二次創作/夢
愛しい人よ、どうかこれ以上僕を狂わせないで下さい。君が微笑むだけでどうにかなってしまいそうだ!(辻)
新、と聞き慣れた声がして、辻は振り返る。
其処には買い物袋を腕にぶら下げた朔がにこやかに立っていた。それに吊られるように彼も僅かに微笑み、重そうなそれをやんわりと奪い取る。代わりに自身の軽い学生鞄を押し付ければ、彼女はありがとうと言って笑った。
「今日の夕飯は何にするの、…姉さん」
「鮭が安かったから、それとおひたしとかかな」
そっか、と返しながら二人で自宅へと歩を進める。今日も「姉」という所を否定されなかった、と内心落ち込みながら。
朔は、辻の姉ではない。
両親共に働いているため、彼の家は常に閑散としていた。そこへやってきたのが隣の家の彼女である。実は互いの父が友人であり、子供を一人で家に残すくらいなら二人まとめればいいという安直な考えの元、彼らの交流は始まった。
まだ幼い辻に自己紹介をした朔は、「お姉ちゃんって呼んでね」と彼に言った。それを素直に受け止めた辻は、そこから彼女を「姉さん」と呼び始めたのだ。
そして今に至るまで、その習慣は続いていた。
しかし、これは辻にとって不満以外の何物でもない。
何が悲しくて好いた人物を姉と呼ばねばならないのか。そして、どうやったら彼女を意識させることが出来るのか。難解な課題を前にして、彼はただ立ちすくむばかりだ。
台所でせかせかと動く小動物のような姿を凝視しながら、辻は小さくため息をつく。
手伝うと言っているのに、新は休んでていいよとやんわり断られてしまった。気遣いは嬉しいのだが、料理する様を隣で見たいという思いは汲み取ってくれなかったようだ。
―ままならない、何もかもが。
緩く縛られた髪の隙間から覗く白いうなじに目を奪われつつ、彼はもう一度ため息をつくのだった。
「ご馳走さまでした」
「お粗末さまでした」
恒例の挨拶を述べてから、食器を下げるために立ち上がる。
食事を作った人は皿洗いまでやってはいけない、という大分前に作ったルールがあるため、朔は大人しくソファに腰を下ろしていた。その後ろ姿を眺めながら流しに立っていると、頭がゆらゆらと揺れていることに気がつく。
手を拭いて近づいてみれば、その瞳は今にもくっつきそうになっていた。
「姉さん、ここで寝ないで」
咎めるように声をかけても、可愛らしいうなり声しか返ってこない。横に腰かけて軽く揺さぶってみるも、彼女が眠さに打ち勝つ様子は見られなかった。
長いまつげが影を作るのをじっと眺めながら、辻はふと考える。
―今なら呼んでも良いんじゃないか。
どうせ聞こえていないのだ、良いだろう。意を決した彼は、小さな声で呼び掛けた。
「…朔」
と、そこで朔が瞳を開く。まさか起きるとは思わなかった辻は、とりあえずその反応を見てみる事にした。しかし、次の瞬間我慢できずに朔に抱きつくこととなる。
「―なぁに、新之助?」
とろけるような笑みでそう言われてしまえば、それ以外に彼が情動を収める術は無かったのだ。
愛しい人よ、どうかこれ以上僕を狂わせないで下さい。君が微笑むだけでどうにかなってしまいそうだ!
* * * * * * * * * *
思わず抱きしめてしまったこと、俺は謝らない。
―待ちに待った獲物が目の前にあったんだから、当然でしょう。
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