帝王院高等学校
お前の回復魔法は地獄の玄関!
『俺から見える世界は真っ黒だった。
 月も星もない静かな夜だけ目を覚ます、それこそ俺の「業」』

『俺はいつからか、月が満ちた夜に目を覚ます様になった。
 それは俺が「魂」だからだと、いつか気づいた』



ああ。
蝉だ。蝉が力強く、鳴いている。

頭上には燃える様な『緋』と、『命』が脈動する鳴き声に、木々が大地にもたらした『影』。
光を帯びた命が刻む影はまるで、生きる五線譜の様だ。



「…ああ。三本の針が交わる場所に、月が見える」

じわじわと鳴く蝉、じわじわと滲んでは滴り落ちる汗、じわじわと。近づく事が躊躇われるその『宝石』へ、一歩一歩、足を踏み進めていった。

「気温より体感温度は高いそうだ。台風が近いからか、今夜は熱帯夜だと言っていた。獅子座は12位、ラッキーアイテムは『麦茶』」

さくり。
さくり。
枯れ葉と芝生と飴色の脱け殻を踏み締めて、光と命と影の境で眠る、白銀を見下ろした。


ひたひた・と、汗が滑り落ちる。
夜はまだ遠い午後。



「…次からは水筒を持ってきた方がイイ」

真紅に染まる、双眸が開かれた。
左胸の奥底で微かに震えたそれは、何の音だろう。



「次の満月までは、暫く猛暑日が続くそうだ」

世界は何処までも。
艶やかな極彩色に染め抜かれている。


























何分経ったのか。
いや、何年経ったのか。
積み重なった書類を前に、純白のネクタイを弛めた男は息を吐き出した。

「はぁ。…ネクタイって、こんな面倒やったかいな?」
「あん?何勝手にサボってるねん陛下、いてこますぞワレェ」

自分でも辛うじて聞こえた程度の独り言へ、振り向きもしない背中が吐き捨てる声。

「ちょっと独り言言ったぐらいでいてこますって、お前さんは魔王の再来か」
「ええか、ちっとばっか背が高くて顔が良くて帝君で実家が金持ちだからって、何もかんも思い通りになると思うなや?!男は顔や金や成績やないんやで!」
「それじゃ何?」
「阿呆かシノ、決まっとるやないかい!当っ然、チンコや!知らんけど」
「知らんのかーい」

相変わらず地獄耳だと苦笑いを浮かべた瞬間、ガタガタと言う音が二つ、重なった。

「羽柴ぁ!貴様と言う男は、会長に向かって何と言う口の聞き方だ!貴様の粗末なチンなど、今すぐ叩き切ってくれるわ!」
「紫水の君!こんなSクラスとはとても思えない男を役員に指名なさったのは、やはり失敗だったのです!まだ遅くはありません、直ちに辞めさせましょう!」
「はー、喧しいやっちゃ。俺ら仲間やろ?何で俺だけハブるん?はー悲しくてよう仕事せぇへんわ、チンコ切られる前にセフレこましてこ」
「「貴様ぁ!一人だけサボらせるものかぁ!」」

騒がしい三役の言い争いをBGMに、笑うのを耐えている庶務や補佐へ肩を竦めてみせる。
意識していないと時間の経過が早い。それはこれが夢だからなのか、単に目の前の書類に集中していたからか。答えはない。

「煩いのが居なくなった。皆、今の内に休憩しようか」
「くすくす。はいはい、それじゃお茶を淹れますね紫水の君。おやつはオッちゃんイカにします?」
「うんめー棒の『エーゲ海の風を感じさせるアクアパッツア風とんこつラーメン味』、5本」
「はいはい。それにしても、どうして陽の君は、いつもあのお二人を揶揄われるんでしょうか。喧嘩になるのは目に見えていると思うんですけど」

