09
「…長知。」
「っ…。」
「長知なんだろ。」
撫子は驚きに顔を上げた。
心臓がバクバクと煩く鳴り響く。
一気に心臓をえぐり取られたような気分だった。
「人生で似たようなことが二回も起これば疑いたくなる…。なんで今まで気付かなかったんだろうな…、」
「っ…ごめんなさい、」
「…お前は二度も俺を裏切った。そして二度も俺から逃げた。」
「ごめんなさいっ…、」
撫子は震える手を硬く握り締めた。
裏切り…逃げ…それは雅の一番嫌いなものだと知っているからこそ恐ろしい。
雅はそんな撫子を冷たい目で見つめ、立ち上がった。
テーブルを挟んで目の前に座る撫子の横まで移動し、今度は上から威圧するように睨み付ける。
そんな二人の様子に店内には緊張が走った。
「長知、こっち見ろ。」
「……。」
もう10年は呼ばれていない本名に泣きそうになりながら、撫子は隣に立つ雅を見上げた。
ガッ…ー
「っ…!!!」
「撫子!!」
雅は撫子の服を鷲掴みにし、その綺麗な顔を思い切り殴っていた。
焦った美里や他の従業員達が止めに入るが、雅は相変わらず撫子の目を見つめ続けたままだった。
「お前は今死んだ!」
思い切り息を吸って大声を上げた雅の声に、張り詰めた状態の店内に静けさが訪れた。
「梓川長知は死んだ。大和若葉は死んだ。そして…横山雅も死んだ。」
「っ…。」
「じゃあお前は誰だ。誰だと思う。」
真っ直ぐな問い掛けに、撫子は泣いて震えながら「撫子…」と呟いた。
「長知も若葉ももう居ない…。だから、俺が、長知と若葉を貰う…。こいつら二人はもう俺のもんだ。だから一生、お前はこの二人を名乗るな。名乗ったその時はまたお前を殺す。」
「え…みやびく…、」
最後に言い捨てて去っていこうとする雅に、撫子は手を伸ばして呼び掛けた。
しかしその手を雅は叩き、振り向いて最後にこう言った。
「俺は雅じゃねぇ。“梓”だ。」
「な、撫子さん!冷やさなきゃ!」
「何ですか今のイケメン!?撫子さん大丈夫!?」
「撫子…大丈夫?」
雅の去った店内は止まっていた時間が動き出したように騒がしくなった。
そんな周りとは対称的に、撫子だけが未だ動けずに居る。
長知と若葉を貰う、自分のものにすると言った雅…梓の心情が分からない。
それが良いものなのか悪いものなのかも分からなかった。
ただ一つだけ感じるのは、まるで彼に己の全てを独占されたような支配感だけであった。
長知も若葉も自分のものにすると…例え捨てた人生だとしても、彼はそれを拾い、これからは抱えていくと宣言したのだ。
その真相がどうであれ、撫子にとっては十分なくらい救われるものだった。
撫子の新しい人生を改めて後押ししてくれたような…そんな気分だった。
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