帝王院高等学校
あれはただの人間だ。
まるで満月の様な白銀だった。
まるで満月の様な金眼だった。

良く似た宝石の様な美貌を知っている。けれど決定的に違うのは、



「美しい人。月の喪い夜は悪が闊歩すると言う」


その饒舌だが表情の窺えない、瞳。


「どうぞ、光の元へ。体を冷やす」
「貴方は、我が校の生徒ですか?」
「蠍の尾には毒があるそうだ」
「私の孫を、…息子を。ご存知なのではありませんか?」
「己の毒が、軈て己自身に回る事もあるだろう。気付かぬ内に、ゆったりと…」


優しい孫が居る。
毎日毎日必ずやって来ては手を握ってくれる、口数こそ少ないが優しい孫。
幼い頃は日に当たる度、熱を出していた。幼い頃は熟れた林檎の様に赤かった双眸は、成長するにつれて飴色へ変わった。

お祖母様、そう呼んでくれる唯一の心の支え。


「新月の夜は一際悪が犇めく」
「貴方は、どなたですか」
「毒すら甘美な薬へ変化し、惑わすやも知れない」

賑やかな愛すべき学舎から響き渡った声を、その時はまるでハロウィンの催し物の様に聞いていた。

「カオス、…混沌から生み出た、神への反逆者。姿無き闇の化身は、足音も発てず忍び寄る」
「ルークに何をするつもりですか」

肌が粟立つ感覚を知った。
年を重ね学んできた経験が警報を鳴らしている。


「…ルーク。まるでチェスの駒の様な神の御膝へ」
「私の孫に!非道な仕打ちは許しません!」
「それではご機嫌よう、美しい新月の華」


響き渡る。(誰にも聞こえない)
忍び寄る。(強烈な警報が)


「お待ちなさい、貴方は…!」



闇へ翻ったその人影へ手を伸ばし、



「Have a beautiful dream.(お休みなさい)」






神の無慈悲さを、憎んだ。















空が異様に凪いでいた。
それは嵐の前の静けさに似た、静寂。


「晴ーれたるあーお空、たーだようくーもよ〜♪子〜猫は意気がり、東ににーしに♪」
「緊張感が欠如しているらしいな」

玉座。
一際大きな椅子に腰掛けた男の長い銀糸が高砂の上を流れ、レッドカーペットの上に腕を拘束された少年が胡坐を掻いて唇に笑みを滲ませている。


「気分はどうだ、神崎隼人。」
「晴ーれたるあーお空、」
「雑音を奏でる余力はある様だな」
「だ・ま・れ、…カスが。」

ぷっ、と隼人の吐いた唾が神威の足元に散った。仮面で一切の表情を覆い隠した神威は微動だにせず、鷹揚に頷く様な仕草を見せただけだ。

「健勝の様で何よりだ、が。…そなたの虚勢、いつまで保つか」
「晴ーれたる闇空、留守番はーやと君〜♪ボースが迎えに、スキップらーんらん♪」
「そなたの目前で、王の手足を切り落としてくれようか」


歌声が止む。
見れば今にも飛び掛かって来そうな表情を晒した隼人が、冷えた眼差しで睨み付けている。


「Very nice joke.(面白い冗談だねえ) てめえ如きがあの人をどうするって?あは、死にたいのお?」
「少なくとも、そなたが私に適わぬのは検証済みだ」
「あは、隼人君あったまいーい!」

ケラケラ笑い始めた隼人が縛られたまま床を転がり、

「わかっちゃった!お前さー、あのきっもいオタク野郎の顔、見たんだあ?」

頬杖付いたまま微動だにしない男を、仮面ごと舐める様に見つめ上げる。
クスクスクスクス、揶揄う様な然し威嚇する様な声音で肩を奮わせながら、

「…解せんな」
「なんだっけ、…あ。そうそう、遠野とか言う眼鏡ヤロー。お前、あんな眼鏡ヤローとうちのボスを一緒にすんなよ」

猫が戯れる様に赤いカーペットへ頬を擦り寄せていた。警戒心の無い赤子の様に。ゴロゴロと。

「ああ、…そう言う事か。疑っているのは、寧ろそなたではないか」

ぴたり、と。
隼人の動きも笑声も止まった。


「…んだと?」
「最早、私の興味はそなたらの飼い主から離れた。延いては、排除対象の侵入者でしかない」

薄ら笑いを滲ませる隼人の前で初めて左人差し指を動かした皇帝の、その、手が。

「…」
「そなたらが飼い主の価値など、そんなものだ。…戯れを許すは此度のみぞ」

緩やかに肘置きを押して、優雅に優雅に立ち上がる。
憎悪の相貌で憤怒を隠しもしない隼人の目前で立ち上がった長身が、赤絨毯を踏み締め世界を静寂に染めるのだ。



「貴様如きが、…この俺のオニキスを侮辱する事は、二度と」
「へ、え。どしたの、随分らしくなったじゃんか。人間らしくさあ」
「…」
「やっぱさあ、お前とあのデカ眼鏡は別人だよねえ?あいつはねえ、遠野に嫌がらせしたくて我慢出来ないオーラ出てたよお」

