帝王院高等学校
オタクの親族はオタク遺伝子保有者!
「…テメェ、そこで何してやがる」

腹の底から絞り出す様な恐ろしい声に、哀れ聞いていた男達の大半が背を正した。
一際アワアワしている可哀想な男は勿論、我らが帝王院学園グループ総取締役である帝王院駿河学園長であったが、一際バチバチと睨み合っているのは、白髪頭と切れ長な双眸が共通点である、彼らだったに違いない。

「久し振りだね、大河白燕」
「…堕ちた伯爵風情が我を気安く呼び捨てにするでないわ、カミュー=リヒト=エテルバルド」
「ほう、私自身がとうに忘れた名を良く覚えてくれていたものだよ。君の所の出来損ないの息子は元気かね?うちのリヒトに迷惑を掛けてくれさえしなければ、少々品性を疑う様な素行が目立とうと構わないのだよ」
「ふん、精々抜かしておれナチスの残党が。朱雀は、貴様の愚息とは最早比較するのも申し訳ないほど自立しておるわ。己の不甲斐なさが息子に遺伝した事を、死ぬまで悔いておれ」

ああ。
何かこっちも火花が散っている。黙っている事に慣れて空気と化している極道は、疲れ果てた表情で窓の外を見た。空が綺麗だから…と言うロマンティックな理由ではない。
単に、学園長執務室のソファに腰掛けているヤクザの様な女と、目が合わせられなかったからだ。

「脇坂ァ」
「っ、ス!何でしょうか、トシの兄貴!」
「…あァ?誰が兄貴だとテメェ、ちょっと表に出っかコラァ」
「ス、スんませんでした、トシ姉さん!」
「茶ァ」
「ス!ただいま!」
「お義父様の分も」
「っス!然し、遠野の親父の湯呑みは満タンです姉さん!」
「んだとコラァ!誰が糞親父に茶ァ淹れろっつった、泣かすぞ脇坂ァ!」
「ひ」
「お義父様っつったら、こちらのイケてる駿河お義父様の事に決まってんだるァが!」

脱いだ靴を豪速球で投げてきた女の前で、ぱちぱち瞬いた学園長は真っ赤に染まり、哀れヤクザは眼鏡と共に吹き飛ばされる。
舎弟や組員には決して見せられない、日本最大組織の最高幹部は、オタクの母親と言うしょっぱい肩書きを背負った腐女子に一撃で倒されたのだ。いや女子と呼ぶのは烏滸がましいだろうか。40歳を華麗に通り過ぎた、つまりちっさいババアだ。

「シ、シエさん、き、君は今、私を…お、お義父様と…?!」
「そんな…お義父様、シエさんだなんて他人行儀ざますん。どうぞシエちゃんって呼んで下せィ」

きゃるるん。
ノーメイクな上にボサボサと跳ねている短い茶髪でありながら、彼女は必死でカマトトぶった。ぶったが、室温が何度か下がっただけだ。
ソファに腰掛けているカマトト腐女の背後に無表情の金髪が立っていたが、そのまた隣に微動だにしない黒装束も立っており、三人掛けのソファの人口密度は嫌に高い。

遠野俊江を間に挟み、祭美月と大河社長が左右に座っている。
俊江の背凭れの後ろ側には無表情の理事長、美月の背凭れの後ろ側には微動だにしない黒装束、中国マフィア代表とも言える大河社長の後ろには、若干楽しげなドイツ人が居た。
テーブルを挟んで反対側、やはり一言も喋らない加賀城財閥元会長の隣に、腕を組み足を組み、今にも人殺しをしそうな目で小刻みに震えている白髪混じりの男を挟んで、そのまた反対側には今にも死にそうな表情でぶくぶくと泡を吹いている、元遠野財閥…いや、そんなもんはなかった。元遠野総合病院院長がある。

