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企画
もう一度呼んで(土方)

「俺と結婚? 冗談じゃねェ。悪ィが俺は結婚なんざする気はねェ」

「付き合って三年になるって言われてもな。こちとら記憶が所々あやふやで、お前のことは全く知らない女と変わりねえんだよ」

「だいたい、俺とお前が恋人同士だっつーのも、お前の勘違いだったんじゃねえのか」

どこまでも冷たい、拒絶の声だった。
無理はない。このこの人は今、頭を強く打って記憶を失ってしまっているのだ。

「でもトシさん……」
「やめろ。馴れ馴れしく呼ぶな」

そう言って背を向けられた。頭には、まだ真新しい包帯が巻かれている。
まだ怪我が治ってないときくらいお仕事休めばいいのに。
トシさんは記憶のところどころを失っていても、副長であることに変わりないんだなあ。

真選組副長のトシさんと、ただの町娘の私は、付き合っていることを誰にも言っていなかった。
お前にも危険が及ぶかもしれないからと、三年間の間、ずっとひっそり付き合いを重ねてきたのだ。
そんな中で、先日言われたプロポーズの言葉。
トシさんの敬愛する(と本人は言わないけれど、言葉の端々で尊敬して自分の命より大事に思ってることはわかる)近藤さんという方に、
いい人がいるならそろそろ身を固めたらどうだと、そう言われたからだということには少し引っかかったけど、
それでも私を結婚相手に選んでくれたことが嬉しくて、幸せで、夢みたいだと思っていたのに、
その幸せはトシさんが頭を負傷したことにより、本当に夢になりそうだ。

「悪ィが見廻りの途中だ」
「トシさん、待って」
「もう呼び止めんな。こちとらストーカーゴリラの面倒見るだけで手一杯だってーのに、テメーのストーカーまで相手してらんねえんだよ」
「ストーカーって、私は」
「俺はお前なんざ知らねえ」

せめて、他の誰かが私達のことを知ってれば。
一緒に写真、なんて撮ったこともない。私がトシさんの恋人だなんて、証明できるものが何もなかった。

「………思い出してもらえるまでがんばります」

はあ、と本当に鬱陶しそうにため息を吐かれ、鼻がつんとなる。涙をこぼさないよう、瞬きを早める。
トシさんはこちらを一度も振り向くことなく歩いていってしまった。


数日前、テレビでトシさんが怪我をして病院に担ぎ込まれたと知り、胸が張り裂けそうになった。
きっと真選組の皆さんもいる、自分が押しかけたらトシさんに迷惑をかけてしまうと、
怪我が早く治りますようにと必死に祈ることしかできなかった。
携帯も怪我をした時に壊れてしまったのか一向に繋がらず、連絡を取ることもできぬまま数日が過ぎ、
痺れを切らした私が、今日こそ病院か屯所へ行ってみようと道を歩いていたら、トシさんがいたのだ。
嬉しくて、立ち話くらいなら恋人には見られないだろうと、
こわごわトシさんに話しかけたら、見たこともないような冷たい瞳で睨まれて心臓が凍った。
そしてトシさんが、記憶を、私との思い出全て忘れてしまったことを知ったのだ。


それからも、私はトシさんを見つけては話しかけに行った。思い出してもらえないのであれば、新しく関係を築こうとも。
しかしその度にうんざりされた顔をされた。
私だけがトシさんにしがみついてるみたい。そのことが浮き彫りになる度、誰より愛しかったトシさんが遠い人のように感じた。
またお前かという顔を見ると、トシさんは私に会えても嬉しくないのだなと、涙が出そうになる。
私のことを好きだったのなら、もう一度私を好きになってもらえるはず。そう思ったのに。

「もう俺のことはいい加減諦めろ」
「諦めきれません、私がどれだけトシさんのことを、」
「そう呼ぶなと言った筈だ。だいたい、お前が俺に惚れてても、俺は違ったのかもしれねえ」
「でも、プロポーズしてくれてっ……」
「だからそれがあり得ねえんだよ」

