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◆短編
穴の底、鬼の住処1※R18
俺の住む村の傍に地獄の蓋と呼ばれる大きな岩がある。
村人達はそれを恐れ敬い、年に1度行われる祭りの時以外は近づかない。
勿論それは俺も同じで、山の獣を狩りに行く時、無事を願い手を合わせる以外の事をした事はなかった。

だから岩に触れたのは本意ではなく、ただの偶然だった。
強い風に揺れた枝が視界を遮り、何かの獣かと慌てて振り返り弓を構えた俺の背に岩が触れた。
しまった、と思った瞬間、岩の輪郭に吸い込まれるように自分の身体が消えていく。
禁を破った自分は地獄に落ちるのだと、そう思った。



「……ぅ、う」

「おお、目が覚めたか、良かった良かった。降って来た時にはどうなるかと思ったが助かって良かった。起きられるか? 外の人」

今だ意識がハッキリしないが、大きな手に支えられ起き上がると、身体が酷く痛んだ。
この手の人が助けてくれたのだろうか?
礼を言おうとして顔を上げてぎょっとする。

「うあ、あっ! お、鬼?!」

「ん、俺の事か? ああ、鬼だが……」

「ひ、た、食べないで」

腕をがむしゃらに動かし距離を取ろうとするが、ぶつかった胸板は厚くびくともせず、身体を支えられた腕から逃れられる気がしなかった。
がちがちと震えにあわせて歯が鳴り、情けなくも涙が溢れてくる。
怖い、怖い、怖い!

「……すまんなぁ」

ポツリと呟かれた言葉に、身体がビクリとはねた。
地を這うほどに低い声なのに、その声音には寂しさが滲んでいる。
先ほどの表情に比べると、その顔は落ち込んでいるように見えた。

「外の人には俺の顔は怖いんだな、気付かんですまん。食べたりせんからゆっくり休むといい」

ポンポンと子供にするみたいに頭を軽く叩くと、鬼はその場から立ち上がり、部屋の外に出ていった。
あまりに唐突に物事が起こりすぎて、どういう事なのかが全くわからない。

「助かった、のか……?」

ここはどのなのかとあたりを見回せば、赤く染まった水に手ぬぐいがかけられていて、その手ぬぐいは血の赤と、砂で茶色く染まっている。
自分の腕を見てみれば、まだ傷跡は残っているものの、傷口は綺麗に清められていた。

「手当て、してくれたのか」

鬼は人を食うと聞いて育った俺に、鬼が助けてくれるという状況は想像出来ず酷いことを言った。
そもそも俺は禁を犯した罰でここに落とされて死ぬ定めだったのだろうに、それを助けてくれたのだ。

謝らなければと腕に力を込めて立ち上がろうとするが、全く力が入らない。
ブルブルと震えた腕は怪我のせいで弱りきり、自身の体重すら支えられなくなっている。
それでもと這いずるようにして床を進めば、隙間から覗く鬼と目が合った。
具合を心配してくれたのか見ていたらしい。

「あの……!」

「まだ動いたら駄目だ! 死んでもおかしくない怪我をしたんだぞ?!」

ひょいと軽々持ち上げられ、布団に戻される。
まるで大事な物を扱うように静かに下ろされた身体は、少しも痛まなかった。
俺を降ろしてそそくさと部屋を出ようとした鬼の服の端を震える指で何とか掴むと、鬼がその鋭い目を丸くする。

「助けてくれたのに、酷い事を言ってすまない。……ありがとう」

厳つい顔が嬉しそうにふにゃりと歪む。
怖い顔立ちなのは変わらないのに、優しい雰囲気だ。

「俺は気にしてないからお前も気にせんでいい、まずは怪我を治す事にだけ専念しておけ」

顔についた傷を労わるように鬼の手が俺の頬に触れた。
ざらざらと荒れた手は何度も手ぬぐいを絞り、水と布でやられたのだろう。
あんなに傷ついた顔をしていたのに、気にしていないと嘘をつく、優しい鬼。
酷い事を言ったのに簡単に許してしまう。
聞かされた話とは全く違うその姿に、俺は自分の心が少しだけ鬼に開いたのを感じた。



「あそこだ」

「これは……、戻れる気がしないな」

鬼の手厚い看護で歩けるほどに回復した俺は、俺が降ってきたと言っていた穴の所まで連れてきてもらった。
そこまでの道のりは多少の起伏はあるものの、山で狩りをして生計を立てていた俺にとっては平坦と言っても過言ではないくらいの道のりで、これなら村に戻れるのではないかと期待していたのだが、穴といわれる小さな光を目の当たりにしてその望みが絶たれたのを理解した。

大きな空洞にはぬるぬるとした苔が付着し、素手で上る事も無理なら何かの足場をつけようにも、脆い材質の壁が体重を支えられるとは思えない。
むしろこの高さから落ちて命があっただけでも奇跡だ。

「他に外に出れるような道はないのか?」

「俺は外に出ようと思った事がないからなあ、探してみればあるのかもしれん」

顎に手を当て、むむ…と唸る鬼は辺りの地形を思い出そうとしているらしい。

帰ろうとは思うもののここの生活はとても快適だ。
地下の所為なのか温度は一定で過ごしやすく、光るきのこや苔が育てられており、明るさにも困らない。
広い空間が幾つもありそこで植物も育てられていた。
今まで食べた事のない植物も沢山あったが、どれも驚くぐらい美味しく、ここに落ちてくる前よりも太ってしまったほどだ。

「俺は運がいい」

「落ちてきたのにか?」

「こんな高い所から落ちてきたのに命があったのも、お前みたいな良い鬼が助けてくれたのも、俺は運がいいんだろう」

赤い顔をなお一層赤く染めて鬼が照れる。
口角を少しだけ上げて、はにかむその顔は厳ついのに可愛らしくさえ見えた。

「ここに居てもしょうがない、戻ろう」

「ああ、家に帰って食事にしよう。今日はウサギを捕まえてきたからあれを煮よう」

鬼が作る料理はどれも美味しい、その味を思い出して俺は口の中一杯にヨダレを溜めてしまった。


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あきゅろす。
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