帝王院高等学校
荒ぶる平凡に悪魔も魔王もげっそりです!
人の気配がする。気がした。
幼い頃から大人しくしている事くらいしか出来なかった自分は、耳を澄ませて養父母の機嫌を窺い続けてきたから。微かな物音でも目が覚める。昔からだ。

「…李クン?」

膝を抱えたまま囁きながら、顔を上げた。
新歓祭で賑わう今、屋内プールにやって来る物好きなど皆無だ。それこそ、ろくな事を考えていない親衛隊員や業者ならばともかく。
などと自虐的な事を考えながら立ち上がれば、向かいのプールサイドの壁の上、二階アリーナ席からガチャガチャと音が聞こえてきた。

「あの扉はアンダーラインの用務通路だよネ…?鍵持ってないのに開けようとしてル?」

何かが変だ。
何が変なのかは判らないまま、縺れる様に足を動かした。上からは見えない場所に身を潜めようと、シャワーブース脇にある、ビート板やらの道具を保管している横穴へ潜り込んだ。

それとほぼ同時に、一際耳障りな音が響く。
鉄の扉を蹴り開けでもした様な、余り好ましい音ではない。

「ヒョーオ、ジャップにゃ勿体ないプールだ♪」
「余り目立つ真似はするな。ネクサスに目をつけられるのは避けたい」
「Shit!対外実働部の奴ら、片っ端から目障りなんだよ!キューバのスラムに捨てられてたカスが、どんな手を使ってメキシコ支部に入り込んだんだっつーんだよ!」
「醜い嫉妬は表に出すものじゃない。羨むくらいなら出世しろ、ロバート」
「そのつもりだっつーの!アートの糞野郎を引き摺り下ろして、俺がランクB2位になってやる…!」
「会えもしないネクサスに媚を売る方法を考えるよりは、余程有意義だろうな」
「ふん。いつまでも人員管轄部で終わる様な俺じゃねぇ、今に見てろ。陛下は無理でも、セカンドよりは頭の悪そうなファーストに取り入って、何がなんでも上に登ってやる…」
「策に溺れないよう注意しろ。お前は血の気が多すぎる」

話の内容までは判らないが、流暢と言うより品の悪い英語なので、翻訳する程度は出来た。
暫く聞こえていた乱暴な声が遠ざかり、たっぷり数分息を潜めて、恐る恐る物置スペースから顔を覗かせる。誰もいない事を念入りに確かめた上で、肩から力を抜いた。

「…何だったのカナ、今の。柚子姫様が新しい手駒を呼んだ、って感じじゃなかっタ気がする…けど」
「Who are you?」
「?!」

真上だ。
全く警戒していなかった頭上から聞こえてきた声に、恐る恐る顔を上げていく。アリーナの手すりよりずっと上、天井に伸びる蛍光灯を吊るしたダクトレールを器用に掴んだ男が、ぶらりと垂れ下がっていた。

「マハル調べろ。そこのジャップは消して良い奴か?」
「国際科の生徒だ。忘れたのか、生徒に傷をつける事は禁止されている」
「Shit、ノアの命令に逆らうのは得策じゃねぇな、『今は』」

片腕で己の体重を支えたまま、ビル2階分の高さを物ともせず、歪んだ笑みを浮かべて見下している。

「丁度人質を探してた所だ。データベース見せろ、コイツは役に立つか?」
「人員管轄部ランクBに学園サーバーの閲覧権はない」
「ヒャーハッ!堅ぇ事ほざくなよ中央情報部ランクBさんよ、俺もテメェも同じ穴の狢だろうがッ」

どさりと、目の前に降りてきた男は明らかに日本人とは違う体格で、ゆらりと態勢を整えるなり『こんにちは』と宣った。今の今まで流暢な英語を話していた癖に、日本人と錯覚せんばかりの流暢な日本語だ。

