帝王院高等学校
失われしオッパーツは何カップですか?
「宜しいでしょうか龍の宮」
「…丁度良かった。今の内に出ようか、文仁」

人が減ったテラスの手摺から、音もなく階下の芝生まで飛び降りた兄弟は、人目を避ける様に声を掛けてきた部下へと向き直る。

「敷地内に大河白燕の手の者と思われる数名を見掛けました。やはりあの話は本当の様です」
「はっ、とうとう全面戦争か。どっちにつくべきだと思う、兄さん?」
「ふふ。そうだねぇ」

長い髪をガリガリ乱雑に掻いた弟に見つめられ、叶冬臣は淡い笑みを零した。

「貴葉の件を早急に洗ってくれるか。何にせよ、十歳で死んだ筈のあの子を、あの姿でコピーした理由が曖昧だからねぇ」
「…ま、俺らの記憶の中には餓鬼んちょな妹しかないから、全くの他人が想像で作ったにしては出来すぎてるとは、俺も思う。極々微量とは言え、原子力で動く様な機械人形にされたら面白くねぇ」
「彼の悪名高いオリオンが本当に遠野龍一郎なら、あの男が何を思って我々を騙し続けたのか、文仁は知りたくないかな?」
「また始まった。どうせ殆ど答え出てんだろ、冬ちゃん」
「どうだろうねぇ」
「幾ら昭和の天才っつったって、冬臣兄さんに適う奴なんか居ないだろ?二葉は馬鹿だが、兄さんに逆らうほど馬鹿じゃない」

盲目的に兄を崇拝している叶文仁の台詞に、大人しく控えていた男も無言で頷いた。それほど叶家の当主は聡明で、一度として失敗がないのだ。

「二葉や高坂の息子程度ならともかく、ルーク坊っちゃんと天の宮様だけは、私にも判らない。不明瞭な不安要素はないに越した事はないが、大人しく様子を見ているばかりじゃ、面白くないだろう?」
「何か企んでる?」
「確定した訳ではなかったから黙っていたけどねぇ、…ランの様子は?」
「他人名義で契約したレンタカーを用意している様です。現在は、地下駐車場に」
「あ?藍?」

思わぬ名前に眉を潜めた文仁は、暫く沈黙してからガクリと肩を落とした。冬臣には劣るとは言え、聡明な文仁は説明される前に事態を把握した様だ。

「鱗はともかく、藍はもう少し賢いと思ってたっつーのに、親の期待を裏切ってくれやがって、あの馬鹿娘共が…」
「仲良し姉妹が珍しく個人行動を起こしていたから、昨日から調べさせていたんだ。大分面白い事態になっていると思うよ、文仁」
「面白いって…俺にとっちゃ面白くない話なんだろ?」
「高坂組の組長を人質に取った様だよ。ふふ、流石は私の姪だねぇ、怖いもの知らずと言うか」
「………ああ、頭が痛ぇ。何で止めてくれなかったんだよ。光華会を敵に回したら関東と関西の抗争勃発だ、人数じゃ圧倒的に負けてる」
「使える状況だと思うんだよねぇ、私は」

にこり。
穏やかな笑みを浮かべ、脇腹を押さえた文仁から目を離した男は、彼の指示を待つ男へと顔を向けた。

「我が家が、元は帝王院財閥の本屋敷を受け継いだとは言え、いつまでも守宮である必要はないと思わないか?叶芙蓉が罪を犯したとは言え、見捨てられた家族が贖う理由はないよ。祖父様も私達も、それ相応の罪滅ぼしは終わったと思っている」
「…帝王院から抜けるって?」
「抜けるも何も、灰皇院は40年以上前に解体されてる家名だ。鳳凰大殿の時代に消えたにも関わらず、駿河学園長に仕えてきたのは、母さんと貴葉の件の時にお世話になったからと言うのは勿論、二葉の件もあったからねぇ」
「二葉はどうせすぐに卒業だ。ルークは端から18歳までの縛りで来日したんだったよな?奴が二葉を連れてアメリカに戻れば、叶と帝王院を繋ぐものはなくなる…」
「そう、あの人も似た様な事を企んだんだろう。叶には戻る気がないとばかり思っていたけれど、漸く重い腰を上げたのかな?」

