帝王院高等学校
ヒューマニズムって奴かしら
「クソが!」


八つ当たり宜しく蹴り付けた廊下のダストボックスが、無残に倒れた。

「きゃ、」
「光王子閣下…」
「高坂様っ」

背後を付いてくる親衛隊の生徒らが狼狽えた様に息を呑んだが、日向が発てる不穏なオーラに近付けないらしい。
心配げながら、ひっそり後を付いていく。



「あのクソ外部生共が…」

羽織っただけの白い正装を靡かせ、苛立ちのまま闊歩する姿に通り掛かる皆が道を開け、教師までもが怯えていた。
その背後に、同じく白いスーツ姿の男が忍び寄る。



「ご機嫌斜めだなぁ、光姫」
「うわっ」
「はぁ、色気のねぇ声出しやがって…」

背後から伸びてきた腕が腹に巻き付き、振り向き様に殴り掛かった左手が容易く受け止められた日向の眉間に益々三途の川。

「熱烈な挨拶じゃねぇか」
「ちっ」

余裕綽々の風体で掴んだ日向の左手に口付けようとする零人は、オタクの眼鏡を粉砕させる様な俺様顔で笑った。

「どうした、可愛い面しやがって」
「触るんじゃねぇ、ボケが!眼科行け眼科!俺様の何処が可愛いんだクソ野郎が!」
「はいはい、デカくなって可愛げがなくなったのは性格もか、ベルちゃん」
「ブッ殺されてぇのかゼロ」
「おー、良いぜ。どうせなら腹上死させてくれやマイプリンセス?」

無言で殴り掛かってくる日向からひょいひょい逃げ躱す零人は、やはりABSOLUTELYの元総帥なのだろう。

「おいおい、マジで俺様を殺すつもりか」
「黙って死ね、消えろ、息をするなこの殿様野郎が!」
「相変わらずつれねぇなぁ、もっと早くに喰っときゃ良かったぜ」
「生憎、男に喰われる趣味はないんでね!」
「三年前まで男を喰う趣味もなかったよなぁ、王子様。」

一際大きく振り上げた手が、壁際まで追い詰めた零人の頬すれすれを掠め、強固な壁を抉る。
悲鳴を呑み込む親衛隊達が日向の背中に近寄り掛けたが、肩越しに振り返った琥珀色の瞳に睨め付けられ停止した。



「っつーより、対人恐怖症か。お前は今でも自分以外の人間が嫌いなんだろう?」
「…煩ぇんだよ、引退した年寄りは年寄りらしく隠居しやがれ」
「ああ、その目。…ファーストそっくりだ」

壁に押し当てたままの左手ではなく右手で、零人の腹を殴り付けた。然しやはり、利き手ではない右手では容易く受け止められる。
今までの揶揄めいた笑みではなく何処か懐かしむ様な笑みに変化した零人が腕を組み、背中を壁に預けた隙だらけの姿て首を傾げた。

「そのどちらも服従させた皇帝か。そりゃ、ルークの奴も興味を示すだろうなぁ」
「…」
「対人恐怖症の王子様と狼だけでも凄いっつーのに、果ては人格崩壊しまくった神様まで飼い馴らす男か。
  一辺会ってみてぇんだがなぁ、お前と佑壱が揃って邪魔しやがるから、顔すら見てねぇ」
「あの人に近付く事は許さない」

静かな声だった。
あの人、と呼んだ日向に片眉を上げ、今にも本気で噛み付いて来そうな雄の顔に目を細める。

「テメェも嵯峨崎も、アイツだろうが、全て。…近付く事は許さない」
「凄まじいプライドだな、ヴィーゼンバーグ殿下。此処は日本だぜ」
「高が男爵に、あの人は渡さない」
「何をそんなに焦ってんだ、お前らしくねぇな。…気付いてるからだろう?」

