第1章・第9話
晴れの日には外に出て勉強することが習慣づいてきた。
何かに対して熱心に取り組むことは、カイトにとって初めての出来事だ。
ただ本に興味が沸いただけでこのような地道な努力をしているなんて、この街にいる人が聞いたら大笑いされるだろう。
そんな暇があるなら残飯の一つでも探した方がマシ。とか。
まさに今のように。
【第1章・第9話 こちらが猫を見ている時、猫もまたこちらを見ているのだ】
「おめぇよ、最近あの怪しいフード野郎とつるんでるらしいじゃねぇか。
そんなバカみてーに意味の無い事して、目障りなんだよ」
怪しいフード野郎。悩む事無くナマエの姿が即座に思い浮かぶ。
ボロ布の服を着た不衛生な男は ナマエに恨みでもあるのか、それとも単にカイトがこの場にそぐわないに事をしているせいでか、急に絡んできたのだ。
因縁を付けられるのなら逃げた方が良い。
この街で生きるために得た知恵の一つだ。
カイトは気づかれないように距離を取り始め、会話など適当に合わせて逃げるタイミングを伺った。
「ケッ、ガキの癖に大人を舐めた面しやがって。見ててイライラする」
「じゃあ見なきゃいいだろ」
「ムカつくもんってのはなぁ、嫌でも目に付くんだよ俺は。
それに噂で聞いたぜ…?あのフード野郎、かなりの金持ちらしいじゃねえか。この街を自分の立場と比べて楽しむゲロくせえ野郎だってな!
お前、アイツに気に入られようと媚び売ってんだろ?
かぁー余計にムカつく!!」
噂というのは何処かで必ず尾鰭が付くものだが、ここまで怪しいフード野郎という以外確かな情報が無いと呆れてモノも言えない。
金持ちだから媚を売る。
寧ろ追っかけ回されて迷惑してるのは俺の方だ。
「そんなに金持ちが好きなら、お前が勝手に媚び付けばいいだろ。人の足舐めてだらしない顔して縋り付くの、得意なんだろ」
「んだとこの餓鬼!ちょっとアイツと関わりがあるからっていい気になりやがって!」
しまった。
面倒な事だけは避けたかったのに、イラついてつい本音が出てしまった。
失態に気がついた時には、男がカイトの胸座を掴んでいた。特に鍛えているわけでも、逞しいわけでもないが大人の力というのには変わらない。
子供の自分には振りほどく事は出来ず、男の至近距離での煩わしい叫びを聞くハメになった。
「てめぇ、いい気になってるから教えてやるよ。俺の経験……いや、この街の経験だ。
お偉いさんがこんなしょうもねえゴミ溜りに来る理由なんてな、大体胸糞悪い事ばかりなんだよ!
お得意の嘘並べて死ぬまでこき使える奴隷探し、鬱憤晴らしの虐待サンドバッグ、人間のゴミを見て楽しむ野郎だったりと何一つまともな奴はいねえ!
あのフード野郎もだ!てめえにそんな事してんのは、こんな街にいる可哀想な子供に手を差し伸べている聖人な自分に酔いしれている下衆なんだよ!!」
「アイツは…」
「アイツは違うぅ?
そう言いてえんだろ!だが、あの野郎の何がわかるんだぁ?たった数日会っただけで、お前に何の価値観を抱いている?