「Hey boy、中央委員会の会長は知ってんだろ?」
「っ」
「知ってるかって聞いてんだよ!ジャップはステルスとは口も聞きたくねぇっつーのか!」

顔すれすれに、目にも止まらぬ早さで蹴りが飛んでくる。
アリーナから顔を覗かせているもう一人の外国人が、呆れた様な溜め息を吐くのを聞いた。
余りの事態に体が震え、言葉が出ない。

「子供を脅すのも、日本人を差別するのもよせ」
「は〜ぁ?返事しねぇコイツが悪ぃんだろうが」
「我々の規定に反する行為だ」
「はっ、笑わせてくれる。こんな小さな島国が『聖地』だ?言っとくが、俺の神はナイトメアだけだ」

わざとなのだろうか。
二人共、日本語ですらすら会話していた。然し二人の視線は真っ直ぐ、自分に突き刺さっている。まるで、逃がすかとばかりに。

「クイーン=ヤヒト以外の日本人なんざ全員死んじまえば良い。黒だ。黒だけが須く赦される。ステルスは一人残らず、空から見離された夜の住人だからな」
「…何にせよ、人質ならば丁重に扱う事だ。目的を果たす前に、我らがマジェスティから消されてしまう」
「ンなヘマするかよ。帝王院秀皇だのルーク=フェインだの、偽物に弄ばされるのは懲り懲りだ。俺が先にナイトを保護する、邪魔するなよコード:マハル」
「ナイトの保護は元老院の総意だが、…勝手が過ぎればお前も排除せざるおえんぞ。我らのナイトが、お前の言うナイトであるとは限らない」
「煩ぇ奴だ。裏切り者の癖に、規律だの何だの…」

胸ぐらを掴まれ、抵抗すればへし折るとばかりに喉を絞められた。
一瞬だけ息が詰まったが、無抵抗だと判るとそれ以上の暴力はない。ついてこいと言われるまま、ネクタイを引かれて震える足を動かした。
喋っただけでも殴られそうな雰囲気に、震える口から漏れそうになる悲鳴を噛み殺す。何度も。

「Shit!…判ったよ、帝王院秀皇はくれてやる。その代わり、俺の得物に手を出すなよ」
「勿論だ。ナイトの子は、我らにとっても大切な方には違いない」

きっと、制裁を受けた生徒達もこんな気持ちだったのだろう。自分が経験して初めて、凄まじい罪悪感に襲われた。
たった一度でこれなのに、何十人もの相手から責め続けられた一年帝君は、これとは比べられないほどの恐怖だったのではないのか。



「Right、シュン=トーノは俺のもんだ」

どうして自分は、こんな時さえまともに喋る事も出来ない?












ひらひらと。躍っている様だ。まるで。

そこに門番が見えるか?
そこには誰も居ないだろう?

閉ざされた世界が再び開く事はない。
奇跡は一度しか起きないからこそ、奇跡と呼ばれるのだ。絶対的に極稀である事が奇跡たる所以なのだ。


俺は廻り続けていた。
楽しくも悲しくもないのにただ廻る。そう、まるでピエロの様に。それこそが俺の業だった。

始まりを覚えているか。
俺の始まりは真っ暗だった。他には何もない、ただ何処までも真っ暗だった。俺の世界は黒、俺の全ては黒、俺の世界に初めて色が産まれた日の事は、最早覚えていない。
初めから存在していたのかも知れないし、そうじゃないかも知れない。


俺が目覚めた日、俺は初めて左胸の奥で何かが動く音を聞いた。
俺は初めて自分が形になっている事を知った。

ぐるぐると、いつか廻り続けていた俺はもう廻る事はない。
ぐるぐると、いつか幾つもの物語を紡ぎ続けた俺が、今から紡ぐのは己の人生と言う物語だ。俺が唯一、一人で描く物語の結末は?

