闇の先には
闇の先には G
苦しげな息遣いが部屋中に響いていた。
強烈な快感が過ぎ去った後の気だるさに目を閉じていた桃香は、やがて少しずつ平常心を取り戻すにつれ、嘆きたい気持ちで一杯になる。
聞かれた事に正直に答えぬからだと、羞恥心を抉る仕置きを施された。
羞恥に染まる身体をまさぐられ、逃げることも許されず、一方的に与えられる快楽に呑まれるその様を映し出す鏡を己が目で見続ける事を強要された。
それでも我を忘れ、最後まで激しい責め苦を拒むことができなかった事に罪悪感が込み上げる。
ネジの指に翻弄され達してしまった自分の身体が恥ずかしく、激しく戦慄いた秘口の奥に息づくであろう命を思い、涙が静かに頬を伝った。
あぁ…どうしよう…
ズン…と痺れたような、重苦しい痛みが下腹と腰に広っていた。
桃香は己を責めた。
強がりや嘘を嫌い直ぐ様それを見抜く目を持つ夫に、性懲りもなく嘘をついた。
出会った頃から同じことの繰り返し……
だが今回はどうやっても言える筈がなかったのだ。
醜い嫉妬の上に浮かび上がる疑問など、どうやったら口に出せると言うのか。
その上…
今はこの様な行為を控えなければならないのだと、告げることも出来ず…
いや、元より快楽の果てに忘却していたなどとは…
恥知らずな…
自分には母性すら満足に備わっていないのか…と、桃香はうちひしがれ、無言のネジに持たれかかる身体をのろのろと起こし、震える手ではだけられた着物の裾を直した。
それから下腹部を守るようにそっと両の手の平を当て、心の中で語りかける。
そこに…いるの?…御免なさい…
なんて酷い仕打ちを…
鈍く続く痛みが治まってくれることを祈り、桃香は小さく身体を丸めた。
桃香の仕草を背後から見つめていたネジの顔には、気難しい表情が浮かんでいた。
虐め過ぎたか…と、苦い気持ちが胸のうちに広がる。
自分が施した仕置きは、奥ゆかしき妻には少し刺激が強かっただろう。
桃香を前にすると時々理性を失ってしまう。
俺も懲りぬな…と、ネジは自嘲した。
何か思い悩んだり、どこか加減が悪くとも、桃香はなかなか口に出さない性分であると解ってはいるのだ。
だが、せめて自分にだけは何でも話して欲しい、もっと頼っても良いのだとネジは思っていた。
しかしそうしない桃香がもどかしく、それ故に時には苛立って厳しく当たってしまう。
出会った頃から同じことの繰り返しだった。
しかし…今回のような性的な行為を用いてまでの無体を働いたのは、ネジとて初めてであり、脱力した桃香を見下ろしながら自分の強行に呆れ、暫し言葉を失ってしまっていた。
それもこれも俺の心を疑ったりするからだ。
その上隠し事などとは…許さないといつも言っているはずだぞ桃香。
ネジは内心呟いて、目の前で身体を丸める桃香の小さな背中を見下ろした。
先刻、一人涙を流していた桃香にどうしたのだと問いながらも、実はその涙の理由の一端を、ネジは既に知っていたのだ。
━━━━━『ネジ様。僭越ながら申し上げますわ』
鬱陶しい程に纏わりつく翡翠を部屋へと連れて行き、直ぐに桃香の所へ向かうつもりがなんだかんだと駄々をこねられ、足止めされてしまった。
任務の一環とは言え辟易していた時、真剣な目をした瑠璃が固い口調でそう言って、ネジを部屋の隅へと手招いた。
側に居ろと煩い翡翠をやっとの事で同行していたお付きの女に押し付け、話を聞こうとそちらへ向かったネジは、出迎えの時の様子からして桃香の事で有ろうと大方予想はしていた。
だが、後に続いた話しはネジにとってあまりにも意外な内容だった。
留守中、翡翠とネジの仲について馬鹿馬鹿しい噂話が屋敷の中で蔓延していた。
それを耳にした桃香は思い悩み体調を崩す原因の1つとなっている。
その上翡翠が屋敷に来ると聞いてとても動揺している。
人一倍繊細な桃香の目の前で、翡翠と必要以上に馴れ馴れしくするなど、酷いではないか。
一体どう言う事か、まさか本当に翡翠と疚しい関係なのか、だとしたらあんまりだ。
そんな風にまるで自分に落ち度でもあるかのように言われ、ネジはどうにも不愉快だった。
馴れ馴れしくするなど、そんなつもりは毛頭無い。
任務の一貫なのだ。
翡翠がらみの任務は確かに時々ある。。
だが翡翠は大名家の人間でもあり、里としても高額な報酬を得られるとあれば、指名通り自分を任務につかせるのは当然だろう。