そう言い切るトシさんの瞳は本気だった。
だから気づいてしまったんだ。トシさんは、近藤さんに言われなかったら、私にプロポーズをするつもりはなかったんだと。
ううん、きっと最初から、付き合っていたとはいっても、私に心は傾いていなかったのだ。
記憶なんて、戻るはずがない。私のことなんて、思い出す価値もないんだ、この人の中では。

「もし、近藤さんがトシさ……いえ、土方さんのことを忘れてしまったらどうしますか?」
「無理に思い出させようとは思わねェ。俺のことを知ってようが忘れちまってようが、俺は近藤さんについていくだけだ」

拒絶されても? と聞くと近藤さんはそんなことしねえと返ってくる。
すごい自信。私は、トシさんにここまで拒絶されているのにね。

「……土方さんは本当に強いですよね。私は、そんなに強くない」
「…………」
「だから、私もあなたのことを忘れますね。今までご迷惑をおかけしてすみませんでした」

少しだけ、引き止めてもらえるかもと期待した。
けれどトシさんは「ああ」と短く、目もあわせず言っただけだった。


トシさんと別れた私は、とぼとぼと歩いているうちに、いつの間にか見知らぬ路地まで迷い込んでしまっていた。
ここは物騒だと噂の地域で、しまったと急いで戻ろうとする。
前からすごくこわそうな男性が二人、歩いてくるのが見えて、本能的に物陰に身体を隠した。

「……で? その後どうなってる」
「始末しておいた。なあに、誰にもみつからねえようドラム缶に詰めて海にポイよ」

その口調が、とても冗談で言ってるように思えず、ひ、と悲鳴を上げそうになってなんとか堪えた。
だけど、身体の震えが足にも伝わり、小石を踏む音が静かな路地に響き渡ってしまう。

「誰だ!」

男が刀を手にこちらへ向かってくるのを見て、私は駆け出した。今ならまだ、トシさんが近くにいる。
ああでも別れたばかりで助けを求めるなんて、さぞ嫌がられるだろう、でも本当に私は、私は、

「トシさんっ……!!」

助けて下さい、どうか、私の心を。もう一度だけ、笑って下さい。私の名を、呼んでください。
トシさんの遠い背中に向かって手を伸ばす。
私の声に気づいたトシさんが振り向いてくれた。
でも、その表情はとても険しくて、心底うんざりされているのだなと、
私なんかに名前を呼ばれるのが、本当に、迷惑だったんだろうなと、
私は絶望に足を取られ、それ以上動かすことができなくなってしまった。
驚いたように目を見開いたトシさんの右手が、腰にさげた刀の鞘を握る。ざっと、地面を素早く蹴る音。
その音は、男達のものなのか、トシさんのものなのか、わからない。

背中から肩に、焼ける様に熱い痛みが走る。

追いつかれて、背中から貫かれたのだと瞬時に理解した。
でもこれで、この心の痛みからも解放される。
目に涙が溜まっていたから、トシさんを見ても、やけにボヤけていて、
最後に私に向けた別れ際のトシさんの表情の、険しい顔が頭にこびりついてしまったままで、
私はこんな悲しい気持ちの中で死ぬのかと、

それだけが、心残りだった。


▽ ▽ ▽


「おい、名前! 名前!」

救急車の中で俺は、しばらく呼んでなかった恋人の名を呼び続ける。
手を握るが、その指先はぞっとするほど冷たい。
いつもスッピンでもほんのり赤らんでいた頬も唇も、流れた血の量が多すぎて、嘘のように青かった。

名前が、涙で顔をぬらしながら俺に悲しい顔で手を伸ばす姿を見た瞬間、
俺の記憶は、名前との時間は、完全な状態で頭に戻ってきた。
それを名前は知らないまま逝くのか。いや、逝かせねえ。俺は必死に名前を呼び続ける。

「すぐに緊急手術に入ります、待合室でお待ち下さい」

病院に到着し、名前はそのまま手術室へ運ばれていった。
俺の手には、名前を襲った男達を斬った血と名前の血が、手のひら中にぺたりとついて乾いている。
それをぼうっと見つめ、そして便所へ行き手洗い場で手を洗った。
水にまざり流れ落ちていく血を見ながら、俺は自分が名前に言ってきたことを思い返す。