鼻歌混じりの楽しげな兄の声音に、弟は眉間を押さえる。
冬臣の指示を受けるのと同時に仕事へ戻っていった男を横目に、文仁は息を吐く。

「叔父殿が絡んでんのか?藍が頼んだぐらいで動く様な男じゃねぇぞ、奴は」
「そうなんだ。そこが判らなくてねぇ、1:嵯峨崎会長の指示、2:ただの思いつき、3:それ以外の理由のどれかで悩んでいたんだ。文仁はどれだと思う?」
「3の選択肢は、冬ちゃんらしくなく範囲が広過ぎるな。1と2は選択肢として成立してないみたいだけど?」
「こうも計った様にあちこちで騒ぎが起きれば嫌でも慎重になるだろう?でも疑問は結構早くから解けてる」
「…まさか、黒幕が貴葉だってのか?俺らは貴葉の葬式をやっただろ?」
「そう言われてもねぇ、そのまさかだよ文仁」
「幾ら不確定要素が出てきたって、アイツが生きてる可能性は0なんだぞ」
「そう。だから強いて掘り下げれば・だ、遠野龍一郎の指示である可能性も考えられる」
「…だとしたら目的は何だ?今でこそ遠野を名乗ってるが、あれでも立場的には冬月当主だろう?」
「だとすれば、どうしたって、考えられる理由は一つ」
「は?」
「利用しているつもりで利用されていたとすれば…」

本人も確証がないのだろう。
呟く様に言った冬臣の台詞に、文仁は整った眉を跳ねた。

「貴葉の葬式自体が、私達の思い込みなのかも知れない」
「何言ってんの?らしくねぇよ、兄さん」
「貴葉が居なくなったのは本当だ。だとすれば、私達も必死で探しただろう。18年前、貴葉が居なくなった日に二葉が産まれた…」
「俺にゃお手上げだ、兄さんが何を言ってるのか全く判らないよ」
「いや、冬月の人間には、産まれた時から記憶し続けている大容量の脳味噌がある者が存在するって、お前も聞いただろう?」
「ああ、あの糞ジジイの話か。あれが鬼神とまで謳われた、遠野夜刀とは思いたくねぇが…」
「ただ問題は、18年前に天神は産まれてないんだよねぇ」

愉快げな冬臣の台詞に、ぽかんと目や口を丸めた文仁は無言で瞬く。兄の台詞から判った事は、とてつもないファンタジー要素だ。本気で言っているとは思えない。

「つまり、貴葉が居なくなった事を不審に思わず、死んだと思い込まされてたってのか?俺ら全員が、あの遠野俊に?!」
「だから、今の所は想像でしかないんだ。あの子は15歳、貴葉が死んだ時には産まれてないよねぇ…」
「…あーもー、室に入りて戈を操る訳じゃないけど、幾ら冬ちゃんの賢すぎる頭でもそりゃ無理があるって。大体、物言えぬ赤ん坊に何が出来んだよ」
「おや、天の君が何歳から喋り始めたのか、お前は知ってるのかな?」
「んなもん知りたくもねぇわ!二葉は半年で喋ったけど…」
「帝王院の正統後継者を、二葉と同一に見てはいけないよ。私が龍の宮と呼ばれる所以は、天神との架け橋だからだ。…残念ながら、我ら叶は出来損ないの寄せ集めだからねぇ」
「…」
「榛原の後継者に、産まれた時から喋っていたと言われる方が居られる。榛原黎明、若くして亡くなったが、家系図を辿れば判る。彼は明神刹那の父親だ」
「つっても、灰皇院はそもそも全部が身内みてぇなもんだろ?」
「お前にしても私にしても、人より少々賢いのは、先祖に冬月の血を持つ人が居たからだと思っているよ。叶が血で繋ぎ始めたのは祖父様の時代からだ。…我が家に残っている家系図は、叶のものではなく、帝王院のものだからねぇ」
「化物と言われた帝王院天元の末裔、化物と言われた帝王院俊秀の孫が、学園長…か」
「そのまた孫は、ノアをも魅了した悪魔だとさ。ふふ、愉快だねぇ」
「笑い事かよ…。判った、俺は考えるのをやめとくわ。兄さんの好きにしたら良い」

