02



     *


 ぼんやりとした意識の外で、ボソボソと会話をする声が聞こえる。


 ――拾ったって、またおまえは。

 ――うん。かわいいもの、拾った。

 ――これ以上めんどう増やすなよ、ばか。

 ――でもこの子……。


 なんだか固めのものに寝転がっているようだった。ふたつの声が聞こえる。ひとつはぼんやりとした低めの声で、もうひとつはハキハキとした声。どちらも馴染みのないものだ。知り合いではない。

 紙が擦れる音がする。一枚じゃない、何十枚という――。


(ぼく、どうしたんだっけ)


 ――あんたなんか……。


「うわ!」


 ずいぶん勢いよく体が上がった! じゃなくて! ここどこ!?


(たしかぼく、放課後に小さな男の子たちに呼び出されて)


 男の子とは思えないような可憐で庇護欲をそそる子たちなんて、存在こそ知っているもののお知り合いになったり喋ったりすることなんてなかったというのに。そんな可愛らしいりんご八分の一カットも食べられないような小さな口から、とんでもない罵詈雑言が出ていたのはまた別の話だけれど。


「拾った子が起きたよ、志野ちゃん」

「わ!」


 横からぬっとあらわれた知らない顔に、思わず後ずさる。後ずさってみてはじめて、見たことのない場所に唖然とする。ここ、ほんとうにどこだ?

 内装はきれいだ、間違いない。壁や窓はよく手入れされたもののような気がする。しかしいかんせん部屋が汚い。文書のような紙で埋め尽くされている。山積みになっているものもあれば崩れてめちゃくちゃになっているものもある。

 どこかの資料室か。


「おう、起きたか。大丈夫か」

「あの……えと、ここは」


 じっとこちらを見つめている大柄な男の人。うわあ、金髪ではないけれど髪の毛明るい。ピアスも開いている。

 志野ちゃんと呼ばれた男の子は、正反対に黒髪にきっちりと制服を着ている。なんだかこちらはちんまりしているようだ。だけど、話が分かるのはこっちな気がする。

 ぼくは素早く体を志野ちゃんという人の方に変える。


「むっとするな、水無瀬。おれのほうが話が分かるとでも思ったんだろうなあ。賢明だ」


 読まれている。


(え……てかこの人今なんと言ったか)


 みなせ、そう言った気がする。

 ふと、室内の様子が目に入る。あまりにも変わり果てているが、この書類の束……もしかして……。


 水無瀬、なんて珍しい名字もうひとりいるなんてことは考えられない。明るい髪の毛を見て、「水無瀬、……碧……会計さま?」なんて思いいたる。髪の毛はぴょんとうれしそうに揺れた。


「う……てことは」


 ここはやはり、


「驚いただろう。生徒会室の変わり果てた姿に」


 やっぱり――――――!

 なんで!? なんでぼくはここにいる!? ちょっと気を失ってたぼくが悪かったけどさ! よりによって会計までいるし!


 ていうか、「志野ちゃん」なんて可愛い感じで呼ばれているから全然考えていなかったけれど……そして今急にピンときたけれど、「……真柴、志野……風紀副委員長?」なんて言ったらその人は疲れたように頷いた。やっぱり――――――!


(なんでぼく! ぼくついにほんとうに小さいチワワに殺される!)


「百面相してる。面白い」

「やめろ水無瀬。パニックになっているだけだ」


 てことは。


「ぼく帰ります! 他の役員さまが来たら――」


 今度こそ殺される! あのチワワちゃんたち力弱いと思っていたけど、わりと標準的な男の子の力持ってるんだよ! ぼくの首なんてゴキッと!