俺には判らない。ただの人に成り果てた俺にはもう、何も判らない。けれど全ての結末を受け入れる事だけは確かだ。どんな結末であれ、俺は全てを受け入れる。初めからその結末だけは知っているのだ。

それこそ望んだものだった。
俺は俺が知らない物語を生きてみたかった。だから俺の物語が俺の手を離れたその時に、俺は受け入れたんだ。



蹂躙されていく己の物語と崩壊の結末を、全て。














「あら?」

今の今まで抱えていた重みがない。
今の今まで傍に居た仲間の姿がない。
この奇妙な光景を前に、男は無機質な笑みを浮かべたまま、両手を見つめていた眼差しを持ち上げた。

「ああ、まぁた、この夢か〜」

見上げれば、真っ黒な雲に閉ざされた窮屈な空が見える。雲間から差し込む日差しだけが、唯一だ。
目の前には水没した湿った大地。土は剥き出しで、草花は枯れ、生き残った僅かな人間達が絶望の表情でうちひしがれている。

「相変わらず、此処には何もないね。皆、楽しくないでしょ」

オレンジの作業着は目立つだろう。
けれど彼らがこちらを見つめる事などなかった。

「でも、俺は何もしてあげらんないんだけどね」

いつもの夢だ。
幼い頃から何度か見てきた、退屈な夢だ。


『おいで』

ほら、また。

『お前にあの空は窮屈だろう?』

誰かが呼んでいる。
(おいで)(おいでと)(けれどどうせ見つかりはしない)(何処まで行っても崩壊した大地と広い海原)(どうせ見つかりはしない)(そんな事は判っている)(ずっと一人で生きてきたから)(誰も呼んでなどいない)(知っている)
(知っている)

(知っている)

『おいで』

悩む事などなかった。
すれ違う人々に話し掛ける事もない。

『まっすぐおいで』

ただただ、彷徨うだけだ。いつもの様に。宛てもなく探し続ける内に目覚めるだけだ。いつもの様に。終わるまで。一人で。

『わたしのもとへ、おいで』
「うん」

辿り着けるとは思ってもいない。
一度として辿り着いた事がないからだ。






















まるで目覚めた様に。
今の今まで目の前に居た仲間の後ろ姿が消えるのと同時に、目の前の光景はガラリと擦り変わった。

「最も天高く、光が産まれ消える時限の最果てへようこそ。ここは綺麗だろう?」

目を閉じた男が浮いている。
針のない羅針盤の上、漆黒の世界でそれだけが色づいている様だ。空なのか塗り固められた天井なのか、目を凝らすと黒の天幕には幾つもの星が煌めいていた。
銀河の呼吸すら聞こえてきそうな気がするほど、それは近く見える。

「…わー、何ですかこれ。流石の竹林さんも驚きで言葉がありませんよ?」
「あはは」

笑い声だ。それも幼い子供の。
何の気配もなかった。奇妙だとは思ったが努めて平静を装って振り返れば、見覚えのある男が立っている。今の声の主にしては年が近い、良く知る後輩だ。

「楽園はこの世の最も高くにあって、この世のものとは思えないほど美しいって言うけれど。まるでここの事の様だと思いませんか」

夥しい数の星で彩られた空の下、それは明るい闇を従えている。

「天国でも地獄でもない、言うなればここは『天獄』。混沌にして純粋な闇に最も近い、真理への入り口だ」
「あれれ、これはこれは山田クンじゃん。お元気?」
「見つかっちゃった、見つかっちゃった。それも雑魚に見つかっちゃったー」
「あ〜らら、開口一番に雑魚なんて酷くな〜い?白百合なんか相手にすっから心が病んじまったんだね〜可哀想〜」
「違うよ。ネイちゃんはアキちゃんの所為で病んじゃったんだ」

山田太陽。
高等部の制服で身を包むその男は、然しいつもとは余りにも雰囲気が違う。自分とは似ても似つかない、宙に浮かんだ男の体に抱きついて、冷めた笑みを浮かべていた。

「光は世界を恨み、憎しみ、3つに分かれた。それは『体』だったり、『魂』だったり、『業』だったり。俺はその砕けた光の子。砕ける前に産み落ちた、針と針が刻んだ時の奇跡」
「あ、それって中二病ってやつ?」
「お前さんは俊に会ってるね?」