彼らの背後には、壁に背を預けて動かない自称アレクセイ=ヴィーゼンバーグと、その隣には兄の両肩を押さえて逃がさない様に監視している保険医の姿があった。

「学園長…あの、お茶入りました」
「お、おお、すまんな、脇坂。お前もまぁ、私の席にでも座って休んでいなさい」

俊江にお義父様と呼ばれてクネクネダンス…否カーニバルが止められない帝王院財閥会長は、己の執務室であるにも関わらず、俊江の頭皮の匂いを無表情で嗅いでいる元ステルシリー会長を華麗に蹴り飛ばしたり、未だに睨み合っている中国とドイツの火花戦争を観察して『日本は平和だな』と感じたり、やっぱりクネったり、そこそこ忙しい様だ。
哀れ、光華会副会長である脇坂享がこの場で最も弱い立場にある事を、本人が一番理解していた。なので当然、座っていろと言われて素直に座る事などない。ちらっと顔を上げた加賀城敏史と目があったヤクザは、気の毒げな眼差しに見つめられて唇を震わせる。

いつから光華会副会長は、年寄り軍団の小間使いにまで成り下がったのだろうか。この場で最も若いからか?
だとすれば、そう、正に若頭である高坂日向の如く開き直れれば良いものを、脇坂が敬愛している高坂向日葵そっくりな姿形をしていながら、中々に若年寄りな日向ならば恐らく『黙ってろ年寄り共、寧ろ黙らせられたいか?』くらいは嘲笑いながら吐き捨てそうだ。

「…若が冷静を失うのは、嵯峨崎の次男坊の前だけだもんなぁ」
「ワキ毛、テメェいつまでぶつぶつほざいてやがるかァ。アタシにも茶ァ寄越しなさいょ」
「アタシ?!おま、いつから女になった?!」
「んだと?死ぬか?あァ?死ぬのかコラ?」
「すいませんでした遠野俊江先輩」
「様つけろ後輩」
「すいませんでした遠野俊江様先輩」

ヤクザが畏れる極道でありながら、お盆を味方にウェイターと化している彼は今、遠い目で呟いた。お盆を持つ手が震えている。何を隠そう、若い頃に殺され掛けた俊江にビビっていた。脇坂と俊江は歳が変わらなかったのだ。早い話が幼馴染みと言っても良い。
悲劇はそこから始まったのだ。

「ご無沙汰しております大河社長。この数年はろくに挨拶も出来ず、会長に代わってお詫びを…」
「良い、相変わらず貴様ら日本に置いておくのが勿体ないほど教育が行き届いておるわ。この国の政治家は好まんが、汝と飼い主に免じて慈悲を与えよう」
「はっ。ヤクザが何をあまっちょろい会話してんざます?お義父様ァん、このお茶美味しいでございますん、アレですかィ?高級な煎ティーでございまするか?」
「せんてぃー?おお、すまないなシエさ…シエちゃん、それはただの宇治の玉露で、せんてぃーではないのかも知れん。良し良し、パパが冬臣にせんてぃーを用意させるから少し待っていて貰えるか?」

とは言え、日本最大組織の最高幹部である脇坂は、無論だが、中国最大組織の長である大河白燕と面識があった。あったので、荒ぶる女豹に振り回される被害者同士、目と目で通じ合う。
日本最大組織の長と言えば、高坂向日葵を遥かに抜いて、この帝王院駿河である。その駿河を煎茶で振り回せるのは、この鬼女をおいて他に存在しまい。

「…大殿、俊江の宣うせんてぃーとはどう考えても煎茶の事だろうて。叶に用意させんでも、職員室に捨てるほどあるわ。子供の戯れ言など捨て置けばよい」
「セ、センチャ?!センチャとは何だ、戦車の仲間かっ?!」
「冷静に召されよ大殿、間もなくそこの加賀城が天に召されるのではないかのう?」

我らが帝王院学園学園長は舞い上がっていた。否、クネクネしていた。男前を狂わせ、鼻の下が伸びきっている。娘が欲しかったのかも知れない。
駿河の哀れな姿に加賀城は顔は覆い、冬月はそっと顔を逸らした。煎茶の何が悪いと頬を膨らませた遠野の恥は、向かいの祖父から「お茶は玉露が何となく高い」と教えられて、顔を赤く染めた。

