短篇拾
『 終焉 』
注)多少グロテスクな部分も在りますので御注意下さい
――世界の終わりは近いのかも知れない
常時鳴り響くサイレンに朝も夜も無く只世界は荒廃していくばかりでそれらは僅かな変動で退廃を続けていく。
瓦礫の上に積み重ねられた屍体。
墓場を無くした此処には埋葬する為の墓地は定員オーバーでそれでも屍体の処理に困った輩が屍体を捨てるために墓場へと運ぶ。火葬も土葬も出来ないそれらは打ち棄てられ鬼蓄の糧となる。
黒く貪欲な彼等は狡猾に上空からその様子を眺めて残飯にありつこうとする。
腐敗した肉の臭いにも慣れてしまった。この世界は狂っている。もうずっと前から。
西暦も時間も定かでないこの世界に国境も指導者もいない。あるとすればそれは人間の生きたいという本能だけである。屍体に群がるのは最早獣と化した人間の成れの果て、鬼蓄そのものだ。
その頭上に羽ばたくそれらが狙うのは腹を満たして死んでいく新たな餌――屍体。
そんな汚染された世界で生きることの意味など無く只混沌の中に生きている。
死なない為に生きている。
ヨウは涌き出す地下水で顔を洗い足を洗った。剥き出しの皮膚は固く爪は割れて歪に歪んでいる。そしてその汚れた水を眺めながら再び僅かに涌き出した水を口にする。
屍臭がする。
脂肪が腐って地下に沈んでいく様子をヨウは想像する。それすらも糧になる。
『俺世界の終わり見れっかな』
そう言ったのは誰だったか。
濡れたままの身体を風で乾かしながら厚い雲に覆われた黒い空を眺めた。
何が原因で滅び始めたのか分からない。急激な人口増加とその後に訪れた人口の激減。誰かがもたらした禍でもなく、天災などは大なり小なり頻繁に起きていた。
この世界に生きる住人はそれらに慣れて恐怖すら感じない。何時死んで終ってもそれに気付く事はないのだろう。
まるでスラムの様なこの街もヨウが生まれる前は近代的で人が溢れ活気に満ち溢れていたと年老いたペイが言っていた。
老衰か不味いものを喰ったか、カラスに喰われたか。ここ暫くは見ていない。ペイはこの街を好きだと言っていた。この街を出ていく時は自分の死ぬ時なのだと。
だからペイは死んだのかも知れない。仕方の無いことだ。
舗装されていないアスファルトの盛り上がった路を食い物を探して歩き始めた。
昨日もこうして宛も無くさ迷った。食い物が安定した場所など無いからただ歩くしかない。運が良ければ犬か猫か鳥かありつけるかも知れない。海まで行くには此処からでは遠すぎるし、食べ物があるかも怪しい。
海の生物をペイは懐かしそうに美味いあれは美味いと懐かしんだ。しかし海は荒れ大陸から流れた屍体で歩けないと聞く。嵐の日は潮が陸地を呑み込むという。
生に対して執着はないが、苦労や苦痛をするためだけにその場所に行くことには気が引けた。
雲が薄くなった其処から太陽が昇っているのだということだけは解る。
ヨウはまだ見たことの無い太陽を見上げた。
あれに当たれば食べなくても生きていけると聞いたことがある。あれはカミであるから姿を顕さないのだと。
カミを会いに行くと言った男がいた。彼はカミに逢えたのか。そして永遠の命を手に入れる事が出来たのか。
何処にいけばカミに逢えるのだろうか。
歩く道のりの途中で聞こえる喘ぎ声やうめきや叫び、狂った声の合唱を聞きながらヨウは自分の身体に起こる性的欲求を戒めた。
あれは歩くよりも戦うよりも体力を遣う。性的欲求を満たすと腹も減る。
くるくると変わる安定しない気温に体を震わせながらヨウは食料を探して歩き続ける。太陽を浴びることの無い渇れた大地に養分を取ることの出来ない枯木が思い出したかのようにぽつりぽつりと立ち枯れている。酷く荒涼とした風景の中に置き去りにされた屍体が転がっている。
ヨウは寒さに身を震わせながら、もう使われることのない衣服と靴を剥ぎ取るとそれを自分の身に纏った。
空は先程よりも低くなり黒い雲が垂れ込めている。寒さに再び身を震わせてヨウはまた歩き出した。
カラスの渇いた鳴き声が砂塵を纏ってヨウの耳に届く。何時のたれ死んでもいいように奴等はヨウを見張っている。
纏った衣服から死臭がする。それに引き寄せられているのだろう。
