帝王院高等学校
裸足のアイツに裸足のアタシ!
「ふん、高々蕎麦饅頭如きで俺を懐柔したと思うな。もきゅもきゅ、もきゅん、ゲフ!おい、茶が足りんぞ。気の利く奴は居らんのか」
「お、おお、待っていろ、えっと、茶の淹れ方はどうだったか?」
「おやめ下され大殿、帝王院の当主が茶など淹れずともよい。何を偉そうに。儂らは貴様の召し使いではないぞ、茶など己で淹れよ無能が」
「ネルヴァ、龍一郎に新しい茶を」
「畏れながらキング=ノヴァ。偉そうに命令するのはやめて頂けるかね?私は隠居の身、これ以上扱き使われてなるものかと言うのが本音なのだよ」
「あ、え、俺がやれって事………みたいっすね、ハイ、判りました…」

何とも奇妙な雰囲気に包まれた寝室の窓辺にある椅子に腰掛けて、12個入り蕎麦饅頭の大半を頬張った男を、今や誰もが遠巻きに眺めている。彼の傍らには微笑みながら眉間を押さえている白衣と、零れ落ちた饅頭の粉を甲斐甲斐しく摘まんでは舐めている金髪の美丈夫が控えていた。

「大殿、師君も遠慮せず叱ってやらんか。年功序列は美徳とは言え、帝王院は嫡男唯一が名乗れる家名だ。我ら灰皇院は、須く大殿の下に在る草だとお忘れなきよう」
「グレアムより消された私の名は駿河から貰った帝王院帝都だけだが、名乗ってはいかんのか?」
「お前は自業自得だが帝都、少し黙っていろ。お前が喋る度に、龍一郎兄の機嫌が悪くなっている…」

部屋の主である帝王院駿河は表情こそ冷静だが、ベッドに腰掛けてそわそわしている所を見ると、余程居心地が悪いのだろう。

「龍人、この気色悪いハーヴィそっくりな男をどうにかしろ」
「だからそれがナインだと言っておろう。現実を見よ、オリオン」
「これがハーヴィなら何故俺の頭を嗅いでいる」
「60年近く離れておれば無理もないのではないか?嫌なら殴り倒せばよい、儂を巻き込むな」
「…俺にこの顔を殴れだと?レヴィ陛下に顔向け出来んではないか、愚か者が!」

と言いながら、ベタベタ引っついてくる男の脛を蹴った男は、ヤクザが淹れた茶を豪快に飲み干しては、ティッシュでちーん!と鼻をかんだ。熱いものを飲むと鼻水が出る体質らしい。
然しご希望の冷茶は、流石に寝室では用意しようがなかった。状況が状況だけに、此処からは一歩も出さんと脅された脇坂は、ヤクザもビビる面々が揃っている現実から目を逸らした。
無駄だと判っているだけに、心の中で組長の名を叫び続けたが、現在脇坂の尊敬する親父は晴れやかに拉致されている。寧ろ向こうも脇坂を呼び続けている頃だろう。世知辛い話だ。

「ふん。それにしても、これが帝王院の現当主とは…。レヴィ=ノアとは比べるべくもない、まるで子供の様だわ。帝王院でありながら何の特技もないとは、覚えがないとは言え実に平和な世になった」
「龍一郎っ、貴様はまだほざくか!確かに我らの神はレヴィ=グレアムとナイト=グレアムであったが、説明したろうに!」

一番最後にやって来た脇坂と言えば、己だけ部外者な気がして顔色が悪かったが、大人しくお茶を淹れ直してやる。無用な争いは控えたい。

「…で、儂とナイン以外は本当に判らんのか、龍一郎」
「弟が判らん兄が何処に存在するか愚か者、少しばかり見た目が変わったくらいで俺を騙したつもりか。お前の垂れ目はどれだけ弄っても垂れたままだ、夢を見るのはやめろ」
「この腹立たしさ…!何十年会っておらんでも全く変わらんではないか!おのれ龍一郎、記憶が戻り次第土下座させてやるから覚えておけ!」
「いつまで意味が判らん事をほざいている。ハーヴィの目が見えているのは喜ばしいが、娘だの孫だの幾ら宣われても、納得はせん」

