帝王院高等学校
あっちこっちでちわにちわ!
囁く声が聞こえる。
例えば集団の中で孤独に立たされた時。
例えば集団の中で拒絶された時に。
その声は妖しく強く晴れやかに歌いながら、誑かそうとするのだ。
『何だ、イチイチ睨みやがって!』
『文句あんのかっ、陰険野郎!』
例えば楽しく笑い合う少年達を羨ましげに眺めただけで、ほら。
簡単に孤独は訪れる。
『消えろ、目障りだからよ!』
だから、そんな時にその声は忍び寄って来た。人間が最も醜く変貌する望朔月に、幾度も。
(Hold your tangue, foolish…)
…黙れ、下等生物共。
群れの中でのみ自由を許された哀れな生き物共よ、バイオリズムが狂い正常な思考を忘却した脆い生き物共よ。
生きる事も死ぬ事も出来ないならば、狂い老いるが良かろう。
我が眼前で。
憐れな程に醜く喘ぐが良い。
その声は妖しく強く晴れやかに歌いながら、いつもいつも呑み込もうと手を伸ばした。
一瞬でも気を抜けば呑み込まれていただろう、と。判っていたから、隠したのだ。
いや、違う。
「痛ッΣ( ̄□ ̄;)、痛い痛い痛ってーってっ、カナメ!耳が千切れるっつーの!(∩□`)」
「喧しい!全く、貴方は何をやってるんですか!」
「何って、…見たままっしょ?(´`)」
「こんな格好など…!まさか、スコーピオのあれは」
「あ、やっぱ気付いちゃいますぅ?(*´∀`*)」
「一体何がどうなったらこんな、…ぐっ!」
だから、魔法の始まりはそんなものだ。
「カナメ?!」
「…漸く捕まえた様だなぁ、不法侵入者。」
「げっ(@゜▽゜@)」
「はん、…どうやら聞き出さなならん事が山程あるらしい」
「お、落ち着け、………ピ、ピナコ!ε=┏( ・_・)┛」
「逃がすと思うか、高野健吾?」
自分は誰にも染まらないのだと。
そんな声に耳を貸したりしないのだと。
だから魔法の始まりはそんなものだった。
「光王子先輩…(´∀`;) そんなに素敵なお顔近付けられたら、骨抜きになっちまうっしょ(@゜▽゜@)))」
「さぁて、…腕と脚と肋骨。何処が良い?」
「ち、因みに、何のお話でしょーかねぇ…?(*´Д`)」
「まず折られてぇ部分を選ばせてやる、っつってんだよ」
「ひっ、」
「…さあ、答えな。望み通り骨抜きにしてやるぜ、…皇帝の名を語った馬鹿犬をよぉ」
魔法は未だ解けない。
もしかしたなら初めから魔法なんて意味はなくて、
「あっ、総長っ!Σ( ̄□ ̄;)」
「んだと?!」
「うひゃ、バーカ!ε=ε=ε=┏( ・_・)┛」
「テメ、…ブッ殺す!」
とっくに、あの声から呑み込まれているのかも知れないのに。
壊れる刹那は思いがけず儚い。
不必要なものでも、その短い一瞬の間に如何ばかりかの執着を得るものだ。
我が身可愛い生き物は、散るものに美を見出だす。育む術を知らぬ癖に。破壊ばかり繰り返す癖に。
目前で散りゆくその刹那は、博愛主義を気取る自分に酔い痴れる。
つまりは、
愚かな生き物だ。
「旦那様」
満月にも勝るハニーゴールドの髪は、月を喪失った夜こそ一層輝くのだ、と。
双子でもましてや兄弟でもない、然し自分に酷く似た『哀れな生き物』がいつか囁いた。君の全ては完璧だね、と。囁く度にそれが自画自賛になる事を、恐らく彼は知っていたに違いない。
「ご命令通りに手配致しました」
「…そうか」
「全ては、キングの御心のままに」
「仰らしい事を言う。だがそうだな、ロードが支配しようと足掻いた帝王院は、…私の手の内にある」
「産まれるべきではなかったのです。いえ、旦那様が継承者である限り、あれは影でなくてはなりませんでした」
明らかに日本人ではない執事は、古びた愛用の眼鏡を押し上げ、壮年にしては毅然とした背筋に力を込めた。
「あれが存在したばかりに、秀皇様は狂われた。真実を知らぬまま、今尚、旦那様を恨んでおいででしょう」