恐らく、続く言葉を判っていたからこそ、零人から顔を背け親衛隊に目も向けず日向は立ち去ったに違いない。



「完璧臍曲げてんな、アレは」

残された男は同情めいた表情で腕を組んだまま、日向によって砕けた壁の一部を見やる。
何度命を狙われても容易く回避する最強の王子様が、挑んで負けたのはたった二人。

「アレは人間の領域を越えてる。…判ってんだろ、ベル殿下」

日向が本気になれば零人も佑壱も適わないかも知れない。
けれど、誰もがルーク=フェインには適わないのだ。



「帝王院帝都がまず半端ねぇ生き物だっつーのに、その息子が目を付けてんだぞ。…俺なら遠野にゃ近付かないぜ」

イギリス公爵ですら適わないアメリカ男爵が、悪魔だと。
知らない筈が無いのに。


「あーあ、とんでもねぇ教育実習になりそうだ」

スーツのポケットから取り出したチョコレートを放り、




「…俺ら嵯峨崎まで敵に回すんじゃねぇぞ、日向殿下」


噛み砕いたビターチョコレートは、僅かに苦い













「…つまらん余興に暇を持て余した様だ」

一人、密室空間で呟いた台詞に意味もなく笑えた。
好奇心を満たす為だけの短い時間は想像通り大した結果を残していない。

恐らく、想像通りあの平凡な生き物が探し求めていた筈の人間だと思うけれど。
今になって、それほど必死に探していた理由が判らなくなった。カルマを率いたあの人間が、徐々に記憶から薄れて行くのが判る。



「やはり、ただの人間か」

判るかも知れない、と。
思ったのだ。
探している生き物と同じなのか、
違うのか。



酷く似ている、とは思う。同一人物だとは思う。然しそれだけだ。
確証には至らない
見つけてから先が判らない
興味を得た日に戻れば、もう一度、あの嫉妬に満ちた眼差しを目の前で見る事が出来たらなら。
何か判るかも知れないのに。



「…」

昔、一度だけ全てを投げ出してしまいたいと思った事がある。
と言うには些か若過ぎる7歳の夏、当時既に大学卒業相当の知能を備えていた自分には全てがどうでも良かったのだ。
求めずとも将来は決められていて、子供の振りをしていなければ今にも拘束されてしまうと知っていたから、4歳で努力する事を止めた。



2歳で十ヶ国語を理解し、3歳で義務教育レベルの学問をクリアし、4歳で大学論文を書く。
それが如何に異常な事態であるのか気付き、その年の暮れにはフェイクを覚え、5歳で『凡人の振り』をマスターした。

5歳を越えればただの人。

そう失笑するには有り余る功績を残してしまっていた事に気付いたのは6歳になる少し前、家庭環境の異常さに気付いたのも同時期だった。



だからと言って、何がどうなる訳でもない。
生まれてこの方、欲らしい欲を覚えた事の無い生き物は、神童と呼ばれた幼少期を経て今や神帝と呼ばれているだけの話。
数百年前に失われた言語ですら思いのまま操り、宇宙面積の公式を生み出し、地上に存在してはならない植物を繁殖させ、人が未だ発見していない微生物を既に300以上見つけている高校生など、存在してはならないのだから。

息を潜めれば、他人の発てる雑音が酷く耳障りだった。理解出来ない言語が無くなれば全ての人間が口にする言葉を理解してしまう。


それは酷く耳障りでしかない。



神と呼ばれ慣れて今、老若男女問わず近付いてくる目障りな生物。それが人間なのだから。



「?」

開いたエレベーターの向こうは無駄に広いリビングフロア。
ルームプレートも無ければ扉も無い、50畳相当のリビングへ足を踏み入れた時、部屋の四隅に設置してあるステレオスピーカーからクラシックが流れた。

「プライベートライン・オープン、受信した電信文を開け」

呟きながら黒髪を剥ぎ取り、脱いだブレザーをソファへ放る。
部屋の照明が自動で落とされ、フロアの中央にあるオブジェから溢れた光の渦に文字が浮かび上がった。

『着信数2145件です』
「見るに値しない同一ドメイン当該アカウントを全て削除し、財閥関係者のものを含め数の少ないものから映せ」
『了解、最新の履歴を表示します』