無理もない。
自称18歳だと宣う年寄りは、何度鏡を見せても納得しないのだ。それ所か顔見知りである脇坂を覚えておらず、当初は帝王院駿河の事も判っていなかった。
保険医である双子の弟が説得し、何とか帝王院の当主である事は理解した様だが、先は長い。

「そうだろうとも。儂ら兄弟の長所であり短所でもある、己が目で見たもの耳で聞いたもの記憶したもの以外は信用しない性格は、最早何度生まれ変わっても変わらんだろう。それを踏まえて今一度冷静に話をしようではないか、兄上」
「ふん、わざとらしい事を抜かす。だが良いだろう、出来損ないとは言え、たった一人の弟だ。聞いてやらん事もない」
「…の野郎。こほん。では約束しようではないか、威嚇するのはやめて貰いたい。師君が幾ら忘れておろうと、師君の声帯は帝王院鳳凰公の声を記憶しておるのだ。好い加減、それについては言い逃れ出来まい?」
「…」

79歳になると言う遠野龍一郎が遠野姓に変わったのは三十代後半で、自称18歳と言う事は丸々60年がそっくり抜け落ちているのだ。
遠野夜刀が認知症と診断したのも無理はなく、冬月龍人の簡易検診でも記憶退行以外に病らしい病は見つからないと言う。健康体でありながら隔離されていた理由については、本人もまた知らない様だ。

「師君が今、冬月の名を捨て、遠野龍一郎である事は理解してくれたかのう?儂も同じ様なものだ。十年前まで、神崎を名乗っておった。とうに死んだ妻の姓だ。儂らは焼け落ちた家と共に、冬月を捨てたからのう」
「…」
「精々、なきにしもあらずとは、思っておるんだろう?流石に儂とて盲点だったわ。あの夜人の兄娘を娶るなど、想像だにせんかった」
「…知るか。信じるに値せんが、確かに、俺のやりそうな事ではある」

漸く話を諦めたのか、一つだけ残した饅頭のトレーを弟に渡した男は、随分と偉そうに足を組む。年齢を鑑みても、滲み出る威圧感とその年にしてはスマートな体躯は、嫌でも一目を引いた。

「ほう、では目的についても目星があるんだのう?」
「その様子では馬鹿なお前も予測はついているんだろうが。わざとらしい質問はよさんか、殴られたいのか?」
「何かにつけて暴力に訴えるのはよさんか、それでも研究者かっ。儂も貴様も、もう若くはないんだぞ…」
「然しあのヤトが遠野夜刀、つまりは俺の義父とはな。…ふん、あの狸め、己を『モルモット』などと抜かした癖に…」
「何じゃ?夜刀殿がどうした、何か思い出したのか?」
「大した事ではない。奴め、自分を俺の研究対象だと宣っておった。俺が外に出ようとする度に『まだ研究は終わってないのに逃げるのか』とほざき、毎日同じ部屋で顔を合わせる。可笑しいとは思ったが、騙されていたとなると、今になって憎たらしい」
「おお…流石は鬼の夜刀、百歳を越えて尚も、頭のキレる男だわ」

つまり、記憶退行した遠野龍一郎がケアホームに移されて、今に至るまで逃げ出さなかった理由らしい。
先程までは、ただただ我儘な107歳だと少々馬鹿にしていた保険医は、孫そっくりな垂れ目を微かに見開いた。兄である龍一郎の言う『研究』の中身までは判らないが、遠野は義理の息子に対して、「お前の研究に付き合ってやってる」とでも言ったのだろう。

「例え覚えはなくとも、貴様が研究と言われて黙っておられる性分ではない事を、義父殿は知り尽くしておられる様だのう」
「あれが夜人の兄」
「そうだ。それも信じんのか?」
「そうじゃない。ただ、…夜人は死んだのか」
「ああ。レヴィ陛下の後を追うように」
「そう、か」
「違う、龍一郎。何一つお前の所為ではない」

