帝王院高等学校
正邪の大行進で聖者もレンジャーも大迷惑!
『ガガ…ッ、こちら…は…ガガッ、ガガッ』

ノイズ混じりの機械音声が聞こえる。

『エラー…ガガッ…システムダウン…ガガッ、マザーサーバー復帰の見込み3%…ガガガッ』

静かに瞼を開いた男は起き上がり、前髪を掻き上げた。

「…髪が短い?」
『ガガッ、ピッ!アーカイブより直前データをサルベージしました。システム自動補正完了、内部電源切断中につき省エネモードでスリープします。クロノススクエアクローズ』

真っ暗な世界の何処かから、それは聞こえてくる。
そして声がやむと同時に目映い光が灯された。

「シャドウウィング、か」
『こちら特別機動部保有、No.01です。マジェスティルークの声紋と一致、直ちに外へお連れ致します』

ヘッドライトを灯したバイクから響いた声にもエンジン音にも、男は反応しない。それ所か辺りを一瞥すると、暫く弄んでいた己の髪から手を離した。

「此処は何処だ」
『Unknown。フィフスキャノンアンダーエリア、このエリアのデータは登録されていません』
「フィフス…帝王院学園、か?………そうか、理解した。『巻き戻っただけ』か」

何が愉快なのだろう。
無表情で数秒考え込んだ男の唇に笑みが浮かんだ。

「起きるにはまだ早い」

そして俯いた彼は己の深紅の瞳を手で覆い、銀に煌めく髪の隙間から覗く赤い唇を開いて、囁いたのだ。



「Open my eyes.」

最早その唇に、先程までの笑みはなかった。




















「今夜もパパ、遅いわねィ」

日が暮れて、カレーの良い匂いで満ちた部屋の中。
ぼんやりと呟く人の声で、本へ向けていた目を上げる。

「パパ、帰ってこないかもねィ…」

ああ、まただ。
寒くなると毎年、時計の針が狂う様に亀裂が走る。余りにも長く離れると魔法が掛かる仕組みなのだと気づいたのは、いつだったか。

「母」
「なァに?お腹空いた?」
「時限爆弾に火が点る前に、魔法を掛け直そうか。俺には終わらせる事は出来ない。代わりに、延長させる事は出来る」
「ん?また変な本読んだの?あーた、まだ三歳なんだから、ませた事ばっか言ってると気味悪がられるわょ?」

言いながらも、窓辺で月を見上げている人は動く気配がない。
閉じた本から手を離し、窓辺の背中へ近づいていく。

「綺麗なお月様。パパ、まだかしら」
「Open your eyes、凍える冬は何処にもない。此処は暖かい部屋の中、食事をしよう」
「………食事…そうね、ご飯食べちゃおっか」

すくりと立ち上がった背中が台所へ遠ざかるのを横目に、漆黒の眼差しは窓辺へ顔を向けた。静かな空には真円の満月が一つ。

「冬の月を見上げて狂うのは、因果なのか?俺には判らない事が多すぎる」

子供は己の小さい掌へ目を落とした。
カレーを温める音が聞こえて、ばたばたと走り回る音、微かに、外から足音が近づいてくるのが判る。彼女はまだ、気づいていない。

「ただいま」
「あ、パパ、遅かったわね、お帰りなさい!」
「千葉の出張だったのに、何故か名古屋に居たんだ。新幹線に飛び乗れて良かった。これはママにお土産」
「また迷子になったの?あらん?真っ黒なお味噌!赤味噌って奴かしら?」

疲れた表情の父親を見た。
自分が知らない内に知らない所に居るのは、随分なストレスだろう。とは言え、彼は自分の中の自分とは違う男の事を認めていないのだから、出来る事は少ない。

「さ、今夜はカレーょ!」
「Close your eyes.」

母親は三枚重ねた皿を片手に、台所で笑顔のまま動きを止めた。
この奇妙な状況に瞬いた父親が口を開くより早く、床に置いたままの本を拾い上げ、ぱちりと指を鳴らしたのだ。

