僕は何度でも、貴方と幸福な恋をする
僕は何度でも、貴方と幸福な恋をする5


 トクン、トクン。
 高鳴る皇慈の鼓動が近くで聞こえる。
 9pも違う身長差。それが皇慈の心臓と燕の耳との距離を近くしていた。

「大好きだと、僕……負けてしまいますよ」

 燕も腕を回し、皇慈の腰を抱き締め返す。
 一般的な成人男性と比べても明らかに細い。けれど皇慈の体温は温かく、心地良い。
 それは眠りに落ちる直前の感覚と似た、心がホワホワと揺蕩う心地良さだ。

「ずるいよ、皇慈さん……。貴方は最初の時も『愛してる』だった」

 燕は愛しい体温を感じながら、少し拗ねる。一度も口にした事がない台詞も、皇慈は簡単に紡いでしまう。

「ふふ。後出しジャンケンの勝利だな。けれど、それが私の本音だ」

 偽りのない皇慈の言葉が気恥ずかしく、燕の心臓はドキンと跳ねた。
 年齢差以上に、皇慈の精神構造は燕と異なっている。口説き慣れた感じはしないのに、敵わないのだ。

「唇へのキスも?」

 燕は皇慈を真直ぐ見詰めたまま、爪先立つ。行動での反撃開始だ。健康的な頬も高揚し、瞳の奥に炎が燈る。
 気温は涼しく過ごし易い時期だが、二人を包む空気は熱を持ち始めた。

「ん……、燕……」
「皇慈……さん」


 触れ合ったのは一瞬で、二人の唇は直ぐに離れる。初々しいが手馴れているとは呼べないプレッシャーキスだ。
 けれど皇慈の吐息は砂糖菓子を含んだように甘く、燕の頬に微風を届ける。

「ソファーに、座りませんか?」
「……う、ん」

 燕は腰に回していた両腕を解き、皇慈の頬に右手を伸ばす。そのままスルリと撫で下ろせば、皇慈の朱色が育つ。
 滑らかな感触はずっと撫でていたい程だけれど、燕は先を促した。

「真剣な話があります」

 アンティークフレームのカウチソファーは上品なローズ柄。其処に腰を下ろした皇慈の両手をギュッと握り締め、燕は覚悟を決める。

「僕、貴方の傍にずっと居たい」

 旅の再開よりも、燕は皇慈との恋を選ぶ。それも遠距離恋愛ではなく、彼が愛するこの町に羽を休めてだ。

「え?」

 呼吸するのも忘れて、皇慈が目を見開く。彼にとっては突然の申し出だ。驚く気持ちも分かる。

「勿論、生活費は自分で稼ぎますし。迷惑なら、出て行きます」

 けれど燕は、皇慈との時間を終わらせる気がない。プロポーズを申し込んだ覚悟で、返答を待つ。

「そんな事はない。……けれど、私のような人間で……燕は本当に良いのか?」

 停止していた瞳がキョロキョロと落ち着きなく動き出す。皇慈の声は段々と窄み、震える喉が緊張を教えた。

「皇慈さん以外には考えられません。だって僕は、誰彼構わず口説くプレイボーイでは、ありませんからね」

 普段は年上の余裕さえ感じる表情が言葉一つで色を変える。それが妙に嬉しくて、燕の頬はホワホワと緩む。

「知ってる。一途な男だと、友人内でも評判なんだろう」

 ふっと、皇慈が安心したように緊張を解く。
 教会を訪れた時の会話が思い出され、燕と皇慈は同時に目尻を和らげた。

「はい。何せ一度の恋で、人生の目標を変えてしまう程ですよ?」

 純金に輝くブロンドに惹き込まれ、燕はそっと唇を寄せる。普段の身長差では不可能な体勢も、座っている今なら可能だ。
 サラサラと秋風に遊ばれた髪は外の香りを残している。丘の中腹で花を咲かせる、金木犀の香りが一番強い。

「それは凄いな……ふふっ」

 擽ったいと、皇慈の右手が燕の首筋に伸びる。しかし引き離される事は無く、指先でなぞられた。
 暫く二人で擽り合って、それからまた唇を重ねる。それが二人暮らしの幕開けだった。




 幸せに暮らした秋も終わり、季節は厳しい冬へと突入する。
 金木犀もイチョウも葉を落とし、裸の枝が空風に吹き荒ぶ。重い曇天が陽光を遮る世界。

「いらっしゃいませー」

 そんな中でも燕は明るい笑顔を振りまき、仕事に精を出す。
 バイト先は初日にサンドイッチを購入した露店。働き始めて知ったのだが、この露店の本店は町のパン屋だった。
 本店の仕切りは奥さんに任せて、自分は観光客相手に商売していた店主。今秋めでたく第一子を授かり、奥さんは子育て中。

『露店は暫く休業せんとな』

 店主がそんな呟きを零した時、丁度燕と再会したのだ。
 世間話の中でお互いの事情を知り、今では雇い主と従業員の関係だ。奥さんや赤ちゃんとも顔見知りで、良好な人間関係を築いている。

