僕は何度でも、貴方と幸福な恋をする
僕は何度でも、貴方と幸福な恋をする4
「燕は心配性だね。けれど今は大丈夫、光の加減で顔色が悪く見えるだけだろう」
支えようと伸ばした両手。しかし燕が身体に触れるよりも早く、皇慈の苦笑いがそれを止めた。
「でも……」
「皇慈くんが自分の身体をお座なりにするからでしょう」
燕の言葉を遮り、天志の注意が飛んで来る。
天志は溜息を一つ付くと、皇慈との距離を詰めた。笑顔は消え去り、二人の視線が交差する。
「全く、こんな“小さな子”にまで心配させて。其処に座りなさい!」
お説教モードの天志が長椅子を指さす。
有無を言わせない迫力が教師の角を思い出させ、燕は皇慈の背中を押した。
「天志さんは手厳しい所が神成先生似だな」
「ですね。ってか、僕まだ子供扱い」
大人しく従う皇慈の横に、燕も腰を下ろす。
付き合いの長い皇慈は慣れた様子だが、燕の居心地は悪い。
「ああ。それは」
「私語を慎みなさい」
皇慈の言葉もピシャリと遮る天志。
優しそうな第一印象が物の数分で一変、ガラガラと音を立てて崩れて行く。
「すっかり、絞られてしまったな」
「ええ。怖い先生に怒られた時の感覚を思い出しました」
そして神父様の“ありがたいお説教”から解放されたのは、10分後だった。
「てんし先生、優しいよー」
「そうだよ。お兄ちゃん、イタズラでもしたの?」
ゲッソリと雲を背負う燕。その顔を二人の子供が覗き込む。
聖堂を後にした燕達は、中庭での茶会に誘われた。主催者も参加者も孤児院の子供達。下は赤ちゃん、上は高校生だ。
見目だけでなく人柄もいい天志。彼は子供達の教育係も引き受けていて、『先生』と呼ばれていた。
誰からも慕われる精神は正に天使なのだが、燕の心は若干怯えている。
「だぁ、だぁ。きゃっきゃっきゃっ」
一方天志は赤ちゃんを胸に抱き、あやしていた。頭の角は完全に引っ込み、天使の微笑みが咲いている。
赤ちゃんも笑顔で楽しそうだ。
「天志さんは普段から子供に囲まれている。だから、燕の事も同じ位に接してしまったのだろう」
皇慈が燕に唇を寄せ、そっと耳打つ。それは途中で遮られた言葉だ。
「僕、赤ちゃんレベルって事ですか?」
更にズーンと沈む燕。流石にそこまでの童顔ではないと、信じたい。
「それは流石に幼な過ぎだな。彼くらいだろう」
そう言って、皇慈の一指し指が一点を指し示す。
木漏れ日の下、イチョウの木に背中を預ける少年が其処に居た。
真面目そうな外見に、少しの幼さが残っている。子供達の中では『お兄ちゃん』的立場の存在。高校一年生だと紹介された少年だった。
「……せめて、三年生がよかった」
空しい呟きが高く遠い空に溶ける。涼しい秋風が藍黒色の髪を乱しても、燕は構わない。むしろショックな心情のまま黄昏に浸った。
「ハァ。落ち込む燕を抱き締めたい」
何が心の琴線に触れたのか、皇慈が悩ましい吐息を零す。
「子供達の前では止めなさい」
それも透かさず天志の目に留まり、注意の矢が飛んで来る。
(てっきり天志さんは、皇慈さんの事が好きなのかと思ったけど……違うのか)
そっと安心を覚える燕。実は恋敵(ライバル)の存在を危惧していたのだ。
しかし天志の様子からそれは感じられず、聖堂での一件は完全に友人としての心配だったと分かる。
「それでは二人の時にしよう」
事前予約とでも言うように、皇慈の小指が燕のそれに伸びる。ゆびきりだ。
ソワソワとむず痒い感覚が背筋を駆け抜け、燕はワンテンポ遅れて小指を握り返す。
「僕は嬉しいですが、これも充分妖しく見えませんか?」
「ん? ゆびきりくらい、友人同士でもするだろう」
確かに周りは騒いでいない。子供達は菓子を頬張ったり、お喋りに夢中だ。
唯一天志だけが、額を押さえているけれど。
「紅葉(こうよう)が見事ですね」
教会の中庭をポテポテ歩く。
水の絶えない噴水が中央に位置し、立派な街路樹も植えられている。山吹色のイチョウや朱色の楓。秋を彩る自然の色が鮮やかで、大学のキャンパスを思い出す。
同年代の男女が賑やかに行き交う光景。仲の良い友人も恋した女性(ひと)もいた。数週間前の記憶が懐かしい。
「私はこの町が好きだけれど、自由に行ける場所は此処くらいだ」
皇慈が足下のイチョウを拾い上げ、葉をクルクルと回す。
淋しそうに顰められる眉がそれでも美しく、胸の奥が締め付けられる。遠い地で出逢った恋はそれだけで終わりが早い。
「観光案内も満足に出来ない。情けないな」
