花シリーズ 番外編
泣き虫王子と四人のお供 後編

 絶体絶命のピンチに立たされた晴王子だが、呆然としていたのはほんの一瞬だった。
「うーん」
 王子は腕組みをして何やら考え出す。西の魔女と対峙した時から、気になって仕方がないことがあったのだ。
「ニッシー、目がものすごく赤いぞ。前原先輩が、ニッシーは眠れないって言ってたけど、大丈夫なの?」
「フン、大丈夫なわけないじゃない。大丈夫じゃないから、こんなことになってるんでしょ。だけどもう、どうでもいいよ。眠れない代わりにみんなに魔法をかけて憂さ晴らしするのも、案外楽しいって分かったからね」
「でも俺には、ニッシーがとても辛そうに見えるよ?」
 投げやりに言う西の魔女を心配そうに見つめていた晴王子は、不意に声を張り上げた。
「そうだ、俺が子守唄を歌ってあげるよ! ぐっすり眠れば元気になって、きっと新しい恋人を探す気力が湧いてくると思うんだ!」
 良いことを思いついたと顔を輝かせる晴王子は「ねーんねーんー」と、早速子守唄を歌い出す。
 子供の頃から歌うことが大好きだった王子の歌声には、不思議な力が宿っていた。
 王子が楽しい歌を歌えば、それまで泣いていた赤ちゃんが機嫌よく笑い出し、悲しい歌には、残虐無慈悲な山賊どもでさえ、人目も憚らず涙を流すほどの力だ。
 その効き目ときたら、いかな魔力の強い西の魔女でも例外はない。
「ちょっと、なに言ってんの? 僕は義光以外の男を恋人にする気は…… ふあぁぁ」
「ねーむれーねーむれー」
 慈愛に満ちた王子の歌声が城中に響き渡ると、ブツブツと不平を口にする魔女の瞼が次第に重くなっていく。
 それでも魔女は最後の抵抗を試みようと、憎まれ口を叩いた。
「あのね、晴。君の歌が上手いのは知ってるけどさ。子守唄で眠れるんだったら、誰もこんな苦労はしていないって。僕だってベッドの中で羊を数えたり、軽くストレッチしたり、ホットミルク飲んだりして、一応眠る努力はしてみたんだからね。それでも眠れなかったのに、今更子守唄ごときで眠れるわけ…… スヤァ」
 晴王子の子守唄を聞いた西の魔女はとうとう床に倒れ込み、すんなりと眠りについた。
「おやすみ、ニッシー。良い夢見てね」
 小さな子供のように丸くなり、安らかな寝息を立て始めた西の魔女の横を、王子は足音を忍ばせながらそっと通り抜ける。
「これで魔女の呪いは解けたはずだ。待っててタイシ、今迎えに行くからね!」
 晴王子は大志姫が囚われているという最上階を目指して、広間の脇の螺旋階段を一気に駆け上った。