「寒いわねー。もうすぐ雪も降り出してしまうかしら」

 天候の崩れを気にする老婦人は表情を沈ませ、折角の旅行が楽しそうではない。

「でも、雪景色の中で眺める教会は神秘的で綺麗でしょうね」

 持ち前のトーク術を駆使し、燕は気分を盛り上げる。
 観光客の目的は殆どが教会の聖堂見学で、それを口にすると表情が明るく変化した。

「まぁ、そうね。実はワタクシ、噂の神父さんを見に来たのだけれど、雪景色に映える美貌はさぞや美しいでしょうね」
「ええ。それはもう、“本物の天使”のようでしょうね」

 あはははは、と。燕と客の老婦人は同時に吹き出す。
 切っ掛けは些細な事で、教会を訪れた旅行者の一人が天志の画像を自身のブログにアップし、それが話題になったのだ。
 題して『教会に居た、本物の天使!』。名前をネタにした旅の思い出記事はあっという間にネットの海を駆け抜け、マスメディアまでそれを取り上げた。
 おかげで旅行者は倍増し、燕の仕事も繁盛している。

「ご機嫌ですね、燕くん」
「うわぁ!」

 笑顔で客を送り出す燕。その背中に影がユラリと迫る。噂の天使――もとい、天志その人だ。

「皇慈くんも、明日は我が身かも知れないでしょうに」

 慌てて振り向けば、注意の矢羽根が飛んで来る。天志の声は疲労を含んでいた。

「洋館に暮らす、本物の王子サマ。的な感じでしょうか?」
「分かっているのに、呑気ですね。燕くんは」

 天志が呆れた溜息を零す。
 皇慈の美貌は天志と並んでも見劣りしない。むしろ美青年がもう一人登場すれば、世間の熱気は更に盛り上がるだろう。

「いやー。皇慈さんは人助けのチャンスに喜びそうかな、と。思いまして」

 燕はポリポリと頬を掻く。脳裏に浮かぶ愛しい恋人は、『人の笑顔が何よりも好きな人』だ。

「無断で写真をバシャッバシャッ撮られる事が、人助けなものですか!」

 天志が拳をギュっと握り締め、黒くドロドロとした霧を纏う。
 観光客が増える事は町の活性化に繋がるが、天志本人は意図せず祭り上げられている状態だ。
 プライベートな時間まで追い掛け回されて、気の休まる時がないという。

「相当、お疲れですね」

 想像するだけでも大変な日常風景。
 しかも天志は人の悩みを聞く神父で、孤児院では子供達の面倒も見ているのだ。

「お分かりいただけましたか。皇慈くんには無理そうでしょう? 確実に倒れますよ、あの子」
「それは正直困りますが……」

 最近、皇慈の体調は芳しくない。
 本人は季節特有のものだと言っているが、主治医である主は首を横に振っている。
 皇慈に残された時間は少ない。本人は燕に隠しているけれど、恋人の勘は鋭いものだ。彼の望みは一つでも多く叶えてあげたい。

「皇慈さんの役に立つ事が、今の僕の願いですから。彼が望めば強力しますよ」

 それは勿論、皇慈の体調が最優先だけれど。

「全く、仕様がないカップルですね。君達は」

 天志が呆れたように額を押さえる。すると長い指に前髪がサラリとかかり、身も凍る北風がそれを揺らした。

「はい……。自分でもそう思います」

 自然と、目尻が柔らかくなる。燕は皇慈に出逢って、笑顔でいる事が多くなった。
 それは表面的な作り笑顔ではなく、心の奥底から愛しさが溢れてくる――少しだけ、切ない微笑(ほほえみ)だ。

(嗚呼。本当に情けない役立たずは、きっと僕の方――)

 どうにも出来ない憤りが、心の奥底でチリチリと燻る。

『貴方の傍にずっと居たい』

 直接的で短絡的な、それでも純粋だった想い。けれど現実は厳しく、燕は日々己の無力を感じていた。
 一秒事に鈍る心臓。力が上手く入らず、よく躓く足。更に細く、ポキリと簡単に折れてしまいそうな腕。
 それでも変わらない微笑は消えそうに儚く、美しい。
 自分の限界を察しても、皇慈は誰にも弱音を吐かない。常に優先しているのは、大切な周りの存在だ。
 弱る肉体を隠し、気丈に振る舞う愛しい恋人。けれど燕は皇慈の“味方”でいる事しか出来ない。それが何よりも口惜しかった。

(禁忌の愛を詠った罪はすべて僕が引き受ける――だからこれ以上、彼から何も奪わないで……下さい!)

 姿を見せない神に、魂の願いを強く届ける。
 それで皇慈の許に幸せが訪れるなら、燕は自分の身を“代償”にしても構わない。

「聖職者の前で、露骨に顔を曇らせるものではありませんよ」

 清く澄んだ音色が沈む世界に浸透する。
 無意識に考え込んでいた燕の頬に温かな体温が舞い降りる。それが天志の掌だと、燕はすぐに気付けなかった。

「君の悩みを癒してしまいたくなる」



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