ユベールからの電話は僕を会社に連れてくようにと言うような内容だったんだろう。簡単に想像がつく。 そうでもなきゃ、あんな屈辱的なセリフを香夜ちゃんが言うはずがないもの。 人込みの強い車両を選んで、満員電車に乗り込む。 げんなりとする香夜ちゃんの顔を見ながら、久しぶりの電車を楽しんだ。 駅から出ると、不機嫌そうだった香夜ちゃんはどこか平和ボケした間抜け面をさらしてフラフラと歩き始めた。 場所はわかるんだしと、ゆっくり歩く香夜ちゃんを追い越し少し前を行く。 信号に引っ掛かり、暇潰しに香夜ちゃんに無理難題を吹っ掛けようと振り向けば。 「やっぱ宮田だ。お前どうしたの?急に仕事辞めたって聞いて、電話もメールも繋がらねぇし。つーか解約されてるしよ」 オロオロとする香夜ちゃんを前に、怒り顔の男が立っていた。 「ハゲに聞いても家族が病気だから看病のために辞めたってだけで、それ以上は知らねぇってだけだし」 「ああ……、あの、それは」 「コンビ組んで仕事やってた俺くらいには、挨拶があっても良いんじゃね?薄情ってもんだろーよ」 ああ、いつだったか。 ロビンを通して香夜ちゃんを見ていた時に、こんな男がやたらと映り込んでいたな。 職場の同僚で、ハヤミテツオ……だったはず。 僕が男を見ている事に気付いたのか、怪訝な顔で不敵にも僕を睨んできた。 いつもはロビン越しにしか見てなくて、初めて生ハヤミテツオを見た。 香夜ちゃんの側にいる僕を関係者と察知したのか、敵意剥き出しで見る目に何となくわかった。ハヤミテツオは僕と似た種類なんだと。 同属嫌悪、なんて思いながら僕は笑顔を返してやった。 不穏な空気を読んだのか、香夜ちゃんは僕を引っ張りながら慌ててその場から逃げ出した。 去り際にハヤミテツオから名刺を貰ってたけど、近い内に香夜ちゃんは会うつもりだろうから、その時は僕もついて行こう。 何だかんだと愚痴る香夜ちゃんをあしらいながら、気がつけばすでに見知ったビルが見えてきた。 会社につき、受付けの前を通れば月胡ちゃんの声が僕の耳に入った。 「シネ」 「おはよー月胡ちゃん」 構わずに挨拶をすれば、隣りに立つもう一人の受付け嬢が真っ青な顔で月胡ちゃんの頭を慌てて下げさせていた。 「構わないよ、気にしないで」 従順過ぎる子はつまらないもの。反発し過ぎる子を躾るのが楽しいんだから。 そんな本音から笑顔で受付け嬢を制する。 月胡ちゃんが受付けに立ち始めてから半年以上は経っただろうか。 そろそろ頃合かな? 密かに考えていた事を頭に描いていると、月胡ちゃんは久しぶりに会ったであろう香夜ちゃんと笑顔で挨拶を交わしていた。 「仕事中だからゆっくり出来ないけど、昼休みにでも話しよ?カヤちゃんまだいるんでしょ?」 「う……ん、たぶん」 香夜ちゃんが僕を窺うから、それに頷いた。途端に溢れる喜びが香夜ちゃんの顔に出る。 「じゃあこの辺で待ってて、もうすぐ休憩だから一緒に行こ!」 後ろの方で自動ドアが開く音がし、受付け嬢の顔が途端に作り上げられた笑顔を貼り付けた。 僕に用事のある客であれば面倒だと思って、僕は香夜ちゃんを連れてその場を退散した。 社長室に入れば、書類片手に渋い顔をしているユベールが待ち構えていた。 「ユベールさん、連れてきましたよ」 「ああ」 「おはよー」 「……もう十一時を過ぎているが?」 「その日初めて会う人には、一律おはよーで良いんだよ。これ、この世界の常識ー」 胡散臭い目で僕を見て、ユベールは呆れ顔でため息を吐き出す。 そんなユベールの横をすり抜けてソファに腰を下ろし、久しぶりの社長室に代わり映えしない事が退屈さを感じさせた。 