俯いた兄の様子に首を傾げた冬月の前で、トレーに残った饅頭を摘まみながら、神に愛された美貌の男は囁いた。
はたりと顔を上げた白髪混じりの黒髪が、印象的な眼差しに掛かる。

「私は聞いていた。父の鼓動が止まる刹那、母が迸らせた慟哭も、そなたに向けた無慈悲な願いも」
「や…やめろ!な、何故お前がそれをっ、」
「あれがそなたを苦しめているのであれば、私は例え父だとて母だとて、あの二人を許す事はない」
「ハーヴィ!」
「『俺をリヴァイの所に行かせて』」

椅子から立ち上がった男が崩れ落ちるのと同時に、空になったトレーを冬月龍人は足元へ落とした。

「最初で最後、我らの母からの頼みだ。あの時、私の目が見えておればそなたの代わりに私がやった」

訳が判らない脇坂の傍ら、茶器で茶を淹れた男は静かに一口含むと、きらびやかな白髪の隙間からエメラルドの瞳を眇めたのだ。

「驚くのも無理はない。シリウスには話していない事だ。…私は陛下より聞いた事があるのだよ」
「な、何を、言っておるのだ…。ネ、ネルヴァ、ナイン!師君ら、冗談が過ぎるぞ?!」
「私に施した人工網膜が、二度目の拒絶反応を起こした。然し両親の死後、三度目の手術で成功し、間もなく龍一郎はセントラルから姿を消したのだ。…龍一郎、お前は何一つ悪くない」

呆然と、惚けた様にあらぬ所を見ている男は微動だにしない。

「光を失い闇の世界の住人だった私は、幼い頃にやって来たナイトとお前達双子の快活な話し声だけが、僅かな希望だったのだ。父とは名ばかりで話す事もない陛下があれほど頻繁に屋敷に居られたのも、皆が私の元へ来てくれたからだと感謝していた」

静かな声音は世界を包む。

「だが、理由はどうであれ二人が死んだ所為でそなたが苦しみ続けたのであれば、私は両親を生涯許す事はない。九代男爵の持てる全権を以て、安らかな眠りなど許すものか」
「ナイン、本気か、師君…」
「そなたらは私の弟だ。血など最早何の意味も為さない。弟を苦しめる全てを、須く私は敵視する。…カイルークが生涯に於いて私を許さぬ様に、だ」

ふぅ、と、短い息を吐いた駿河は、立ち上がると龍一郎の手を取り、有無言わさず立ち上がらせた。
帝王院当主の威厳に満ちた眼差しで静かに見据えたまま、

「貴様、それでも俊の祖父なのか。情けない姿を私に見せてくれるなよ、冬月龍一郎」
「しゅ、ん?」
「灰皇院でありながら、お前は私に孫と会わせようとしなかった」

けれど、駿河の冷静な声は、そこまでだ。

「何度頼んでも、だ!判るか遠野龍一郎…!お前など私の敵ではない、遠野総合病院などいつでも潰せたんだ、何故ならば俺は帝王院駿河だからだ!それを今日まで堪え忍び、未だに遠野を名乗らせてやっている意味が、何も彼ものうのうと忘れた貴様に判るか?!」
「…」
「隆子には、秀皇を産む事さえ難しかった!たった一人の息子を奪い、たった一人の孫を奪い、…っ、貴様なんかが俺の空蝉である筈がないだろうが!厚顔無恥な裏切り者が、これ以上この俺に情けない姿を見せるな!」

悲痛な怒号に、誰一人口を挟む隙はなかった。
慈悲深い帝王院駿河が、何年も抱えてきた負の感情が今、神の手とまで謳われた外科医に注がれている。

「………申し訳、なかった…」
「くどい!お前の最低最大の罪は俺から家族を奪った事だけだ!冬月の分際で、それより酷い裏切りがあるか?!」
「…ああ、ないだろうと、思う」
「ならば下らん事で悩むな、愚か者めが…!」