怪我をしてからこちら、名前は頻繁に俺の怪我を心配して様子をみにきてくれた。
見廻りコースで、おずおずと話しかけてくる名前に、胸を掴まれた気持ちになった。
そりゃそうだ。元々惚れてた女だ。けれど記憶の無い俺は、それを警戒しちまうようになった。
こいつは、自分の知らない三年間を知っていて、自分と結婚するとまで言っている。
記憶のない俺に期待されても困ると、わざと冷たく突き放した。
名前を意識してしまっていたからこそ、以前の自分を見て、以前の自分に戻ってほしいと思ってるであろう名前に、
ただでさえ記憶が無くて仕事上で少々もたつきイラついていたこともあり、これ以上心を乱されたくなくて、
あろうことか八つ当たりしてしまったのだ。情けないにも程がある。

「……くそ、」

もっと素直になっていればよかった。
照れくさいが、俺がお前に惚れてた理由がわかると、そう言って、名前を受け入れていればよかった。
思い出せなくて悪いが、一緒にいてほしいと言えばよかった。こんな気持ちになるのなら。

近藤に連絡を入れ、今日は一日休ませてもらうことにした。
時計の針が正確に時を進めていく。何時間たっても手術は終わらなかった。


▽ ▽ ▽


夢の中で、ずっと私はトシさんの声を聞いていた気がする。
バカだなあ私は。死んでまで、私のことなど何とも想ってないトシさんのこと……

「………っ、あかる、い」

眠って眠って、もう眠らなくていいとでもいうように、身体が勝手に瞼を震わせ私を覚醒させた。
独特のにおい、年月が刻み込まれた薄汚れた天井、きっと、ここは病院だ。

「名前…………名前!?」

左手だけやけにあたたかいと思った。
トシさんが、私の手を握っていてくれている。どうして、あなたが。

「……土方さん……わたし……またあなたにご迷惑を……」
「やめろ、トシでいい。記憶は戻った」
「え………」
「ああ、すっかり戻ったんだよ。名前との三年間も、プロポーズしたことも」

ああ、そうだったんだ。
少し前の私だったら、大喜びで泣いてしまっていたかもしれない。
でも、目の前で私に笑いかけてくれるトシさんと私の間に、
まるで見えないフィルターがかかってしまったみたいに、どこか別の世界のことのように思える。

「名前の身体が回復したらでいい。式のこと、いろいろ考えとけ。待たせちまってすまなかった」
「……私、土方さんとは結婚できません」

トシさんの瞳孔が開く。
私のことなんて想っていないんだから、そんなショックを受けたふりなんてしなくていいのに。

「俺がお前に冷たくしちまったからか?」
「いえ、土方さんが私に冷たくしたのは当然ですよ。だって、最初から私に気持ちなんてなかったんですから。
 そんな私に付きまとわれても、心が動くどころか迷惑なだけでしたでしょうし」
「おい、何言ってやがる」
「三年間、付き合ってきたのも、周囲に秘密にできてたから。会えるときに会える都合のいい女だったから。
 結婚も、近藤さんに勧められたから、たまたまその時に付き合ってるのが私だったから。きっと誰でもよかったんでしょう」
「んなわけあるか! 確かに近藤さんの言葉がきっかけになったが、俺ァそれだけで結婚を考えたりしねェ」
「でも私たち、そもそもあのとき別れたじゃないですか。それなのに結婚だなんておかしいですよ」
「あれは記憶が無かったからだろーが!」
「帰って下さい」