カイちゃんへ。


もしもし、カイちゃんですか?
僕は元気です。タイヨーも元気です。寧ろ元気過ぎて今、戦っています。
勇者の邪魔をしたらうっかり間違えてぱちんされてしまうかも知れないので、僕はこっそり覗きながらカイちゃんにおメールするコトにしました。






誰も居ない部屋は物音一つしない。
昔、全てを投げ出してしまった日の見知らぬ小さな公園に似ていた。

厳しい黒服達に囲まれて地団駄を踏む子供のヒスを聞きながら、ブランコをじっと見つめている幼稚園児にぶっきらぼうな顔で近付く袴姿の子供を見たのだ。



『Well because, you're black sheep all! Are you okay?!(だから、テメーら皆邪魔だっつってんだろ!判るか?!)』

例えばそれが金髪の子供でも。

『何やってんの、お前』
『ブランコ一人で乗っちゃダメだって、ヤスちゃんが…』
『ヤスちゃん?』
『今、お母さんとジュース買いに行ってるの。えっと、ヤスちゃんはフタゴで、アキちゃんは川を流れてたから拾ったんだって、ヤスちゃんが』
『何だか知らないけど、俺の前でぐずぐずするな。不愉快だ』

例えば、蒼い左目を眇めて吐き捨てる子供に怯えた園児が俯き、額の上で結んだ前髪がしょんぼり揺れると、それまで無愛想だった子供が目に見えて狼狽えて。

『えへへ、ブランコ楽しいねー』
『ほら、捕まってないと落ちる』

結局は二人で遊具に腰掛け楽しそうに、楽しそうに、笑っていた。
すぐに帝王院の警護員から連れ戻されてしまう直前、




夏の日。







『面白くない顔をしているな、貴様』




視界が白く弾けた。
オブジェが映し出す文字に瞬き、考え事に没頭していたらしい頭を数回振る。


「…何だ、今のは。」

深い深い記憶の奥底、何かが潜んでいた筈なのに。
霞掛かった何かが
まるで仕組まれたかの様に


今の今まで忘れていた



『面白くない顔をしているな、貴様』
『名前は?』
『ほう、チェスの駒みたいな名前じゃないか』
『ならば良かろう、』
『私がお前のナイトになってやる』


『誰よりも強い男になって』





『…迎えに行くよ、ルーク』




「誰だ」

判らない。
顔だけが綺麗に記憶から消えている。
場所も季節もその声もその手の温もりも覚えているのに、何故。





カイちゃんへ。


もしもし、カイちゃんですか?
僕は元気です。タイヨーも元気です。寧ろ元気過ぎて今、戦っています。
勇者の邪魔をしたらうっかり間違えてぱちんされてしまうかも知れないので、僕はこっそり覗きながらカイちゃんにおメールするコトにしました。




頭が痛い。
皮膚の下が痒い。
皮膚の下には血液が流れているのだと思うけれど。



カイちゃん、もし会長に苛められたらすぐに言うにょ。
僕はアイツが大嫌いなので、ぱちんします。右手でぱちんします。

タイヨーもカイちゃんも大切なお友達なので僕が絶対に守ります。
だから、大丈夫にょ。




頭痛がする。
生まれてこの方、ただの一度も感情らしい感情を覚えた事などなかったのに、今。





あ、それとカッコいいネックレス有難うございましたっ。
お礼に今度新刊あげるにょ。今度の新刊は学園特集ですっ。やっぱり制服にハァハァしますっ。制服は萌の宝箱ですっ。


お返事待ってます。
ばいばいきん。






「………愚かな、人間」


嫌いな相手に返事を求め、嫌われた事に頭痛を覚える、愚かな生き物だ。




なのに今、キーボードを叩くこの手は何だろう。
だから自分も結局は人間なのだと、
今更ながら思い出すのだろうか





『送信完了しました』



所詮、人間なのだと

←いやん(*)(#)ばかん→
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