ふんっ、と、掴んだ手首を引っ張った学園長は、目尻に浮かんだ涙を振り切る様に、ヤクザもビビる外科医をベッドへ放り投げた。

「グレアムだの遠野だのの道理が、帝王院の敷地内で通用すると思うてか!」

大人しそうな駿河がそんな荒い行動をするとは思わなかった一同は目を丸め、無意識で手を叩いている。
流石は帝王院当主、と言った所か。本来今の様な態度を取る様な男ではないだけに、ぜいぜい肩で息をしているが、還暦とは思えない力強さだ。
若い頃は怒ると何をするか判らないと言われていた、昔取った杵柄が出たらしい。

ぶるぶると拳を震わせた駿河は、ガコッとベッドサイドのチェストを殴る。綺麗に凹んだアンティークのウッドチェストに、脇坂の眼鏡がズレた。

青褪めた保険医は「流石、雲隠…」と微かに呟いたが、聞こえたのは地獄耳の金髪だけだろう。

「はぁ、ぜい、はぁ、だがこれだけは言っておくぞ遠野龍一郎…!はぁ、はぁ、私達の俊は良い子に育ってくれた!それもこれも不甲斐ない私の代わりに見守ってくれた貴方のお陰だ、有難うございます!」
「おぉう。そこで礼を言っては締まらんぞ、大殿…」
「だがこれからはこの私が学園の中でも学園の外でも何処へでもついていって隣で見守るつもりだから、お前の出番は終わりだ!俊のじーちゃんはこの帝王院駿河だけで良い!俊は何処にも嫁にやらんぞ…!私が死ぬまで私だけの孫として箱入りお孫にしてくれる!こうしてはおれん、直ちに俊を飼い殺しにする新居を作らねば…!」

もう駄目だ。
祖父である俊秀の血が、誉れ高い学園長の体で唸っている。くつくつと暗い笑みを浮かべ、お転婆な遠野俊を如何に監禁するかで妄想を膨らませている駿河は、とても清廉な財閥会長とは思えない表情だ。
初めて見る母校の恩師の恐ろしい表情にチビった極道は、スススと部屋の隅に逃げる。広いとは言え16畳程度の寝室は、何処へ隠れても無駄だろうと思われた。

「冬月教諭、知恵を貸してくれんか。我が帝王院最強の子を逃がさず泣かさず監禁されていると悟らせもしない、良い方法があるだろうか?」

あの糞腐れたオタクを此処まで愛しているのは、日本広しとは言え、駿河くらいではないだろうか。

「外部受験で満点を叩き出した挙げ句、設問にないにも関わらす全教科に於いて全て異なる言語で回答し、あまつさえ解答用紙の裏に漫画や川柳まで所狭しと書かれていたのを見た時は、この帝王院駿河、迸る涙で溺れるかと思ったぞ…!」

それで良いのか学園長。
貧乏料理とホモだけで育ってきた主人公の未来に、暗雲が立ち込めてきた気がする。豪華な食事と監禁か、貧乏と自由な腐男子活動か。どちらを選んでも、主人公の未来はあんまり明るくない気がしないでもない様な。

「このままでは才に溢れた俊に何処の馬の骨が目をつけんとも判らん…。我が帝王院の宝は灰皇院の宝だ。そうだろう、冬月教諭」
「あ、ああ、まぁ、そうだのう…?」
「ナイトはグレアムの宝でもある。駿河、そなたがナイトのじーちゃんなら、私はみーちゃんだ」

今もまた涙の海で溺れそうな男は、キリッと整った顔を引き締め、真っ直ぐ保険医を見据えた。男の覚悟を感じさせる眼差しだが、言ってる事はまともではない。
ついでに割り込んできた金髪は顔以外はまともではないので、この際無視する。どうせシカトされて傷つく様な男ではなかった。

