中編
◇過去の事だと忘れる前に、その目を見てしまったから。
最初の衝撃に戸惑いはあったが、会議自体は滞りなく進んだものの、時間の関係でまた次回に持ち越す事になった。
「須藤君、スケジュール」
「はい」
物腰柔らかな佐久間課長の言葉に、隣に座る須藤が懐から手帳を取り出す。
上司と部下であることは間違いないが、まるで社長と秘書のようだと思ってしまうほどに佐久間課長と息があっている。
「───来週の同日時ではいかかでしょう」
手帳を見る伏せた目を見ていたせいで、視線を上げた須藤とばちっと目を合わせてしまい、動揺してすぐに返せなかった。
「倉科課長?」
「───っ失礼、問題ありません」
怪訝な表情で問いかけられ、はっとして返事をする。
隣にいる佐東は手帳を取り出して予定を記入していた。
俺だけおかしなやつみたいに思えてなんだか気まずくなってしまうが、問題ないと聞いた須藤は「ありがとうございます」と言ってまた手帳に視線を戻した。
微笑む佐久間課長に「お疲れですか」と冗談混じりに言われて、苦笑しか返せない。
十年も前の事など。
特に濃く接点を持っていたわけでもなかったけれど。
それでも、忘れてしまっているんだろうと言い聞かせた時にジクジクと心臓を蝕むような痛みが、まだ自分の中にあるあの時の思いを捨てきれていないのだと知る。
「もう大方決まっているし、今度は食事がてら気楽にやりましょう」
「…ええ、そうですね」
にこり、と笑む佐久間課長と握手を交わし、立ち上がる。
流れるような動きで須藤が会議室の扉を開け、こちらに向いたその目と視線が交わるがやはりなんの変化も見えない。
扉を持ち支える須藤に、佐久間課長が礼を述べて俺達を促して扉から先に出ていきそれに続くように歩く。
お疲れさまでした、と事務的な動作でお辞儀を受け、同じように返す。
須藤を通りすぎて扉から抜ける刹那、また再び視線が合った。
「───変わらないな」
「…っ」
「!」
それは一瞬だった。
何度見ても、纏う雰囲気の懐かしさに思わず溢したその一瞬、須藤のしっかりと前を見据えていた目が、揺れた。
立ち止まる事はせずに通りすぎ、佐久間課長と会話をしながらも、意識はほとんど先ほどの衝撃に持っていかれていた。
───須藤は、俺を、覚えて、いる。
あの揺らぎは一瞬だったけれど。それでも見紛う事はない、確信。
覚えているのだと分かった瞬間から、鳩尾に煮え滾るような気持ちが、衝動が溢れだしてくる。
N社から出てしばらく歩くと、それまでほとんど黙っていた佐東が口を開く。
「あれ、須藤だよな」
「……ああ」
「なんか、変わったな」
外見は確かに、最後に見たのは中学の卒業式なのだから大人になって男らしくはなっていたし、細身でありながら身長もそれなりにあった。
ぱっと見は普通の会社員だろうが、よく見れば小綺麗でひとつひとつは整っている。肌も綺麗だった。
けれど、あのまっすぐな目差しと、大きめの瞳は変わらず吸い込まれるような気持ちになる。
そしてあの身に纏う雰囲気。
包み込むような柔らかさに、丸みだけではない角もある、形容し難いものだ。
あの仮面の下を見たい、と思った。
仕事仮面を被ったあの表情を崩してやりたいと、俺はまた、あの頃のように。
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