カッと女を見開いた駿河は転げんばかりの勢いでデスクへ走り寄ると、ガタガタと引き出しを漁り、悔しげにデスクを殴りつけたのである。

「何故に一眼レフがないかぁあああ!!!」
「案じるな駿河、私の網膜と言う二眼レフに照れるシエの姿を焼きつけた」
「貴様、表に出ろキング!」
「駿河、私はキングではない、みーちゃんだ」
「めーたん、玉露って幾らするんざます?あ、そー言えば、リィ君もめーたんだったわねィ」
「吾はプーアル茶を嗜んでおります故、日本茶には然程詳しくはありませんが、恐らくこのくらいかと…ぼそぼそ」
「ヒィ」

部屋の温度が下がった。
日本最大組織の会長VS世界最大組織の元皇帝と言う、マフィアもビビる戦争は、然し玉露の値段を美月に聞いて腰を抜かしたオタクの母親によって、開幕と同時に終了する。

「ヒィ!お肉、お肉が買えるお値段じゃないのォ!高がお茶でお肉…お肉が買えるのかァアアア!」
「シエちゃん?!どうしたシエちゃん、肉が要るのか?!何の肉だ、但馬牛か?!松阪牛か?!」
「ホルスタインとは限らんぞ駿河、風呂で食らう鶏肉もまた捨てがたいと私は学んだばかりだ。ネルヴァ、直ちに浴槽とフライドチキンを用意しろ」
「クイーン=メアの裸を気安く見せると思うのかね、スケベジジイ共」

荒ぶる帝王院財閥会長とステルシリー元会長は、冷たい笑みを浮かべた藤倉理事の冷静な一言で沈黙した。出る所が全く出ていない腐女子のボディーなど、何処の男が喜ぶのか。
ああ、帝王院財閥会長の息子が喜ぶのかも知れない。略してオタクの父親だ。

帝王院秀皇のロリコン疑惑はこの際見て見ぬ振りをしよう。
今はそんな事より、この場で最も強い位置に存在しているのがキング=ノヴァではなく、一気に飲み干した玉露の味を思い出しながら、空いた湯呑みを舐めている腐女子である事を理解せねばなるまい。

「おじーちゃん、そのお茶要らないならちょーだい?」
「俊江、じっちゃんはお前にそんな苦労をさせた覚えはないぞ?シューベルトは何をやっとるんだ」
「シューちゃんは一日一本の発泡酒と二時間のぷよぷよを楽しみに、きりきり働いてくれてるわょ!最近めっきりご無沙汰だったから、俊が消えた今、子作りも考えてるざますん!」

その鬼女の父親は、未だに貧乏揺すりを続けたまま、今にも人殺しを始めそうな表情で沈黙を守っていた。誰が娘の夜事情を知りたいのか。

「お義父様…いえっ、パパス!二人目の孫に乞うご期待下さいませェイ。次はシューちゃん似の娘っ子を産みますからねィ!」
「シ、シエちゃん…!パパは二人目が男の子でも嬉しいぞ、隆子も…いやママもきっとそう言う事だろう…!」
「はっ、そう言えばママスは何処に居るんざます?」
「かくかくしかじかで…」
「ほぇ?癌?癌如きがママスを脅かすなんて片腹痛い事をォ!ジジイ、このオペは直江になんか任せてられっかァ!俺に執刀させろや、べらぼーめ!」
「阿呆か、お前は15年以上メスを握っとらんだろうがァ!直江はあれでも院長だぞ、弟を信じろ!念のため、この冬月が加勢してくれる手筈になっとる事だし!」
「あァ?!冬月がどうしたコラァ!テメェら、誰のママスにメス入れるつもりだボケェ!ママスの体は私が助けるざますん!何故なら私は…パパスとママスの義娘、帝王院俊江ですもの!」
「し、し、し、シエちゃん…!今すぐ!何も要らないから!今すぐ屋敷に引っ越してきなさい!ほら、あそこ!あそこに見える八重桜の木の辺りがパパスの本宅だぞ!屋敷自体は600坪程度だが、学園を含めた山全体で5万坪くらいはあるから、それなりに遺産を残せるかと!」
「狡いぞ駿河、シエはシエ=グレアムとして世界を股に掛ける女にすべきだ。俊江、私にも多少の財産はある。お前は日本に収まる人間ではない、私の娘になれ」