ああでもしないと、息抜きの方法を知らない真面目な副会長と会計が倒れてしまうからだ、とは、流石に他人の口から言っても良いものか、否か。
あの頃は週末になると学園を抜け出して、知らない内に変わっていく町並みを飽きもせず眺めたものだ。仲間と。あの騒がしい三人と、いつも。飽きもせず。
ただ毎日がひたすら、楽しかったから。

いつか座り慣れていた筈の、けれど今となっては遠い昔の様な、中央委員会執務室の会長デスクに腰掛けたまま、弛めたネクタイの結び目から手を離した男は、

「つまり、喧嘩するほど仲が良いって事じゃないか?」

力なく、唇の端を吊り上げた。
深い深い、明けていく早朝の空に似たブレザーの色が変わるのは、近い。












ああ。
記憶とは大層、無慈悲だ。

ハードディスクの様に壊れ易ければ良いものを、人の記憶とは機械では真似出来ない程のデータを焼きつけている癖に、滅多に消えてくれない。
何度新しいデータを上書きしても、忌々しい記憶はふと気づいた瞬間に蘇る。



人の記憶とは違い、人の肉体は大層脆弱だと知った。

皮膚を破れば血が溢れ、それが止まらなければ死んでしまう。簡単に。とても簡単に。どれほど泣き叫ぼうが、一切の容赦なく。
両手で掬った水が零れていく様に。足掻けば足掻いただけ滑り落ちて、二度と戻らない。どれほど頭を下げようと。祈ろうと。願おうと。呪おうと。


時間が戻れば良いのに、と。
何かの拍子に、考えた事はないか?ほんの数分前でも構わないからと、一度でも考えた事はないか?

無駄だと言われなくても判っている癖に、神を信じない男のつまらない現実逃避だ。流れ落ちた血が再び戻る事がない様に、流れ去った時間もまた、戻らない。





例えば今の様に。











「は…はし、は、は…っ」
「羽柴ぁあああ!!!」

とうとう、遡った時間が『この日』に追いついてしまった、と。
純白のブレザーを深紅で染めた東雲村崎は、己の瞼から溢れ続ける赤には構わず、足元に崩れ落ちた男の背中を見ていた。

「お、お前があの人を隠したんだろう?!知ってるんだからなっ、毎週毎週、お前達が外に出てる事をっ!」

そうだ。
誰かが『ABSOLUTELY』と言った。絶対なる者を指すその単語は、本当は誰を指していたのだろうか。

「そ…そいつだってそうだ!時の君の実家を乗っ取った、あの高遠亘輝の孫じゃないか!」
「何を意味が判らない事をほざいている、貴様…っ!誰かっ、すぐに救急車を!」
「急げ、すぐに養護教諭を呼んでくれ!は、羽柴陽が撃たれたって、紫水の君が刺されたって、早く!」

ああ、そうだ。
本当はまだこの頃まで、副会長と会計は、今ほど過保護ではなかった。
24時間、ほんの数分でも離れる事を嫌がったのはこの日からだ。

高等部入学式典前日、入寮手続きついでに、真新しいブレザーへ袖を通した、正にこの日。運命が狂った日。全てが終わって始まった日。今。

「…や、かまし。騒ぎなや、大事ないって。こんなん舐めとけば治るし。知らんけど」
「治る訳がない」
「何、シノが怖い顔してるのウケる。きしょいからやめぇや…」
「俺は何も知らなかったんだ。あの時、何でお前が俺を庇ったのか、その理由さえ」
「友達助けるのは当然やろ」
「榛原社長の負債額は40億。内半分は、社長と夫人が保有していた株式等を手放して返済。それでも残ったのは、とても会社員が返せる額の金額じゃなかった」
「落ち着けシノ陛下。俺はこの通り、平気やし」

映画を見ている様だ。
余りにもリアルな体験型の、3D映画を。

けれど会話のキャッチボールは敵わない。あの日あの時の記憶のまま再現されていく光景をただ、東雲は表情一つ変えずに眺めていた。他人事の様に。
目の前で佇んだまま、はらはら涙を流す男を。自分にそっくりな、男を。