「………俊?」
「母が寂しがってた。明日は早く帰ってきて欲しい」
「ああ、…そうか、悪かった。今日は嵯峨崎会長と会食が入ってたんだ」
「さがさき」
「オオゾラが途中で席を外して、…秀隆に戻ったんだな。やはり駄目か、自分で自分に催眠を掛ける事はほぼ無理だ」
「父は疑ってる。けど気づかない振りをしてる。消えたくないからだ」
「…そうか」
「遠野秀隆が消えるのは困る。俺の父は父だけなのだから」
「嬉しいのか悲しいのか、複雑な気分だ。…シエが幸せなら、どちらでも構わない。頼めるか、俊」
「了解。帝王院秀皇を凍結する。Closed, inspire your eyes.」

歌うが如く吐き捨てた唇と、ぱちりと鳴る指。
同時に動き始めた両親は、どちらも笑顔で食卓へとついていく。何一つ疑問に思わずに、まるで、そう、喜劇の様に。

「俊、本は後で見なさい。ご飯が先ょ、お仕事頑張ってくれたパパは、お腹空いてるんだからァ」
「カレーの匂いは空腹を刺激するな。息子、カーテンを閉めて炬燵の中に入ろう」
「判った」
「余ったお野菜を蜂蜜とお酢で適当に浸けてたら福神漬けが出来たのょ!米びつ一杯漬けたから、お代わり自由ざます」
「今夜は豪勢だな、ママ」
「母、カレーの具が芋と人参しか見当たらない。何故だ」
「お肉は鶏挽き肉を使いました。下の方に皆大好き鶏ガラが沈んでおります、早いもの勝ちょ!」
「ふ、パパの鶏ガラはママのもの」
「む、俺の鶏ガラは…誰のものだ?俺には判らない事が多すぎる」

ぽりっと囓った福神漬けは、赤くなかった。
疑問に思わなかったのは、赤い福神漬けを食べた事がないからだ。他に理由などない。

「癖になるわねィ、鶏ガラしゃぶるの…」
「まぁ、スペアリブの様なものと思えば、出汁も出る事だし」
「父、すぺありぶとは何だ。俺には判らない事が多すぎる」
「お子様にはまだ早いわょ。脇に毛が生えてからざます」
「パパはボーボーだぞ、羨ましいか息子」
「俺も三日前から生えてる…8本」
「「何と!」」

鶏ガラをしゃぶっている間は食卓が無言になった。理由は考えるまでもないだろう。


















女性経験は自慢ではないがそれなり、我ながら爛れた付き合いも結婚前は数え切れない程こなした。
とは言え、今に至るまで男から口説かれる事は多少あったが、口説き言葉一つなくいきなり押し倒されたのは、実は初めての事だ。少しばかり驚いたものの、場が場なだけにどうしたものかと頭を巡らせてみる。
…眠たくなってきた。

どう見ても春の穏やかな朝の浜辺で、若い男に覆い被されている中年…いや初老男性だろう。
傍目には恥知らずにもキスをしている様に見えるだろうが、押し倒してきた男の手によって口を塞がれており、向こうは己の手の甲に唇を押しつけているので、実際はキスの振りだ。
瞬き一つしない真剣な眼差しが見える。抵抗するなと言う意思を読み取り、突然の乱暴な行動に固まっていた肢体から余計な力を抜いた。

文句があるとすれば、襟を掴まれて後ろに仰け反り、その勢いのまますっ転んだ時に打ち付けた、後頭部と背中の痛みである。50絡みのおっさん相手に無理しやがってと、諦めた気持ちで両手を男の背に回した。
こうなったら自棄だ。どうせ日本に住んでいる訳ではないので、誰に見られても構うまい。困るのは仕掛けてきたこの男だけだ。笑い者になれば良い。

