打ち上げ ■■■■■ 「今日、学祭の後打ち上げ」 「………帰り遅いの?」 「遅いっつーか…」 言葉を途切れさせ椿を見れば、箸を止め不思議そうに首をかしげていた。 「朝まで飲むつってたな」 「………そう」 短く答え、顔を僅かに伏せる。再び箸を動かし始めたが、ひどく緩慢だ。 その姿を捉えつつ、言葉を続ける。 「で、明日は片付けがある」 「じゃあ、帰ってくるのは明日の夕方?」 「そうなるな」 「そっか」 沈んだ声に、知らず笑みを浮かべた。 「寂しいのか?」 「………寂しいって言うか」 顔を上げ、視線が合う。暫し考える素振りを見せた後、ゆっくりと口を開いた。 「シキが帰ってこないのって、初めてだなって思って」 「そういや、そうだな」 「うん。何か変な感じ」 それが今朝の会話。 寂しいわけではないと言いつつも、顔は言葉を裏切っていた。どうしてか、気分が良い。あいつの感情の揺れ動きを見るのが。 その時々で空気が変わり、幾通りもの絵を見せる。 変化は些細なのだけれども、ふとした仕草や、視線の動き、瞳の色が酷く印象的なのだ。 描きたい。 そう思うとたまらなくて、指先で机を叩く。 「四季崎ー、飲んでるかー?」 「あ?ああ」 馴れ馴れしい声に、思考が途絶えた。横を見れば、名前の知らない奴がニヤニヤと気色の悪い笑みを浮かべている。 「なぁ…紹介して?」 「断る」 名前の知らない、しかしここ最近顔を合わせることが多かったそいつが、しつこく同じことを言ってきた。何度目かわからない断りを入れる。 つーか、しつけぇ。 「えー、何で?良いじゃん紹介してよ」 「嫌だってんだろ」 「ケチ!どケチ!せめて名前だけでも!ね?お願い!」 「名前はね、椿っていうんだよー」 「あ?」 「ん?」 突如割り込んできた間の抜けた声。反対側を向けば、いつの間に来たのか黒沼がテーブルの上に頬を乗せ見上げてきていた。 「クロちゃん知ってんの?」 「四季崎と一緒に暮らしてる高校生で、今セミリタイア生活なんだって。四季崎、前に親戚って言ってたけど…」 「おい。何で知ってる」 「おにーさんに聞いたんだよ」 短く舌打ちする。 来ると言っていたが、上手い具合に避けることができ会わずにすんだ。なのに何でこいつがあいつに接触してんだ。 「一緒に?四季崎、ユキ先輩というものがありながらっ」 「………」 「てか家にいんなら行けば会えるんだな。場所どこ?で、やっぱあの絵の感じ?」 いちいち返事をするのも面倒になり、無視を決め込むことにする。しかし、半分眠ったような黒沼が邪魔をした。 「そっくり。まんま」 「おい。お前会ってないだろ」 「会ってないけど見たよ。楽しそうだったね」 大人しくしていたかと思えば、結局これだ。 「で、家は…」 「おい」 個人情報を流されそうになり、頭を叩いて止める。 「痛い」 「ケチ!なぁ、良いじゃんか。下心あるわけじゃないし」 「じゃあ、何心?」 「職人魂?オレもその椿ちゃんにモデルしてほしいー」 「だって。紹介してあげたら?」 「………」 もうこれ以上言うことはないと態度で示す。黒沼が机の上に腕を伸ばし、のびをした。 「てか、あーいうのが好みなんだ?」 「ん?あー、うん。和美人っていうの?メチャタイプ。あれで髪ロングなら、ドンピシャストライク」 「へぇー」 「クロちゃんは?どんなのがタイプ?」 それた会話を聞き流し、酒をあおぐ。 ―――そっくり。まんま 先程、黒沼はそう言ったが、本人は全然違うと言っていた。にも拘らず、凄いとも。 それをからかうように指摘すれば、似てる似てないと上手い下手は別だと返された。 ―――似せるだけなら、誰にだってできるよ。上手い絵っていうのは、見た人の心を動かすような絵だと思うんだ 音楽と同じように。 楽譜をなぞるだけでは、人を感動させる演奏にはならないのだと。 ―――……シキの絵を見て、心揺さぶられたよ なら、描き直したかいがあったってもんだ。そう告げると、僅かに驚いた表情になった。 目を見開きこちらに振り向けば、髪がさらりと揺れた。 無意識の内に、手を握りしめる。 「四季崎、そろそろ移動するって」 「あー、やっぱ帰る」 「え?帰るの?」 「ああ」 酔い潰れていたユキ先輩を家まで送り、寝かしつかせてから帰途についた。終電ギリギリの時間。何とか間に合い、駅からの道を歩く。 秋の夜。夜風がカサカサと木の葉を揺らす。冷たくなり始めた風に、酔いは覚めていく。 今夜は帰らない。 そう伝えてあるのだから、飯の用意は当然ないのだろう。あいつは一人、一体何を食べたのか。 もう、寝ているのだろう。いつものようにリビングのソファの上で。朝、起きたらどんな反応をするだろうか。 チェーンが開いていれば良い。 そんなことをつらつらと思いながら、エレベーターを降りる。玄関に入り、眉をしかめた。人気を感じない、暗く静かで冷たい部屋。何より、靴がない。 リビングに早足で向かい、電気をつける。ソファの上には誰もいなかった。 焦燥を感じた。 他の部屋にもどこにも、探す姿はない。荷物は、ある。ならばまだ、出ていったわけではないのだとわかり、ソファに腰を下ろした。 長くゆっくり息を吐く。 どこへ、行った。 帰った時、家が無人だったことなど久しくなかった。むしろ、拾ってきてから初めての事だ。帰れば、いつも必ずいた。 たまに出掛けていることもあるようだが、いつも先に帰宅している。 誰もいない部屋。 以前ならばこれが当たり前で、落ち着く空間だったはずなのだ。なのに、なぜ戸惑いを感じるのか。 いないと思った時にはいたくせに。 どこへ、行ったのか。 少し、外出しただけなのか。こんな夜遅くに?ならば、帰ったのだろうか。本来の家に。 荷物は、まだある。 だから出ていったわけではない。その内に帰ってくる。それが、いつなのかわからないが。 どこか、ここではない場所に泊まりに行くのならば、連絡ぐらいしろ。連絡手段など、ないのだが。 こんなことなら、アドレスぐらい交換しておけば良かった。 どこにいるのか。 いつ帰ってくるのか。 誰と、共にいるのか。 心配しているわけではない。ただ気になって仕方がない。どこで誰と何をしていようが、関係などないはずなのに。 チッチッチッ……… 誰もいない部屋に、時計の音だけが静かに響く。 <> [戻る] |