「お前は見るな、村崎」
「俺の所為で、羽柴君が…」
「嫌な記憶は全部俺に渡して、お前は全て忘れろ。今までだってそうしてきただろう?」
「でも…」
「俺達は『東雲』、平安を守った狗神の子孫だ。お前は俺みたいに、恨んだり憎んだりしなくて良いから」
「…でも、紫遊」
「家を継ぎたくないなら俺が継いでやる。お前は満足するまで教師としての記憶を貯めて、いつか満足したら、俺と代わってくれれば良い。お前が嫌だと思う全てを、俺が持っていってやるから」

はらはら、はらはら。
目の前の自分が涙を流す度に、瞼から赤い何かが落ちていった。何度も。何度も。何度も。

「あかんよ、嵯峨崎佑壱は一個も関係あらへんやんか…」
「犬は一匹で良い。羅針盤から分かれたのは狐狗狸、三つの系譜だ」
「もう誰も傷つけたぁない」
「だったら何で、遠野俊の入学を知ってた癖にとめなかったんだ?」

はらはら。
はらはら。
足元に倒れていた友人の姿は既にない。騒がしかった誰もの声も今はもう聞こえない。

「お前が表なら、俺は裏だ。裏切ったんじゃない。血に刻まれた、人間を呪う業こそ俺の正体だ」
「っ」
「山田太陽が肩代わりしてくれていた、東雲村崎の本性。負の系譜、俺は嵯峨崎佑壱の呪いから産まれた『影』」
「違う!」
「違わない。だから呪う。記憶になくても無意識で山田太陽を拠り所にした様に、目映い光を消したいと思った」
「思ってない!」
「だったら何で、お前は自分の後釜に嵯峨崎零人を指名した?」

まるで剥がれていく様に。
はらり、はらりと、零れていく。

「何も悪くないハシバアキラが、祖父の犯した罪を負ったのも。親父から40億を借りて、その交換条件で俺のSPになった事も」
「や、め」
「悪いのは羽柴でも羽柴の祖父でもない、両親を見捨てた榛原大空だ」
「!」
「お前は深層心理の内でそう考えた。けれど呑み込んだ。雲隠が崩壊した後、実質灰皇院の筆頭は榛原だったからだ。榛原大空が帝王院駿河様の養子に収まった瞬間から、東雲は榛原に忠誠を従わなければならなかったから。理由はそれだけだ」

優等生でありたかった。単に。
例えば可愛い弟が他人から酷い謂れを受けている事を知って、それならば自分が跡継ぎから離れてしまえば、弟は跡継ぎとして認められるかも知らないなどと、いつか考えた様に。

「光を追い、罪を負い続ける。負の系譜の宿命だ。俺達がこの呪われた系譜から解放されるには、光を消すしかない」
「ゃ」
「そして『俺』は、雲隠の血を引きながら天神の側に居られる嵯峨崎佑壱を、消す力がある。結果は出た。アイツが暴れ回って誰もが手を持て余していた時、俺はアイツを懲罰棟へ入れたんだ。…あの時は清々しただろ、村崎」
「やめろっつってんだろうが!」

ああ。
慈悲深く、愛情深く、誰よりも他人の事ばかりを考えて。

「羽柴は自分の自由と引き換えに祖父の犯した罪を贖った。その引き換えに、お前は親友を失って、俺が産まれた。全て、脚本の通りなんだろう」

誰よりも平凡な生活を夢見ている『自分』は、なんと苦しげな表情をしているのだろうか。

「…諦めて、大人しくしてろ。抗うだけ無駄だ。運命の円卓が待ってる」

はらはらと。
絶えず滴り続ける水滴は、まるで時を刻むかの様に。

「お前は目と耳を塞いだまま少し休んでいれば良い、先生」

静寂が訪れても尚、やまない。






















「…何してるの?」

呆然と。
全ての表情を失った呆けた表情で座り込んだまま、瞬きもせず星空を見上げている男を見た。

「また壊した?」
「…」
「折角、僕と俊君が集めてきた大切な感情を、壊してしまったんだねぇ」

ひらり。
ひらり。
白い光の粒が舞っている。踊る様に。

「罪悪感は感情がもたらすものだと知ってるから、自分の犯した過ちから目を逸らすには、感情なんて邪魔でしかない。…そう思ったんでしょう?」
「…」
「相変わらず自分勝手な人。光の系譜から生まれた錆、罪を負う系譜の王様。そう思い込んで、ただ逃げてるだけ」