加賀城は自分の隣を見る事が出来ず、ついつい脇坂を見てしまう。この場では極道が最もまともに見えるから、あら不思議。
ヤクザと獅楼の祖父は通じあった。何にせよ、遠野俊江には逆らうべきではない様だ。日本に残ろうと世界へ渡ろうと、最終的には世界の覇者には変わりない。

「えっと、良かったら加賀城先生と院長も、お茶どうぞ…」
「気を遣わせて悪いの、若いの」
「「茶菓子持ってこい」」
「あ、そう言えば二人共院長でしたか…」

壁際のコンセントを独占しているアンドロイドは充電中だからか大人しく、孫娘とは目が合わせられない遠野夜刀の隣、眉間を押さえながら貧乏揺すりをやめた遠野龍一郎は、そわそわ落ち着きがない駿河を一瞥し、深く息を吐き出した。

「…駿河、主は此処へ座っていろ」
「えっ?」

絞り出した様な声音だ。
鬼女の父親、正に鬼が再び口を開いた。その瞬間、駿河と帝王院帝都を除いたほぼ全ての人間が沈黙した。
元から沈黙していた忍者はピリッと身構えたが、いきなり飛び掛かる様な真似はしない。

「大殿がウロチョロするでない」
「えっ、みっともなかったか?すまん、良し判った、龍一郎はそこに座っていなさい、私はシエちゃんをこう………膝に乗せるから大丈夫だ」

オタクの祖父は躊躇わなかった。オタクの祖父と言えば、我らが帝王院学園学園長である。
極道とオタクの曾祖父から悲鳴が零れたが、オタクのもう一人の祖父は眉間に皺を刻んだだけで、沈黙した。もしかしたら言葉もないと言っただけかも知れなかったが、とにかく、きゃるるんきゃるるんしている鬼女が、帝王院財閥会長を踏み潰さんばかりに膝の上に座っている光景は、毒々しかった。余りにも。

「やだん、パパス。あっちから怖いオッサンが睨んでくる〜。シエちゃん、こわ〜い」
「龍一郎、貴様は誰の娘を睨んでいる。殴られたいのか」
「…駿河、儂にも我慢の限界はある。主は直ちに黙り、そこの馬鹿娘も黙らせろ」
「やだァ、このオッサンこわ〜い。マジ腹かっ捌いて心臓握り潰すぞゾンビ親父、二度死ねって感じ〜ィ」

キャピキャピ。
帝王院財閥会長の膝の上で、ない胸の谷間を必死で寄せる様に両手で己を掻き抱いているアラフォーは、しゅばっと短い足を組み、鬼をも殺せる様な凄まじい目付きのまま、鬼をも呑み込まんばかりに唇を吊り上げた。

「さァて、黙り込んでた所を見ると、俺もテメェも似た様な状態だったんじゃねェかァ、糞親父ィ?」
「…ふん。何を宣っておるか見当がつかんな、糞餓鬼」
「糖尿なんざ馬鹿げた理由で納得すると思ってんのか、あ?馬鹿馬鹿し過ぎて、実父の葬式なのに涙も出やしねェ。ガン泣きしてる直江の前で腹抱えて笑っちまう前に帰らせて貰ったけどなァ」
「貴様に看取られるくらいならインフルエンザで死んだ方がマシだと、その男は思っておろうな」
「やだァ、記憶消されて存在まで消された癖に強がっちゃってェ。こっそり生き返って悪さしようたって、そうは問屋が卸さないわょ、おじさ〜ん?」
「貴様を産んだ以上の失態など、この儂にはない」

