天使の羽跡
10
雪の案内により、僕らは小さなアパートの一室の前にいた。三階建ての、二階に位置する。
意外にも近く、学校から歩いて十五分ほどの場所だった。
閑静な住宅街に、人影はない。ちょうど昼時なのだろう。
「ここ?」
「うん…。」
「押すよ。」
ぐずぐずしていても仕方がない。僕はインターホンに人差し指を伸ばした。
「待って!」
震えた雪の声が、僕の指を止める。
「まだ心の準備が…。」
雪は両手を胸の前で握り、深呼吸をした。
「それと、彼に会う前に言っておかなきゃいけないことがあるの。」
「何?」
「私…」
そこまで言いかけて、雪は固まった。大きく開かれた目は、僕を通り越して、さらに後ろを見つめている。
「俺に何か用?」
そう言葉を発した人物は僕よりも背が高く、いくらか年上に見える。隣には、露出の多い服を着た派手な女性がいた。
これが“彼”と、その浮気相手だろうか。
僕の後ろにいるはずの雪に確かめようとした。しかし辺りを見回しても雪がいない。
「なんだ?おまえ。」
男は眉間に皺を寄せて、僕を見下ろした。
「いえ、なんでも。また後日伺います。」
軽く会釈をして、怪訝そうな視線を向けてくるその人達の横を通り、階段を下りた所で僕は走った。
顔には出さないが、正直焦っている。
雪は、どこに行った?浮気現場を目の当たりにした雪のショックは、半端なものではないはずだ。
今は雪を独りにしてはならないと、僕の直感が訴える。
十分以上走り続けた僕の足は、高校の校門前で止まった。部活動をやっている生徒とその顧問はいるが、休日に校舎は開いていない。
家に帰ったのか?それはない。友達の家?それなら少し安心できる。
だけどもし、独りでどこかで泣いていたら?僕が、雪を救いたい。
しかし雪を捜そうにも、心当たりが全くない。僕らは出逢ってから今日まで、学校でしか会っていないのだ。雪が普段遊びに行く場所や、好きなもの、何ひとつ知らない。
今、雪は何を考え、何をしているのだろう。僕は雪のことを知らな過ぎる。
こんなにも、他人のことを知りたいと思ったのは初めてだ。こんなにも、他人に心動かされることも。
僕はこの六日間を思い出していた。雪の笑顔、泣き顔、それから…。
−−嫌なこととかあったら、いつもここに…−−
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