愉快で堪らない表情の隼人が腹筋だけで起き上がり、コキコキと首の骨を鳴らせば、視界が僅かばかり高くなる。

「隼人君がねえ、大人のお話した時さあ。あいつ白けた表情なの。ポーカーフェイス気取ったってさー、隼人君には判っちゃうんだよねー」

目前には長い足。
今、この靴先に口付けたらこの皇帝はどうするだろうか、などと考えて笑った。


「全知全能過ぎてソンケーするよ、あんたさあ。器っ用だよねえ、」

靴先に口付けて靴ごと噛み砕いてやれば、所詮人間だ、足を負傷すれば弱くなる。あの人を侮辱した神皇帝の喉に噛み付いて、赤い絨毯の上に神の薔薇を咲かせたらどんなに心地好いだろうか。
大好きな人が迎えに来てくれるお礼に、大輪の薔薇を贈ったら。大好きな人は笑うだろうか。



「あ〜んな不細工に勃起するなんてねえ。」


あの太陽よりも綺麗な、貌で。





「……………赤。」



足元に赤い世界が広がっている。
指先に同じ紅がまるで薔薇の花の様に咲き綻んでいて、


「…何度もさあ、言わせるなんて馬っ鹿だよねえ」


クスクス、クスクス。
鈴を転がす様な猫が喉を鳴らす様な、然し威嚇する様な笑い声が落ちた。

「っ、」
「今度同じこと言ったらー、ピアス引きちぎるくらいじゃ許さないからねえ?」

カラン、と。
隼人の目前に、自分では決して見る事が出来ない右耳のリングピアスが床を跳ねて、右耳の焼け付く痛みに目を眇める。

「次はあ、首ごと引きちぎったげよっかー」

自分の声を聞いている様だった。
自分の笑みを見ている様だった。
なのに痛みは、現実を痛感させている。


「っ、んのっ、…腐れ人格崩壊者、が!」
「あは、どしたの、随分らしくなったじゃんかー。………警戒心旺盛にして凶暴な野良犬らしく、な」

笑うのを止め口調を変えた神威から表情を窺う事は適わない。
指先から興味を失った様に視線を離した男は無造作に掴んだ衣装の端で指先を拭い、パチリと指を鳴らす。

「お呼びですか、マジェスティ」
「服が汚れた。処分しておけ」
「御意」
「セントラルライン・オープン」

恭しく頭を下げた執事にも目を向けず、カーペットの上から耳を押さえる事も出来ぬまま睨み付けてくる隼人の視線を背に浮けながら、



「ファーストのセキュリティを無効化、対象生徒全ての映像を映せ」
「な、」

佑壱から頼まれ随分前に隼人自身が作り上げた強固なセキュリティ、それは例え神帝だろうが破れない筈だ。

『エラー、干渉権限が有りません。コード:ファーストのマザーセキュリティに侵入………71%…排除されました』

だからこそ目を見開いた隼人も、然しすぐに息を吐いた。毎日毎時間自動的にセキュリティコードを書き替える、自身最高傑作のプロテクトが破れる筈がない。


「あは、あははははははははははは!可っ哀想に、隼人君のちょー優秀セキュリティソフト、今度売ったげよっかー」
「遊びは終わりだ」

静かな、静かな。
まるで満月の様な白銀だった。
まるで満月の様な金眼だった。



床に落ちたピアスを追っていた視界に、白銀の仮面が映り込む。
見上げた視界に、どのモデル仲間よりも秀麗な美貌が割り込んで、


「クロノスライン・タイムクローズ、」
「な、んだと?」
「クラウンリングの活動を『停止』、左席委員会権限を以て全中央委員会役員を『取り締まる』」
『コード:アリエスを認証、了解』
「何で、」
「捕捉対象は中央委員会書記、コード:ファースト。今現在の映像を映し出せ」


広い広い宮殿の玉座が闇に染まり、玉座の向こう壁一面に佑壱から見える光景が映り込んだ。
透明な葛切りが見える。小憎たらしい太陽がミリタリーを履き違えた格好で胡坐を掻いていて、