「ふ、それは笑い話か?」
ずっとずっと昔。
初めて見た黒髪の小さな生き物は、意志の強い瞳、年に似合わぬ聡明な物言いと引き替えに、甘える事に慣れていた愛らしい生き物だった。
「秀皇は私に全てを奪われた。それが事実だ」
「旦那様」
小さな手を伸ばして伸ばして、
『その目は飴玉か?』
恐らく初めて見たのだろうサファイアの瞳に、好奇心を隠しもしなかったのだ。まさか相手が貴族嫡男だなどと考えもしない、もし知っていたとしても子供特有の無邪気さで気にも掛けない。
小さな生き物。
『皆がキングって呼んでるのは何だ?』
『爵位を継ぐ者には、チェスの称号が与えられる。己が真名は、軈て己自身も忘れ去る運命だ』
『ちぇす。確か、将棋みたいな奴だったな。…ちょっと羨ましい』
『興味があるのか』
『はい』
猫の様に仔犬の様に、何の気後れも無く戯れ付いてくる子供。一度きりの夏に、たった半月だけ過ごしただけだ。
『俺にもお名前ちょーだい』
たどたどしかった英語は数日でスラングまで覚えた。初めて出会った時の大人しさが嘘の様に、子供は饒舌になっていく。
膝の上で転がり、背に抱き付き、子猫の様に全身で擦り寄ってきた。
『ならば、…ナイトと言うのはどうだ?』
『夜。俺が黒髪だから?』
『違う、騎士だ。日本人には侍の心根があると聞いた』
『武士道!剣道と合気道は免許皆伝だ!ふむふむ、ナイト、ナイトか…。ベリクール、格好良い』
最後に見た子供は、眼尻に涙を目一杯溜めていたと思う。何度も何度も、日本に帰りたくないと繰り返した。酷く哀れな声音で。
しがみつく小さな手を拒みはしない。繰り返し鼻を啜る背を撫で続けた。
帝王院秀皇、日本と言う小さな島国を支配する家の後継者。
世界を統べるグレアムには到底届かない、富豪ばかり集まるパーティーに出席する事は許されても、グレアムへ挨拶する義務さえ与えられない小さな島国の覇者。
『グレアムの当主は、ただ一人にのみ称号を与えられる』
初めから相手にしなければ、この子供が乱暴な英会話で戯れてくる事も、この子供を手放したくないなどと産まれて初めての執着を得る事も無かった筈だ。
『私は今後、…生涯、そなた以外に称号を与える事はない。私に子供が産まれようと、その子供は後継者として成り立たぬ』
一緒に居たいから帰りたくない。
子供の些細な気紛れを鵜呑みにして縛り付けるのは容易だ。ただ、優秀過ぎる頭脳はそれが『最良ではない』と知っていた。
『秀皇、そなたが見上げる空は常に私へ通じている。悲しむ事などない、いつか成人し子供が出来た後。…また、私の元へおいで』
『赤ちゃんが、産まれたら?』
『ああ、私が子を得る事は無いだろうからな。その時は、』
思い出しても仕方ない記憶ばかり掘り出して、悔いても仕方ない過去ばかり思い出して、何度目の春だろうか。
いつか双子でもましてや兄弟でもない、然し自分と同じ姿形をした『他人ではない男』が囁いた。
君は完璧だね、と。その台詞がそのままそっくり自画自賛になる事を、恐らく彼は知っていた筈だ。
だから何だと言う訳ではない。
感情の全てを破棄していた自分とは違い、彼は何処までも感情豊かな生き物だったから、死ぬ間際まで気付きもしなかっただろう。
そう、殺すつもりだった相手から消されてしまう間際まで。
『秀皇。お前の子供に、私の全てをくれてやろう。…共に歩む為に』
『全部…?』
『そう、』
だから、再会した日の茫然自失とした少年が。殺意に有り余る程の恐怖を滲ませた時すら、感情の一切を破棄していた自分は何の感慨も無かったのだろうか。
『何、で。生きてるんだ、貴様…』
意志の強い瞳、成長期のまだ幼さを残したアンバランスな容貌はあの頃よりずっと大人びていて、
『また、狂わせるつもりなのか』
あの日、一緒に居たいと泣いた小さな生き物は。
『何故、貴様が生きているんだ…!』
憎悪に満ちた眼差しを向けていた。