「何、金は幾らでも出す。自由が利く資産は50兆程度だが、足らねば経営を広げても構わん。可愛い可愛い俊の為だ、じーちゃん頑張るぞ」
「ほ…本気かのう、大殿?少々話が飛躍しておるのではないか?」
「駿河、そなたは最近まで入院していたのだ。無理をすると腰を痛めるぞ」
「この藤倉、甚く感銘したのだよ。やはり皇帝たる者、自ら部下を叱り褒める事が出来なくてはならない。駿河学園長、どうぞこの老骨で宜しければお使いになられて下さい」
「はぁ、はぁ、…はい?言ってる意味が良く判らんのだが藤倉理事、君は曲がりなりにもステルシリーに居た訳だからだな…」
「何を仰います。私の亡き妻、藤倉涼女の母である藤倉斑鳩は、叶緋連雀の一人娘です」
「はっ?」

ぱちっと、未だかつてなく目を見開いた学園長は、孫そっくりなクネクネダンスを披露すると、年を取ったとは言え聡明な頭で今の話を推考し忙しなく瞬いた。
すたりと腰を抜かし、声もなく乙女座りだ。

「儂もつい今しがた知った話だからのう。大河の件は存じておられただろうが…」
「大河の息子と私の裕也は従兄弟であり、大河の息子と私の妻が再従兄弟でもあるのだよ。知っているのは私と白燕だけだが、もう隠す理由はない」
「ネルヴァ、私にも隠した理由は何だ」
「悪名高いグレアム男爵に話す理由がないからだよ。大昔、腹心の部下に裏切られた皇帝が居たのはご存じかね、カイザーノヴァ」

狼狽えるのも無理はないと頷いた保険医は、饅頭を取られた腹癒せで理事長を睨みつつ、元秘書の台詞に吹き出す。
無表情で「カエサルだ」と呟いた理事長に、今のところ味方は居ない様だ。

「少しは懲りた様だのう、龍一郎。師君がいきなり大人しくなると、余りにも気味が悪いわ」
「ふん。帝王院当主たる者、少しは骨がないと務まるものか。…及第点をやらん事もない」
「そ、そうか、では私を認めてくれるんだな、龍一郎兄。良し良し、加賀城翁を起こそう…」

先程から椅子代わりに使われている駿河のベッドの隣、龍一郎が起きた事に驚いて気を失った加賀城敏史が横たわっているのは、帝王院隆子のベッドだった。
こんな騒がしい部屋にはとても寝かせられない為、隆子夫人は来客用のゲストルームで休んでいる。遠野総合病院現院長の遠野直江がついているので、心配はない。

「あ、そこの部屋ですよ、ヤト殿」
「そこかァアアア!!!」

ばったーん!
と、派手に開いたドアの向こう、駿河の杖を振り回す車椅子の男と、朗らかな笑顔のアンドロイドが戸口に立っていた。
何と言う登場だと、理事長以外が白い目で出迎えたが、当人は白い目など何処吹く風、しゅばばっと車椅子の車輪を回し、ベッドの上で胡座を掻いている義理の息子の頭をポカンと杖で叩いたのだ。

「何をするか貴様、ヤト!」
「喧しい、このすっとこどっこい!」
「す…すっとこどっこいだと…?!」
「お前が無事で何よりだボケェ!ったく、この無敵の遠野夜刀が颯爽と連れ出してやったから良かったものの、シュンシュンが言っとった怪しい外人が現れた時は痛めた腰がもっぺんぎっくり来るかと思ったわ!」
「ええい、意味の判らん事を抜かすな!大体、貴様はモルモットの癖に逐一偉そうな態度を取るなと言っている!」
「黙っらっしゃい、遠野の恥め!認知症なんぞ気合いで治さんか、気合いで!」

似た者同士とは、駿河のベッドで怒鳴りあっている二人の為にある言葉だ。間違いない。
どちらも天才外科医の名を欲しいままにしてきただけにプライドが高く、バチバチと火花散る睨み合いで火傷しそうだ。

