命ーミコトー
10
「蓮見は…新藤先生のことが好きなん…ですね?」
震える声でやっとのことで言葉を紡ぐ。
蓮見の顔をまっすぐ見つめると、蓮見はすっかり緩んだ顔で、ああ、と一言頷いた。
その瞬間、私の頭は真っ白になり、蓮見との思い出が一気に頭を駆け巡っていった。
そして、無意識のうちに私の目からは涙がこぼれた。
「おい…榊?」
蓮見の心配そうな顔が目に入って我に返る。そして乱暴に腕で目をこすった。
「す、すみません…私、帰ります。」
「榊!?」
私は踵を返して走り出した。蓮見は手を伸ばそうとしたが、新藤先生によって止められる。それよりも前に、藤家が走り出していたから。
「榊!」
藤家の手が私の手首を掴む。涙は止まることを知らず、勝手に流れ落ちる。そんな顔を見られたくなくて、顔を背ける。
「私、ダメ。耐えられない。」
「でも、ここで逃げたらそれこそもう戻れないよ。」
「でも、嫌なの!見たくないの。」
藤家の手を振り払おうと腕を振り上げるとパシンと乾いた音が響いた。
ハッとして藤家の方を振り返ると、藤家の頬は赤くなっている。
「あ…私…。」
藤家を叩いてしまった手を私は握り締める。
「――っ、ごめん。ちょっと、頭冷やすから。」
そう言って、私はまた藤家に背を向けて走り出した。
叩いた手が痛く、心も痛かった。
蓮見は半ば呆然と命が走っていったあとを見ていた。
何故命が涙を流したのかは理解できなかったが、胸の奥がズキズキと痛んだ。
可愛い教え子の涙を見るのなんて気持ちの良いものではない。
しかも、蓮見自身命のことを特別気に入っていることは自分でも自覚していた。
だけど、それでもやはり何だか心の中に違和感があった。
命と藤家の二人の仲の良さそうな姿を見たとき、蓮見は何ともいえない気持ちに襲われたのだ。
ぐっと胸が締め付けられるような。
何故、たかが生徒にこんな気持ちを抱かなくてはいけないんだろうか。
「陽杜?」
菫華の声に蓮見はハッと我に立ち返る。
「眉間にしわ寄ってるわよ?大丈夫よ、心配しなくても。あの年頃の子は色々あるんだからね。」
「ああ、分かってる…。」
すると、向こうから藤家が戻ってくる姿が見えてきた。
近くになるにつれてよく分かったが、その綺麗な顔の頬には赤いあとがついていた。
「あら、藤家君、その頬どうしたの?大丈夫?」
藤家は横目で菫華のほうをチラリと見やると、ええ、と小さく呟いた。
「藤家…榊は、大丈夫なのか?」
蓮見がそう聞くと藤家は少し寂しそうな表情をした。
「大丈夫です。それより先生、話があるんですけど、いいですか?」
「ああ、いいが。」
藤家は睨むようにしてジロリと菫華のほうを見た。
その静かな威圧感に菫華は少し身じろぐ。
「新藤先生、俺、蓮見先生に二人だけでお話したいことがあるので、すみませんが席をはずしてもらってもいいですか。」
その言葉遣いは丁寧なのだが、有無を言わさぬ迫力があった。
それは、いつも無気力に沈んでいるその瞳が、今は意志を持って強く輝いていることにあるのだろう。
菫華は頷くしかなかった。
「じゃあ、陽杜。私、今日はもう帰るわね。」
「ああ、すまないな。」
「いいの。それじゃあ、藤家君もさようなら。」
菫華はにこやかに藤家に会釈をしたが、藤家はそれに返さなかった。
ただただ、冷たい目で菫華の方を見ていた。すべて見通しているかのように。
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