針を失った漆黒の羅針盤の上。

「どうして、門番が、いないんだ…」
「円卓が集まってないからだよ」

転がる漆黒の大鎌の柄を握ったまま、夥しい数の星が煌めく宇宙の下で、ただ空ばかり見つめている脱け殻の様な男は、舞い踊る光の花弁には気づかないのか。
顔に振り掛かろうと、払う様な仕草はない。

「ねぇ、何度殺してやろうと思ったか知ってる?親に見放された子が何を何を思うか、神様には判らないんでしょ?だから捨てられる。自分だけが可愛い。いつもそう、勝手だよね」
「…」
「貴方は何度生まれ変わっても何一つ変わらなかった。無知で傲慢で、選ばれた者の傲りを己の力だと勘違いして、いつも酷い王様。だから『神』は貴方から王の衣を奪った。裸の王様、脱け殻の王様、太陽から生まれた日本の王。

 ねぇ、今の気分はどぉ?」

ひら、ひらり。
白い粒は桜の花弁に良く似ている。夜空の下でも眩いばかりに光輝き、漆黒の羅針盤を埋め尽くさんばかりに。

「僕にはもう、地獄の門を開く力はない。魂に根付いた恨みを抱えて、輪廻の中で人の形を失ってしまった。陰陽の境に放り出された僕はいつか、人間ではない別の何かと呼ばれていたんだって」
「…」
「ねぇ、しーくんに逆らって楽しかった?」
「た、のしい…?」

ああ、やっと。唇が動いた。
けれどその瞳には、僅かの光もない。

「傲慢な王様は、自分の傲慢さを奪った相手が憎かったんでしょう?僕は初めて会ったその日からねぇ、しーくんの友達だったんだ。でも君は違うでしょう?従う事も逆らう事もしなかった。人の形をした、脱け殻だったから」
「ぬけ、が、ら」
「空蝉。空の子でありながら、まるで蝉の脱け殻のよう」
「僕は…誰、なんだろう…」
「壊してしまったから、判らなくなった?」
「こ、わした…?僕が、壊したのかい?」

哀れな。
最早、秘め続けてきた憎悪など微塵も感じない。魂に刻みつけた、あの悍しい感情に熱を感じない。解放されたのとはまた、違う様だ。哀れんでいるだけ。

「蛇、が」
「蛇?」
「僕を見て…違う、余を…嘲笑ったんだ。………え?それは、いつだっけ…?」

憎んだ相手が余りにも、そう、こんなにも脆弱な姿を晒しているから。

「あ…そうだ、眼鏡に僕が映ってて…」
「お父さん」
「こわした…なにをこわしたんだっけ…?」
「お母さんが探してるよ」
「ぼく…おれは、なにがしたかった、ん、だっけ…」
「僕は、今のお父さんは好きになれそうだったんだ。カグツチでも安倍晴明でもない今の僕は、一人の人間として、神でも帝でもない今のお父さんなら、きっと、友達になれると思ったんだょ…」
「さくら」

からりと。
鋭い刃から手を離した男が、力なく項垂れていた手を持ち上げる。ひらりと落ちる光の粒を受け止めて、光のない双眸を一度だけ、瞬かせた。

「なんと見事な桜だろう。余の所為で死んだ晴明は、恨んでいるだろうか…」
「もぉ、誰も恨んでないょ」
「我の手で屠った息子は、恨んでいるだろうか…」
「もぉ、何も恨んでないょ」
「俺は、一人ぼっちにしてしまったあの子に、どうしても会いたかったんだ」

