[携帯モード] [URL送信]

◆短編
青の風、豊穣の地1
穴の底、鬼の住処疼く熱、熟れた息続編になります。



ちゃぷんと小さな水音を立てて竿をあげる。
最後にもう一匹釣れなかったのは残念だが、今日食べる分ぐらいは十分釣れたので上出来だろう。

鬼に教えて貰った釣りも大分上達して、今ではこうして1人で釣りに来ても全く釣れないという事は少なくなった。
まったく無いと言えないのが悔しいけれど、まだまだ俺の腕前は初心者に毛が生えた程度だ。

(動かし方が悪いのか、俺の竿へは食いつきが良くない。今度また教えて貰おう)

穏やかで根気強い気質の鬼は俺にとって良い教師で、分からない所を繰り返し繰り返し丁寧に教えてくれる。
あまり覚えのよい生徒ではない俺は何度も説明させる手間に申し訳なくなってしまうのだけど、大丈夫だと笑いながら大きな手で俺の髪をくしゃりと撫でる鬼の好意に寄りかかってしまう。

元々人に頼る性格ではなかったのだけれども、鬼が俺にとても優しくしてくれるお陰か、彼に頼るのが自然になっていた。
いい変化、なのだと思う。
俺の心はとても穏やかで、幸せに満ちている。

不意にざぁ…、と強い風が吹き、俺の頬を乱暴に撫でていく。
地の底にあるこの場所ではあまり風は強く吹かない筈なのだが、この近くのどこかに外につながる横穴でもあるのだろうか?

キョロキョロと辺りを見渡して風の吹いてきた方向を探していると、背中にずしりと衝撃を感じ身体がガクリと傾いた。

「なっ?!」

「蘇芳、久しぶりやんなぁ! 元気しとうか?! ちゃんと食うとらんのと違う? なんか痩せた……、てか、縮ん、だ?」

俺の背中に圧し掛かりながら早口でまくしたてる声は、次第に疑問が混じり弱くなっていく。
敵意は感じないけれど、俺を誰かと勘違いしている事だけは確かだ。

「おまっ、誰だ?!」

腕を振り回すようにして圧し掛かる身体を跳ね飛ばす。
目測で測った身体の大きさは俺よりも大きいし、ちらりと目の端に映った腕は細見ではあるもののしなやかな筋肉を纏っていた。

元々狩りを生業にしていた俺だが、接近した状態で組み合って強い訳ではない。
ただの農民よりは戦う事にノウハウがあるけれど、基本は罠を仕掛けたり遠くから弓で射て仕留めるのが常だからだ。

この穴の底に危険な生き物は思っていたので武器など持ち合わせていない。
戦いにならない事を祈りつつ相手の反応を警戒しながらジリジリと距離を取った。

「お前こそ誰やん、蘇芳とちゃうし」

人違いに気付いたらしい男は、口をとがらせて抗議するように俺を睨んだ。
まるで俺が悪いような顔をしているが、俺から何かを仕掛けた訳でもなく怒られるようないわれはない。

「俺は真白(マシロ)、ここに住んでる。その蘇芳って誰だ?」

「俺だ」

「へ?」

「おー、蘇芳! 久しぶり!」

俺の肩に置かれた手は、紛れもなく鬼の手で。
眼前の男に名前で呼ばれているのは、間違いなく鬼で。

「……、名前、あったのか」

「うむ」

今まで俺の中で鬼は鬼だけだったから何も困らなかったけれど、名前があるのなら教えて欲しかった。
まあ、最近俺の名前も伝えたぐらいだから俺達らしいといえばらしいのだが。

「なあ蘇芳、そいつ何なん? 食料にするには不味そうだし硬そうやん?」

「青嵐、真白に失礼な事を言うな」

「そないに怒らんでも、事実やん?」

「……青嵐」

地を這うように低く響く声は静かな怒りを湛えていて、直接感情をぶつけられた訳ではない俺ですら全身が総毛立った。
緊張で上手く飲み込めなくなった息が喉元でわだかまる。
いつも優しくて穏やかな鬼とは思えない程、静かで激しい怒りは俺の肌をちりちりと刺激した。

「もー、冗談やん! そんな怒りなや。頼まれてた荷物持ってきてやった客に失礼やろ」

「荷物?」

「ああ、青嵐は鬼族の運び屋だ。青嵐の名前の通り、風を操って真白が落ちてきたあの穴から自由に出入りして荷物を届けてくれるんだ」

「あの穴から?! 随分な高さがあるぞ?!」

「俺にしてみたら余裕や、余裕」

キシシと笑う青嵐は、高貴な猫を思わせる。
だけどちょっと意地が悪そうだ。

落ちてきた自分の命が助かった事を奇跡だと感じる程に、この場所は深い洞穴になっている。
蘇芳以外の鬼を知らなかった俺にとって、風を操る鬼が居る事も知らなかったし、他の鬼がこの洞穴を訪れる事も知らなかった。

あまり疑問に思った事はなかったけれど、思い返してみれば鬼の家にはここの生活だけでは手に入らないモノが多数ある。
そういったモノを彼に仕入れて貰っているのだろう。

「もう親父さんもいないんだから外に出たらええのに、蘇芳は我儘な子や」

「……子?」

「せや、俺は親父さんの知り合いやからな。蘇芳がこんなちっさい頃から知っとるよ」

青嵐は親指と人差し指でとても小さな丸を作るがその丸は、産まれたばかりの人間の子供よりもずっと小さく、鬼がその大きさだったとは思えない。
だけど昔ながらの親しさとでもいうのだろうか、古くからの知り合いであり、いまだに深い交流があるのを俺に感じさせた。

「蘇芳」

鬼の服を引いて名前を呼んでみる。
初めて口にする名前は独特の響きを持っていて、なぜかただの名前のはずなのに特別に感じさせた。

「なかなかどうして名前で呼ばれるのはくすぐったいものだな」

元々赤めの顔を一層赤く染めた鬼が、困惑と嬉しさをにじませて笑う。

「駄目か?」

「いや、構わない。それでどうした?」

「魚の数が足りないかもしれない」

「……は?」

「いや、あまり釣れなかったから3人分だと足りないかも、と」

2人分でしか考えていなかったので、魚が足りない。
客人に譲るのは構わないのだが、同じ場所で食事をすれば違うものを出されているのが一目瞭然で、それを嫌う人が少なからずいるのを俺は知っている。

「真白」

「ん?」

「なんや、この子も大概変わった子やんなぁ」

複雑な表情でこめかみを掻く蘇芳と、けたけたと小気味よく笑う青嵐。
2人を交互に見ながら俺は、ただただ首を傾げるしか出来なかった。

[*前へ][次へ#]
[戻る]


あきゅろす。
[小説ナビ|小説大賞]
無料HPエムペ!