空腹で意識は朦朧とするがカラスにこの身を大人しく差し出すのも癪だった。
幾つとも計り知れない数のカラスが立ち枯れの枝に黒い葉を繁らせている。
俺も彼奴等も食料なのは同じなのに、奴等に怯えて終うのは何故なのか。恐怖なのか怒りなのかも判然としないものに踊らされるのも癪にさわる。
震える脚を無理に進めながらヨウはペイの物語の海を想像した。
切れた雲間から射す太陽の光が海原に反射して輝く様子を想像した。カミは旧い神話のモーゼのようにあの海原を裂いてやってくるのだろうか。
否それは創造された世界なのだ。創作された物語なのだ。
でなければこれ程迄に壊れたこの世界を見棄てることはしないはずだ。希望も精もないこの世界は終わってしまったのだ。
これが世界の終焉なのだ。
カラスが煩いほど鳴いている。この世の終わりを喜ぶかのように唄っている。
『世界の終わり見れっかな』
そう言ってカミを探しにいったのは、あれはキムだ。
『誰も助けてはくれないなら、この世界の終わりを見てみたい』
そんなに長くは生きれないと笑って返した自分にキムは寂しそうに笑って
『それでももしカミがいるのなら救ってくれるかも知れない』
そんなものは存在しないと口にすることはできなかった。
痩せこけ干からびた皮膚は土色をしていた。眼下は落ち窪み、唇は乾いていた。
『もう腹も減らない。眠ることも身体がダルくてできないんだ』
此方を向いているのに視界にはヨウの姿を捉えていなかった。
精気の無い眼でヨウの姿を探して泳ぐ眼は白く濁っていた。
『眼が、見えなくなる前にカミを見てみたい。そうすれば世界の終わりが見れると思うんだ』
世界はもう終わっているのだ。
『ヨウ、一緒に行かないか。行こう、カミに逢いに。ペイの言っていた海に、一緒に行こう』
あの時自分はキムに何と言葉を返したのだろう。
その翌日からキムの姿を見ていない。只何も無かったように食い物を探してさ迷い歩いて、その日を凌いでいただけだ。何も変化の無い空腹の日々を繰り返しただけだ。
この道を辿れば海に行けるのかも知れない。よろよろとふらつきながらヨウは歩いた。
喉が渇く。
こんな処に水場などなく、乾いた空気が喉を焼く。
カミ等に逢えるものか。
そう言ったように思う。
ふと手のひらを見詰めればあの日のキムのように痩せて土色の乾燥した皮膚が目につく。
何時の間に自分はこんなに腐ってしまったのだろうか。あの時キムは死の病を患っていた。あれは死の間際に出る症状だ。皮膚が割れ、唇が裂け、眼球が落ちる。其処から蛆が沸き腐っていく。それを止めることはドクターにも出来なかった。治療するための薬など無いのだから。
キムは海に辿り着ける筈は無かった。それよりもあの時動くことも出来なかった。
理由の分からない興奮を抑えるために、ヨウは女と交わった。キムが旅立て無いことを知っていながら、彼がカミを探しに旅立ったと思い込もうとして、沸き立つ興奮に戦慄した。
『カミに逢う前にお前死ぬよ』
そう告げた後のキムの顔を忘れる事が出来なかった。あの日からずっと思い出さないようにしていた。
海に行く道も、カミに逢いに行くことも何もかも。
今朝感じた腐臭は己から出たものだろう。カラスが自分の廻りに増えたのもそのせいだ。
近い。
俺の世界の終わりはもうすぐだ。
世界の終わりを見に行かなければ、カミに逢わなければ、この身体は腐ってカラスの餌食になるだけだ。
カミに逢わなければ。
世界の終わりが見たい。
この眼で確かめてやるのだ。
カミの救わないこの世界の最期をこの眼で確かめてやるのだ。
塵芥のようなこの世界の終焉を、ペイが見たと言うあの海原の上に射す光を、キムが逢いたいと言ったカミを――
神を――
この眼で――
荒涼とした道に点在する枯木の枝に夥しいほどの烏がその黒い羽根を休めて、様子を伺っている。
神を信じる人々の白骨化した姿の上を悪魔のようにこの世に君臨する支配者のように眺めている。
歩き続ける最期の人間の最期を看取る爲に、冷徹な眼差しで見詰める。
奮えた声で一鳴きする。
神を――
海原の上に降り注ぐ
神を――この眼に
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