「何でてめぇが左席名乗ってんだよ!」
「クロノスライン・オープン、マスターの映像を映し出せ」
『了解』

天井一面に映し出された黒渕眼鏡の着替えシーンなど、見る余裕もない。


「…目に毒だな。セキュリティ、映像を音声に切り替えろ」
『ぷはーんにょーん!もしかしてまたちょっと太ったかしら!半年前まで履けたジーパンがきつきつにょ!』
「…」
『あっあっあっ、…タマタマさんが当たります。はふん、チャックがタマタマさんに程よい刺激を、』
「セキュリティ・クローズ」

判らない判らない判らない判らない判らない判らない判らない判らない判らない判らない判らない判らない。
判らない事だらけだ。



「何で、マスター権限が発動してんだ」

俊に与えられたクロノスの一切を乗っ取った筈だ。川南北斗を組み敷いた時、確かに。

「何で、…クロノスライン・オーバードライブ!」

左席委員会のマザープログラムは、あの時自分に従った筈だ。同じく乗っ取りでもしない限り、


『マスタースコーピオを認証、ご命令を』
「…は、」

ほら、ちゃんと、



「…どうなってんだ?」

神威が発動した左席権限は消えていない。何せ玉座の向こう一面に突然現れた二葉と北緯が見える。

「簡単な事だ。そなたのリングが発する権限と私の権限が、そもそも管轄外だと言うだけ」

静かな声音で振り返った男の表情を一切宿さない美貌が囁いた。

「…んだと?」
「私の白羊宮アリエスは天皇の元に在る。そなたの十二宮とは別の、猊下の元に」
「んな、馬鹿な…」
「何を狼狽える必要がある。そもそも不可解であるのは、そなたらの元にクロノスリングが『存在している事』だろう?」

緩く細められた双眸が静かな見つめてきた。張り付いた喉は酷く渇いていて、声を出す事が出来ない。
例えば全校に響き渡る声で叫べば、佑壱に現状が露見している事を教えられるだろう。


「初代猊下と共に消えたクロノスリングは唯一無二、この私でさえ手にする事は無いと考えていた」

何故。
唯一無二、中央委員会会長ですら所有出来ない筈の左席の指輪が。二つも存在しているのだ。

「が、そなたらの出現でその考えを改める機会に恵まれたのだろう。そなたらの元に初代猊下、時空の君が持ち逃げた指輪が存在している」
「…」
「奪うのは容易いが、複製されているだろう。いや、そうでなかろうが気分の良いものではない。
  私の俊へは、今度こそ真に唯一無二のクロノスリングを贈った。複製する事も剥奪する事も出来ぬ、あれだけが所持する事を許した最高位のリングだ」

何故。
俊へ指輪が渡った時点で気付かなかったのだろう。
容易に乗っ取った事で油断していた。



「天皇のリングには、権限を二つ埋め込んだ。そなたらの有する左席委員会権限と、」
「お、まえ」
「『理事会権限』を。」


頭が可笑しい。
感じたのはただそれだけだ。学園を支配する力を、たった一人の、それも入学したばかりの外部生に与える意味が判らない。


「何、やってんの。何がしたいの」
「そなたはこう考えたのだろう?
  私の俊がそなたらの飼い主である、と」
「………」
「沈黙こそ雄弁だが。そんな造作もない疑問は、最早一笑の価値すら無い」

いつの間にか。
扉を蹴り開けた銀髪の男の姿が壁一面に映し出された。


「私のオニキスは今頃、大人しく寝物語でも読み更けているだろうか。通学初日を振り返り、日記に認めているやも知れんな」

サングラスを押し上げながら不敵に笑う唇を呆然と眺めながら、何故佑壱が泣いているのかを考えたのだ。
ああ、また怒られたのかも知れない。この愚か者が、と。有無を言わせない拳骨と共に叱られたら泣きたくもなる。
実は音痴な癖に。



「耳障りな雑音を聞くまでもない」

でも、突然居なくなった人に怒られる謂われは無いのだ。たまには叱り返せば良いのに。


「…あれはただの目障りな人間だ。それに付き従うファーストとて同じ、最早価値など無いに等しい」

これだから情けない。
普段鬼の癖に、鬼嫁どころか大和撫子真っ青な亭主関白歓迎なんだから。

だからもう、仕方ないな。






「俺の目に映るそなたらの双頭は。
  我が【天】の玉座を踏み穢した、…排除対象に過ぎん」



たまにはお母さんにも、優しくしてあげなきゃ。

←いやん(*)(#)ばかん→
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