素直な弟の台詞に、叶当主は笑顔で頷いた。

「芙蓉を『不要』と断じた曾祖父様が、産まれてきた祖父様に不忠と名付けた様に、我ら兄弟は『ふ』で繋がってきた。冬臣、文仁、二葉」
「…それ独り言だろ、冬ちゃん。こうなったら答えが判るまで考え続けるんだよな」
「十口の男は罪深いからねぇ、特に私は龍の宮を騙っているから、本物の宮様のお怒りを買うのも栓なしか…」

困った困ったと言う割りに笑顔が深まっていくのだから、文仁は尊敬する兄冬臣の横顔を見つめたまま、深く息を吐き零したのだ。
頭の良い人間は時に勘違いされる事があるとは言うが、冬臣を見ていれば嫌でも理解した。






















「ようこそスコーピオへ」
「高等部三年、祭美月です。帝王院学園長にお目通りを」
「申し訳ありませんが、学園長、理事長、共に来客中でして」
「急ぎです。帝王院理事長ではなく、帝王院学園長に直接お取り次ぎを。お伝え下されば判ります、内密の件で…」
「…畏まりました。エレベーターよりお上がりになられて、応接間でお待ち下さい」

外観はレトロな赤系統の煉瓦がモザイクを描き、一枚岩を何枚も重ねた階段を上り詰めれば、きらびやかな装飾のエントランスに招かれる。
上品なバトラー姿の男と何事かを話している長髪を見上げていれば、扇子で口元を叩いている男の左手に、スマートフォンが見えた。笑っているのか怒っているのか判らない、難しい表情でスマホを睨む男の焦げ茶の瞳が、一瞬だけ赤く染まった様に思える。

「…おい?何だょ、変な面して」
「いや何、ほんの一時間前まで我に刃向こうて来た馬鹿が、雲隠れした様でな」
「単に逃げたんじゃねェか?おっさん中々しつこそうだしさァ」
「何か宣ったかおばさん。っ、痛!」
「何かほざいたかィ、おっさん?」

中国マフィアのボス相手に全く怯まない女は、男子中学生の様な顔に恐ろしい笑みを浮かべた。女性に対しておばさんなどと宣う馬鹿野郎は、爪先を踏んだくらいでは到底許せない。
然しそれまで大人しかった黒装束がしゅばっと羽交い締めにしてきた為、両足が浮き上がってしまえば、打つ手はなかった。イケメンな上に力も強く足も長いと来れば、抵抗する気も失せると言うものだ。

「リィ君、お姉ちゃんを下ろしてくれませんかァ?」
「申し訳ありませんが出来ません、ママ上。社長は我ら大河の代表取締役。唯一大河を名乗る事が許された、王の子孫です」
「ふはは。そうだとも、我こそは中国を統べる男よ。どうだ、少しは可愛らしく媚びてみるか?」
「はァ?お主、いっぺん鏡見てみろ。どう見ても秀皇のがイケメンだろィ」

黒装束の腕に捕まりぶら下がったまま、真顔で吐き捨てたチビの台詞で男達は頬を染める。こうも堂々と惚気られると、本人よりも聞いた方が恥ずかしいものだ。

「社長、学園長は奥様と共にお部屋にお戻りだそうです」
「休みの所申し訳ない事をした。して、会えるのか?」
「それがどうも、孫が来ている様です。…どうなさいますか?」
「ほう。…完全に想定外だが、いずれにせよ、その憎たらしい顔を見ておかねばなるまい。我ら大河が力添えをするとなれば、幾らノアだろうと容易く日本を落とせる筈がないのだ。のう、美月」
「あのー」

祭美月の言葉で冷たい笑みを浮かべた男の背後、玄関ドアからちょこんと頭を覗かせている生徒は、か細い声を出した。
くるっと振り向けば、ゴミ袋と箒を携えたネイビーグレーのブレザーが丸い瞳で無人の受付を見つめている。