にこり。
毒のない笑みに、ほんの一瞬隙を与えてしまったのは致命傷だった。今更とぼけても無駄だとは思ったが、敢えて沈黙を選ぶ。

「蛇の様に鋭い目で、お前さんは何を企んでいるんだい?」

目前の笑みが益々深まった。

「3年Eクラス竹林先輩。お母さんは8区で美容室を経営してらっしゃる。お父さんは先輩が産まれる前に交通事故で死亡。その事故を目撃して以降、PTSDにより自閉症を発症した姉が一人」
「えー、プライバシー保護法違反〜」
「符の系譜、太陽が砕いた慈悲の欠片が貴方の正体」
「あ、判った。夢だこれ」
「カルマには『業』が集まるんだよ?イチ先輩の一部だった松木先輩みたいに、高坂先輩の眷属である竹林先輩がカルマに取り込まれたのは、運命だったんだ。良かったね」

夢だと認識した瞬間、見える景色が全て色褪せた様な気がした。ただそれだけの話だ。笑えてくるではないか。

「緋を鳴らせば符になる事を、お前さんは知っていたね?」
「何の話ですか〜?竹林先輩、山田クンとは違ってバカだから、判んないな〜」
「お前さんはカルマが緋の系譜だと知って、近寄ったんだ」
「俺がユウさんと知り合ったのはカルマが出来る前だけど?」
「はは。語るに落ちたね、俺はイチ先輩なんて一言も言ってない。お前さんはとっくに『傲慢』に呑まれてた。そうだろう?」
「何の事だか」
「ある時、俺の業は傲慢である事だった。それは今ではない別次元の話、俺がまだ、三つの針の一つだった時の」
「…」
「どうしたって、眷属は親には勝てない。桜が俺を殺せない様に、お前さんも光王子には逆らえない。いつでも、光とは影を呼び寄せるものさ。影は光の後ろ姿を追っている、今も」

ゆらゆら、闇の中に何かが見える。
月もなく太陽もない星の海に、巨大な刃が。

「…はは。死神かよ、随分とまぁ、弱そうな死神がいたもんだ」
「業は業を負うんだ。光は影を追う。影は光を負う。俺は再びここへ戻ってきて、やっと全てを思い出したんだ。体を見つけた」
「あ?」
「『命』は『死』を負ってる。負うと追うは似てるだろう?」
「何言ってるんですか総長代理、勉強し過ぎで病んじゃった?可哀想に、勉強なんか社会に出たら何の意味もない」
「そう?君のお父さんは『東大に行け』って行ったんだろ?」
「『行け』だ、『征け』じゃない」
「屁理屈」
「『親』が親なんでな。知ってんだろ?」

こんな雰囲気の男だっただろうか。
今ではそんな事を考えるだけ無駄だろうと判っていて、目前に佇む後輩を窺う事はやめない。いつもと同じ口調の様なのに、いつもの彼とはまるで別人の様に思えた。類似点がない。欠片も。

「高坂日向の業は『憤怒』、片割れの命を奪った人間全てに対して抱いた殺意が、恐ろしい水害を招いた。君の『親』の話だね」
「何の話だか」
「母親がいつまでも子離れしないのは、父親にとっては気に食わないよね。アダムとイブを楽園から追い出すには、真っ赤な林檎を食べさせれば良かったんだろう。罪だと知りながら、母親の目を盗んだ父親は、子に熟れた毒の実を与えるんだ」
「…」
「蛇の姿で」

黙らせようと、勝手に手が動いた。
けれどその瞬間に、断頭台から降り下ろされた刃が腕を切り落とすのを見たのだ。驚きはあるが、痛みはない。吹き出す筈の血が出る事もなかった。

「意地汚い事はおやめ。お前さんはただの蛇の脱け殻だよ、人に触れようなんて烏滸がましい」
「は。魂の残りカスが偉そうに」
「ああ、気づくのが想像より早かったね。お前さんは馬鹿じゃないみたいだ」
「お陰様で、40位以内から落ちた事がないんでね」
「それでも選ばれる立場じゃない。それなのに光王子の円卓はお前さんを呼んだのかい?」
「自分が自分を呼んで何が悪い?」

