帝王院高等学校
春はセンチメンタルになります
召集会議を明日に控えている今現在、自治会は執行部を除いた各委員の任命は果たされていない。
明日には新しい顔触れで一掃されるだろう図書委員は、各委員の中でもダントツの不人気を誇っていた。


理由は一重に、鬼の委員長だ。


それが自分の事でありながら、東條清志郎の表情はまるで変化しない。酷く合理的且つ潔い性格の彼は潔癖な所があり、だからこそ『清廉の君』と呼ばれる所以でもある。
この世には常に二種類しか存在しないと考える彼の判断材料は、使えるか使えないか。

使えない人間など居ない方が楽だ。苛立たずに済む。



「今期は使える人材が集まる事を祈ろう」

明日の会議に必要な書類に目を通し、彼は躊躇わず書類をシュレッダーに落とす。情報を頭の中にしか残さないのは、この三年で身に付いた習慣だ。
紙を裁断する短い音が途切れ、天然もののホワイトブロンドを掻いた男は長身を壁へ預ける。


「然し、いつ見てもこの蔵書の数は凄まじいな」

史書室へ続く戸口から、ぽつりと呟いた彼は見上げなければならない巨大なフロアを一瞥した。

十万冊を優に越える書籍は一介の学校の図書館にしては余りに多く、然もこれの9割が三年前に寄贈されたものだと言うのだから大層呆れる。

「この全てを読破し、且つ一言一句全てを暗唱する事が出来る、か」

帝王院神威と共に日本へやってきた9万冊にも昇る数多の書籍は、今や生徒達の勉学に活用されていた。

「神はやはり、人知を逸脱している」

その殆どを幼少期に読破していたと言う神帝に短く息を吐き、首筋を掻く。
どうであれ、自分が神威を理解する日は来ないだろう。それだけが確かなものだ。



「クロノスライン・オープン」


呟いた所で、聞き慣れた機械音声か応える事はない。

「…天の君に羅針盤が渡った、か。望ましい事だが、動き難くなったには違いないな」

つい数時間前まで使えていたものが使えない不便さに腕を組んで、久しく使っていなかった携帯を握り締めた。

「ああ、そうか。マスター…いや、セーガの携帯電話を俺は知らない」

三年の付き合いになるかと言うのに、そんな事も知らなかったらしい自分に呆れて、自称親友が押し付けてきた自治会役員用の指輪を取り出す。
執行部の中でも下位に位置する図書視聴覚委員長に与えられた権限は、余りに少ない。

これを使えば、最高自治会である中央委員会に全て筒抜けだ。
カルマである神崎隼人が失踪しました、だから探します、などと、高々図書委員長でしかない自分が風紀でもなければカルマでもないのに、言える筈が無い。


「先程の放送は…ウエストも聞いていた筈だ」

皇帝の愛玩動物、カイザーのペットはつまりカルマ、今のところ居なくなったのは隼人だけだ。
つまり恐ろしい事に、左席会長代理である隼人が中央委員会に捕らわれているかも知れない。



「…笑えないな」

俊に直接名乗り出たいのは山々だが、どうやら第一印象最悪らしい。明らかに好感を持たれてはいない自分が、左席を名乗った所で信じては貰えないだろう。
何せ自分はカルマの敵であるABSOLUTELY、それも四天王と言う幹部だ。

最高位Sの神帝以下、ランクAの双頭である二代副総帥の日向や二葉、そのすぐ下に位置する自分が、カルマ寄りである俊に信用など得られるのかと尋ねられれば答えはNO。
尋ねられずとも判る。



「弱ったな。俺は元々カルマに入りたかったんだが」

呟いた所で現状は変わらない。独り言が増えたと息を吐いて、元々一人で居る事が多かった筈の自分に目を伏せた。


たった一人、傍に居ても不快ではなかった人を遠ざけたのは自分なのに。
真新しい中等部のブレザーを纏い、今よりまだずっと小さかった幼馴染みの手を引いて、春休み明けの町並みを歩いた日の事を思い出した。


映画館に貼られたポスターを見て、少女趣味な新作映画に興奮した小さな幼馴染み。
今度一緒に行こう、と特に観たかった訳でもない映画にそう言えば、幼馴染みは満面の笑みで頷いた。