横目で香夜ちゃんを見れば異様に喜びを露わにした顔をしている。 「じゃあ、私はツキちゃんと待ち合わせているので……」 香夜ちゃんは気配を消しながら後ろのドアへと近付いて行ったのがわかった。 僕は引き止めず香夜ちゃんに後ろ姿を見せたままでいると、ドアが静かに閉まる音が聞こえてきた。 「で?僕も忙しいんだから、香夜ちゃんを使ってまで呼び出さないでよねー」 「顧客リストの中に、フェンネルの息のかかった奴がいた。怪しい奴等全てをチェックしてある。目を通せ」 ソファの前にあるテーブルに置かれていた黒いファイルを開けば、数枚の付箋がされていた。 「少しずつではあるが、また俺達に近付いてきてる」 「しつこいねぇ。……でも裏の仕事までバレたんだ?」 裏の仕事の顧客リスト。 金融屋の社長なんて名前ばかりで、有能な人材で上層部を固めているから僕の仕事はないに等しい。大体の決定はユベールがやっているのだし。 ユベールが決定出来ない事と言えば、裏の仕事である死の商人。僕のもう一つの顔。 その裏の仕事で僕の目が必要になった時だ。 僕に害をなす者、そうじゃない者を見極める力。 敵対するヤツに戦争の道具を売って面倒を起こしたくないし、上手に僕の好む極上の空気を生み出してくれるようなヤツじゃないと売る気が失せてしまう。 でも今回はそれだけじゃない。 「そうだねぇ……」 ファイルには顔写真と履歴が長々と記されている。 チェックされているページを捲り、一つ一つ眺める。 一通り目を通し終え、不要な付箋を外すと一枚の付箋だけが残った。 「これ、フェンネルの息がかかってる」 ファイルを渡せば、ユベールは電話を取ってすぐに話をし始めた。 きっと今僕がピックアップした人間モドキを処分する手筈をしているんだろう。 僕に関わる事に関して働く直感。 人間からしてみれば超能力に近いと思う。 ただ感を働かせたい対象物に集中しない事には、この能力は発揮出来ない。 常に気を張り巡らせるにはあまりにも僕への負担が大きいから、出来る事ならやりたくはないのだけど。 ロビンを側に置いているのも僕の力を補うため、僕に危険分子が近寄ってくるのを先に察知するためだ。 でもそのロビンは香夜ちゃんの監視用にしてるから、僕の危険は自分で察知しなければならない。 煩わしいけど僕の楽しい生活を脅かすのであれば、この力を使って対抗しなければならない。 フェンネルが回りくどい事をするから、僕はこんな面倒を被らされる。 それにユベールもユベールだ。こんな話なら、香夜ちゃんを使って僕を連れ出さなくても良いのに。 「用件言ってくれれば、僕一人で来たのに」 僕の仕事は終わったとばかりに大きく背伸びをして腰を上げた。 「たった今入った情報が今の話で、良いタイミングだと思って先に話しただけだ。本題はこっちだ」 ユベールは表情を変えずに、僕に分厚い書類の束を机に置いた。 「お前が放棄してた仕事を溜めておいた。これをやるまではこの部屋からは一歩も出さないからな」 「えー」 「これでも出来る範囲の事は片付けたんだ。たまには仕事をしろ。それが嫌なら潰してしまえ、こんな会社」 それを言われたら何も言えない。 少なからずとも、金に纏わる人の情念は僕には心地好い。 だからこそ、人の悪感情が渦巻くであろう場所を作り上げ、もはや瘴気に近い感情を持つ輩が集まり易い死の商人も兼業しているわけで。 綺麗過ぎる空気は僕達には毒でしかない。でもその毒が僕には良いスパイスとなっているのは否めないし、そのスパイス中毒になってるからこの地に来たって言っても過言じゃない。 |