ただ、肘から先が転がっていくのを見ただけだ。

「子供を失った母親は時を刻む事をやめてしまった。可哀想に、慈愛を失った長針は絶望し、漸く邪魔が居なくなった父親は憤怒から一転、安堵した。二つの業は入れ替わったんだ。今度はイチ先輩が憤怒に。するとどうだろう、怒りを失った業は強欲に塗り潰される」
「七つの大罪、ね。大学受験には使えそうもない変な事まで勉強してんじゃないの。流石だねぇ、Sクラスってのは」
「影はいつも光を呼び寄せる。お前さんの元には二つの『緋』が集まったね。松木先輩と梅森先輩、二人共『カルマ』だ。イチ先輩の眷属」
「さて、竹林さんは山田クンが何を言いたいのか判んねぇまんまだけど、どうしたら良い?」
「お前さんだけ緋の系譜じゃないのに、どうしてカルマに居たのかな?お前さんは本来、ABSOLUTELYに呼ばれる筈なんだ。物語が狂ってる。お前さんが呼ばれなかったのは誰の所為だと思う?」
「知るか。俺はこう見えてカルマなんで、ABSOLUTELYから金積まれてもお断りするね」
「俺の所為だよ」

にこにこ。微笑みながら刃を降りかざす男の瞳には、何の光もない。

「お前さんを緋の系譜へ塗り替える為に、空いた穴を楔で塞いだんだ」
「ん、だと?」

吹き飛ばされた腕が目映く発光し始めるのを見た。遠くから足音が近づいてくる気がする。眩しいほどの光は軈て、人の形を描いた。

「俺はお前さんの代わりに、藤倉君を楔にした」
「テメ…!」
「でも高野君が『あの子』の生まれ変わりだなんて知ってたら、そんな酷い事したりしなかった。あの子は初めて『俺達』に気づいた、人間だったのに。龍の正体は蛇。罪を犯した父親だけが神の裁きで宇宙へ追放され、光へと変えられた。一人になった龍は片割れを探し続ける。追い続ける。ずっと、ずっと、人に殺されるまで」
「先輩が黙らしてやろうか、山田クン」
「殴られて当然なんだ。二葉は正しい事をした。俺に間違ってるって教えてくれたんだ。タイトルは『堕落した少年の生涯』、正に俺の事だよ」
「良く喋る餓鬼だ」
「お前さんの本性は何だい?お前さんだけが良く判らない。可笑しいよね、三人。三人だ。それなのに二人は緋、一人は符?そんな訳ないのに。108の煩悩を二つに分けたなんて、誰も言ってないのに。三つだ。針は三つあったんだ。長針と短針、その間を駆け巡るもう一つの針。それが俺。でも俺はそれを忘れてた。それはどうして?」
「何か勘違いしてねぇか?」
「何を?」
「俺は『符』で正しいんだろうよ。ただ、お前が『符』だなんて誰が言った?」

驚愕で手を見開く男が振りかざした刃の前で、元から細い目を笑みで歪めた自分の顔は今、どんな表情をしているのか。

「緋の系譜は常に愛に餓える枷がある。符の系譜は常に執着から目を逸らす枷がある。全て、『親』の業だ」
「何、それ。何でお前さんがそんな事を知ってるんだい?俺だって知らない事を、何で?」
「そして最後に、常に愛を失う枷がある系譜。光は影を追うっつったな?違う、影は光に照らされた命が産み出すもんだ。影は命を欲してる。光じゃない、生きてる何かだ」
「…」
「『命』の系譜、アンタが親なんだろ?梅森は確かにユウさんの眷属なんだろうよ、笑えるほど考え方がそっくりだからな。でも一つだけアンタは間違えた。総長だけが正しく理解してる。やっぱりアンタには、クロノスの名は重すぎたんだ。…なぁ、Hの系譜だなんて誰が言った?自己顕示欲の強いお前だろ、山田太陽クン?」
「生意気だねー、お前」

