小説 3
ガーディアン・9
教室に入ると、さっき会った元生徒会長の噂でもちきりだった。
三橋に話しかける者はいないし、だから会話に参加してる訳ではなかったけれど、聞くともなしに聞いているだけで、大体の内容は分かった。
「代表留学生、って何?」
同じく、周りの会話を聞いていただけだった阿部が、三橋の肩を抱いて訊いた。
「高等部で成績とか実績、とか、総合でイチバンの人、一人、毎年イギリス、行ける、んだ」
興味無かったから知らなかったが、どうやら今年は、さっきの先輩が僅差で選ばれたらしい。
「へー」
阿部は興味なさそうに相槌を打ち、けれど、ますます顔を寄せて来た。
三橋はドキンとして、ぎこちなく顔を逸らした。けれど、阿部の端正な顔が間近にあるのは、目の端からでも見えてしまう。
たまらず、ギュッと目を閉じた三橋に、阿部が低い声で訊いた。
「じゃああいつ、それでお前に別れでも言いに来てたんか?」
「ふえ?」
自分に、別れを? 誰が、何で?
「正直に言えよ? あいつとどんな関係だ?」
阿部が、耳元で詰問する。
けれど三橋には、質問の意味すら理解できなかった。
だって、あの顔には何だか見覚えがあったけど……元生徒会長だったことだって、教室に入ってから思い出したくらいだ。
「関係、ない、よっ」
三橋は目を見開いて、阿部の誤解を解こうとした。けれどそこから言葉が出ない。目尻の垂れた漆黒の瞳が、全てを見透かすように光る。
「嘘つくなよ」
「嘘じゃ、ない、よ」
阿部から視線をぎこちなく逸らすと、くいっと顔を捕らえられ、無理やり顔を覗かれた。
カッと赤面した三橋に、阿部は言った。
「じゃあ、何であいつ、お前のこと見てたんだよ? オレ達が校舎入るまで、ずっとだぞ。オレのこと、相当睨んで来てたけど。お前ホント心当たりねーのか?」
そんな心当たりは、ある訳ない。
それより三橋には、阿部の顔が異様に近い事の方が重要だった。
「ふーん」
納得したのか、していないのか。阿部はニヤリと唇を歪め、すっと体を離した。
ほっとして、がっかりした。
帰り道には何事もなさそうだった。
校門を出た後、ついキョロキョロと周りを見てしまう。でも、今日はあの女子高生はいないようだ。
今日はあの顔を見なくてすむ。いや、あのセリフを聞かなくてすむ。
阿部が護ってくれるとはいえ、耳まで塞いでくれる訳じゃない。もう、逆恨みで罵られるのはイヤだった。
けれど、阿部は全く気を抜かないようだった。
あの女子高生から三橋を護ればいいだけなんだろうに、いつも鋭い顔で、周りに気を張り巡らせている。
スピードを出したバイクが近付けば、油断なく三橋を後ろに庇う。路駐の車の横を通れば、さりげなく三橋との間に入る。
昨日のアパートの前では……特に注意していたようだ。階上にも、垣根の向こうにも、階段の入り口にも目を光らせている。
三橋は、黙って阿部の顔を盗み見た。
プロの顔だと思った。
プロ……そういえば、彼はプロのボディーガードなんだった。
ならば、護る必要がなくなった時……どうなるんだろう?
いつまでここにいるのか。いられるのか。訊きたいけど訊けなかった。いつまで側にいてくれるのか。
大丈夫、まだだ、と三橋は思った。
まだ、父親の元婚約者と、和解できてない。そんな話は聞いてない。
だから大丈夫、まだだ、って。
まだ……阿部は、自分のボディーガードを辞めないって。
けれど。
帰宅するや、三橋は祖父に呼ばれて、座敷へと顔を出した。
12畳が3間続きになっている座敷の、床の間のある一番奥の間で、祖父が誰かと待っていた。
今朝言っていた客人なのだ、とピンときた。
でも、会いたくないと即座に思った。
開け放した襖の向こう、祖父と向かい合って正座している二人組の……シルエットの小さい方。
あれは、あの女は。多分あの女子高生だ。
イヤだ。
廊下で立ち竦んでしまった三橋の背を、そっと阿部が押した。
「朝言っただろ」
阿部が、三橋の耳元で囁いた。
「オレが付いててやるから、しゃんとしろって、さ」
その低い囁きに、三橋の肩はひくりと震えた。
(続く)
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