「あの、あの、すいません、朝の掃除当番終わりましたっ。えっと、橋本さんは居ませんか…?」
「ふむ、橋本とな?我は大河だが」
「社長、恐らくは先程の従業員の名前ではないでしょうか。彼は用事があり席を外しています。こちらが代わりに報告しておきますので、戻りなさい」
「あっ、すいません、宜しくお願いしますっ。中等部3年Bクラスですっ」

ぺこっと頭を下げた生徒は、無人の受付を覗き込み、持っていたゴミ袋と箒をぽいっと投げ込んだ。

「あらん?」
「橋本さーん、お借りしてた掃除道具、お返ししましたー。っと」

年相応な行動に顔を顰めたのは祭美月だけ。未だに黒装束から吊るされている女は、他人事の様に「偉い偉い」と呟いている。

「朝の掃除は生徒の仕事なんだねィ。全寮制って厳しいらしいけど、毎日大変だなァ」
「えっ?いえ、週末だけですっ。俺達普通科と体育科合同で場所は交代制だし、ほんの一時間だけで…。普段はお掃除のお仕事の人がやってくれてるから、そんな大変じゃないですっ」
「そうかィ?若い子が真面目に頑張ってる姿を見てると、おばちゃんの母性本能がお小遣いをあげたがるんざます。おい、おっさん、500円」
「は?500元?」

仕方なく、祭美月は普段着のチャイナドレスからチケットを取り出した。
未だに寝床で少女漫画を読みながら泣いている様な乙女趣味な木偶の坊を誘って、ゆっくりデートでもしようと用意していたものだが、帝王院学園の生徒は基本的に財布を持たないので、金銭よりは新歓祭チケットの方が喜ぶ筈だ。

「汝らの労へ、ほんの褒美です。今日まで使えるので持っていきなさい」
「えっ?良いんですかっ?」
「その代わり、此処で見た事は口外無用ですよ。…少しでも喋れば、Fクラスを敵に回すものと心得なさい」
「えええFクラスっ?!あの、俺、い、言いませんっ!誰にも言いませんっ!あああ有難うございましたー!」

震える手でチケットを受け取った生徒は、涙目で逃げていった。然し足はそんなに早くない。

「王、今の生徒は顔見知りなのか…?」
「そんな筈がないでしょう?今は少しの火種も産みたくないだけです。今の生徒が社長の事を下手に口外すれば、吾の面倒が増えますからねぇ」
「…おお、今の童は何と安産型の尻をしていたのか。男の癖に、死んだ朱花の尻に似ているとは…」
「ジェイ君、Fクラスって何ざます?物凄いビビってたねィ、あれ転んでるわょ?」
「お気になさらず、俊江様。吾の名が呼び難いのであれば、ユエとお呼び下さい。では、学園長の元へ参りましょうか」

逃げていった生徒の尻を静かに眺めていた変態を余所に、吊るされた女へ微笑み掛けた美月は無駄に美人だった。あの弟にしてこの兄あり、ぱちぱちと瞬いた女は眉間に皺を寄せて、首を傾げる。

「…あらん?そうょ、そうじゃなくて、何で私こんな所に居るのかしら?カナメちゃんと小銭数えてて…それから、確かどっかで馬鹿息子に会ったと思ったんだけど、あれ?何か記憶が混ざってますん」
「は?」
「何?」
「ママ上?」

それまでの荒んだ目付きを若干和らげた人は、ぶらんぶらんと吊るされている事に気づき、目を丸めたまま息を吐いた。やるせない表情で、深々と。

「………はァ。もう、シューちゃんがまた何かした訳ねィ?」
「俊江、唐突に独り言を言うとは、一体どうした?頭の可笑しい女だと笑われるぞ?」
「ん。平気平気、頭は確かに可笑しいけど、こう見えて記憶力には自信があるんざますょ。さてと、馬鹿息子がどうも溺れてくれたみたいだから、李君、下ろしてくんない?」

