1)大正恋々 大正12年、夏。 いくら東北とは言え、やはり夏は暑いものだ。 額を流れる汗をそのままに少女は縁側を走り抜ける。 突然の来客に動揺しながらも、茶と菓子の準備を行う。 まだ年端のいかない少女の指先はとてもたどたどしい。 客人は、この土地の大地主の倅。そして、真田家にとてもゆかりのある人物だ。 丁重に持て成さなければならないのに、家人も使用人もいない。 ――佐助ええええ!なぜ居ないのだ! 真田家は小さな家柄で、猿飛佐助という使用人が1人だけしかいない。 彼は今、当主である幸の両親と呉服屋へと赴いている。 幸は、早まる鼓動を抑えるために深呼吸をして、客人が休んでいる部屋の前に立つ。 襖一つを隔てた向こうには、自分とは身分が違いすぎる男性がいる。 かの昔、この東北――奥州を統べた殿様の子孫。 時代は変わったものの、伊達家は今でもこの東北で大きい家柄である。 そして、幸はかの関ヶ原の戦いで敗北した西軍の武将、真田家の子孫である。 なぜ、敗軍の真田家が東北に住んでいるのかは、それは昔の話になるが、真田幸村の娘が伊達家の重臣、片倉家に嫁ぎ、その縁で、戦後、幸村の嫡男が姉妹を頼り奥州に逃れ、片倉姓を名乗ったのが始まりらしい。 その後、片倉姓から仙台真田という姓に変わり、時代が変わるとともに、真田家は東北の地に定住したのだ。 これは、はるか昔の話なので幸には何の興味もないが、そんな曰くのある客人を自分一人で応対することに抵抗があった。 出来るなら、今すぐ両親と佐助に帰宅して変わって欲しい。 「おい、いつまで其処に突っ立てるんだ」 低く冷たい声が襖の向こうから聞こえ、幸の意識は正面に向かう。 「――失礼いたします」 襖を開ける事を重く感じるのは、気のせいでは無い。 嫌でも分かる、彼の尋常ではない気迫、流石武将の末裔だ。 「政宗さま、本日はご足労痛みいりま――」 「棒読みの御託なんかいらねえ」 幸の挨拶を阻み、政宗は煙管を吸う。 「それに、その御託。まんまテメエの親父の真似じゃねえか」 不愉快だと眉間に皺を寄せて煙草を吐く姿は、溜息をついているようなものだ。 また、気分を害させてしまった。 上座に座る政宗との距離を一畳ほど開けて正座をし、幸はそのまま俯いて苦い顔を隠した。 「申しわけ、ございません…」 どうしても、目の前にいる男が苦手なのだ。 一応は武家の娘、礼儀作法はもちろん心得ているが、彼の前だとなぜか上手く出来ない。 政宗と会う時は専ら父親が居るので、いつも父の後ろに隠れてその場を凌いでいた。 だが、今この家にいる者は幸一人だ。 政宗の接客をすると想像するだけで背筋が凍るが、現実になってしまったからには仕方ない。 なんとか両親が戻ってくるまで時間と戦うしかないのだ。 「あの、…本日は何の御用件で?御覧の通り、今は私1人しかいない故…」 「HA!、お前しかいないから来たに決まってんだろう」 この男は今何と言った。 幸は大きな瞳をまん丸く見開き、政宗を凝視した。 [*前へ][次へ#] [戻る] |