「何だか賑やかねぇ」
絶え間ない喧騒が山彦を呼ぶ。
「大奥様、そろそろ中へ入られませんとお体に障ります。すぐにでもお屋敷へ、」
「いいえ、大旦那様が愛したこの学園を守るのが私の使命、…違うわ、生き甲斐なんですよ」
「大奥様、」
「老い先短い年寄りの我儘と笑って、見逃して下さいな。それよりもその怪我、労って差し上げて」
「…」
車椅子に腰掛けた貴婦人が柔和に微笑みながら、テラスの向こうに広がる広大な敷地を眺めれば、背後の従者がそれ以上口を開く事はなかった。
不自然に腫れ上がった右頬にガーゼ、手首に包帯。目に見える範囲でそれなら、見えない箇所を想像するだに哀れだ。然し、彼女がそれを問う事はなかったし、黒服姿の従者が勿論己から語る事もない。
恐らく問われた所で、精悍なSPである彼が答える事もないだろうが。
「今日は星が見えませんね。でも、だからこそ校舎の灯りがとても綺麗」
慈しむ様な声に無言でショールを手にした従者は、貴婦人の背にそっと羽織らせ足音も無く姿を消す。
「これが、あの人の愛した帝王院。…秀皇の、帝王院」
目元だけで微笑み、気を利かせて去った男に礼を告げた彼女は膝に乗せていた小さな手帳へ目を落とした。
「貴方、秀皇の誕生日がやって来ましたね。…そう、あの子が出て行ってしまった日ですよ」
大切な大切な一人息子。
何よりも大切に育てて来た筈だったのに、何処で。歯車は狂ってしまったのだろう。
大切な大切な一人息子。
誰よりも大切に慈しんで来たと、確かにあの日までそう信じて疑わなかったのに。
「…貴方だけは、帝都を未だに認めていない」
最早寝たきりの夫は目覚めている時も会話が成立しない状況だ。息子と認めていない帝都の力を借りるくらいなら死んだ方が良い、人工呼吸器の下から息も絶え絶えにそう唸る夫は高度な治療を受けず、ただずっと病床の最中で終わりを待っている。
時折、人工呼吸器の下で唇だけが動く時がある。眠っている時だから、それは寝言だ。
『秀皇』
何度も何度も、昔ならば考えられなかった夫の懇願。
居なくなった息子を探そうともしなかった夫の、然しその本心を知ったのは随分後だ。それが、この日記。
「…私は、どうすれば宜しいの?」
我が最愛なる秀皇
私の築き上げてきた帝王院の全ては、一重にお前の為のみ存在している。
だが然し、お前が連れてきたあの男がいつしか帝王院を喰らい尽くしてしまうだろう。あの男は尋常ではない。あれは人知を逸脱している。
お前に万一の事があった時に備えて、私は今から手筈を整えようと思う。
もしも聡明なお前がいち早く気付き姿を消したならば、私は敢えてお前を捜し出す事なくあの男に帝王院を差し出そう。
あの男の関心が金や日本での地位だけなら、全てくれてやるつもりだ。弱い父を許してくれ。
私にとって、家族以上に守るべきものなど存在しないのだ。
あの男の関心が、お前から消え失せる事だけを切に願う。
帝王院 駿河
「どうして、…うちの殿方は揃って私を蔑ろにするのかしら」
そっと閉じた手帳を抱き締めた刹那、彼女の目前にそれは舞い降りた。
まるで風の様に。
まるで怪人の様に。
「…おや、これは大変失礼致しました、レディ」
緩やかに振り返った人影が、闇夜を背景に恭しく腰を折る。
「まさか蠍の中央に、女神の楽園があるなど。想像だにしていなかったので」
「…」
「花束は愚か、一輪の蘭すら用意していない」
唖然と言葉を失ったまま、漸く顕になったその顔を見て息を呑むのだ。
「どうぞこの無作法な卑しい男をお許し願えるだろうか、新月に咲く麗しい華よ…」
「あ、なた…」
するり、と。
手の力が抜けて漆黒の手帳が落ちる。
「ひで、たか」
いつの日にか失った宝物の、足元に。
←いやん(*)(#)ばかん→
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