背中と肩から全身に、ズキズキと太い杭を絶えず打たれているように、痛みが増してきていた。

「……また来る」
「土方さん」

立ち上がったトシさんは、呼び止められたことに驚いたように瞳を開き、そして「何だ」と微笑む。

「助けてくれてありがとうございました」

たりめーだ、と言った後、何か言葉を続けたそうに唇を噛んだトシさんは、
「ゆっくり寝ろ」と私の髪を撫ぜ、病室を出て行った。


▽ ▽ ▽


名前の病室には、毎日立ち寄った。
時間の許す限り名前の傍にいて世話を焼く俺に、名前は最初戸惑う顔ばかり見せていた。

「自分でできるって」
「いい。やらせろ……っと、!」

俺が名前の手から奪ったスプーンに乗っていたゼリーが、ぷるんと透明な断面を光らせつつ落下していく。
俺はそれを手のひらでとっさに受け止めた。

「すごい反射神経」
「誰だってできるだろ」
「私はできないよ」

おかしそうに笑う名前の表情は、身体の回復と共に俺の前でもだいぶ穏やかになってきた。
最初は無表情だった。傷ついた心を能面で隠し、俺を必死に拒んでいた。
けど俺は、名前にしちまったぶん、いやそれ以上に、名前に心を配った。
悪かったと、お前が好きだと、何度も伝えた。名前が死にそうになって、恐ろしくなったこと、
今まで照れくさくて伝えたことが無かった、俺の名前への気持ちを全て。

「名前にできねえことは俺がやる」
「私はできないことだらけだから、土方さんが大変になるよ」
「お前にしかできねえこともあんだろ。……俺の名前を呼んでくれ」
「いいじゃない、私が呼ばなくても」
「お前の声がいい。笑顔がいいんだ」
「呼ぶなって言われたもん」

笑みがこぼれた。
唇を尖らせた名前は、こんな態度を取りつつ俺に甘えてるとわかったからだ。

「拗ねるな。あん時ゃ俺も混乱してたんだ。知らねェ女に名前呼ばれて、なんで俺ァこんなに喜んでんだってな」

名前の頬へ手を伸ばす。
化粧気のないきめ細かな肌は血色が良く、頬も唇も綺麗な色をしていた。

「トシさん………」

小さな声だが、はっきり聞こえた。やっと呼んでくれたと安堵のあまり、吐息がもれる。
「トシさん」再び俺の名を、俺の好きな微笑を添えて呼んでくれた。そんな名前の額に、こつんと自分の額を当てる。

「名前、俺と結婚してくれ」
「……っ………はいっ!」

涙をはらりとシーツの上に落とした名前を抱きしめる。

名前を散々泣かせ、傷つけてしまったが、長い目で見たら俺はあのとき記憶を失ってよかったのかもしれない。
知らなかった。名前が俺の気持ちにあんなに不安を持っていたことも、
プロポーズしたのも、近藤さんが言ったからだと思っていたことも。
その誤解を入院中、時間をかけて丁寧に解き、本心を伝えれば、名前の傷つき凍りついた心が、みるみる柔らかくなっていった。
改めて、愛しいと思った。

そのことを名前に言えば、名前は「トシさんは私が怪我して良かったってこと…?」と
悲しげな顔で寂しげにシーツに視線を落とす。
慌てて「いや、そうじゃねえ!」と弁解すると、俯いた顔を上げ、
「引っかかったー!」と、今まで見た中で一番明るい笑顔で名前が笑った。




□何らかの原因で土方さんが結婚を考えている女性のことだけを忘れてしまい、ヒロインは思い出してくれるように頑張りますが、
 冷たい土方さんの態度に傷つき少しの間離れてしまいます…その間にヒロインは攘夷浪士の襲われてしまい、
 命の危機に陥ったヒロインを目の前に、土方さんはやっと記憶を取り戻し、後悔し自分を責めながらも目覚めないヒロインをずっと看病し続けます。
 奇跡的に目覚めたヒロインに、記憶を取り戻した事を告げ、結婚の話しを持ち掛けますが、
 記憶喪失の間の冷たい態度に傷ついてしまった心が癒えず、土方さんに対し心を閉ざし、距離を置いてしまいます。
 それでも諦めきれない土方さんが、ヒロインの心を取り戻し、再び、振り向かせようと必死になって努力し、
 最後は最高のプロポーズをして二人は結ばれる。切ないけどハッピーエンドなお話

しずく様からいただきました、こちらのリクエストで書かせていただきました〜。
素敵なリクエストどうもありがとうございました!

2015/11/13
いがぐり

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