絞り出す様な声で宣った遠野龍一郎は、片眉を跳ねた娘と、若手らの怪訝げな表情を一瞥し、冷めた目で隣の義父を見たのだ。

「…覚えておけ糞親父、貴様の葬式では一万発の花火を打ち上げてやる」
「りゅ、龍一郎、40年以上前の話だろうが、許せ…!心優しい俺のお陰で、お前は罪を犯さずに済んだんだぞ?!」
「…」
「ぷはん!お、お前と言う奴は皆が見てないからと言って義父の足を踏むとは、何と言う底意地の悪い婿かァアアア!!!駿河ァ!テーブルの下で事件は起こってるぞォオオオ!!!ナイン!貴様は龍一郎の兄同然なんだから、叱りなさいッ!」

元気な107歳は、恐ろしい79歳にテーブルの下で殺され掛けている様だ。俊江の尻に敷かれている(物理的に)駿河はオロオロしたが、無表情で俊江の頭を嗅いでいる超絶美形は微動だにしない。

「案じるな夜刀。誰も気づかん様だが、私の足を先程から此処の三年Fクラス李上香が断続的に踏んでいる」
「あらん?リィ君、美形の足は踏んだらめーょ?」
「…然しママ上、この男は許されざるべきグレアムのノヴァ。この男の顔を見て耐えられるほど、俺の堪忍袋の緒は固くない」
「なーに?リィ君、この美形に何か恨みでもあんの?」
「………恨みならば、筆舌に尽くせぬほど。」

見上げてくる俊江の前で、顔を覆う黒布へ手を伸ばした長身は、女を見開いた美月と大河社長が制止する前に、ひた隠しにしてきた己の顔を露にさせる。

瞬間、部屋から音が消えた。
囁く様に「ルーク」と宣ったのは冬月龍人で、「ナイン」と呟いたのは、遠野龍一郎だ。

「やはり、そなたはカイルークの片割れか」
「穢らわしきグレアムが、この俺をあの男と同一にするな…!殺されたいか、下等生物が!」

素早く理事長へ伸ばされた李上香の強靭な腕は、然し傍らの藤倉よりもまだ早く、しゅばっとソファの背凭れの上へ飛び上がった女の腕に止められた。



「メイちゃん、やめなさい」

笑顔だ。
何処までも晴れやかな笑顔の女が、立つには心許ない背凭れの上で屈み込み、その細腕で18歳男子の腕を止めている。

「その顔で大体判ったから、深呼吸するのょ」
「…っ」
「あーたはシューちゃんの息子なんでしょ?だったら私の息子でもあるんだから、この程度で狼狽える様な男じゃないわよねィ?」

にっこり。
毒が抜けた様な無邪気な笑みを前に、鋭く尖る殺気を纏っていた男から、力が抜けた。
痙き攣りながらも口笛を吹いた脇坂もまた、脊髄反射で李の肩へ伸ばしていた手を下げ、足元に転がるトレーを拾い上げる。

「…相変わらずっつーか、全く鈍ってねぇな、トシ先輩」
「この私を誰だと心得るかァ」
「皇子の嫁」
「そーょ、宮様をお守りするのが役目なの。…だったろィ?冬月龍一郎さんよォ」

とうとう諦めたのか、前髪を苛立たしげに掻きむしった男は、深い深い溜息を零した。

「冬月の当主を名乗るのであれば、皇に相応しい品性を磨け馬鹿娘」
「知るか馬ァ鹿。テメェこそろくな人生送ってねェ癖に、親の面が見たいっつーの」
「「…親の面?」」

初めて真顔で顔を見合わせた双子は、とうに死んだ両親の顔を思い出し、揃って口元を覆う。余り良い表情ではなかった。



さりとて、双子が脳内で再生している頃、当の再生された冬月龍流と言えば、四人存在する曾孫の内、最も性格が良いと思われる神崎隼人の脳内で弾けていた。
惜しむらく、隼人を除いた三人の曾孫は神をも恐れぬマイペースばかりだったので、

