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闇の先には
闇の先には H


「瑠璃……」

重苦しい沈黙を破ったのは桃香のか細い声だった。

「…ネジ様を…悪く言ってはいけないわ…」

自分を抱き抱える瑠璃の着物の袖をぎゅっと握りしめ、見上げる目で訴えかける。

瑠璃は戸惑った。

なんて人……
酷いことをされたのは自分の方だと言うのに。

「……申し訳ございません。ですが桃香様…」

『余りにも酷い振舞い、許されることではございません』

そう言おうとした瑠璃の言葉は、しかし直ぐに桃香に遮られた。

「いいえ、私が悪いのです…きちんと…お話ししなかったから…」


微かに首を横に振り、直ぐにまた目を閉じてしまったその顔色は、いつにも増して白く儚げだ。

こんな状態で尚、ネジ様を庇うだなんて…

桃香のその気遣いが瑠璃は不憫でならなかった。
そして、あぁ…と後悔する。
もとはと言えば自分が悪かったのかもしれない。
先刻の客間でのネジとのやり取りが頭の中で思い起こされた。
腹が立って仕方なかったのだ。 いつも側で見ているから痛いほど解る、こんなにも想っている桃香を悲しませるネジの事が、本当に許せなかった。

任務だとは言え、あんな我儘な女にされるがままになって…

わざとらしく甘える翡翠と、それを許すネジの姿を、折しも噂に悩まされていた桃香がどんな思いで見ていたか、想像するだけで胸が締め付けられた。
その上ネジは知らぬとは言え、十中八九桃香の腹の中にはネジの子が宿っているだろうに。
だから、少し意地悪く言ってしまったのだ。
慌てればいい、何を秘密にしているのか知りたければ、少しは必死になって桃香の機嫌をとればいい。
そう思って…
だがそれは逆効果だったようだ。




今頃はきっとネジに慰められ、子が授かったであろう事に二人して喜び、明日は医者に行こうなどと相談している事だろうと思いつつ、我が儘な客の準備が出来たことを伝えに来てみれば…


やはり……
ネジ様に優しさを期待した私が馬鹿だったのかしら…

瑠璃は自分の浅知恵を呪った。

結局桃香様を苦しませることになってしまうなんて……




「……ネジ様…重ね重ねの御無礼、大変申し訳ありません。桃香様は私がお仕えする大切なお方です故、出過ぎた真似を致しました」

瑠璃はじっと押し黙ったままのネジに頭を下げた。

本当は……
この際逆鱗に触れようとも、桃香の為に自分がネジに対してとことん物申してやろう、そう思っていたのだが…
それがまた桃香を苦しめてしまうのなら、この怒りも飲み込むしかない。


「ネジ様、お叱りは後程如何様にもお受け致します。ですからどうぞ、宴の席へお向かい下さいませ…」

「宴など……そんな事どうでも良い」

ネジは微かに眉をピクリと動かし、抑揚の無い静かな声で言い捨てた。
一体何を考えているのか伺えない無感情な目は、ただ一点、幾らか痛みが楽になったのか、少し表情を緩めた桃香の横顔へと向けられている。
今はこうして黙っているが、この後また何かしら桃香に対して怒りを顕にするかもしれない。

瑠璃は予想だに出来ないネジの行動を警戒していた。


とりあえずこの場はネジ様を遠ざけなければ……

抱える桃香の呼吸も落ち着き、どうにかなりそうだと見て取った瑠璃は、この部屋に来た元々の用事を果たそうと口を開いた。

「桃香様の事は私にお任せください。お医者も手配いたします。ですからどうぞ、ネジ様はお客様のお相手を…」
「……客などどうでも良いと言っている」
「ですが、里から命ぜられた任務なのでございましょう?」
「煩い。黙れ」