屋敷に連れてきたのだって火影からそうするようにとの指示であり、何ら邪推される筋合いはない。
強いて言えば、翡翠はちょっとした曰く付きの女と言うか…
乗り掛かった船…といったところで、少なくともネジからしてみれば男女間の特別な意味などない。
それを何だ馬鹿馬鹿しい。
忍の仕事に口出しも邪推も要らぬ…と、ネジは無言で瑠璃を見つめた。
桃香も桃香だ、俺が信じられぬならまた身体に教えてやろうか。
あれ程狂おしいぐらいに夜毎抱かれていて何故解らない。
俺の心が何故解らないのだ。
心の中に沸き上がる怒りのままにじっと見据えるネジの目に、しかし瑠璃は臆すること無く更に言葉を続けた。
それが更にネジを苛立たせ、同時に不穏な気分にさせたのだ。
『ネジ様は桃香様を裏切られるのですか。』
『…何を馬鹿な。いい加減に…』
その物言いは刺々しく、さすがに腹に据えかね憮然として口を開いたネジを、直ぐ様瑠璃は遮ぎった。
『もしもそうでしたら、桃香様が秘密をお作りになられても、ネジ様には責める資格は有りませんわね。』
『…秘密だと?』
聞き捨てならぬ単語に、瑠璃を睨み付けるネジの眉がピクリと動いた。
桃香が気持ちを偽ったり隠し事をしようとするのは何時ものことだが、瑠璃のその言葉の中に含みを感じとり、ザワザワと胸がざわめいた。
『このままでは桃香様が抱えているとても大切な事を…ネジ様はお知りになることが出来ませんわ。』
『一体何の事だ。きちんと説明しろ』
険しい表情で問うが、全く意に返さない瑠璃は冷たい口調で続けた。
『私の口からは申せません。
無神経なお振る舞いを謝ってから桃香様に直接お聞きくださいませ。』
『……………………』
『お客様のお相手は後になさって、今すぐ桃香様をお慰めください。こちらは私逹でお世話いたしますから』
…今頃桃香様は一人涙を流されておりますわ
意味ありげな言葉でキッパリと言い切られ、これ以上質問は受け付けぬと言わんばかりに踵を返して客人の元へ歩み去る後ろ姿にギリッと歯噛みしたネジは、不穏な気持ちを抱えながら廊下へ飛び出していたのだった。
一体何を隠していると言うのだ。
今一度冷静な頭を取り戻したネジは、やがて荒い息遣いの中にまた別の音が微かに混じっていることに気付いた。
嗚咽とも違う低く押し殺したそれは、苦痛を伴う呻き声だった。
「…桃香」
慌てて桃香の身体を引き戻すと、涙を流すその顔は蒼白で額には脂汗が滲んでいた。
「どうした、桃香」
「…う…っ…」
辛そうに目を瞑る細い身体を揺すぶると、桃香は苦痛に呻いて腹を押さえた。
どうしたのだ、腹が痛いのかとネジが問おうとしたその時、
とんとんとんとん…
遠くからかすかに渡り廊下を渡ってくる足音が聞こえ、開け放たれたままの襖の向こうに瑠璃の姿が現れた。
「まぁっ!!桃香様っ!?」
一瞬歩みを止めた瑠璃は、ネジに凭れて苦し気に腹を押さえる桃香の姿を見て、声をあげた。
「なんてこと!」
足音高く廊下を渡り、部屋へ駆け込んで来るなりネジから桃香を奪い取る。
桃香の乱れた着物を見れば、どの様な仕打ちを受けたのかなど一目瞭然だった。
「あぁ、桃香様…」
蒼白い桃香の横顔を瑠璃は憐れみの目で見つめ解れた髪を撫でてやりながら、きつい目でネジを振り仰いだ。
「あんまりですわネジ様!!無体な事をされたのですわね!」
「…………………………」
あまりの剣幕に呆気にとられているネジに向かって、瑠璃は叫んだ。
それから、目を瞑っている桃香の耳元に唇を近づけてそっと囁く。
「桃香様、出血などされていませんか。直ぐにお医者をお呼び致しますから…」
その言葉に桃香は小さく首を振った。
「……出血だと?…何故だ」
目の前のやり取りを見ていたネジが、瑠璃の囁きを聞いて問いかけた。
すると瑠璃はネジがこの屋敷の主であることも忘れたかの様な厳しい目で見返し、非難がましく声をあげた。
「本当に酷いお方!桃香様はお腹にネジ様のお子を宿されているかもしれないのに!!」
「…何っ?」
夢中で抗議する瑠璃が発したその言葉に、ネジは驚きを隠せなかった。
まるで時が止まってしまったかのようにしんとした静寂の中、桃香の微かな呻き声だけがネジの耳に届いていた。
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