浴びせる毎に観客がフレアーの決め台詞「Wooooo!!」と叫ぶのが通例。
他にも得意技ではないが、コーナーからダイビング攻撃を狙うとほぼデッドリー・ドライブで投げられるお約束ムーヴがある。その際タイツをつかまれて尻が丸出しになったまま飛んでいくこともたびたびだが、本人いわく「(テレビ中継がない)ハウス・ショーでしかやらない」とのこと。2005年になって、トリプルHからこのムーブを揶揄されたことをきっかけに奮起したのか、ようやく投げられずに攻撃を成功させられるようになった

タイトル履歴
NWA
NWA世界ヘビー級王座 : 11回
NWA USヘビー級王座(Toronto version) : 2回
NWA Mid-Atlantic ヘビー級王座 : 3回
NWA/NWA Mid-Atlantic TV王座 : 2回
NWA Missouri ヘビー級王座 : 1回
NWA 世界タッグ王座 : 3回
NWA Mid-Atlantic タッグ王座 : 3回
WCW
WCW 世界王座 : 8回
WCW インターナショナル王座 : 1回
WCW/NWA/Mid-Atlantic US王座 : 6回
WWE
WWF王座 : 2回
世界タッグ王座 : 2回(&バティスタ)
IC王座 : 1回

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