「おはよ〜、舜ちゃ〜ん!遅いからお兄ちゃんが起こしに来たよ〜!」
「ヒィ!何故に俺の部屋のドアが壊されているのかァ!何故に俺の布団の中に裸で入って来るのかァ!」
「舜、男同士とか兄弟とかそんな一円にもならない道徳なんて将来何の役にも立たないものだ。テストにも出ない。それなら実用的な勉強をしよう、主に保健体育の保健分野で」
「死ねやァ!糞兄貴ィイイイ!!!」

内二人は朝から血みどろの兄弟喧嘩を開始していた。







残る一匹…失礼、一人と言えば。


「空気が重い」

湿った土の匂いに満たされた学園敷地の奥深く、何人も寄せ付けない地下の巨大空洞の中を半裸で、凛々しく仁王立ちしていた。

「気がするのは、地下だからか?」

つい今まで、溺死し掛けて嵯峨崎佑壱と高坂日向の長身ペアに引っ張りあげられていたとは思えない表情で、ずぶ濡れながらそれを感じさせない般若面である。
ずぶ濡れのトランクスから慎ましい股間の形を浮き立たせている男こそ、何を隠そうこの物語の主人公にして、世界が恐れる鬼女の息子にして、帝王院駿河の孫にして、遠野龍一郎の孫でもあり、帝王院秀皇の息子でもありながら、左席委員会の会長でもある癖に、主人公としての存在感がどんな物語よりも薄いと各地で囁かれている、一年帝君の遠野俊だ。

肩書きの長さだけは立派だが、繰り返しておこう。
胸元の高さ程度の水位で溺れ掛けて中央委員会副会長と書記を青褪めさせた、そんな主人公は元々皆無に等しかった着衣を見事に濡れさせている。ずぶ濡れだ。トランクスから慎ましい股間の形がそっと露になっている程には。
それにしても何度慎ましいと言われるのか。

「はぁ、はぁ…」
「…おい、大丈夫か」

壁を登って外に出ると言う案を否定された佑壱と言えば、まずまともに立てる場所を探そうと言う一同に従って横穴から出たものの、出た端から溺れそうになる俊を助けて立たせては、また溺れそうになる俊を助ける内に自身も足元の瓦礫に躓いて溺れそうになるなど、ほんの20メートル程度で満身創痍だった。
俊と佑壱のコントの様なやり取りを、ルーターから放たれる光で照らしながら見ていた日向も、数分で見ていられなくなり手を貸す事にしたのだが、最終的には二歩で溺死しそうになる俊に見切りをつけ、佑壱共々、俊の足と肩を支え担架を運ぶ様に水中を歩く事で一致したのだ。

「膝が笑ってんぞ、テメェ」
「何っつー事はねぇ、放っとけ…」
「その割りには息が荒ぇな。…ちっ。背中見せてみろ」
「大丈夫だっつってんだろ」

お陰で時間は懸かったものの、何とか水位の低い広いスペースを見つけられて一息つけたが、光源がルーターだけなので辺りを確認するのもそこそこに、依然気が抜けない状況の中、努めて苛立ちを呑み込む様な会話は刺々しい。

「煩ぇ、先輩が見せろっつってんだから黙って従いやがれ後輩」
「鬱陶しい絡み方すんなジジイ、セクハラで訴えるぞコラァ」

然し、この暗闇で唯一落ち着いているのは俊だった。何ともみっともない格好だが、暗さのお陰で本人の羞恥心が薄いからだろう。
そんな俊の股間を見て見ぬ振りをしているのか、そもそも主人公の股間など興味もないのか、光に照らされた犬と獅子は笑顔で睨み合う。見つめあっていると言っても良い。健やかなホモの基本である。 

「ナイト、あの二人が僕をあからさまに無視するんだよ」
「あ、俺はナイトーではなく遠野俊と申します」
「知ってる。酷いと思わない?僕が名乗ろうとした瞬間だったでしょ?『いい加減安全な所に出るぞ』とか『いつまでもこんな所に居られない』とか、そんな所で口喧嘩してたのはどちら様ですかって話だよねぇ、ナイト」
「何とした事だ、知らぬ間に俺は内藤俊になってたのか?その場合、父親が変わったのか母親が変わったのか判断に悩むが…とうとう母親が変わったのか?同じ男として親父の気持ちが判らない事もないが…」