「Oh, Jesus. Get away pussy fag!(信じられんな、こんな所でホモがいちゃついてやがる…!)」
「Whatever? You’re no match for my brains.(それくらいで何?小さい所に気がつくんだねー、お前)」
「黙れ脳なしメキシカンが…!どうして貴様が来るんだ、どうしてネクサスが来ない?!」
「ラテンは陽気が基本なの〜、ガミガミ煩いよ〜?イギリスこそホモいっぱい居るじゃん、変な差別するなよな。大体さぁ、マスターが大変な時にお前が下らないヘルプ寄越すから、俺まだLINE交換してないんだぞ?折角年下の友達が出来る所だったのに!…松やん、竹ちゃん、梅っち、楽しくて良い子だったのにぃ…」
「私はシャドウウィングを操縦出来る奴を寄越せと言っただけだ!貴様なんか名指しした覚えはない!」
「あれぇ、イギリス人がそんなに声を荒らげて良いの〜?そんなんじゃ愉快な友達は紹介出来ないな〜、お前いつまでぼっちなの?人生寂しくない?」
「何だと!」

賑やかな声が聞こえてきた。
先程降りてきた階段の方面からだ。風はそれほど強くないのに、波が一部だけ飛沫をあげているのが見える。
ぽすぽすと脇腹をつつけば、目の前の頭が微かにふるりと振られた。どうやらまだホモ行為は継続らしい。

最初に聞こえてきた口汚い英語以降、慣れ親しんだドイツ語だ。
近づいてくる足音は二人分。どちらも流暢なイントネーションで、顔が見えない今は、ネイティブの様にも思える。ドイツ系アメリカ人だろうかなどと考えるのは、やはり呑気だろうか。

「何でそんなにメキシカンを毛嫌いするのさ。君が黒人で俺が白人だから?白人差別だよ、白人にもラテンを愛する陽気な奴は居るんだ。君も産まれはアルゼンチンじゃんか、俺をもっと愛してよ」
「黙れ」
「会話の否定はコミュニケーションの否定だぞ。アイハブアペン、アイハブアンアッポー?」
「黙れ」
「これだからイギリス人は…。もう良い、ピコ太郎の話は帰ってからネクサスとするよ。君の尊敬するネクサスと、いちゃいちゃしてやるんだもん。後で泣いても浮気するんだもん♪」
「…何でこんな男が同じランクBなんだ!納得出来ん!」

些細な興味で二人の顔を拝んでやるつもりだったが、そんな高野省吾の魂胆などお見通しとばかりに、ルーズに伸びた赤みの強い茶髪の襟足を輪ゴムで結った男は、高野の口を塞ぐ手に力を込めた。

「………あれ?」
「何だ、奴を見つけたのか?」
「や、そこに居るのって堅物イタリアンの…つーか俺らのサブマスター、噂のネクサスじゃない?」
「は?」

然し二人の声がすぐ間近に聞こえてきた瞬間、高野の口を塞いでいた手から力が抜けるのが判る。日本人と錯覚するほどに流暢な日本語で、手離しに拍手したい気分だ。

「あ、やっぱりネクサスじゃん。髪型違うけど、ほら!」
「私の為に来てくれたのかネクサス!感謝する、サブマスター!」

苦笑いを滲ませている目前の男の目が逸らされ、押し倒されていた体の上から重みが離れていった。高野の目には、日差しを遮る様に起き上がった男の横顔と、肌の色が違う二人の男がある。

「ネクサスネクサス煩ぇな、デカい声でコード連呼すんな。これだから外人は嫌いなんだよ、場を弁えねぇんだもん」

白人と黒人はどちらも目を丸めて、不機嫌を装う黄色人種の斎藤千秋を見つめていた。明らかに顔見知りの様だ。

「普通、目の前にいちゃついてるカップルが居たら空気読んで回れ右だろ?変だと思ったんだ、人が居るのにシャドウウィングを下ろすなんて…。こっちはプライベートなの、絡んでくれるな、どっか行け」
「えっ、それじゃ何で居るの?それじゃあ、学園に居たネクサスは誰?!」
「もしやネクサスもあの男を探しに来ていたのか?!待て、その日本人は何だ?!何故こんな所でゲイの真似事を?!」
「判ったから、少し声を落とせって」