はらはらと、光の粒が落ちてくる。
呆然と空ばかり見上げている男は呆けた表情で呟くと、宙へと手を伸ばした。

「さっきまで、ここに、体があったんだ」
「…ぇ?」
「手に入れれば、今度こそ全てが始まるんだと思ったのに、何も、始まらなかった」
「どうしてここに…?」
「きっと奴が塗り替えたのさ」

声が別の何処かから聞こえてくる。
たった今、目の前の唇が動いていないのに声が聞こえてくると言う、その違和感の意味に気づいたのだ。

「ぇ、奴って、え?!」
「俊が描いた脚本は、とっくに違う脚本だったんだ。どうして気づかなかったんだろう。以前からきっと、俊は気づいていたんだ。だからシナリオを歪めて俺に会いに来た。間違った道筋を正す為に、全ての業を解放して…なのに、この歪みは直らない」
「太陽君は、何を言ってるの?」
「虚無は新しい時計を産み出した」

目の前の山田太陽は空へ手を伸ばした姿で動きを止めて、飽きずに星ばかり見ていた。それならばこの声は何処から聞こえてくるのか。

「108に分かれた『個』は、いずれ『全』に戻ろうとする。なのにその理を歪めた奴がいる。そんな事が出来るのは、それこそ神に等しい存在だけだ」

安部河桜は用心深く辺りを窺って、漆黒の刃の近く、きらりと微かに光る何かを見つける。屈み込めば、舞い散る光の粒に照らされて、極々小さなガラスの欠片が見つかったのだ。

「新しい時計…神?それは俊君じゃない、別のクロノスって事?!」
「そう、俊の脚本じゃ、俺が主人公だった筈なんだ。なのにいつからか俊は自分を主人公にしたいと望む様になってしまった。そもそも、それが異変の始まりだと思わないかい?」
「異変、って言われてもぉ…」
「俊ですら気づかない内に、俊の意思を歪めた奴がいるって事さ。…おーい、こっちだよ桜、俺の空気にも劣るこの存在感が判るかい?よーく目を凝らしてくれると、嬉しいなー」
「あっ。太陽君、そこにいたのっ?」
「はは。肉体が死なない限り、『個』の魂も業も消えたりしないもんさ。封印されたのは平安時代の体で、平成の俺は今頃すよすよ寝てるんだろ?」
「寝てる、で、済めば良ぃんだけどねぇ…。校舎は今頃、大変な騒ぎだょ」

呆れを滲ませた笑みで桜が呟けば、小さな破片から忍び笑いが響いてくる。傍らの男は未だ呆けたまま空を見つめているのに、だ。

「やっぱり、大人しい太陽君なんて、変」
「最近まで空気だったのに、って?言う時は結構えぐいコト言うよね、桜ちゃんは」
「もぉ、すぐ揶揄ぅ。初等部の時は明るかったのに、林原君の一件があってからクールになったりするからだょ?以前の太陽君はぁ、いつも刺々しくてぇ、何だか近寄りづらかったんだもん…」
「キャラじゃない事はするもんじゃないねー、お陰で俊が来てから毎日クタクタだよ。主人公ってのは、何が起きてもスタミナが尽きない奴の事を言うんだ。宿命が俺なんてお呼びじゃないって事さ、やっぱスポットライトはお断りだね」
「ふふ」
「ね、桜。俊の脚本にしては、派手すぎると思わないかい?」