ゴスッ。
頭を仰け反らせ、後頭部で頭突きをカマした女は、しゅばっと飛び降りた。高過ぎる鼻を負傷した忍者崩れはパタリと倒れ、ふるふる震えている。
麗しい美貌を破顔させた美月は言葉もなく、鉄扇で肩を叩いた男は、片目に嵌めたモノクルを押さえたのだ。

「油断していたとは言え、そこの李を一撃に沈めるとは…。先程までの小僧振りが嘘の様だわ」
「そりゃそーょ、さっきまでの私は二十代のネンネちゃんだったんだからねィ」
「美月から聞いてはおったが、記憶喪失とは少し勝手が違うようだが?」
「説明すんのが面倒臭いから、その辺の話はシューちゃんを取っ捕まえてからよ。あーたも会いたいでしょ?」
「シューちゃんとな?」
「そ。遠野秀隆35歳、うちのパパ」
「ほう…」

職業柄、色んな人間を見てきた大河は口元を扇で撫でると、了承する様に頷いた。どちらにせよ、今は後回しだ。

「良いだろう、我は今から人に会う。汝が付き添うか否かは自由意思だが、おおよその状況は把握しておるか?」
「…まーね。こんな形でお義父さんにお会いするとは想像もしてなかったけど、息子が世話になってる学園長に挨拶しない訳にはいかないでしょ?喜んでついてったげるわよ、お兄さん男前だからねィ」
「ふはは。今しがたまで、我をおっさんと言っておっただろうに」
「言ったでしょ、ネンネちゃんだったのょ。…それにしたって面白い設定にしやがってあんの糞餓鬼、剥奪されたら戻らないってこの事だった訳ね…くっくっくっ、くぇーっくぇっくぇ!段々判ってきたわょー!」
「お、おぉう?随分楽しそうだが、笑い声が独特な女だの…」
「そォ?ありがと、この笑顔でシューちゃんをゲットしたのょ。改めて『初めまして』、遠野俊江ざます。年齢は非公開、訊いたら痛い目見せるわょ?」

ビシッと人差し指を突き立てた遠野一族最強の腐女子は、妖しく煌めく眼差しを腐った笑みで染めた。彼女の言う痛い目がどの程度なのかは不明だが、化物じみた息子曰く『クソババア』なので、軽く死ぬレベルであるのは間違いないと思われる。
首を傾げている黒装束と顔を曇らせている美人は話についていけていない様だったが、何となく俊江の年齢は尋ねてはいけないと悟った様だ。どちらにせよFクラスが恐れる二人は、おばさんの年齢など興味がない。

「それではご案内致しますので、お二方は後ろをついてきて下さい。此処は迷い易いので、道案内は李が」

少女漫画と祭美月の趣味が散歩と言う忍者に、知らない場所はなかった。帝王院神威そっくりな顔立ちだけが彼の派手な部分であり、散歩中に蝶や蟻を見つけては蜂蜜を分け与える様な男だ。
今も歩きながら、こっそりスコーピオのきらびやかな装飾に胸をときめかせている。黒装束の下で、はぁはぁと感嘆の溜息が零れた。

「イイわねィ、お金持ち攻め…ハァハァ。ねね、さっきまでゾロゾロ居た秘書みたいな人達は居ないの?」
「おお、無闇に供をつれていくのは失礼に当たろう。血縁上は従叔父でも、我と駿河公は、儀を欠く様な間柄ではない」
「そう言うもん?」
「そうとも。今日に至るまで交流など皆無だったからのう。…18年前、秀皇が連絡を寄越さねば、父から聞いた僅かな話を思い出す事もなかった」
「お父さん、亡くなったんだっけ?」
「我の両親は歳が離れておったから、無理もない。先に亡くなったのは、我の母だったが」
「ああ、目、ね。悪かったわね、嫌な事思い出させたかしら?」
「良い良い、49歳にもなって今更だわ。亡き妻の遺品すら残していない様な男が、その程度で悔やむものか」

