03



     *


「――た、斉田!」

「……はい」

「いい加減にしろ、この問題を解け」

「ごめんなさい」


 授業中のうたたねが、最近目に見えて多くなった気がする。先生が怒るのもしかたがない。四十五分、どの時間を切り取って見てもぼくはうとうとと机の上で頭を揺らしているに違いないから。

 なんだか最近、ベッドに入っても眠れなくて。


(からだ、おかしくなったのかな)


 ストレスだとか、そういうふうに被害者ぶる気持ちは毛頭ない。結局あの子に振り回されているのはぼくのせいなんだから。だけどすこしだけ疲れてしまっているみたいだ。


(御影に、会いたいからかも)


 あれからやはりずっと、屋上には行けていない。


「紘! 紘! 紘ってば!」

「うわ! ごめん、どうしたの?」

「おれが呼んでもおまえずっと返事しないんだ! そういうのやめろよ! 友達いなくなるぞ!」


 もういないけどなあ。


「だけどおれがついててやるからな! 紘はおれがいないとだめなんだ!」


 あまり見ていて気持ちよくはない黒いモジャモジャが、ぼくの頭上でせわしなく揺れている。長島ひかるくんは、休み時間になるとおれの元へやってくる。これじゃあ友達いなくなるよ。

 なんて、言えないけれど。


 ――キレイだな! おまえ、名前なんていうんだ!?


 自覚症状はないのだろうけれど、長島ひかるくんは美形というものが好きなのだと思う。生徒会役員にしても他に虜にしてきた人たちに関しても、共通して言えることがそれだからだ。

 そして学校からもてはやされていた美形軍団たちは、コロリと長島くんに落ちてしまうのだ。


「ひかる、おはよう。今日もかわいいね」

「おいひかる隣来いよ」

「「会長副会長しつこいしうるさい。ひかるはぼくのとなり!」」


 こうやって。


「おまえら! 今おれは紘と話してんだ! 邪魔するなよ! 紘が友達いないからおれがいてやらなきゃだめなんだ!」


 今日もすがすがしく、この美形軍団にこの世のものとは思えない般若の形相で「おまえ今日もひかるの隣にいるのか。身の程をわきまえろ死ねよ」的な視線を向けられるところから一日がはじまる。

 胃がきりきりしてきそうだなあ。


「でもおまえらもおれにかまってほしいんだろ! しょうがないなほんとう! みんなで遊ぼうぜ!」


 そして、長島くんもまた、美形軍団をそれなりに気に入っているに違いない。


 細いわりに身をよじりたくなるような強さで手首を掴まれて長島くんに引っ張られながら、おれは今日も静かに深く、だれにも聞こえないようにため息を吐く。

 御影、会いたい。会いたいんだ。


(だけど、会えない)


 長島くんに引っ張られているから、だから会えないんだとか、そんな言い訳はできない。長島くんが生徒会室に連行されていくときとか、生徒会役員以外の美形軍団に囲まれているときなどは、つかの間の休息のようにぼくはひとりでいられる(最近はその合間を縫って狙ったように可愛いチワワちゃんたちから呼び出しを食らうのだけど)。

 それに、隠れて屋上に身を隠すことだってできるんだ。

 だけどそれをしちゃいけない。


 ――紘、おいで。


 御影は平穏が好きだった。目立たないようにわざわざ屋上で隠者みたいに過ごしているんだ。万が一長島くんが追って来てしまって屋上の存在がバレてしまったら、今度こそぼくは居場所がなくなるんだ。

 もうほとんど、なくなっているようなものだけど。


「ひかる、そんなのほっとけよ。おまえには似合わないぜ。おまえのとなりには俺がふさわしいだろうが」

「紘のこと悪く言うなよな! たしかにおまえは美形だけどさ!」


 それに――。おれの手首に込める力は弱めないというのに、そんなこと気にしていないかのように呑気に会長と会話を楽しむ長島くんを横目に、思う。


(御影は、かっこいいから)


 いくら生徒会や風紀委員会に疎いぼくでも分かる。御影は、この比較的美形だらけの学校の中でも、群を抜く美貌の持ち主だ。それは間違いない。


 そんな御影を、もし、長島くんが見つけてしまったら――。


(いやだ、いやだいやだ)


 友達も平穏な生活も、全部長島くんがさらっていった。それで被害者ぶるつもりはない。ぼくが悪いところだってあったんだ。きっと、どこかでぼくが悪いことをしてしまったんだ。


 だからしょうがない。我慢できる。

 だけど――御影は。御影だけは、……。

 ぼくは見たくないんだ。


 ――おまえかっこいいな! 名前なんて言うんだ!?