「や、夜刀殿、すまんが龍一郎を煽るのは控えて貰えんか…?」
「夜刀さん、龍一郎兄さんは記憶がないのだからだな…」
「そなたはカルシウムが足りんのではないかヤト。私が作ったヨーグルトを飲むと良かろう、出来立てほやほやのヨーグルトがある」
「どうでしょう、駿河陛下。ご命令とあればこの藤倉、遠野の一人や二人黙らせますが、如何かな?」

ポキッと拳の骨を鳴らしたドイツ人の目は笑っていない。
流石は欠伸を零しながら人を殴るカルマの狂犬、藤倉裕也の父親だ。
特別機動部とは文字通り、緊急事態に対応する男爵直属の部署であり、腕が立つ者しか存在しない。現マスターは叶二葉、前マスターは拳を鳴らしている男だった。

つまり、ステルシリーで最も喧嘩が強い、と言う事だ。

「や、やめなさい、藤倉君。夜刀さんが怯えているではないか…」
「りゅ、龍一郎…!何だあの男は、骨がボキボキ言ったぞ?!おのれ、俺には出来ん真似をしやがって…!」
「ひっつくなヤト、鬱陶しい。…お前もだハーヴィ、何故どいつもこいつも俺にひっつくんだ。主ら、一人残らず腹をかっ捌くぞ」

現状、最も目付きが悪い男の恐ろしい言葉に、誰もが無意識で腹を押さえた。
冗談ではなくそれが出来るからこそ、帰国して間もなく医学部へ入学し首席卒業した遠野龍一郎は、研修医時代から数々の伝説を残したのだ。

「駿河、だったか。主がそこまで言う孫に興味がある。会わせろ」
「俊は…自ら率先して学園の見回りに出掛けてくれている。…何と良い子だろうか、私の孫とは思えない」
「あのー」

そろそろと、それまで黙っていた女が手を挙げた。
見た目は女だが声は男なので、ベッドの上の鬼が眉を潜め、今や極道の組長と見間違う表情だ。

「データに遠野龍一郎さんってあるんですけど、もしかしてアナスタシオス状態なんですか?」
「アラレ、お前は何を言っとるんだ?」
「いえ、アナスタシオスモードで入れ替わってるなら、僕が戻してあげようかと思って。ほら、僕、こう見えてもアナスタシオスモードなので、出来るんですよ〜」

にこり。
毒のない笑みを浮かべたアンドロイドに、全員の視線が突き刺さった。



















「だから俺が隊長だと言っただろう?」

彼は首を傾げながら靴を脱ぐと、トントンと砂を落とす。

「全く、聞き分けのないお子様ばかりで困ったな」
「誰がお子様だと?!何と礼儀知らずな日本人だ!日本人とは英国にも通じる礼儀を重んじる種族だと聞いていたが、貴様はアメリカにも劣る!良いか私は29歳だ、決して子供ではない!今の発言は取り消すべきだ!」
「も〜、お前はいい加減やめとけって、50歳から見たらアラサーなんてそりゃチャイルドだよ。あんまガミガミ喚いてると、ネクサスに嫌われるぞ?」

今にも発狂しそうな雰囲気を醸し出している眼鏡の隣、どう言う事だと睨まれた男は、何だかんだ仲良くなっている三人を横目に、空飛ぶ車のトランクへ引きずっていた荷物を放り込んだ。

「技術班の快眠スプレー、凄ぇよな。濫用すると廃人になっちまうらしいけど一振りで爆睡だ。あとこのGPSつき首輪、50メートル以上離れるとスタンガン級の電気が流れて一撃らしいけど、ンなもん何の為に作ってんだと思ってた。まっさか使う日が来るなんてなぁ…」

意識のない人間を抱えるのは一仕事だが、子供の様な言い合いをしている三人は手伝ってくれそうな気配がないので、諦めた。小柄な弟とは違い、イタリアの先祖の血が濃く出た斎藤千明は、武蔵野千景と並ぶとまず兄弟には見られない。

「…お前達がトランクに乗せた男が誰だか判ってるのか、武蔵野」
「そりゃな。でも榊、お前には関係ねぇ事だろ?」
「ふざけるな」
「ふざけてねぇって。…実際、ショーンにも言ったけど、余計な事は知りたくねぇんだよ」
「どう言う意味だ?」
「あー…。こっからは俺の独り言だから!全員耳塞いで絶対聞くなよ!」