「え? それじゃあ、今日の目的は」
「自分の用事もついでに済ませてしまったが――燕に少しでも、楽しい旅の思い出をあげたかった」
イチョウの葉柄が、燕の耳裏にスルリと挟まれる。イチョウの髪飾りをさり気なく成功させた皇慈の頬は、鮮やかな楓色だ。
「えっと、これもですか?」
「ふふ。たった今思い付いた、細やかなプレゼント。予想通り可愛いぞ、燕」
「その感想は子供扱いされているようで、微妙ですが」
右手を頭に伸ばせば、イチョウの葉がカサリと当たる。
深い藍黒を飾る山吹色のイチョウ。それは夕日が沈む直前の空に似て、ほんの少し物悲しい。
皇慈の瞳に映る光景が、燕の心臓を更にキュウキュウと締め付けた。
「本当に子供扱いしていたら……唇へのキスなんて、望んだりしない」
「ッ!」
その言葉で、唇の感触が蘇る。
柔らかくて、甘い。初めてではないのにひどく緊張した。たった数秒間の邂逅。
「ちゃんと、一人の人間として君の事が好きだよ。燕」
サワワワ。強い北風がイチョウの木を揺らす。そして無数の葉は舞い上がり、夕焼け空をヒラヒラと泳ぐ。
秋の幻想。一瞬の出来事。照れる皇慈の頬も、そうだ。明日には思い出に変わる。変わってしまう。
昨晩も感じた衝動が、燕の中で大きく育つ。
「皇慈さん……」
離れたくない。
思い出にしたくない。
二人の時間を重ねたい。
もっと彼を知って、自分の事も知って欲しい。
もっと、もっと――愛され愛したい。
◆◆◆
毎月の寄付。
孤児院への用事を、燕は帰りの車内で知った。最もそれは皇慈からではなく、洋館まで送ってくれた天志の口からだけれど。
城金家はこの町一帯の地主で、現在の当主は皇慈その人。ノブレス・オブリージュを地で行くように、皇慈は自らの財産を分け与えていた。
病気の男の子もそうだ。自分が役に立つならばと、母親の援助要請を無期限で引き受けたという。
「ぴったりだな。丁度良かった」
贈られた絵を額に嵌めて、壁に掛ける。元々別の絵画が飾ってあったそこは四角い跡が残っていたのだが、それも綺麗に隠れた。
新しい絵は著名な画家の作品でも、新進気鋭の作家が若き情熱をぶつけたものでもない。孤児院の子供達が自由に描いた絵だ。
「前はどんな絵が飾ってあったんですか?」
素朴な疑問が燕の唇からポロリと落ちる。
「優しいタッチの家族絵だよ」
以前の絵は皇慈の父親が大切にしていたものだ。しかし譲って欲しいとの申し出が有り、今年の初めに手離していた。
その絵を愛でる父親の記憶は胸の中に仕舞って有る。それだけで充分だった皇慈は、無償でその人物に絵画を譲った。
天才と名高い画家が世間に認められる以前に描いた、貴重なオリジナル。価値も値も張るものだったが、その人物は美術館の館長で、断る理由は無いと思った。
たった独りの観覧者が独占するよりも、沢山の人の眼を楽しませてほしい。それが皇慈の純粋な願いだったからだ。
「けれど、神成先生や天志さんには不評でな。父が私の為に残したものなのにと、こっ酷く叱られてしまった」
思い出を語り終えた皇慈が「ハァー」と、長い溜息を零す。
それは燕が初めて触れた皇慈の心根。過去の物語だった。
「それに関しては分からなくもないですね」
「そうか。燕にまで言われてしまうと凹むな」
燕も息を吐き出し、困り顔の皇慈と向き合う。
「でも僕は、大勢の人にその絵を見て欲しいという皇慈さんの気持ちも分かる。だから今、困ってます」
それは勿論、親子の絆を説いた主と天志の意見も。
どちらの気持ちも理解できるからこそ、燕は言葉に迷う。
確かに皇慈の善行は行きすぎな部分も有る、けれど燕はその行いが間違ってるとは思えない。
皇慈が笑顔にした人は、きっと誰よりも多い。そして燕は感謝を抱いている側の人間だ。
「僕が好きになったのは、善意100%の貴方だから。ますます好きになってしまう」
今までに無かった第三の応え。燕は純粋に皇慈への好感度が増す。
「燕……ッ、そんな事を言われたのは初めてだ」
ポワン。皇慈の周りに恋の花が咲く。
「あっでも。お父さんとの思い出を大切にして欲しいのは、天志さん達と同意見ですからね」
慌てて、両手をブンブンと振る燕。ただの惚気台詞だと思われるのも困る。
「分かってる。けれど嬉しい感情は変わらない」
そう言って皇慈は、燕をフワリと抱き締めた。
「私も、ますます大好きになってしまうよ。燕」
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