聖王の御手のうち(本編+SS/完結)
3
「あ……明石、君はっ……!……」
空いたもう片方の拳が、明石の胸を殴る。
でも力は入らない。
怒りと恐怖が綯い交ぜになった感情が、体を震えさせていた。
「明石はっ……おかしいよ、そんなの、おかしいっ……狂って……」
唇がふさがれた。
柔らかな感触と、僕のそれより高い熱。
舌先が軽く唇をなでて、ゆっくりと離れた。
「俺が、汐を手に入れたかったからだよ」
落ち葉を鳴らして僕を抱きしめた明石の腕は震えていた。
僕の体と同じに、小刻みに、何かに恐怖するように。
僕は、一つ年上の、最初にできた一番の友達が抱き続けた闇を、何も知らなかった。
知ろうともしていなかった。
「明石は……おかしいよ……狂ってる……」
唇がひんやりする。
明石が離れた唇に、空気が触れて、寂しく感じてしまう。
僕は、明石の背中に腕を回した。
背中は冷たかった。
三森 葵と手を組んだことも。
"みんな"を呼び寄せて、僕に"明石"を植え付けたことも
母からすべてを奪ったことも。
父からすべてを奪ったことも。
三森 葵から叔父に吹き込ませて、この学園へ来させたのも、僕から友達を奪ったことも。
(すべてが僕一人を手に入れるため……)
どう思えば良いのだろう。
明石は両親を奪い、僕の人生を狂わせた。
到底許せることではない。
「そうだね……俺は狂っているかもしれない。でも、どこからおかしかった? どこからが狂気だった?……」
どこからが狂気で、どこからが夢だった?
明石の狂気と僕の夢は、いったいどこの時点で現実に取って変わったのか?
僕の肩をきゅっと抱いたまま、明石はくすっと声を立てて笑った。
「ね。誰か、汐の言うこと信じてくれる人いるかな……?」
「いないよ。誰も僕を信じない。芳明さんも、譲も、僕を病気だと思っている」
可哀想な汐。
明石が肩口でぽつりと呟いた。
くすくすと小さな笑い声が続く。
「可哀想な汐。君を信じて愛しているのは、やっと俺だけになったね」
明石はいつからそんなことを考えていたのだろう。
いつから狂気にさいなまれていたのだろう。
いつからこの陥穽を作り始めていたのだろう。
自らも這い上がることができないほどの、深淵を……。
「でも、僕は僕を信じてる。明石がしてきたことも、僕が明石をどう思っているかも。明石のことも、信じてる」
明石は僕の体から腕を解いて、「愛してるよ、汐」とつぶやくように言った。
そしてこめかみに軽い口づけをくれて。
日の落ちた暗い雑木林を、手を繋いで抜けた。
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