運転席には白人、仲が悪いのに何故か助手席には黒人が乗り込み、後部座席に意気揚々と乗り込もうとしている世界的指揮者の背中を見つめたまま、カフェカルマの臨時バイトは叫ぶ。

「おら、今から長い独り言を言うっつってんだ、全員中に入れ!アート、ステルスモード!」
「え、あ、ラジャー!エンジンはまだ掛けないからっ」

榊の背中をぐいぐいと押して車内に乗せた男はそのまま自分も飛び乗ると、バタンとドアを閉めた。

「ふー。まず、俺の上司は対外実働部のマスターで間違いないが、ケルベロス…じゃなくて、お前らが知ってる嵯峨崎佑壱じゃない。父親の方だ」
「マスタークライスト?!」
「ちょ、ネクサスは独り言って言ったろっ?反応すんなって、馬鹿っ!」

空気の読めるメキシカンは助手席の口を塞ぎ、斎藤によって無理矢理車に乗せられた榊は高野の膝に半分乗っかったまま、微かに目を細めた。然し静かな所を見ると、話の続きを促している様だ。

「俺の親父の得意先なんだよ、嵯峨崎財閥は。貿易商と航空会社、お仲間みたいなもんだろ?」

全員が無言で頷く。
口を塞がれていた黒人はパシリと運転席からの手を叩き落としたが、今度は声を出す事はない。

「イタリアの親戚がステルシリーの末端の末端ってのは、嵯峨崎会長から聞いてる。ランクD、いわゆる名無しって奴だ。それを知ったのは親父と会長が食事してた時に、ま、話の流れって奴だったかな。俺が武蔵野貿易の長男だったからって訳じゃない。弟は基本的に家に居なかったから、俺だけが、嵯峨崎会長と会う機会が多かった」

そして、武蔵野千明は中学入学を控えた頃、跡継ぎとして父親から呼ばれたのだ。大切な話がある、と。

「俺の母方の祖父さんがな、生き別れの弟か妹が居たらしいんだわ。二次大戦が始まった頃、当時日本の植民地だった所に移住してた祖父さんの両親は、祖父さんだけ、必死で日本に逃がしたらしい。だけどその時、曾祖母さんの腹の中には子供が居たんだ」

話が飛んだ様な気がしたが、それについては誰も指摘しない。独り言は独り言と言うには朗読の様に、続けられていく。

「祖父さんは父方の妹に引き取られて、それからは実の息子の様に育てられた。斎藤呉服屋は、祖父さんの叔母さんが嫁いだ家だ。あの頃は、そう言うのって珍しくなかったんじゃねぇかな?だから本当は名字が違う。元の名前は、神崎千春」

目を見開いた榊の隣、重いな…と思っていた高野もまた、不思議そうに首を傾げる。

「祖父さんの遺言が、家族を見つけて欲しい、だった。両親が戦死したのは早くから知ってたらしいんだ。でも、あの時、母親の腹に居た筈の弟だか妹だかが死んだって報せは、いつまで待っても届かなかった。だから祖父さんは、きっと生きてると信じてたらしい。親父に何度も何度もそう言ってたって、俺は聞いた」
「それと嵯峨崎嶺一に従った理由とは、隔たりがないか?」
「駄目だって榊ぃ、独り言だから、これ」
「はぁ。判った、続けろ」

溜息を吐いた眼鏡は高野の膝から尻を下ろすと、かぽっと嵯峨崎佑壱愛用の派手なスニーカーと同じものを脱いだ。
彼もまた、砂浜の洗礼を受けていたらしい。

「ここらでひとまず、全員、靴の中の砂を捨てとこっか?さっきから俺もじゃりじゃりしてんだよ、気持ち悪くてさぁ」

運転席と助手席のドアが、同時に開いた。

←いやん(*)(#)ばかん→
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あきゅろす。
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