 西の魔女のお城の最上階には、小さな部屋がひとつあるだけだった。
「タイシ?」
 晴王子は迷わず部屋の扉を開けて大志姫を呼んでみたが、中からは返事がない。
「タイシ、いないの?」
 そこでもう一度姫の名を呼びながら部屋に入った王子は、
「うわぁ」
 と、思わず感嘆の叫びをあげた。
 白の魔女のお告げ通り、お城の最上階に囚われた大志姫は、狭い部屋の中央に置かれたベッドに横たわり、静かに眠っている。
 王子が声をあげたのは、眠っている大志姫が装飾も見事な漆黒の鎧を身につけた、世にも類稀なる麗しい姿をしていたからだ。
 目を閉じていてこれなのだから、枕元に転がっている兜を抱えて起き上がれば、老若男女を問わず、誰もが姫に夢中になるに違いない。
「うわぁ、かっこいい。でも、これはお姫様っていうより……」
「凛々しい騎士様、だな」
「あれ、母さん!?」
「違うぞ。わたしは子供の純真な心をいつまでも忘れない大人にしか見えない妖精、ティンカー・雨以(ウイ)だ」
 小部屋の窓から蛍のような丸く小さな光が入ってきたかと思うと、それは濃紺のパンツスーツに身を包んだ人型の妖精になった。
 全長十センチほどのティンカー・雨以は、虹色に輝く羽を羽ばたかせながら、眠っている大志姫の周りを忙しなく飛び回る。
「ほほう。ああ見えて西村は金持ちのボンボンだからな。着るものと男の趣味だけは超一流だと、認めざるを得んな」
 麗しい大志姫の姿を見てしきりに感心しているティンカー・雨以にはツッコミを入れる気になれず、晴王子は別のことを訊ねた。
「でもね母さん、変なんだ。魔女の呪いは解けてるはずなのに、どうしてタイシは目を覚まさないのかな?」
「そうだな…… 攫ってきたはいいが、大志のことだ。怯え方が尋常じゃなかったんじゃないか。それでこいつの扱いにうんざりした西村が、呪いの他に眠りの魔法をもうひとつかけて、やむなく静かにさせたってところだろう」
 考え込みながら言うティンカー・雨以の答えに、晴王子は慌てる。
「ええっ! ニッシーはさっき俺がやっつけちゃったから、もう魔法は解いてもらえないよ。じゃあタイシは永遠に起きないってこと!?」
 どうしよう、と青ざめる王子を前に、ティンカー・雨以は冷静だった。
「そんなことはないぞ。晴、お前は小さい頃デンマークの島の家で、桜にお姫様が出てくる童話を読み聞かせてもらっていただろう」
「うん。サクラは登場人物の声を使い分けてくれてて、すごく面白かったよ」
「なら分かるな。物語のラストで、悪い魔女に魔法をかけられて眠っている姫を目覚めさせるのは?」
「目覚めさせるのは…… えっと…… 王子の、キス……?」
「ブチュッといけよ」
「は」
「なんなら口の中にベロを入れてかき回してやれば、早く目が覚めるんじゃないか」
「でも」
「わたしは、わたしの息子達がラブラブなところを見てニヤニヤしたい」
「ちょっ、待って」
 ティンカー・雨以の小さな手が、意外なほどの力強さで王子の後頭部を押す。
 大志姫に無理矢理顔を近づけさせられた晴王子は、もう観念するしかなかった。
「分かった、分かったから。キスするから、母さんはあっち向いてて!」
「なぜだ。今更恥ずかしがることはないだろう。わたしに遠慮は無用だ」
 そう言いながらもティンカー・雨以が渋々あっちを向くのを確認すると、晴王子は大志姫にゆっくり覆いかぶさっていく。
「じゃ、じゃあ、いくよ?」
「いつでもいいぞ」
 大志姫の唇が近い。あと…… 一センチ……


★☆★☆★


「わあ!」
 晴は、ガバッと毛布をはねのけて起き上がった。
「あ、あれ?」
 今まで西の魔女のお城にいたはずなのに、自分の部屋のベッドに戻っている。
 身につけているものも王子の衣装ではなく、昨夜寝る時に着ていたパジャマだった。
「夢、だよね?」
 はじめは西の魔女の魔法が解けて、無事に家に帰って来られたんだと安堵もしたが、だんだん頭が冴えてくると、そんなわけはないと理解できる。
 改めて耳をすませば、家の中はしんと静まり返っていた。
「あれはほんとに夢だったんだよね? タイシ、ちゃんと部屋で寝てるかな。ニッシーに攫われたりしてないよね?」
 心配になった晴はベッドを降りて自分の部屋を出ると、向かいにある大志の部屋のドアをそっと開けた。
 ――しばらくして、ギャッ! という大志の悲鳴が半分開いたままのドアから聞こえてきたが、大志の身に何が起きたかは、想像するに難くない。

 めでたし、めでたし。


2018.7.11




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