貧乏学生の本田があらわれた!
ピー君は壁の外へ
壁から手が生えています。
いえ、恐らくは物理的に隣の部屋から生えてきたのでしょう。二人は唖然としながら突如現れた手を見つめていました。
「うるっさいのですよー!
子どもがもう寝る時間なのですから寝かせやがれですよ!」
少年の高い声と共に、感情をもったように手がブンブンと震えます。怒りを表しているのでしょうかね。
「ピー君?なんか今すごい音が……」
次に、安心感のある間延びした声が聞こえました。
そして、間髪居れずに「か、壁が!?穴?!なんで?!」と慌てている声がしました。高い少年の声は、誇らしげに語ります。
「はい、ピー君のパンチは鋼鉄パンチなのですよ!」
「アニメの見過ぎだよ…?!とっ、とにかく抜いて!うわぁあぁぁ…もう……」
壁の手が消え去り、代わりに穴から可愛らしい青年が顔を出しました。
ばっちり目があうと、恥らうように素早く穴からフェードアウトして。
ややあって、控えめにギルの部屋のチャイムが鳴らされました。
「こんばんは…」
現れたのは、先ほど穴からこちらを見ていた青年でした。申し訳なさそうに目を伏せながら、玄関に立っています。ギルが「お隣さんのティノだぜ」と菊に紹介し、菊もそれに答えて頭を下げます。
「夜分にお騒がせして申し訳ありません……」
「いえいえ、うちも……というかうちが全面的に悪いですすみません…!ピーターにはよく言って聞かせますので…っ!何卒…」
「まじでさっきのガキかよ…」
ギルは、出来れば違う可能性を信じたかったようです。
そうですね、素手で壁に穴を開ける子どもなんてごろごろしていたら将来このアパートはどうなるのでしょう?世紀末?
「か、管理人さんにお伝えしますか…?」
「いや、跡形もなく直しゃいいだろ。あの管理人に絡むのめんどくせーしな!」
このアパートの管理人は今頃くしゃみでもしていることでしょうね。
ギルの返事に、ティノは頷きました。
「わかりました、では修理費は此方で持ちます〜うちの旦那さ……べ、ベールさんがそういうの得意なので任せて下さい〜」
ほわわん、と花が舞うような雰囲気に菊は大学の友人を思い出しました。そして、ティノは声をひそめるように菊に耳打ちします。
「あの、余計なお節介かもしれないですけど……とりあえず、ギルさんと一緒に居たら良いんじゃないでしょうか?」
やはり会話は聞こえていたのでしょう、菊はすぐさま謝りましたが「良いんです!むしろ盗み聞きみたいでごめんなさい」とティノは首を振ります。
「えっと、僕も何と無くベールさんに着いて来たようなものなんです。その頃は不安も有りましたけど、なんとかなりますよ、きっと!」
えらい雑ではありますが、ティノなりに菊を励ましたつもりでした。何せいつも話相手がピーターか口下手なベールなのでティノの語録もやや少なくなっていました。
「それに、なんか菊さんって話すと安心します〜!僕、基本的に家に居るので良かったらお友達になってくれると嬉しいです」
顔を赤らめて、はにかむティノの手を菊が断る理由は有りませんでした。がっしりと両手で手を掴み、是非とも!と高らかに了承した菊でしたが
ギルは少し不服そうにそれを眺めていました。
「俺様があんなに言ったのによ…」
「わ、良かった〜!
あとすみません、これ…余り物で恐縮なんですけど、お詫びに」
ティノが紙袋を差し出して、綺麗にお辞儀をしました。
「これからお隣さんですね、菊さん!」
「は、はい…っ!ふつつかものですが、よろしくお願い致します…」
お花が飛び交う空間を、げんなりしながらギルは見ていました。しかし、紙袋の中から何と無く嫌な予感がします。
「…おい、ティノ…まさかそれって」
「はい、ベールさんの実家ではよく食べるらしいんですけど……」
何気なく、ティノが缶詰を取り出します。菊が興味深そうに覗きこみました。手慣れた様子で、ティノは缶切りを立てながら「シュールス◯レミングです!」と
某とっても臭い缶詰を笑顔で、絶不調の菊の眼前に差し出した。
菊の記憶はここで切れてしまいました。
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