 御影が、気味悪いほど眩しい太陽の光にあてられて、惚れこんでしまうかもしれないということが、怖いんだ。すごく。


 だから会えない。

 この気持ちは、なんだろう。


「斉田くん」


 ――え。


 ぐい、と長島くんに掴まれていない方の手を取られて引っ張られる、そのまま肩に腕が回されて、守るみたいに引き寄せられる。斜め上を見上げる。

 振り向いた会長たちが、一瞬だけ瞠目する。


「かいけい、さま……?」

「お取り込み中わるいけど、この子はもらっていく」


 え――。


「あ――――! 碧おまえなにしてるんだ! 聞いたぞ! みんなが生徒会の仕事している間、おまえセフレいっぱい作って、その、いかがわしいことしてるんだろう!」


 会長たちと会計の微妙な空気にも気づかない長島くんが、大声でとんちんかんなことを抜かす。とたんに周りがざわざわと避難の声で溢れるのが分かる。


(みんな知っているんだ。会長たちが仕事していないこと……)


「寂しいならおれが一緒にいてやるよ! 碧もそんなんじゃだめだ! おれと一緒にいなよ!」


 聞きわけのない子どもがごねるようなキンキンとした声に、それでも会計は眉間にわずかに皺を寄せるだけだった。ごく自然な動作でぼくの手を掴むその手を放させ、会長や長島くんから遠ざける。


「きみは黙っててよ」

「きみ!? おれのことはひかるでいいって言ってるじゃんか! そんなんじゃだめだ!」

「とにかく、斉田くんはもらっていくよ、あとはそちらで自由にして」


 相手をするのも億劫なのだろうか、とうとうスルー。ここまで堂々とした態度もすごいなあなんて、自分が置かれた状況から幽体離脱しているみたいに、ぼんやりと考える。

「待て」


 なんて、ぼくを連れ出そうとする会計を止めたのは会長の声。


「なぜそいつを連れていく。生徒会に行くのか」

「そうだよー」

「どうしてですか、水無瀬。その生徒は関係者ではありませんよ。立ち入り禁止を破るつもりですか」


 ぷっちーん、なんて、めのまえの大きな体のどこかで血管が切れた音がした、……ような気がした。

 会長や副会長に向き直るように振り返った会計のこめかみには、青筋が浮いている、……ような気がした。


「最初に気持ち悪いクソマリモを入れたのはどっちー?」

「……」

「事態は立ち入り禁止とか生ぬるいこと言ってる場合じゃないんだよねー。どっかのだれかさんたちが仕事しないから、代わりにこの子に手伝ってもらうことにしたの」

「な! そんなことが許されるとでも……」

「「そうだよあおいー。おかしいでしょおー??」」

「顧問に連絡取ってあるよ。許可はもらっているんだー。念のため風紀にも申請しておいたよー? なにか文句でもあるの?」

「俺の許可が――」

「ねえ、会長?」


 会計の纏う空気が我慢は限界というように、急にツンドラ気候なみに低下する。そばにいるぼくもビビるくらい。


「きみがなにかを言う権利が、まだあると思ってるのー? 甘いよ、あまい」

「……っ」

「行こうか、紘ちゃん」


 さっきまできっとぼくが周りからやっかまれないように斉田くんと呼んでくれていたのに、怒りで血が上ったせいか、呼び名が戻っている。

 生徒で溢れ返った場所を抜けて生徒会室に向かうほど、人通りがなくなる。だれもいなくなると、ぼくたちが歩く音だけが辺りに響いた。前を歩く背中から感じるのは、裏切りに近い目にあったといわんばかりの怒りと痛みと、哀しみかもしれない。


「あの、会計さま」

「フツウに名前でいいよ」

「あ。はい。水無瀬せんぱい」

「うんー?」

「よかったんですか? ……会長さまたち」


 半期は、一緒に過ごしていた仲間だったんだ。会計――水無瀬先輩が、傷ついていないわけがない。

 だけど振り返った水無瀬先輩は、もういつも通りの笑顔に戻っていた。


「こんなときまで人の心配なんて、いい子だね紘ちゃんは」

「……」

「大丈夫だよ。今まで言いたいことたくさんあったけど、いつか戻ってくるって淡い期待抱いてたんだ。……だけど、あんなの見たらもうね」


 逆に言いたいこと言えてすっきりしたんだ、生徒会室に入りながら水無瀬先輩が朗らかに笑った。


「それよりも言っちゃったからには、すこしだけでも手伝ってもらっていいかな?」

「もちろんですよ」


 それから放課後は、生徒会室で缶詰になることが日課になった。水無瀬先輩とポツポツ喋りながらもひたすら期限スレスレの書類たちを処理し、たまに風紀副委員長――もとい真柴先輩がひょっこり訪れてはすこしだけ書類を片付けて、できているものを風紀へ持って行ってくれて、というような生活サイクルになった。

 もちろんしんどかった。だけど――。


 屋上にも行けなくなって友達にも見放されて、なによりも長島くんの影で御影と会ってしまうことにびくつきながら送っていた生活よりも、何十倍もやさしい日常だ。

 なによりも、真摯に集中して書類とにらめっこしている間だけは、御影への気持ちを、まぎらわすことが出来たんだ。


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