ああ、やはり。
足音がする。生きている誰かの、足音だ。けれどこれは自分でも、ましてや目の前の死神とも違う、光に満ちた気配がする。

「本人ほど本人を知らないもんだ。残念だったな、時の君。松木竜は、緋でも符でもないアンタの眷属だよ」
「だから影の癖にカルマに混ざって、俺から遠ざけたのかい」
「想像通り、今の今まで気づかなかったんだろ?総長はずっと前から、アンタが裏切る事なんざお見通しだったって事だ」
「…俊が俺を騙してたって言うのか!」
「騙す?は、あの人がそんなつまんねぇ事すっか。カルマはあの人が作ったんだ。他の誰も知らねぇ、知ってるのは俺だけ。ユウさんがシナリオ通り作ったカルマが、一年後に正しい持ち主の手に渡った時の俺の気持ちが判るかい、山田クン?」

難儀だ、などと。
他人事の様に、とうとう卒業を間近に控えて一度としてクラスメートにはなった事もない、誰よりも強い執着心に冒された男の事を哀れんだ。

「テメーじゃ次元を開く事は無理だ。諦めろ、輪廻に選ばれた『皇の王』」
「っ、黙れ!」
「俺の母親の旧姓は宍戸、宰庄司秀之様に命を救われたヤクザ者の家だ。当然、灰皇院じゃない。秀之様に仕える事で帝王院の傘下に飛び込んだだけ、高坂とは親戚でも、そんだけだ。他には何もない。現世の俺は枠の外、お前の企みには乗らない」
「可愛いげのない事を宣う…!」
「お前が俺を選んだのは仕方ないんだよ、山田太陽クン。この国の始祖は、どうしたって大和に固執してしまう。竹林倭、俺の名前に騙されたな?」

今度は左腕が消えた。
切り刻まれるのはどうでも良いが中々にえげつない事をする男だ。これが本性ならとんだ平凡だと笑えてきたが、益々刻まれるだけだろう。

「刻むのは時間だけにしとけよ、偽クロノス」
「黙れ」
「ユウさんや梅森ほど単純な人間ばっかなら良かったな?この世にゃ、俺やオメーみたいな面倒臭い人間が山程存在してんだ。物事は思い通りにはいかない事の方が多い。…そうだろ?」
「黙れと言っておるのが判らんのか、人間如きが!」
「一皮剥ければ、お高いSクラスの生徒もこの様だ。哀れだな、山田クン」

どれほど無頓着な振りを装っても無駄だ。きっちりと銘柄ごとに集められた紅茶の数だけ、その本性が現れている。さて、あのお高い『姫君』がいつまで目を逸らし続けられるのか、是非とも最後まで見守りたいものだが。

「松木はお前の元には帰らない。何せ生まれる前に総長と『契約』したから、ずっと竹林さんのもんなんだ」
「穢れた執着、…流石は愚かな父の系譜だ。哀れな」
「名は業を現す。松木竜、緋の系譜だと勘違いしただろう?強欲な蛇が噛みつけたアイツの名前は。お前は本物の魔王の名を知ってっか、光と影の境でしか生きられない、人の王様よ」
「貴様は往かすに価しない」
「お前の嫁が命の系譜なら、本物の負の系譜は誰のもの?…さっきお前が言ったじゃねぇか」

真っ直ぐ振り下ろされる刃を大人しく受け入れた後、我が身がどうなっているのか判らないだけに、野望は野望のままにしておくべきだろう。


「蛇が光なんか追い掛けるか。生かさず殺さず、生き血を啜り続けるに決まってんだろうが。
 …ざまあみろ、裸の王様よ」

ああ。
真っ二つに刻まれる間際、二つに光る何かが見えた。迂闊にも『クラス委員長』と言い掛けて、今度こそ吹き出してしまう。

自分はいつから一年Sクラスの生徒になったのか。
























「ありゃ〜?おまつ〜?おたけ〜?おーい、死んでっか〜?」
「死んではいない様だが、退かしてくれないか?」
「総長のパパさんの頼みとあっちゃ、聞かない訳にはいかない!此処は疾風三重奏(2名欠員)にお任せをっ!」

