中編
◆隠し通せないのはその心底。
『───変わらないな』
通り過ぎ様、独り言のように囁かれたそれは予想外の内容だった。
彼は、俺を覚えている。
中学時代、殆どと言っていいほど接点などなかったはずなのに、その一言は内に秘めた動揺をさらけ出すには十分な威力を持っていて。
だけど。
「……人違い、かも」
似たような人間が居たかは覚えてないけれど、あの幼さのある子供から今や二十代後半の社会人であって、成長して面影は残るかもしれないが特別親しくしていたわけでもない人間の面影など、卒業アルバムを見返してやっと見つけられる程度だと俺は思っている。
だから俺は、彼のあの呟きは、彼が見ているであろう俺の面影は、俺にとって他人である別の人間なのではないかと。
「須藤、食わないのか?」
「え、」
ぼんやりしてしまった。
背後から声を掛けられて振り返れば、同じ部署の先輩社員がいた。
手にしていたサンドウィッチは半分残ったまま放置されていて、それで上の空なら声も掛けられてしまうかと納得。
デスクにはまだ手をつけていないサンドウィッチと、コーヒー。我ながら昼にしては少ないなと思ったけれど、いかんせん食欲がない。
「すみません、ちょっと考え事をしてて」
「いや謝るなよ。ま、分かるよ、課長の付き添いってプレッシャー掛かるよなぁ」
「ははは、」
都合のよい勘違いをしてくれた先輩に笑い返し、如何にもそれが考えていた事だと思わせるようにする。
課長に付き添い秘書のようになっている事へのプレッシャーがあるのは事実であるし、考え事の内容が違うだけで嘘ではない。
「みんな認めてるしな、お前の実力をさ」
「そんな、大袈裟ですよ。まだ四年目ですし、まだまだです」
「謙虚で居るのは良いことだ。困ったことあったら言えよ?みんなフォローくらい喜んでやるぜアレは」
「喜んでって…」
確かに部署の社員達は皆とても寛容で良い人たちだが、失敗の尻拭いみたいな事を喜んでやるなんて流石にないだろう。
「ちゃんと食えよ?ただでさえお前ひょろいんだから」
「運動しても筋肉付かないんです」
「白いし、腰細ぇし」
「オープンセクハラですか?」
「お、言うねえ」
「すみません」
「お前のそういうとこ好きだぞ」
「ありがとうございます」
強かだねぇ、と豪快に笑った先輩は、無理すんなよと軽く肩を叩いて去っていった。
堅苦しいのを嫌う佐久間課長になってから、部署の雰囲気は随分穏やかになったのだと先輩は言う。
気分的には大学時代のようなそれに、変に気を使う必要もなく、ここに配属になって良かったなと常々思う。恵まれているのだ。
先ほどの会話を思い出してつい頬が緩む。
企画のことについては、自分自身の仕事に対する意識次第でどうとでもなる。
仕事は仕事。
私情は私情。
大丈夫。いつも通りやればいい。
気合いを入れるように息を吐き、サンドウィッチにかぶりついた。
中学時代の片想いの尾鰭など、気にするだけ損なのだ。もう、あの飲まれそうな感情に怯えるほど視野は狭くない。
「大丈夫」
呪文のように、薬のように、そう言い聞かせて蓋をした。
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