ぶつぶつと訳の判らない事を宣っている主人公からやや離れて、結局佑壱の頭を力ずくで押さえつけた日向は、半ば襲い掛かる様に佑壱の濡れたシャツを剥ぎ、難しい表情で傷口を睨んでいた。
俊にあからさまなシカトを受けた叶貴葉は麗しい美貌を曇らせ、むさ苦しい男二人の乳繰り合いを見つめると、

「…ふぅ。此処に僕みたいな美女が居るって言うのに、男同士で顔を突き合わせて何が楽しいんだろ…?」
「おい、高坂。お前の従姉が何かほざいてんぞ」
「おいおい、嵯峨崎。二年帝君のお前が何を馬鹿な事を…。まさかあのアマの言葉を信じてねぇだろうなぁ」
「は、まさか。あの程度の女に身内なんざほざかれちゃ、恥ずかしくて死にたくならぁ。お、悪い悪い。恥知らずにもピンピンしてる高坂先輩の前で、これはこれはとんだ失言を」
「そんだけ口が回りゃあ、放っておいても死にはしねぇか。手厚く介抱されたくなけりゃ、無様な姿は見せてくれるなよ嵯峨崎」
「んだとテメー!やんのかコラァ!」
「上等だ、そのへっぴり腰が何処まで保つか試してやる!」

見つめあうと素直にホモホモしく出来ない二匹の何万回目かの争いは、ガーッと喚いた佑壱につられてルーターを放り投げた日向が身構えた瞬間、暗さに負けて終了する。
これで偏差値80を誇る進学科の上位陣なのだから、帝王院学園の明日は明るいのか真っ暗なのか怪しい。判るのは、現時点ではあらゆる意味で真っ暗だと言う事だ。

「あーあ、顔と体は好みなんだけどねぇ。子供っぽい男はやっぱり駄目、苛められたいって気持ちより涙も出ないくらい虐めて、今にも首を吊りそうな…ううん、吊る瞬間が見たくなっちゃう…」

うふふ、と。
うっとり微笑む美貌を、転がったルーターから漏れる光が神々しく照らし上げた。
闇の中でも本能のまま胸ぐらを掴み合っていた180cmオーバーの二匹は、ホラー映画の悪霊じみた下からスポットライト状態に仕上がった女を見つめ、意味もなく緊迫した表情だ。

「どうするよ高坂ぁ、女体化した叶じゃねぇかアレ…!」
「目を逸らすな嵯峨崎ぃ!二葉はあれでも男だ…!」
「どっちが目を逸らしてんだコラァ!現実を見ろ高坂、女の面なんざ正直興味ねぇから今気づいたが、何か顔も似てんじゃねぇか!」
「顔なんざ整形でどうにでもなるだろうが!惑わされてんじゃねぇぞ糞ボケ阿呆タコ馬鹿犬が!」
「畜生っ、お前と言う男は極めて冷静だな高坂、俺はもう信じかけてる所だった!ちょっと見直したぞコラァ!」
「ちっ。全く、俺様が居なかったらやばい所だったぞ」
「やばいのは君達の頭だけだと思うんだけどねぇ、うふふ」

高レベルな美形らによる低レベルな会話は、山田太陽レベルで現実から離脱している。

「む」

一方、淀んだ空気と一体化している主人公と言えば、暗さには慣れているのでチョロチョロと動き回り、誰も見ていない事を良い事に、凛々しく鼻を穿っていた。

「俺の人生で最もデカいのが出た…」

主人公はそっと、胸に巻いたずぶ濡れの紐でブツを拭う。
決してそれが鼻くそだとは、主人公の立場を鑑み、記さないでおこうと思う。が、ご存じの通り、思っただけだ。

その一部始終を目撃していた嵯峨崎佑壱は、晴れやかな笑顔で目を逸らしたのである。男は鼻ぐらい穿ってナンボだ。
…多分。

←いやん(*)(#)ばかん→
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あきゅろす。
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