面倒だと言わんばかりに晒した首筋を掻いた男は、立ち上がり一歩踏み出した瞬間には、驚愕の表情で目を見開いていた肌の黒い男の首を叩く。

「え、」
「技術班の裏切り者を回収しに来たんだろ?プレート反応がこの近くに見つかったのは知ってる、本当に最悪だよ。榊にバレたら殺される…」

乾いた咳を一つ、無抵抗で急所を打たれた長身はぐらりと傾ぐと、砂浜へどさりと崩れ落ちた。

「ネクサス…?えっと、これ、どう言う事?コイツの事が嫌いだったの?そりゃ確かに鬱陶しい所はあるけど、こう見えて野良猫とか野良犬とか野良イグアナとか保護しては、愛情いっぱい注いで育ててる面倒見の良い奴なんだよ!俺には愛がないけど動物には優しい奴なんだ!」
「あー、うん、知ってるけど、そう言われてもなぁ、タイミングが悪いんだよお前ら。回線から連絡入れたよな、奴の回収は極秘でって。人前で堂々とシャドウウィング乗るな、姿が見えなくても排気音は聞こえるんだぞ」
「それは俺の所為じゃないもの。ネクサスに誉められたかったコイツが、変に焦ってたからだもの。…何かネクサス変だよ?髪型以外にも、ピアスなんかしてたっけ?」
「つまりお前らの知ってる俺は俺じゃない。対外実働部副部長は、俺の人格を転写したアンドロイドって・ね。技術班からモニター頼まれた時から3年間、ずっとな」
「う…嘘だぁ…!だって任務の時に風呂に入ったり飲みに行った事あったじゃんか!」
「そう言う時だけ俺と入れ替わればどうよ?お前ら頭良い奴ばっかで、マジ気ぃ遣ってたんだぜ」
「ネクサス…」
「賢いんだから理解しろっつーの、俺はネクサスだけどネクサスじゃねぇの。前から思ってたけどお前本当に面倒臭ぇな。だからあっちは外見だけ俺に似せてるけど、中身はアインシュタインレベルの知能を持ってんだって」
「おーい、お兄さんは話が見えないぞー♪」

若いイケメン二人へ、歌いながら宣った男は自棄に笑顔だ。
二人の視線が注がれた先、砂浜に胡座をかいて座っている黒髪の男は、倒れた黒人の頭を膝に乗せ、喰えない笑みを浮かべている。
反射的に怯んだ二人に非はない。

「まっさか、榊の友達振ってた奴がアッチの幹部なんてなぁ。よう、千明。あ、副部長だっけか?これって、榊は知ってんの?」
「ショーン、話が見えないんじゃなかったっけ?空耳でした?」
「いんや、全然見えてないぞ?ただ榊は知ってるのか気になってるだけで」

それこそ全く話が見えていないらしい白人は、黙ったまま二人を眺めた。にやにやしている日本人はどう見ても悪人にしか見えず、同じくにこにこしている上司と言えば、目が笑っていない。

「………俺がアッチ系じゃないって証明すれば、兄貴は信じる?」
「ほー。素直に言わないでくれとは言わない訳だ?」
「もぉお、ケンゴの親父に素直に頼むなんて真似、幾ら阿呆な俺でもしねぇって!やだやだ、アンタが来た時から嫌な予感してたんだよ、笑い方がケンゴに激似だしぃ…」
「笑い方か…そんな事も昔は言われたっけな。俺と健吾が似てる所と言えば、天才な所くらいだと思ってた」
「潔い自信ですな」
「自信のない指揮者がタクト振って、誰が素直に従うんだ?ただでさえ、音楽家なんて奇人変人の集まりだってのに」
「あ………あー!!!ネ、ネクサス〜!コイツってもしかして、ソレイユ交響楽団のコンマスじゃない?!」