『すぐにテストがあるんだ。大丈夫かな…』
『苦手な数学は見てやっただろう。ケアレスミスさえ気を付ければ、大丈夫だ』
『ぅん、頑張るね』

ポップコーンより甘い林檎飴。
炭酸よりもフルーツジュース、いつも甘い香りを漂わせていた幼馴染みを誰よりも甘やかしていたのは、誰だったか。

『セイちゃん、大好き』

あの笑顔が曇ったのはいつからか。
絡まりすぎて解けなくなった糸が、こんなにも可笑しくなったのはいつからか。


『僕、トロくて馬鹿だから、迷惑掛けたのぅ?』

まだ、あの春の長閑な街並みを手を繋いで歩いている時には、想像にも有り得なかった今と言う現実が重く伸し掛かる。


『セイちゃん』
「…参ったな」

迷惑ならもっと早い内にそう言った筈だ。もっと小さい内に。迷惑か迷惑でないの二種類しか存在しない合理主義の自分なら、きっと。





『今日は良く不良と出会うな』

薄汚れた週刊漫画を歩きながら読んでいた、その声を思い出した。
帝王院の始業式典は遅いから、ゆっくり歩いていた昼前の町並みを。
幼馴染みを背後に庇い、明らかに素性悪そうな高校生を前に睨み付けていた自分を。


『ああ、白猫ヤマトとぷににゃんこじゃないか』

閉じた漫画から目を上げた黒髪黒目の青年が、雑誌から手を離すと同時に微笑む光景を。

『弱いもの苛めは嫌いだ』

一瞬で投げ飛ばされた高校生達が逃げていく光景を。



『セイちゃん…あの人、カッコ良かったねぇ』

名も告げず去っていった後ろ姿を恍惚の表情で眺める幼馴染みの呟きに、頷いた日を。
陶酔めいた吐息を零す幼馴染みの手をぎゅっと握って、憧れと同時に嫉妬を覚えたあの日を。



「…精神統一が必要だ。精進が足りんな」

思い出して、緩く目を細めた。
あの後ろ姿に似ていたカルマの総長に憧れた中2の秋を、自称親友の義弟が左席に内定する直前、自分の元へ届いた理事会承認書を、思い出したのだ走馬灯の様に。


「あの承認書は…誰から送られて来たんだ?いや、そもそも左席は本当に存在して来たのか?
  初代以降公表されなかったのは、機密ではなく『存在しなかったから』だとしたなら…」

浮かんだ疑問が渦を巻く。
ルークを監査せよ。人目を盗む様に届いた一枚の紙に、その意味深な指令が書かれてあった。
銀の指輪が添えられていて、走り書きの使用法と共に読んだら燃やせと言う注意書一つ。数ヶ月後に帝王院神威として現れたあの神掛かった生き物を、高々人間にどうしろと言うのか。答えは未だに存在しない。

「存在していなかったなら、少なくとも三年前まで左席とは名ばかりの抑止力だったと言う訳だ。確かに中央委員会の職権濫用を防ぐ手立てにはなっていた筈だが…」

ならば何故、存在しなかった委員会を復興させる必要があったのだろう。
少なくとも前左席メンバー、つまり自分を含め隼人や他のメンバーも、恐らく脅迫されたのだ。
隼人の元へ届いた紙には、彼の実家の権利書と引き替えだと書かれていたらしい。身の上を隠さない彼が一度独り言の様に漏らしていた。


『馬鹿な女が手放した後、買い取られたんだよねえ。だから買い取り返すつもりだったんだけどー、手間が省けるじゃない?』

だから左席でも何でもやってやる、と言った冬間近の集会。黄色いブレスレットを見つめながら笑った隼人は、今考えれば何かに気付いていた様だった。

「黒幕が居る。俺達を集めた黒幕…本当に理事会役員の中か、それとも中央委員会の中か」

才ある者は恨まれる。
神帝だろうが例外ではない。あの神掛かった生き物を羨む人間、妬む人間、欲する人間は星の数だろう。
隼人は恐らく何かに感付いていて、然し従順に左席代行に務めていると言う事は、一筋縄ではいかない相手か、隼人でさえ調べられない謎の相手だと言う事だろうか。
どちらにしても、面倒は何も神帝率いる中央委員会に限った事ではない。


「調べる必要があるか」

呟いて踵を返した。
このまま探そうが探すまいが、遅かれ早かれ夜までに隼人は見付かるだろう。
カルマ総長が現れれば帝王院は混乱に陥るだろうが、現れなければ神帝の興味を失った隼人に価値はない。

隼人が姿を現せば、新旧左席委員を一堂に会する事が出来る。今後の進み方を決めて、漸く強制に近かった責任から逃れる事が出来るのだ。


『セイちゃん』

また、泣かせてしまったのかも知れない。もう取り返しの付かない所まで嫌われているのかも知れない。
全て、手遅れだったなら。


「駄目だな、恨んでいた筈の責任に負けそうだ」

この指輪を送り付けてきた姿無い相手を恨んだ所で、今更だった。それでも責任転嫁をやめられない人間の愚かさに嘆息する。



「神帝も皇帝も、知った事か」


だから、ただの指輪と化したクロノスリングの持つ本来の意味になど、未だ気付かないままだ。

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あきゅろす。
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