小説 3
ガーディアン・10
深々と頭を下げてくる親子に、何を言えばいいだろう?
謝罪を繰り返しても意味が無い、と三橋の祖父に一喝され、彼らはとうに黙ったままだ。
祖父の怒鳴り声なんて、初めて聞いた。叱られはしても、こんな風に怒鳴られたことなんて一度もない。
それは、今まで孫達には見せたことのない顔だった。
けれど、融資は与える事になったらしい。
手切れ金のようなものなのか、金額は聞いていないけれど、これで以後、婚約のことはもう二度と蒸し返さないと決まったようだ。
大人同士の話し合い。……阿部の言った通りだった。
「廉からも何かあるなら、今言いなさい」
最後だから、と言われて、三橋は視線を目の前の親子に移した。
父親の元婚約者の……父と、妹。
二人は祖父に恫喝されてから、ずっと手をついて屈んだままで、目線すら上げていない。
今、何を考えているのかな、と思う。
本当に、お金が目当てだったのかな?
本当にお金の為だけに、彼女はあんな事したのかな?
……オレに、あんなこと言ったのかな?
三橋は、斜め後ろに控えている阿部を、ちらっと見た。
阿部は勿論すぐに気付き、温かい手を三橋の肩に置いてくれる。オレが付いてるから、と教えてくれる。
その温もりに勇気を貰って、三橋は一言尋ねた。
「あ、のさ。本気でオレのこと、生まれて来なきゃよかった、て、思ってる、の?」
女子高生がぴくんと肩を揺らした。
その横の父親は、逆にビシッと固まってる。
「オレ、なんか、認めてもらう価値、ない、かも知れない、けど。ホントに、生、まれて来なきゃよかった、の、かな?」
三橋は生唾をゴクンと呑んだ。喉が痛いくらいカラカラな気がするのに、生唾がどんどん溢れてくる。じんわりと目の前が滲む。
手が震える。
再び罵倒されるのが怖い。
けれど……肩に置かれた阿部の手が、あるから。
もう一度、三橋がゴクンと唾を呑んだ時……小さな声が聞こえた。
「ごめんなさい」
今度は、三橋がびくんとする番だった。
女子高生は、正座して、両手をついて頭を下げて……ずっとそのままの格好でいたけれど。小さく謝りながら、更にぐっと頭を下げた。
「傷つけてごめんなさい。言い過ぎました、ごめんなさい」
ぐうっと喉が鳴る音が聞こえた。嗚咽を噛み締めてる音だと、なんとなく分かった。泣いたって許されないと、彼女は悟っているのだろうか。だから不要な涙を見せないのだろうか。
「廉?」
祖父が、返事を促した。
許せないと責めるのも、悲しかったと訴えるのも、三橋の自由。
でも……。
「分、かった。もういい、です」
三橋は、女子高生を見て、祖父を見た。祖父は厳めしい顔で、でも優しい目で三橋を見て、小さく一つうなずいた。
「他に無いなら下がりなさい」
祖父の言葉に、ぺこっと頭を下げて立ち上がりかけた三橋だったが、そこでふと思いついて、言った。
「でも、植木鉢はやり過ぎ、でした、ねっ」
すると、女子高生が、ガバッと身を起こした。三橋はギョッとして、キョドキョドと視線を揺らしたが、次のセリフを聞いて、ひたと彼女の顔を見た。
「それは、私じゃありません! 誓って! そんな真似はしていません!」
嘘を言っている風ではなかった。
嘘をつく意味もない。
だったら。
Son of a Bitch、彼女のセリフの真似をして、植木鉢を落としたのは……誰だ?
自分の部屋で、畳の上に座り込んでぼんやりしていたら、阿部にぽん、と頭を撫でられた。
「塾の時間だぞ」
「う、ん……」
差し出された手を掴むと、ぐいっと引っ張り上げられる。
立ち上がった瞬間、ふわっと背中を軽く抱いて、阿部が耳元で言った。
「オレが護ってやっから。大丈夫だ」
三橋は、ふひっと笑った。
そのセリフを聞くのは、もう何回目だろう? あと何回聞けるのだろう?
訊きたいけど、訊けない。
三橋の部屋の隅に、積み置かれた段ボールは三つのままだ。阿部の私物はたったそれだけで、だから、長居するつもりではないのだろう。
今更のように気付かされる。
阿部はもうすぐ……いなくなる。
当たり前のことだが、塾に行く途中にだって、そのコンビニの前はいつも通る。
ただ、帰り道ほどは気にならなくて、いつも何となく通り過ぎてしまうのは……まだ周りが明るいから。そして、車道を挟んで向こう側を通るから。
「三橋、おい、あれ」
斜め後ろを走っていた阿部が、三橋に声を掛けた。
スピードを緩めて、阿部の指差す方を見ると、今朝の先輩が立っていた。
「またお前のこと、じっと見てんぞ」
阿部が、低い声で言った。
「この間の塾の日も、もしかしたらいたんかもな」
まさかそんな。
三橋は薄く笑って首を振った。
だって……見られる覚えがなかった。
(続く)
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