ビシッと指を差した陽気なメキシカンの台詞に、胡座をかいていた男は感動した様に長い腕を広げ、タクトを構える様に両手を宙に浮かせる。

「そうとも。ソレイユで一番偉い指揮者、この私が高野省吾さんです。サインは女の子優先なんで押さないで」
「ショー兄、頼むからそろそろキャラ定めて」
「うわ、うわ〜!この人、真面目なクラシックコンサートで日本のアニメソング演奏して政府から大目玉喰らったんだ!ネクサス、どう言う関係なの?!もしかして本当に恋人だったりするの?!俺、ゲイ差別したりしないから安心してね?!」

わーお。
色々な意味で言葉を失った専門学生の隣、良く知ってるなと頭を掻いている自称天才と言えば、懐かしむ様な表情だ。

「知ってるも何も、海外任務を言い訳に何度かコンサート見に行ったんですよ!ラテンの心にも響く斬新なクラシック、貴方は天才ですよ!俺がランクAだったら、陛下に直訴してセントラル直属の音楽班になって貰うのに…!畜生っ、地位が、欲しい…!」
「待て待て、さっきまでの俺の焦りを返してくれる?お前らが来た時は心臓止まるかと思ったんだけど?」
「そうそう、怒りの日を演ったんだ。つい使徒と戦う中学生の気持ちになってしまって、皆でたまに指鳴らしで弾いてた曲をサプライズ演奏したら、お客や貴賓席の首脳達は大喜びだったんだが、コンサートの企画からプログラムにない事はすんなって叱られてなぁ…」
「思いつきを即興でやんなよ。皆から刺されるぞ」
「いやー、マスターの命令は絶対だしなー(・∀・)」

悪びれない笑顔の語尾に顔文字が見えた。
それと同時に崩れ落ちたメキシカンと言えば、何故か左胸を押さえ、感極まった様に砂浜を叩いている。

「判ったぞぉおおお!俺がカルマで一番好きなケンゴ様のダディって事かぁあああ!!!」
「…落ち着け、コード:アート。IQ140がとんでもない事になってるぞ」
「IQか。健吾も昔、そのくらいだったっけな」
「は?ケンゴってそんなアレなの?」
「ぎょひー!高野省吾が喋ってるぅううう!!!ケンゴ様の事語ってるぅううう!!!何だぁ、ただの神の戯れかぁあああ!!!」
「煩ぇなぁ、もう」
「面白い奴だな。ステルシリーにはこんな奴ばっかなのか?」
「はっ!これは!自己紹介が遅れまして!対外実働部ランクB、コード:アートです!コードの由来は、俺の趣味がラテン音楽と食玩集めだからです!マイフェイバリットカルマはケンゴ様!ケンゴ様に近づきたくて日本のバラエティを勉強してました…!」

感激です!
と咽び泣く男の金に近い茶髪を真顔で撫でてやった男は、砂浜に落ちていた己のジャケットから携帯を取り出し、やはり真顔でパチッと写メる。

「…何やってんの?」
「ん?人の弱味は生物だから、その場で抑えないと」
「怖ッ!何だよ、人が心配してんのにマイペースな奴め!」
「何の心配だって?ああ、俺がステルシリーに目をつけられる事を心配してくれてんだよな千明。よーしよし、良い子だ」
「ちょ、餓鬼じゃねぇんだから撫でんなよ…」

号泣姿をパチられた事にも構わず、泣き濡れている茶髪はぱちぱちと瞬き、もぞりと動いた仲間の尻をバチっと叩いたのだ。途中から狸寝入りだとは気づいていた。

「何をするんだ貴様!」
「寝た振りするのって疲れるだろうと思って、気を使ってやったんだろ。ネクサスに殴られて悲しかったんだよな?出来ればちゃんと気絶させて貰えれば良かったのに、可哀想なブリティッシュ」
「英国を愚弄するつもりか下等人種が…!」
「あ、差別した、誰よりも差別を嫌ってる癖に差別した。マスターに言ってやろ、対外実働部の社員が仲間を差別したって言ってやろ」
「貴様と言う男は…!最早耐えられん、今すぐに殺してくれる!」