立ち振舞いこそ王様然している大河は、然しからりと笑う。

「汝と同じよ。十年前に妻を失って、我は秀皇を思い出した。帝王院がどんな状況に置かれているか理解した上で、グレアムの元が最も平穏だろうと計算し、一人息子を放り込んだのだ。無論、大河が帝王院と縁がある事など誰も知らん。我は勿論秀皇もそうだ、駿河公にさえ隠してきた」
「何でって、聞いてもイイのかね?」
「グレアムが大河に目をつける事を、秀皇は恐れたのだ。帝王院の二の舞になってはならぬと、李を寄越してきた時に榛原の子から言われた」
「榛原…あァ、それが山田君か。長者番付の常連だった山田大志の曾孫ってんだから、金持ちの坊っちゃんだと思ったのよねィ」
「ふはは。YMDなど帝王院とは比べるまでもない規模だ。総資産5000億程度では、総資産が国家予算に並ぶ帝王院財閥の足元にも及ばん」
「あァ、やだやだ。しがない医者の娘には想像も出来ないざます」
「何を言うかと思えば、日本の私立病院で1000床を越える病院は中々ないぞ?世界に名が聞こえる遠野総合病院の娘が、健気な事を」
「何なのょ、糞親父に啖呵切って家を出て、産休で働けないから貯金切り崩しながら秀隆を大学に行かせて子育てして、やっと保育園に預けられるかと思ったら糞親父の所為で何処の病院も雇ってくれないし。
 馬鹿息子は本さえ読ませとけば大人しいから幼稚園に行かせなかったけど、何かにつけて思い立ったら即行動しやがって、その癖、何やらせてもすぐに他に興味出すってんだから参るわょ。
 大体、三歳四歳から夜まで帰って来ないんだから!何度探し回った事か、勝手に大きくなった様な顔してたら今度こそチンコ潰す。シューちゃんに似てても構うもんですか、オカマにしてやるァ。
 大体、勝手に帝王院学園の入試なんか受けやがってェ!先に話聞いててもこっちは思い出してないんだからどうせ反対なんかしなかったのに、あんの糞馬鹿息子めェ!入学式の招待状も寄越さないなんてどう言う事ざます!お母さんは思い出しイライラでヒステリックモードに突入しますわょー!!!」

女がアラフォーともなると、色々あるらしい。話が長い。オタクの妄想に匹敵する程の文字数だ、誰にも口を挟ませない滑舌の良さだ。
途中から息子への愚痴だけだった。愛しい旦那に顔立ちが似ているのに、何故かイケメンではない足が短めな息子は今、怒れる母親の知らぬ所でパンツ一枚である。難儀な話だ。

「貧乏生活なのににこにこしてる旦那にきゅんきゅんしてた私って奴ァ、馬鹿じゃねェのかァ。畜生め、明日の夕飯は和牛20%のハンバーグにしてやらァ!もやしで嵩ましするのはもうやめやめ、次からパン粉も使っちゃいまする。じゅるり」
「忙しない女だわ、愚痴がいつの間にか料理の話になっておるではないか。ストレスには胡麻団子が良いぞ、甘いものも時には採った方が良い。我は辛い方が好物だがな」
「はァ。…貴方イイ攻めになるわよォ、大河社長。ハァハァ」
「何、鮫だと?我はフカヒレではないぞ、失敬な」
「偉そうな所が堪んなァい。私の頭の中でヒィヒィ言わされたくなけりゃ、私の事は俊江さんって呼びなさい。判った?」
「はぁ?何故我が、」
「イイ子にしてたら、シューちゃんを魅了した谷間見せてあげるわょ」

にこっとシャツのボタンを一つ外したチビは、グラビアアイドルの様なポーズを見せてきた。が、言っている『谷間』が何処にもない。幻の秘境を探すハンターの様な眼差しで大河当主は身を屈めたが、やはり何処にもそのオーパーツは見つからなかった。

