帝王院高等学校
神様だって完璧じゃないのです
一目網膜に映しただけで、その人間がどんな性質なのか六割方理解出来る。
この世の言語で理解出来ない言葉は存在しない。だから言葉を交わせば、残り四割を補うに充分なのだ。


すぐに見抜いてしまえる単純な人間に、わざわざ興味を覚えるほど暇ではなく。

例えば、欲望を隠しもしない女は潤んだ瞳に情欲を乗せて、抱いてくれと口を揃える。
男の大多数は跪き、残りは女の様に情欲を求めるか、勝利の存在しない戦いを挑むだけだ。



「セキュリティライン・オープン、ラウンジゲート周辺の映像を巻き戻せ」

人間に触れるのは忽ち飽きた。

耳障りな嬌声も、獣の様な息遣いも、穢れた体液も何も彼も。
嫌悪の対象にこそ成れば、自分と言う雄から『性欲』を削除するだけだ。


「違う、違う、…何処だ」

高速で巻き返し、再生、早送りを繰り返す液晶を瞬きも忘れて睨む。
セキュリティカメラの死角を頭の中で弾き出し目を細めた。三方向から映し出された映像には紙コップを捨てる太陽と桜の姿しか映っていない。

「ヴィーナス像の、背後か?」

俊が当初覗き込んでいた女神像、別のカメラ二台を併せて死角となるのは、女神像の背後だけだ。
記憶では女神像の背後に窓がある筈だが、常時快適な温度に保たれている施設内で換気の必要はない。
つまり開いていないのだ、その窓は。


「セキュリティ、リブラ屋外カメラ映像を全て映し出せ」

液晶に無数の映像が現れた。
人目に付かない野外で抱き合う生徒、喫煙中の教師、談笑する生徒、露天風呂内部、屋上。
その何処にも俊の姿は存在しないが、一部、明らかな違和感を認めてその分割された小さな画像を凝視した。

「エリア4B51、ラウンジゲート部分の壁面を拡大」

ヴィーナスの背後、やはり窓だった寮の壁が映し出される。
違和感の正体は、その窓の下だ。

「何だ、あれは?…拡大率820%、映像をクリーン化」

無理な拡大でぼやけた画面が徐々に整えられ、漸く締め切られた窓のすぐ真下の壁が見えた。
白亜の寮だからこそ、一部分が色付いていればすぐに判る。恐らく液体で汚れているのだ。
年中業者によって潔癖に保たれている筈の白亜が、黒く濁る筈が無い。映像からは何の汚れなのか判らないものの、見当は付いた。


「画面を巻き戻せ」

壁面を滴る黒い汚れが、時間を遡り消えていく。
画面下方向から跳ね上がって来た真っ白い紙コップ、画面上方向から降りてきた二人分の人影、その片方に紙コップが戻り、目的の姿が開かれた窓の向こうに背中を向けて戻って行った。



「何だ、─────これは」


再生開始させた画面に、俊の背中とヴィーナスの背中が映っている。
太陽と桜が仲良く背を向け、恐らく紙コップを捨てたその瞬間、画面上方向から降りてきた人影が窓を素早く開き、振り返った俊の腕を掴んだのだ。


零れたコーラ、引き摺られた瞬間跳ね上がった紙コップが落ちていく。
真っ白いハンカチの様なもので口を塞がれた俊が、黒一色の男の腕に捕われたまま上方向に引き上げられて行った。
窓を閉めた男の手際の良さに関心している場合ではない。


たった1分にも満たない間に、ワイヤーの様なもので降りてきた男が俊を奪ったのだ。



「セキュリティ、全てのリブラ監視カメラ映像を映せ…ターゲットは黒装束の男だ、警備!直ちに遠野俊のカード反応を探索しろ!」

バトラー達が慌しくやってくる足音をノイズだと思う余裕もない。

『エラー、クロノスマスター権限により探索は認められません』
「セントラルスクエア・オープン、クラウンである俺に歯向かうな!俊は何処だ!」
『エラー、マスターリング権限は消失中。解除する場合、現在承認中のクラウンクロスを一時破棄します』
「…っ、役立たずが」

隼人の居場所を悟られない為に、中央委員会会長権限で発動した電波妨害。西指宿の宿舎周辺を個別指定している為に、全域を圏外にするより複雑だ。

部室で一度リングの効力を消失させた自分は、システム自体を再起動しなければならない。
再起動するには会長権限で発動している全てのシステムが一端停止され、再起動した後にまた起動させる必要があった。


つまり、俊の居場所を知る為には隼人の居場所を知らせる恐れが伴うのだ。


二者択一と言う単語が脳裏を過る。
形ばかりでただの指輪と化した金属を胸元から取り出し、カルマを選ぶべきか俊の安否を選ぶべきかで躊躇うのだ。


「………」
「どうかなさいましたか、マジェスティ?」
「お加減が優れない様でしたら、直ちに医者を召喚致します」


耳障りな雑音が鼓膜を震わせた。
それは忽ち記憶を揺り起こす。



『バイバイ、裸の王様』


あの勝ち誇った様な、けれど何処か諦めに満ちた声の主をずっと、そう、ずっと。
あの夏の雨の日から、居なくなったと知った一月前からずっと、探していた筈だ。



「再起動は、…必要無い」
「陛下?」
「マジェスティ?」

クラウンリングは中央委員会を現わし、マスタークラウンは神帝に与えられた権限なのだ。
違う、自分はそうだ、神だった筈だ。何を躊躇う必要があるんだ。


帝王院は全てこの手の内に。
命じれば全てが思うままに。

一目見ただけで人間は六割方理解出来る。言葉を交わせば残り四割を補うに充分で、あの虚勢に満ちた人間の王の性質は凡そ把握している。


虚勢、本質的には弱い癖に、強がる生き物。
羨望に満ちた眼差し、嘲笑と言うには余りに自嘲の色が強かった口元、

『お前を倒せば天使は手に入るのか?』

羨望と憧憬に満ちた台詞には、絶望が混じる。あの全てを諦めた様な、けれど足掻き跪かせようと抵抗する眼差し、そのどれもをもう一度この網膜に映全て為だけに仕掛けたのだから。