しゅばっと袖を捲ったオレンジの作業着は、突如崩れ落ちた仲間2名に踏み潰されそうになっている男を救うべく、仲間二人の襟を掴むなりぽいっと放り投げた。
おー、と感心げに手を叩いたワラショク社長と言えば、熊さんとスヌーピー共に囲まれて埋もれている。

「君、力強いねー。流石は工業科、頼りになるー」
「いやー、それほどでもあります〜。こんくらい朝飯前のおやつ後っすよ!カルマですから!」
「朝ご飯の前におやつ食べるんだ?育ち盛りだねー」
「朝飯前に寝るんすよ。大体朝帰りなんで!」
「わー、お盛んだねー」
「感心してる場合かオオゾラ」
「いやー、兄弟多いのに親が蒸発したり早死にしたりして、金がなくて〜。稼げるなら何でもやるって感じで〜」

とんでもない家庭事情を朗らかな笑顔で宣った高校生を前に、口元に手を当てたワラショク社長はうるりと涙を浮かべた。浮かべたが、隠した口から欠伸が放たれた事を、オタクの父親は見逃さない。
この程度で感極まる様な親友など、この世に存在しないからだ。

「苦労したんだね、君!専攻は?」
「オレっすか?高等部からずっと農業コースっす、畑を管理する代わりに出来の悪い野菜は持って帰れるんすよ〜。自分が育てた野菜はウマイっすよ〜。ユーヤさんなんか、オレのキューリ食ったら他のキューリ食えないっつー程で」
「ユーヤさん?」
「カルマの一人でネルヴァの息子だ。大伯母様の…」
「あ、あの雲雀様の子孫って子?」

何やらもにょもにょ顔を寄せあって話している二人を余所に、気を失っている仲間をひょいひょいと抱えた作業着は、軽い足取りで歩き始めた。
セキュリティーゲートで封鎖されている道を器用にすり抜け、関係者以外立ち入り禁止と書かれているドアの鍵穴に、作業着のポケットから取り出した鍵束から一つ差し込み、解錠する。

「梅森、何だそれ」
「フォンナートに言っても判んねーと思うけど、キャノンクレーンの管制室」
「クレーン?」
「中央キャノンが一番デケェ造りになってんのは、万一の事態に備えて離宮をメンテナンス出来る様になってるから、って授業で言ってた。だけどオレあんま判ってないから、それ以上聞くな!ぶん殴るぞ」
「テメ、カルマとは言え下っ端の分際で偉そうに…!大体、昔からテメェは気に食わねぇんだ!貧乏な癖に元気で!」
「金持ちなのにグレるオメーの方が気に食わねぇっつーの、山田ちゃんに媚びてカルマに入れて貰お、とか考えてたらケンゴさんにチクり入れてブッ殺」
「んな畏れ多い事を考えるか!シーザーとは目が合わせられない俺でも、ご主人様の目は見つめられる!それだけだ!」

変態の変態による変態の為だけの訳が分からない告白に、コントロールルームのパネルを器用に扱っているオレンジの作業着は、心底呆れたと言わん笑みを浮かべた。
エルドラドだけが感動の雄叫びを挙げているが、余りにも煩いのでげっそりしているレジスト総長を一瞥すると、仕方ないとばかりにエルドラド一行を外に放り出してくれる。空気が読める熊さんだ。

「22位のフォンナートより、200番台常連の平田の方が空気読めんだもんなぁ、勉強って何って感じだよな〜?」
「たわけが人様を馬鹿にするんでにゃあわ。値打ちが知れるで」
「んー?君達は仲がいいみたいだねー?」
「オオゾラ、作業の邪魔をするんじゃない」
「仲が良いっつ〜か、初等部6年までコイツら兄弟と同室だったんすよ〜、オレ」
「おみゃあと離れた時は、どえらい解放感だったわ…」

遠い目をした熊さんこと平田太一は、嫌な過去を思い出したのか大きな体を丸めて呟いた。Fクラスでも関わりたくない工業科は居るのだ。

←いやん(*)(#)ばかん→
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あきゅろす。
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