アイツにどんな甘い言葉囁かれたかは知らねえが、よく考えてみろ。
この街に、価値はねえんだよ!この浮かれ野郎!」
散々暴言を吐き散らすと、男はカイトの首に垂れ下がるペンダントを引きちぎって突き放した。
「それと、これは貰ってくぜ。適当な商人に売ったら金になりそうだからな。
ま、プラスチックってのがオチだろうけどよ!」
足元に落ちた本を蹴散らし、ペンは力いっぱい何処かへ投げ飛ばし、男はゲラゲラと笑って歩き去った。
いつもなら頭上に生ゴミの入ったバケツを振り落としたり、石の一つ投げつけたりなど仕返しをするが、そんな気は起きない。
虚しい位に一つ一つ、先ほどの言葉が突き刺さっている。
ナマエは他人だ。気まぐれで此処に来ているなんて分かるし、自分自身も執着なんてしていないはずだ。
冷静なのか、沸いているのか、考えれば考える程わからなくなり、頭を抱えてしまった。
「ピーピーと喧しい。
そんなに騒ぎたいなら、私とカイト君の進捗を称えるファンファーレを吹いたらどうだ」
「ぐゲッ!」
一体何処から現れたのか。
噂の尾鰭金魚のフード野郎がカイトを背にして男に掴みかかっていた。
「お前ぇぇ……さっきカイト君の胸座掴んでたよなぁ……私も掴んだこと無いところ掴みやがってこの……この……!許されると思うなよこの粗チン野郎!!」
瞳孔を開かせて、割とどうでも良い嫉妬をぶつける。
しかし怒っていることは確かだ。 ナマエはかなり怒っている。
街中に潜む夜鬼が鳥肌を立たせ、あるいは恐怖に蒸発し、しかしその圧倒的な力を称えるように、遥か上空で烏の群衆のように飛び回る。
この夜鬼の群衆を見た飛行中のパイロットは、運悪く失神して海に落ち、ルルイエの主、大いなるクトゥルフの栄養となるだろう。
「速攻魔法発動!ニョグタのわしづかみ!」
「にょぐたのわしづかみ…?」
「この魔法は1D20の正気度を使い、また呪文をスタートさせるために1MPを消費しなければならず、対象になるものと会話のかわせる距離にいなければならない……
呪文の使い手がMPの対抗ロールで勝った場合、対象はまるで大きな手に心臓を鷲掴みにされるような感覚に襲われる。そして、呪文が効果を発揮しているターン毎に耐久力を1D3失っていく。
この攻撃にあっている間、対象は心臓麻痺のような状態になり、耐えきれなくなった者は心臓が破裂する。そして、湯気立つ対象の心臓は呪文の使い手の手中に現れる。以下はもっと長いから略!」
「な、何言ってんだてめぇ!」
「まず1ラウンド目!自動成功!」
「ぐっがはぁ!」
男は急に心臓を押さえつけ、地面にのたうち回る。白目を向き、口から泡を吐く姿は悍ましいの一言である。
「2ラウンド目!自動成功!!」
「ぐほぉっ!」
「3ラウンド目!自動成功!!」
「ぐはぁぁぁぁあ!!」
その後も一方的に男をボコボコにしているナマエ。
その様子を見て、収拾がつかなくなると感じたカイトは止めに入った。
「 ナマエ、落ち着け」
「カイト君!すまない、君がこんな状態にあっていたのに助けに来れず……無力な私をどうか許して欲しい……」
「あれくらい日常茶番だ」
「む、そうなのか。ならば心配はいらないか……
そうだ、ペンダント取られたんだろう。ほら、取り返したから付けてあげる」
鎖が千切れたペンダントを首に回して取り付ける。
いつもの首にある重みが戻ると、不思議と安心感が湧き出した。
「 ナマエ」
「私はね、人に知恵や道を授ける事はあっても物を授ける事は無かった。
人に喜んで貰う為に授けるなんて、前者を含めてもっとね」
「……嘘つけ」
「そう見えるかい?」
「さあな」
「そんな事言って実は気づいているんだろ?内心嬉しそうにしてるじゃあいだだだだ!頬を抓らないでくれ!!」
カイトはぱっと手を離すと、気が抜けたように「間抜け面」と言って笑った。
***
「おいお前、私と握手しろ」
「あ?金持ちの頭はおかしいって聞くが、本当なんだな」
「か、勘違いするな阿呆!
私はカイト君の胸座を舐めるように撫で回したその手と握手したいんだ!決してお前と握手したいんじゃない!
この恥れ者!!」
「んな触ってねえよ!
テメェが恥れ者だ!!」
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