「汝の胸板は大理石の様だ…ぐふ!」
「あン?何か言ったかィ?おばちゃんがセクシー過ぎて鼻血が出たって?え?」

ああ、有無言わさぬオーラが見える。大河の鼻を目にも止まらない拳骨で殴った癖に、鼻を押さえて座り込んだ長身の背を撫でてやる女は、何処までも笑顔だった。

「パイパイ。独身のあーたが久し振りのおっぱいで興奮する理由、判ってるから」
「だ、誰がパイパイだ…っ。我は大河白燕だと言ったろう!」
「あーたが秀隆の従兄弟だろうが再従兄弟だろうが、そりゃ中国じゃ偉いのかも知れないけど、女性に対する礼儀は弁えなさいょ?怒った勢いで頭がカーッとなって発酵して、うっかり腐女子になっちゃうんだからねィ?…テメェの尻の穴ァ、がばがばにされてェのかコラァ」
「?!」
「パイパイ。イイ子にしてたら、俊に、あーたの一人息子と仲良くする様に言っとくから。ほら、私達友達じゃない?仲良くしましょーよ、PTA同士」

にこり。
慈母の微笑みで手を差し出してきたオタクの母に、ヤンキーの父は断れなかった。マフィアもビビる腐った女子を前にしては、誰しもこうなるだろう。何せパンチの早さが女じゃない、ゴリラだ。

「ユエちゃんと李君も、おばちゃんと仲良くしましょ?」
「「はい」」

コクコクと頷いた男性諸君は、何故かハァハァしている女から凝視されつつ、誰一人口を開かぬままに目的地を目指す事にしたのだ。


「ハァハァ…最近の餓鬼はイイ尻してやがる…ハァハァ…入学式で見られなかった分、眼球の限界まで目で犯してやらァ…ハァハァ…ついでに俊から新しい漫画あったら借りて…ハァハァ…そう言えば、病院で会ったあのイケてるおじさまがお義父さんだっけ?もう…頭の中が急展開で妄想がついていかねぇえええ!!!

『社長、本日の業務は終了しました。吾はこれで失礼致します』
『待たんか、美月。まだ汝の仕事は終わっておらんぞ』
『も…申し訳ありません、すぐに取り掛かりますので…』
『我の心を癒すと言う、大切な仕事がな』
『しゃ、社長…っ。いけません…!』」

ああ。
ハァハァハァハァ、息遣いが煩いにも程がある。
何処か悪いのではないのかと男共はハラハラしたが、ちらっと振り向いてみても、妖しく輝く眼差しでねっとり見つめられるばかりだ。

「『アマゾンで取り寄せた大人のグッズで、我も汝もリフレッシュするとしよう。良いか、美月』
 ハァハァ…貯めたヘソクリでエログッズ買っちゃおうかしら…!町内会長の娘さんもBLがイケる口なのよねィ、こうなったら斎藤呉服屋さんも誘ってサークル作っちゃう…?!ハァハァ…ビッグサイトでお腹は減っても心はいっぱいおっぱい!旦那には内緒で秘密のコミケデビュー、私が浮気してるって勘違いしたパパが野獣に!二人目は女の子かしらァアアア!!!きゃっ!!!」

犯される…!
共通した恐怖心で尻の穴がきゅっと絞まった三人は、腐女子から目を逸らす。
今判りたくもないのに判るのは、見たらヤられると言う事だ。これなら少々言動が荒いぐらいの方が良かったのかも知れない。

「…誠、これが帝王院秀皇の奥方で相違ないのか、美月」
「吾はナイト様のご尊顔を存じ上げております。故に、こうまで似ておられる俊江様が母親でないとは、考えられません。一目で判りました」
「何と…女を見る目が余りにもないぞ、秀皇…」
「あ、ちょっとあーた達」

こそこそと囁きあっていた大河と美月がビクッと震え、恐る恐る振り返る。来客用のエレベーターに乗り込み、ポチっと押したのは三階だ。
学園長執務室は二階に当たるが、一般客は回り道をしなければならない。

「もしうちの馬鹿息子を見たら、目を合わせない様に低い鼻でも見てなさいょ?あ、それと、極力喋らない方がイイわねィ。一度に三文字以上喋らない様にすれば、大丈夫ざます」
「…何を言っている?目を見るなだの喋るなだの、相手は汝の息子だろう?」
「あたしも色々頑張ったんだけどねィ、生後三日目に『人間になりたい』なんてほざくんだもの」
「「「は?」」」

チーンと音を発てたエレベータードアは、ゆっくりと開いていった。

←いやん(*)(#)ばかん→
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あきゅろす。
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