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俺の好きなチョコレート、彼の好きだったカルピス

ツンと鼻をつくにおいがした。適当なお菓子と飲み物が入ったコンビニ袋を、玄関にどしゃりと置いて、風呂場に向かった。
半開きのドアを押すと、電気の付いていない暗い浴槽の中で一人、服を着たままうずくまっていた。

「将太」

ぐらり、ぐしゃぐしゃに絡まった髪の毛が揺れる。意識はあるようだが、しかし俺を見上げることはなく。

風呂場の床も浴槽の床も、血と錠剤まみれのゲロで汚れていた。俺はため息をついて、洗い流すためにシャワーの水をひねり出した。

何ヶ月振りか思い出せない。だけど前回もそう遠い過去ではなかったと思う。
自分を救うための薬を、飲んで飲んで飲んで吐いて、この頃は泣きもせずただ暗がりに横たわる。感情もまともな言葉も捨てたこいつは、到底生きているとは言えないが、それでも骨と皮だけの腕に浮いた血管には絶え間なく血が流れ、肺は伸縮を繰り返す。
生きていることに、さらに上乗せの高貴な行動を伴わないと人間らしくはなれない。誰が決めたわけでもないのに、世の中は健康的な精神を持たない者を人間として認知できない輩で溢れている。
かくいう俺でさえ、持ち上げた顎の冷たさには、どうしても「同じ環境で生活している人」という最低限の共感を得ることができない。

勢いをゆるめたシャワーを、将太の顔にあてた。
胃酸でぼろぼろに荒れた肌を傷めないよう、優しく吐瀉物をこすり落とす。
先週切ってやったばかりの短い前髪の下、干からびた昆虫のような目が宙をとらえていた。

「将太」

ぶるり、黒目が揺れた。

「どこに隠してたの。それとも、誰かがくれたの。こんなたくさんの薬」

くすり。

伸びきっていた顔が、徐々に均衡を取り戻して、瞼が見開かれた。
両腕に、指が絡みつく。

「……んせ、せんせい、ください、薬、もっ、と、下さい……」

焼けた喉がひゅーひゅーと息をもらしながら、枯葉が転がるような声を出した。
全身を細かくふるわせながら、将太は俺を精神科医と間違えて訴える。
腕に巻きついた指が、細い。

シャワーを投げ捨てて、ぐにゃぐにゃの体を強く抱きしめた。
抵抗しない将太の胴体は、冷たくて冷たくて、まるでゴムでできた人形を抱いているようだった。背中にまわした指が、肋骨の間に沈んだ。

「将太……もう止めようよ……もう嫌だよ……」

目の奥が痛んで、視界がにじむ。将太の灰色の首に顔をうずめて、腹の底からわいてくる嗚咽を必死に飲み込もうとした。しかし強い波が喉を押し広げて、抑えることができなかった。将太の肌からは汗のにおいすらしなくて、それがひどく悲しかった。
こうなってしまったら、俺がどんなに泣いたって彼の脳には届かない。うわごとは俺の声とは交わらずに、頭の上をぐるぐると回った。虚ろな響きは彼の心からの欲望なのか、彼になり変った誰かのささやきなのか、俺にも彼にももう分らなかった。

何かを呼び戻そうとするかのように、俺の手は骨の浮いた背中を這い回る。いつかはちょうどいいサイズだった服の中、将太の体はまるで実在しないかのように泳いだ。
ひたすらに、ひたすらに、浴室は青くて、俺をつかんでいた将太の腕が、ぱたりと、床に落ちた。

固く閉じた真っ暗闇の中、俺の網膜の上には、三ケタの番号と、机の中に仕舞った病院のパンフレットの表紙が、地獄じみてビカビカと光っていた。




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