静かだ。
神々しいほど瞬く億万の星に包まれた、命が存在出来ない空の彼方。此処は余りにも静かで、余りにも寂しい。

「ぅん、思う」
「キャラじゃないよね、はぁはぁしてる以外は俺と同じくらい空気キャラなのに。大体シーザーの癖に不良見てビビるとか何なの、あとプールで溺れて死にかけてくれちゃうし」
「ぁはは…」
「大体、幾ら困ってる瀕死の人間が呼び掛けたからって、理の扉を開く様な神様が何処の世に存在するんだって話さ。無知な神様は好奇心の塊で、誰よりも人を愛してる」
「しーくんは自分が痛くても平気なのにぃ、僕達がちょっと怪我をすると、死にそうなくらぃ狼狽えてたょ」
「うん。帝王院一族は代々そうなんだ。系譜から離れた高野の血筋は、時の最果てで俊が作り替えた帝王院天元の子孫だからね。高野の子孫と言うより、俊の子孫だもん」
「だね」
「死んだ人間じゃないと来る事も出来ない次元の果てに、俺達は大昔、辿り着いてしまった」
「ぅん」
「それまで寂しさを知らなかった俊が、その時何を思ったのか。少しだけ、判る気がするんだ」
「ぅん、僕も」

きらきら、きらきら、宝石の様な光の粒が闇のスクリーンを彩る世界。月も太陽もない。あるのは銀河の海ばかり、星の光など、永遠の闇の前では、余りにも小さく見える。

「俊は世界に依存してる。仕方ないんだ。いつも遠くから眺めているばかりだった時間軸に、憧れてしまっても」
「憧れ、かなぁ…」
「俺はもう暫くここから出られないと思う。何千年の記憶に固執したそこの魂が、たった15年の俺を認めない限りは」

吹けば消える蝋燭の炎よりまだずっと、砂浜に落ちた一握りの星の砂よりもっと、脆く儚いものだ。

「…全く、僕にはどぉにも出来なぃからねっ。自業自得だょ!太陽君はぁ、ちょっとくらぃ困った方が良ぃと思ぅ!」
「酷いなー、安部河桜さん。俺ら友達じゃんかー」
「良く言ぅ。初めは僕のこと、鬱陶しぃって思ってた癖にっ!」
「あら?気づいてた?」
「太陽君、僕が左席に入るのも嫌がってたでしょ?お茶汲み係なんて肩書き、良く理事会に通ったねって思うょ」
「ま、学園長の孫がごり押しして通らない案件なんか、ほぼないよねー」
「…俊君はどうして僕達の事忘れちゃったんだろぅね。要らなくなったから、かなぁ…?」
「時空侵犯」
「ぇ?」
「まだ想像でしかないんだけど、多分、俊の物語を歪めたのは新しい時計だと思う。だから俊は、正しい時へ戻そうと足掻いてるのかも知れない」
「どぉ言う事?」
「羅針盤としての力を失った生身の俊が、神を創造した真の神に挑んでるんだ。魔法使いが魔術師に挑む様なもんさ」

太陽の声で奏でられる言葉の意味は、殆ど判らなかった。言っている本人すら曖昧な声音を出しているのだから、無理もない。

「人間が考えられる範疇を越えた、神と神の大喧嘩。巻き込まれた俺らはいい迷惑だって話だけど、何か気づかない?」
「何かって…まさかっ?」
「確実に言えるのは、俊の魔法が掛からない相手って事だ。だったら、俊が何故『自分の記憶を巻き戻した』のか考えないといけない。俊はいつも一人で行動する、何も教えてくれないんだ。だから、知りたいなら自分らで考えないといけない」
「自分の記憶を巻き戻した、んじゃなくて、そぅするしかなかった…?」
「多分そうじゃないかって思うんだ。つまり、自分以外の誰かがいた。そいつの記憶を消せない事に気づいたから、自分の記憶を封じた。そう考えれば?」
「どぅして封じなぃといけなかったの?」
「それは判らない。ただ、俊が敵前逃亡する様な相手だったって事さ」
「敵前逃亡?」
「…ほら、ね。やっぱ、心当たりあるよねー?」

逃げる。
対義語は追う、だとすれば。

「カルマのシーザーは探されてる…」
「そうだ。ABSOLUTELYの神帝に探されてた。学園内で知らない奴はいない」
「…探してる理由は逃げたから?」
「まるで秒刻みに逃げてく秒針を、長針が追い掛ける様に。二つの針がかけっこをして、短針は時を刻んでいく訳さ。ゆっくり、ゆっくり、何億年も」
「人は時に追われてる?」
「クロノスは三本の針。高坂日向と嵯峨崎佑壱、そして山田太陽。3つの『光』が刻んだ時間軸には必ず『影』が存在する。緋と符の系譜は、散り散りに砕けた針が人の形に作り替えられて始まった、螺旋の輪廻だよ」
「僕らが?!」