瑠璃の勧めをぴしゃりと撥ね付けたネジの目に、段々と剣呑な光が浮かび上がる。
言い争いになりかねない雰囲気が漂い始め、瑠璃は思わず口をつぐんだ。


不穏な空気に気づき、桃香は目を開けて様子を伺った。
するとネジが、見るからに不愉快そうな表情で此方を見据えていた。

あぁ、駄目よ……

「瑠璃……止めて。」

瑠璃をたしなめ、桃香はゆっくりと身体を起こしてネジの視線を捉えた。

「ネジ様……どうかお怒りにならないで…私は大丈夫ですから……」
「……………………」

実際、腹や腰の痛みは少しず
つ和らいでいた。
一時はどうなることかと思ったが、何とか落ち着いてくれそうな気配だ。

「私も落ち着きましたら後程彼方へ向かいますので……」
「桃香様、ご無理は禁物です……」
「大丈夫よ、あなたは私の支度を手伝って。」

心配する瑠璃を制し、桃香は努めて明るい表情を作ろうと、口元に笑みを浮かべて見せた。

「ネジ様、本当に大丈夫で御座いますので……」

再びネジに目を戻しながら、口を開いたその時だった。



「……ネジ様!何をなさるのですか!?」

瑠璃が叫び声を上げるのと同時に、桃香の体はふわりと浮き上がっていた。

あっ?……


「ネジ様!どうか乱暴にしないで下さいませ!ネジ様!」

一瞬の出来事だった。
気が付くと桃香はネジの腕に抱き上げられていた。


「桃香を部屋で休ませる。」

言うが早いか、ネジの足は既に廊下へと向いていた。
流石忍だ、瑠璃はネジの余りにもの早い動きに呆気にとられてしまっていた。

「えっ?……」
「ぐずぐずするな、床の用事をしろ」

「部屋」とは離れのネジの居室の事。
桃香がこの屋敷に来て、野犬に襲われる所をネジが助けた日以来共に寝起きしている部屋だ。

「早くしろ、瑠璃。」

呆気にとられて立ち尽くす瑠璃をネジは急かした。

「あっ……はっ、はい!」

二度急かされ、瑠璃はやっとネジの意図していることに思い至り、慌ただしく廊下へと飛び出していった。



「……私は大丈夫ですのに…。ネジ様、お疲れでしょう、私など抱き上げては重くて…」

ゆっくりと歩くネジに身を預け、桃香は恥ずかしそうに呟いた。

「重くなど無い。それよりしっかり掴まっていろ」
「はい…………」

桃香は言われるまま、ネジの首にしっかりと腕を回してぴったりと寄り添った。
長い廊下を渡り母屋に差し掛かると、宴の準備が整った大広間の方から、賑やかな声が聞こえて来た。
それに気付いた桃香は、ネジを足止めしてしまっていることに後ろめたさを感じた。 自分のせいで客を待たせるなど申し訳無く、時間もかなり遅くなっていることもあり、客人達もさぞかし待ちくたびれているだろう。
翡翠は旅疲れしているようだったし、依頼を指名したネジが側にいない事に腹を立てているかもしれない。

翡翠を思い浮かべただけでまたもや不安な気持ちが頭をもたげてきそうになるが、今の桃香はネジの温もりに包まれているお陰か、そうはならずに済んでいた。

「桃香。」

そっと名を呼ばれ、桃香はネジの肩口に凭れかけていた頭を起こし、見上げた。

「はい……何でございましょうネジ様。」

桃香のまっすぐ見上げる視線の先で、ネジはふと切なげな表情を作る。

「どうかされましたか?」

その表情を目にし、心配そうに小首を傾げる桃香を、ネジは暫し見詰めていた。
そして一瞬目を伏せ、再び桃香の目を見詰めたかと思うと優しく口づけた。

「傷つけるつもりはなかった…すまなかった。」

ネジは後悔の滲む声で謝罪の言葉を口にし、桃香を抱く腕に力を込めた。

「ネジ様…」

「俺にはお前しかいない。だから何も心配するな」

きっぱりと告げるその言葉は、桃香の心に巣食う悩みも不安も、一瞬にして溶かしてしまうのだった。





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あきゅろす。
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