仲間割れが始まり、どうしたものだと腕を組んだ男は、波打ち際から微かな音が聞こえてきたので顔を向ける。

「そうだった、対外実働部の中でもこの二人は違う意味で問題児だった。…どうすっかな、脅して従わせるのってアリな訳?」
「千明、面白い事を言ってる所悪いが、お前達の言ってた裏切り者っぽい奴を見つけたぞ。俺が最初に見つけたんだから、隊長は俺に決まりだな」
「あ?何の隊長だって?」

何とも面白い音だとたっぶり耳を澄ませてから、自称天才は両手で砂を掴むと、掴み合いの喧嘩を繰り広げている二人の顔面目掛けてぶっかけたのだ。

「「!」」
「うーわ…親子揃って後先考えねぇなぁ、もう」
「天才を黙らせるのは得意なんだぞぇ♪この高野省吾様の前で不協和音を聞かせるんじゃない、痛い目に遭わせるぞ」

からっと笑いながら立ち上がった男に、目を丸めている白人の胸ぐらから手を離した黒人は、神経質げな顔立ちをじわじわと怒りで染めて、胸元から抜き取った銃を突きつけてくる。
これに慌てたのは突きつけられた本人以外だ。海外生活の長い世界のコンマスは平然と笑みを深め、どうぞ撃ちなさいとばかりに両手を広げている。

「何考えてんだショーン!お前もやめろコラ、除籍にするぞ!」
「ネクサス!貴方ほどの方が何故こんな男と…!所詮は下半身の緩いイタリアンだったなんて、私は、私は認めない!この男さえ居なくなれば、私のネクサスは戻ってくるんだ…!」
「ちょ、落ち着いてジェントル!お前は馬鹿だし思い込み激しいしぼっちだけど、そこまで馬鹿じゃないだろ〜?!」
「うひゃひゃ。俺を撃つのは勝手だけど、君達は『ネルヴァ』って知ってるか?」

カチン。
銃を構えたまま凍りついた黒人の背後、今にも人殺しをしそうな仲間を羽交い締めにした白人もまた固まり、高野は口笛混じりに空を見上げたのだ。眉間を押さえている自称オタクの師匠は、頭から煙が出そうな雰囲気だった。

「いやー、想像以上にクリティカルヒットした様だ。高野省吾イコール高野健吾だって判るなら、何でイコール藤倉裕也って式が出ねぇんだろうな。勉強嫌いな俺でも判るのに、はっはっは」
「どう言う事だよ、省吾さん。アンタはステルシリーとは全く関係ないんじゃなかったっけな?」
「関係ないさ。ただ、息子の親友の保護者とは…」
「…とは?」
「カラオケ友達でな」

きゃ!
と、デカい図体で顔を覆った男と三人の間に、ひゅるりらと風が吹き抜けた。ぽろっと銃を落とした黒人はふらりとよろけ、『ネルヴァ閣下が…カラオケ…』と呟いている。彼の肩を支えてやった白人もまた、同じ様な表情だ。

「実は俺達、音痴友達なんだ…」
「いやいやいや?それ何処まで本当の話っすか?ジョークは時と場合を選びなよショーン兄、真顔で冗談きついっつーの、顔見知りだろうと迂闊に出して良い名前じゃないんだって、いやマジな話」
「千明。俺はいつでも真面目に生きてるつもりだ。見ろ、そこで溺れ掛けてる金髪を」
「…は?」

ザザン、と。
打ち寄せては引き返す波を指差した男に従って、他の三人の視線が集まる。かなり離れた所に人の頭の様なものが見え、目を見開いた白黒コンビが走り出した。

「ネクサース!いたいた、探してた奴見つけた!」
「先に捕まえたのは私だ!陛下に引き渡せば対外実働部の名が上がる、もう特別機動部に大きな顔はさせない…!」

手早く縛り上げ、何処に持っていたのか首輪の様なものを嵌めさせた二人は、何だかんだ喧嘩しながらもずるずる引きずってくる。

「喧嘩する程って奴だな」
「…言ってる場合かよ。俺がステルシリー社員ってのは半分正解で半分間違ってんだ。何つーか、忍者とかスパイに近いんだよ。大体さ、俺のIQが100以上あると思う?」
「自分を追い込むのはやめろ、千明。まぁぶっちゃけ、俺も九九すら怪しいアラフィフだけど、強く生きてるぞ」
「はぁ。だからホモの振りしたのにあっさりバレるし、…逃げられそうな気がしねぇ」