声を荒らげた桜を、脱け殻の太陽が不思議そうに振り返った。然し振り返っただけで、すぐにまた、空を見上げている。目の前の体は、存在して存在しない脱け殻だ。
彼の意思は今、目を凝らさねば見えないほど小さな、ガラス片の中に宿っている。

「俺達は砕ける時、108の業を三等分に分けあった。36の業をそれぞれに有した俺らには、36の眷属が存在する。そのまだ三つに分けた12が、円卓を作るんだ」
「何の為に?」
「針として、時計を廻す歯車になる為に。生きる時計になるのさ」
「生きる時計…俊君が出来ない代わりに、って事…?」
「俊はそれを待ってる。ABSOLUTELYは光王子、カルマはイチ先輩、そして最後に俺、それぞれの円卓が完成したその時に、俊の羅針盤は完成する筈だ。俺ら36の眷属が俊の業を完成させたその瞬間、俊を呑み込もうとしてる神の時計の鎖を解き放てる」
「…」
「緋と符、光と影を集めるんだ。俺はその二つから生まれた『命』の系譜。光はイチ先輩、影は光王子。二つは同じ瞬間に生まれたんだよ。だから追い掛ける。決して交わらない二つが唯一交わる零時に、命が紡がれてきたから」
「緋と符…緋色の系譜が紡ぐ、命、か。じゃぁ僕はきっと、命の系譜だね…」
「ゲームみたいな話だろ?想像でしかないから、馬鹿にしてくれてもいいよ」
「もぉ、すぐ笑いにしようとする」
「感情をなくした俺が最初に貰ったのは、『楽しい』だったんだ。俊とお前さんに貰ったんだよ、桜」
「…」
「ごめんね。だから今の俺は、楽しいって気持ちしか思い出せないんだ」
「判ったぁ。全部思い出せたらぁ、今度こそ僕が太陽君を厳しく躾直すからねぇ」
「おー、こわ。回復した方がいいのか、このまんまでいいのか、ちょいと難しいなー」
「空蝉が皇になる為には、此処から抜け出さないと駄目だょ。暗い所じゃ王様は、輝けないもの」
「王様に白い冠を被らせて『皇』、か。字を考えた人って凄いね、全部に意味があるんだもん」

脱け殻の様に動かない男の手を取り、強く握り締める。
不思議そうに見つめてきた双眸を覗き込み微笑み掛ければ、はたりと瞬いた眼差しの下で、ゆっくりと唇が笑みを刻むのを見た。

「太陽君は笑っても平凡さんだねぇ」
「うん、今のは体があったら殴ってるかなー。ね、桜。実は俺ぽっちゃり体型が好みだったりするんだけど、今度お腹揉ませて貰ってもいいかい?いつも俊が揉んでるの見て、羨ましくてさー」
「ぅん、それは僕も殴るかもぉ。白百合様を太らせてみたら?」
「そんな事をして二葉先輩の顔が変わっちゃったらどうするんだい?あのかわいい顔が二重顎になるなんて、考えたくもないよー」
「美人は三日で飽きるって言ぅしぃ」
「や、飽きない」
「流石に三回転生してるんだしぃ、その内飽きるんじゃなぃかなぁ?」
「絶対、飽きない」

嫌に凛々しい声音だと、安部河桜は思った。
大抵、絶対と言う言葉を容易く使う男の台詞は信用出来ないものだ。指摘した所で太陽の性格上、からっと笑い飛ばされて終わりだろうと、賢い桜は口を閉ざした。

「俺の二葉先輩への愛に終わりはないのさ」
「きゃっ、素敵」

来年の今頃には真逆の台詞を聞いているのではないか、そんな予感がする。
決して言わないが。

←いやん(*)(#)ばかん→
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