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二次創作/夢
羨むのは、そうなりたいと望むのは、罪ではない。何故なら私達人間は欲しがる生き物だからだ。重要なのは、自分がどのような存在でありたいかという事である。





「最近眠れていないようだな、三輪くん」


「……あんたには」


「関係ない、と言うつもりかい?
私の目の前で三度にわたり倒れかけておいて?」


「、」


「ふふ、悔しそうだ。ぐうの音も出ないといったところか」



三輪は苛立ちを募らせる一方、困惑していた。

今目の前でコーヒーを口にしている女性―岸川朔とは、知人と言うよりも薄っぺらい関係である。確かに、彼女が言うとおりの失態は犯した…が、何故自分をわざわざ特別開発室に連れてきたのかが分からなかった。
彼としては、出されたコーヒーを一刻も早く飲み干してこの場を後にしたい気持ちで一杯だ。しかし猫舌という訳ではないものの、カップからは熱そうな湯気がたってゆらゆらと揺れている。それを一気に飲めば火傷することは明白だった。



「…あんたはどうして俺を此処に連れてきたんだ」


「おや、私は体調の悪そうな人を介抱しただけだが?理由なんてこれで十分だろう」



それだけ言って再びカップに口を付ける彼女は、どうやら本当にそれ以上の理由を持たないらしい。ソファの背もたれに寄りかからせて力を抜いた時、体が多少強ばっていたことに気がついた。
周りが癖の強い人物ばかりなのもあって三輪は常に気を尖らせているが、それでも疲れるものは疲れるのだ。彼もまた、一人の高校生であった。

―不思議と肩肘張らなくともいいと思えるこの人物は、一体何なのだろうか。

そんな風に思いはしたものの、問うたところで答えは返ってこないだろう。そう判断した彼は、大人しくコーヒーに手をつけることにした。



「でも、そうだな。
どうせなら一つ聞きたいことがあるんだ。気を悪くしてしまうかもしれないが、
…聞いても?」


「…コーヒーの礼だと思えばいい」


「そうか、ならよかった…じゃあ君に一つ訊ねたい。

…君の憎しみを教えてくれないか」


「、?」



彼女の問いの意味が分からず、咀嚼するようにゆっくりとその言葉を飲み込む。彼の腹にコーヒーが満ちる頃には、一つの可能性が頭に浮かんでいた。

―自分は噂と米屋等の話から、目の前の彼女の遍歴を大体は把握している。それと同じように、彼女もまた自分の過去を知っているのではないか。

ボーダーに入ったのも過去の事が理由であるし、別にそれを隠しているわけでもない。十分にあり得る話だった。それを踏まえた上でその質問に含まれた意味を考えると…どういうことなのか。



「逆にあんたはどうなんだ。色々話は聞いているが」


「言葉が足りなかったな、すまない。なんと言えばいいか、うん…。
君の持つ憎しみという感情を教えてくれ、と言えばわかるか?」


「…あんたは憎いとは思わなかったのか?両親を殺した奴らを」


「うーん、分からないんだ」


「は?」


「私は憎いとかそういう感情が分からない。だから、君に聞いたのさ」



予想だにしなかった切り返しに、三輪は口から漏れ出た声も気にせず朔を凝視した。
日常の中で相手を憎いと思うのは行き過ぎかもしれないが、少なくとも彼女の経験の中ではあり得ることなのだ。自分の環境を害した存在を憎み、復讐を生きる望みにする…そんな世界で彼女は生きてきた筈だった。

彼女よりもよっぽど恵まれた生活をしていた自分でさえ、こんなに憎しみを抱いて復讐に身を燃やしているのだ。「分からない」と言われたって、その理由が三輪には分からなかった。



「分からない…?

何故分からないんだ!あんたの過ごしてきた環境上、そういう感情は真っ先に抱かざるをえないものだろう!?」


「君の言う通りだ。

私だって笑うし、悲しむことだってある。苦しむことだって、泣くことだってある」



怒声を浴びながらも淡々と言葉を連ねる朔を見て、三輪は口をつぐんだ。



「両親の顔は分からない。写真も何も残っていないし、遺体だって地雷のせいで粉々だ…何にも残っていやしない。だから憎しみを抱きようがない。思い出も何も無いからな」


「、それが理由なのか」


「いや。
老夫婦の話は聞いているか?…そうか、なら話は早い。

実は難病と言っても、原爆でいう被爆みたいなものさ。何の治療も役に立たない、日に日に弱っていった。
私が科学コンクールで賞を貰った時に嬉しそうに微笑んで……それっきりだ」



自身の決して軽くはない過去を話す姿には、普段と特別違った様子は見受けられない。違和感を感じないことに違和感を覚えて、彼は眉をひそめた。



「私にとっての親は、その老夫婦だ。でも、何も感じなかった。
あの紛争で彼等を傷つけた奴らに対して憎しみを抱く事もない、両親が亡くなったのに悲しむ事もない。

そこで本来抱くはずの感情が、私には生まれなかった。普段ならそんな事は無いのにね」



三輪には、自分が彼女のようになることを想像出来なかった。今自身を構成しているものの大半は憎しみという感情であったし、復讐こそが彼の目的だったからだ。

―やはり理解できない。

そんな時に限って強い感情が生まれないなんて、彼の世界では有り得ない事だった。



「…そういう感情は、自然と生まれるものだろう」


「うん、そうだね」


「姉さんが殺されてから、確かに俺は色んな感情を抱いたと思う。でも口では説明できない」


「うん。…うん、ありがとう」



知りたいことは何一つ言われていないのに、朔は三輪が喋る度に嬉しそうに頷いた。



「私の話を本当のことだと信じてくれてありがとう。真摯に答えてくれて、ありがとう」



そう言って礼を繰り返す朔は笑顔だった。真っ直ぐに見つめられるとどこかくすぐったい気持ちになって、彼は顔を逸らす。
不可解な人だった。強い感情を抱くことがないという、突拍子のないことを言う人だった。それでも、何故か彼女が言うことは信じられる気がしたのだ。

―それはきっと、その愚直なまでに真っ直ぐな瞳と声のせいだろう。

朔と顔を合わせれば必ず目が合うし、その不思議な雰囲気を纏った声に引き込まれる。そんな彼女に魅せられるから、人は己の中で「特別な人」と彼女を置くのだろう。

再び顔を向かい合わせると、自分と彼女の視線が交わった。



「…俺は到底あんたみたいには生きられない。

今の生活に不満は無いが、…俺は岸川さんのことが羨ましい」


「おや、ふふ。

奇遇だな…私も現状に不満はないけど感情のまま行動できる君が羨ましいよ、三輪くん」
























「羨望の念を抱く、という言葉がある。この言葉を君は一体どんな風に捉えるかな。
私は、その思いを抱いた人への敬意を表す言葉だと取りたい。羨ましいと思うのは、自分が出来ないことが出来る人や自分の持たないものを持つ人に対してだろう?ほら、敬うべき人じゃないか。

羨ましい、と思う事は誰だってあるさ。でもそこに妬みなどの感情を付け足してしまえば…敬意なんて微塵も無くなってしまうね。

正しいと思う事も人それぞれだが…もし君が他人を害するような人になりたくないのなら、まずそういった面から不穏な要素は消していくべきだ。いきなりは無理でも少しずつ、な」






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あきゅろす。
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