カフェカルマ臨時バイトは痙き攣った笑みで屈み込み、頭を抱えた。音楽以外の能力がほぼ皆無な男は、難しく考える事に飽きたのか、鼻歌を歌い始めた。
笑えるほど、下手だ。

「ちょ、下手っ!マジで?!世界の音楽家がそれで良いのかよ?!」
「おい、絶対音感があるから歌も上手いっつーのは思い込みだぞ?健吾じゃあるまいに、歌も演奏も何も彼も上手い奴なんかそうそう居ないもんだ。いやぁ、俺の息子ながらアイツはやっぱり天才だ!」

成程、あらゆる意味で高野健吾の父親は馬鹿らしい。
ビバ息子と言う意味不明な歌を即興で作った男は、酷い戦慄を奏でている。金髪の男を引きずってきた二人が思わず耳を押さえる程には、酷い歌声だ。

「ネクサスの恋人、歌が下っ手だな〜」
「下手と言うレベルかこれは…!やはり私は認めない!ネクサスともあろう方がこんな男と組んず解れつしているなんて、認めんぞ…!」
「うひゃひゃ、音痴に音痴って言うのは悪口に入らないぞ?悪口と言うのは如何に人の心を抉りつつ、相手の反撃を受けても笑って流せるかがポイントだ。やーい、イギリス人は屁理屈屋の堅物ぅ、メキシコ人はタコスしか食べないぃ」
「タコスは好きだけどどっちかって言うとたこ焼き派だよ、俺!」
「貴様、幾らネルヴァ卿の知人だからと言って、誇り高い英国を馬鹿にするのか!」
「あーもー、うっせーなぁ、コイツら…」
「武蔵野!」

大気を震わせる様な、それはそれは巻き舌混じりの叫びが聞こえてきた。
嫌な予感などと言うものではない。ちらっと振り向いた斎藤千明の瞳に、鬼の様な形相で仁王立ちになっている元ホストが見えたのだ。

「さささ榊、さん…?!」
「大人しく車で待っていろと言ったよなぁ?」
「は、はい、仰いました、よね」

砂埃を巻き上げ、走り寄ってくる眼鏡はかなりご立腹の様だった。
ざっと砂を蹴り飛び上がった男が無表情のまま蹴りつけてくるので、反射的に飛び退いて身構えれば、鬼の様な形相を今や般若の形相に変えた男は、眼鏡を外して放り捨てる。

「何故避ける」
「そりゃ避けるに決まってんだろ?!お前、今の超本気だったじゃん!」
「…ほう、ならば良かろう。カルマの名に於いて、妨げになるものは一つ残らず消し去ってくれる…」
「ヒィ!お、落ち着けって榊!おわ!危ねぇ!ちょ、無理だって、コラ、うぉ!だから無理なんだって、こう見えて俺はすんこに喧嘩を教えたんだぜっ?」
「逃げる術ばかりだろうが。貴様がファーザーに余計な知恵をつけたばかりに、佑壱がファーザーに目をつけてしまったんだ…!甥の不始末は伯父である私の罪、そなた一人を死なせはせん!」
「どいつもこいつもキャラ定めろっつってんだ、もー!」

オタクの師匠はやけくその回し蹴りを放ち、般若を振り飛ばす事に成功した。
その凄まじいバトルを見ていた白黒コンビは呆然としており、決着が着いた瞬間、感極まった様に「ネクサース!」と叫ぶ。

「はぁ、はぁ、だからやめとけっつったのに、はぁ、はぁ…」
「若さには勝てんと言う事か。…無念」
「だからキャラ崩壊してっから元に戻せ、阿呆!」

勝利の歌を歌っている男は、音痴の限界に挑戦していた。
最早誰も突っ込まない様だ。

←いやん(*)(#)ばかん→
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