打ち上げ
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「今日、学祭の後打ち上げ」
「………帰り遅いの?」
「遅いっつーか…」
言葉を途切れさせ椿を見れば、箸を止め不思議そうに首をかしげていた。
「朝まで飲むつってたな」
「………そう」
短く答え、顔を僅かに伏せる。再び箸を動かし始めたが、ひどく緩慢だ。
その姿を捉えつつ、言葉を続ける。
「で、明日は片付けがある」
「じゃあ、帰ってくるのは明日の夕方?」
「そうなるな」
「そっか」
沈んだ声に、知らず笑みを浮かべた。
「寂しいのか?」
「………寂しいって言うか」
顔を上げ、視線が合う。暫し考える素振りを見せた後、ゆっくりと口を開いた。
「シキが帰ってこないのって、初めてだなって思って」
「そういや、そうだな」
「うん。何か変な感じ」
それが今朝の会話。
寂しいわけではないと言いつつも、顔は言葉を裏切っていた。どうしてか、気分が良い。あいつの感情の揺れ動きを見るのが。
その時々で空気が変わり、幾通りもの絵を見せる。
変化は些細なのだけれども、ふとした仕草や、視線の動き、瞳の色が酷く印象的なのだ。
描きたい。
そう思うとたまらなくて、指先で机を叩く。
「四季崎ー、飲んでるかー?」
「あ?ああ」
馴れ馴れしい声に、思考が途絶えた。横を見れば、名前の知らない奴がニヤニヤと気色の悪い笑みを浮かべている。
「なぁ…紹介して?」
「断る」
名前の知らない、しかしここ最近顔を合わせることが多かったそいつが、しつこく同じことを言ってきた。何度目かわからない断りを入れる。
つーか、しつけぇ。
「えー、何で?良いじゃん紹介してよ」
「嫌だってんだろ」
「ケチ!どケチ!せめて名前だけでも!ね?お願い!」
「名前はね、椿っていうんだよー」
「あ?」
「ん?」
突如割り込んできた間の抜けた声。反対側を向けば、いつの間に来たのか黒沼がテーブルの上に頬を乗せ見上げてきていた。
「クロちゃん知ってんの?」
「四季崎と一緒に暮らしてる高校生で、今セミリタイア生活なんだって。四季崎、前に親戚って言ってたけど…」
「おい。何で知ってる」
「おにーさんに聞いたんだよ」
短く舌打ちする。
来ると言っていたが、上手い具合に避けることができ会わずにすんだ。なのに何でこいつがあいつに接触してんだ。
「一緒に?四季崎、ユキ先輩というものがありながらっ」
「………」
「てか家にいんなら行けば会えるんだな。場所どこ?で、やっぱあの絵の感じ?」
いちいち返事をするのも面倒になり、無視を決め込むことにする。しかし、半分眠ったような黒沼が邪魔をした。
「そっくり。まんま」
「おい。お前会ってないだろ」
「会ってないけど見たよ。楽しそうだったね」
大人しくしていたかと思えば、結局これだ。
「で、家は…」
「おい」
個人情報を流されそうになり、頭を叩いて止める。
「痛い」
「ケチ!なぁ、良いじゃんか。下心あるわけじゃないし」
「じゃあ、何心?」
「職人魂?オレもその椿ちゃんにモデルしてほしいー」
「だって。紹介してあげたら?」
「………」
もうこれ以上言うことはないと態度で示す。黒沼が机の上に腕を伸ばし、のびをした。
「てか、あーいうのが好みなんだ?」
「ん?あー、うん。和美人っていうの?メチャタイプ。あれで髪ロングなら、ドンピシャストライク」
「へぇー」
「クロちゃんは?どんなのがタイプ?」
それた会話を聞き流し、酒をあおぐ。
―――そっくり。まんま
先程、黒沼はそう言ったが、本人は全然違うと言っていた。にも拘らず、凄いとも。
それをからかうように指摘すれば、似てる似てないと上手い下手は別だと返された。
―――似せるだけなら、誰にだってできるよ。上手い絵っていうのは、見た人の心を動かすような絵だと思うんだ
音楽と同じように。
楽譜をなぞるだけでは、人を感動させる演奏にはならないのだと。
―――……シキの絵を見て、心揺さぶられたよ
なら、描き直したかいがあったってもんだ。そう告げると、僅かに驚いた表情になった。
目を見開きこちらに振り向けば、髪がさらりと揺れた。
無意識の内に、手を握りしめる。
「四季崎、そろそろ移動するって」
「あー、やっぱ帰る」
「え?帰るの?」
「ああ」
酔い潰れていたユキ先輩を家まで送り、寝かしつかせてから帰途についた。終電ギリギリの時間。何とか間に合い、駅からの道を歩く。
秋の夜。夜風がカサカサと木の葉を揺らす。冷たくなり始めた風に、酔いは覚めていく。
今夜は帰らない。
そう伝えてあるのだから、飯の用意は当然ないのだろう。あいつは一人、一体何を食べたのか。
もう、寝ているのだろう。いつものようにリビングのソファの上で。朝、起きたらどんな反応をするだろうか。
チェーンが開いていれば良い。
そんなことをつらつらと思いながら、エレベーターを降りる。玄関に入り、眉をしかめた。人気を感じない、暗く静かで冷たい部屋。何より、靴がない。
リビングに早足で向かい、電気をつける。ソファの上には誰もいなかった。
焦燥を感じた。
他の部屋にもどこにも、探す姿はない。荷物は、ある。ならばまだ、出ていったわけではないのだとわかり、ソファに腰を下ろした。
長くゆっくり息を吐く。
どこへ、行った。
帰った時、家が無人だったことなど久しくなかった。むしろ、拾ってきてから初めての事だ。帰れば、いつも必ずいた。
たまに出掛けていることもあるようだが、いつも先に帰宅している。
誰もいない部屋。
以前ならばこれが当たり前で、落ち着く空間だったはずなのだ。なのに、なぜ戸惑いを感じるのか。
いないと思った時にはいたくせに。
どこへ、行ったのか。
少し、外出しただけなのか。こんな夜遅くに?ならば、帰ったのだろうか。本来の家に。
荷物は、まだある。
だから出ていったわけではない。その内に帰ってくる。それが、いつなのかわからないが。
どこか、ここではない場所に泊まりに行くのならば、連絡ぐらいしろ。連絡手段など、ないのだが。
こんなことなら、アドレスぐらい交換しておけば良かった。
どこにいるのか。
いつ帰ってくるのか。
誰と、共にいるのか。
心配しているわけではない。ただ気になって仕方がない。どこで誰と何をしていようが、関係などないはずなのに。
チッチッチッ………
誰もいない部屋に、時計の音だけが静かに響く。
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