「…部屋に戻る。呼ぶまで誰も近付くな」
「仰せの通りに、マジェスティ」
「畏まりました、陛下」

そうだ、自分は神なのだ。
だから生徒一人くらい居なくなった所で、自ら動く必要はない。興味を満たす為だけに、あの人間の王を呼び寄せるだけで良い。



「違う」

そう、違う。
全てただの大義名分だ。クラウンリングを再起動させたくないのだ、単に。
起動させればまた、自分は『神帝』に戻ってしまう。嫌いだと言われたあの『神帝』に、戻ってしまう。



「…そうか、恐れているのか、私は」

ただの金属と化した指輪を眺め、諦めた様に小さく笑んだ。
神帝に戻りたくない。嫌いだと言われたのが自分だと認めたくない。けれどクラウンリングが無ければ探せないものがあるのだ。

久しく忘れていた『狼狽』を思い出すほどに、人前で錯乱し機械相手に叫んでしまうほどに。



「…システム、バックアップ」
『クラウンスクエア、再起動完了』
「直ちに遠野俊の居場所を探索し、その後にクラウンクロスを再発動させろ」
『ガード対象、神崎隼人を解除。マスタークロノスを探索………97%、リブラ内部に確認』
「何処だ、私の俊は」
『サーチエンジンスキャン中にウイルスを確認、直ちにセキュリティスキャンを開始します』

無機質な機械音声が途切れ、無人の自室でそれは現れた。
黒装束の長身が俊を抱え、寮内部の廊下を足早に進む光景。


『ターゲットをリブラ内部ホスピスエリアに確認、対象付近にリー=シャンホンを確認』
「三年Fクラス、李上香か」

帝王院で最も抵学力であるFクラスには、外部入学が認められていない。
基本的に普通科Aクラス以上が外部入学対象であり、BクラスからEクラスまでが専修学科だ。

Fクラスは、初等科から在籍している落ち零れの名実共に『ゴミ箱』である。
高い寄付金を払い通う生徒を成績では退学対象にしない代わりに、進学の保障もしない。つまり、エスカレーターである最上学部への進級を認めないと言う規則がある。

その為にロクに授業にも出ない不真面目な生徒ばかりが集まる、不良学校の様な治安の悪いクラスだ。
大学に進学するつもりがない放蕩息子、または実家を継ぐ事が確定している生徒ばかり集まる。


「叶の手を煩わせる、…諸悪の根源だったな」
『ターゲット捕捉、ホスピスエリアにジエ=メイユエを確認しました。セキュリティカメラ映像を転送します』

プロジェクターが映し出した男の顔に、全身の血液が沸騰するのが判る。



「アジアの、害虫が…」

艶やかな黒髪を結い上げた美男子が、冷ややかな眼差しで俊を見つめていた。
香港育ちの中国人、その顔は神の血を容易に目醒めさせる。


「触るな」

白いアジア人の指先が、俊に近付いていく光景。呟いた所で届きはしない。そんな事判り切っている。


「それは、私のものだ」

触るな触るな触るな触るな触るな触るな触るな触るな触るな触るな触るな触るな触るな触るな触るな触るな触るな触るな触るな触るな触るな触るな触るな、狂った様に本能がそればかり吠えた。

高々中国マフィアが、それに触るな、と。


違う、誰だろうと同じだ。
何故、弱い人間風情が刃向かうのだと。醜い怒りが腹の底から這い上がって、喉を裂いた。



「バロンライン、…Bライン・オープン!コード『カイルーク』の名に於いて、該当エリアを断絶せよ!」

醜い表情など仮面で覆えば良い。
愚かな人間を隔絶し、神の宝剣で以てその首を跳ねれば良いのだ。


『ホスピスエリア分離、高速チェンジします。1分30秒後、セントラルフロアとホスピスエリアを隣接合体』

銀の長い髪を被り、愛しい唇が嫌いだと言う神の姿に戻ってしまえ。



「…そなたは目を閉じたままで良い」

誰だろうと、何だろうと。
逆らう事は許さない。魂の根源から食らい尽くし、二度と刃向かう事の無い様に壊してやる。

「俊、そなたが見るものは俺だけだ。…私の事など、知らぬままで良い」

部屋の入り口である扉に刻まれた十字架が、赤く光を放つ。



「セキュリティライン・クローズ」

その向こう側に居る人の名前を呟いた。
一目見た時も、その声を聞いてからも。未だに理解出来ない人の名前を呟いた。


「大浴場には適わずも、この部屋にも屋外浴場は備えてある」
『カイちゃんとお背中流しっこしたかったにょ』
「待っていろ、…怖いものなど何処にも存在しない」
『お化けは嫌いです』

口付けだけで溶けた様な声音を放つ唇が紡ぐ己の名を、ベッドの中で聞いたならどう変わるのだろうか、などと。




『カイちゃん』



愚かな人間の欲望を、仮面で隠して。

←いやん(*)(#)ばかん→
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あきゅろす。
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