(あれ、なんか、力が)


 ――ふらっ

 立ちあがったはいいけれど力が抜けて、そのまま頭がクラクラする。合わせるように立ちあがった会計がぼくの腕を掴んでバランスを取ってくれて、そのまま落ち着いた。


「落ち着けって。そう焦んな。しばらくほかの役員は帰ってこねえよ」


 ぼくをふたたびソファに座らせる(まるで縫いつけるように強引なのは置いとこう)会計を一瞥しながら、副委員長が言う。めちゃめちゃ眉間に皺が寄っている。ちょっとデキナイ部下を持ってフラストレーション溜まっちゃってるサラリーマンみたい。

 そうだよ、ゆっくりしていって。なんて、すこしだけ寂しそうな目をして言った会計を見て、ああ、と合点が言った。

 会計の他には風紀の副委員長しかいない放課後の生徒会室、溜まりに溜まった書類に回っていないのだろう仕事、荒れた生徒会、――荒れた学校。


 ――へえ! おまえ紘っていうのか! おれ長島ひかる! ひかるって呼べよな! おれもおまえのこと紘っていうから!

 ――紘どこ行くんだよ! ひとりで行くなよ! おれがいないとだめなんだからな!

 ――あ、おれ食堂行きたいな! 紘も行くだろ! おれがついててやるからな!


 明らかにカツラと分かるわかめみたいなモジャモジャをかぶり、虫眼鏡みたいにぶ厚い伊達メガネをかけた少年が転校してきたのは二週間前。理事長の代理だとかコネで入ってきたとかほんとうはどこかの不良グループの総長だとか噂は色々あるけれど真相は知らない。

 すべてが変わったんだ。ぼくの周りも。仲のいい友達はすべていなくなって。

 生徒会室も。聞けばジャイアニズム全開な会長、ハモリにかけては天下一の双子庶務、常に無言を貫いていたはずの書記をはじめ、クラスの人気者、一匹狼、保健室のセクシー保険医とうとうが、こぞって転入生を追いかけ回しているだとか。


 学校はそんなことないなんて笑っていた。ありえないと。この目で見ていないんだからと。

 だけどぼくは知っていた。それがすべてほんとうのことだということに。


 ――おれは紘の親友だからな! おまえら紘のこと悪く言うなよ!


 ぼくは長島ひかるくんがハリケーンのように周りを巻き込み壊していくのを、一番そばでみていたのだから。


 生徒会役員に恋をするいわゆる親衛隊なんてものから、平凡な分際で皆様に近寄るなんて身の程をわきまえろと罵られ脅されたことなんて一度や二度じゃない。

 その生徒会役員からはぼくがいるから長島ひかるくんが自分たちをしっかり見ていてくれないと邪魔者扱いで嫌がらせも日常茶飯事になった。


 さっきは、そうだ、会長の親衛隊に頬ひっぱたかれたんだっけ。

 ひりひりする。


「大丈夫? 腫れてる」

「大丈夫です、ありがとうございます」


 そういえば下半身ゆるゆるなチャラ男で名をはせていたはずの会計なのに、どうしてだか長島ひかるくんに近づいているのを見たことがなかった。


「もしかして、会計さま、ひとりでこれを――」

「んー志野ちゃんが手伝ってくれてるけど」


 困ったように会計さまが言う。壁に寄りかかって腕を組んだままの副委員長が「何言ってんだ。ほとんどおまえひとりだろう」とボソッと言った。


 転入生の出現。今まで学園のどんな絶世の美少年にだって振り向かなかった生徒会役員が尻尾振って宇宙人みたいな生き物に懐いているのだ。大問題である。

 親衛隊は怒りで身を震わせ、学校の一般人は噂をしながらも平穏な生活の維持のため解決に尽力しようとはせず、生徒会は荒れ、学校が機能しなくなり、悪い連中がどさくさにまぎれてオイタをし、そのぶん風紀も荒れる。

 副委員長によるよく分かる解説だ。まさしく今の学校である。


「一年の斉田紘だろう」

「え……」

「よく被害者リストに載ってる。マリモ……転入生絡みでな」


(今、マリモって言った)


「ごめんね。クソマリモ……破天荒な転入生に巻き込まれている子がいるっていうのは、知っていたんだけど、なにもできなくて」


(クソって、ついてた)


 フラストレーションだ。ふたりから、並々ならない悪意を感じる。ふ、と笑ってしまう。


「あ、笑った」

「え」

「笑ったね、……紘ちゃん」


(紘ちゃん?)


 にこにことこちらを見る会計。……この人絶対下半身ゆるゆるチャラ男とか嘘だ。

 噂なんてあてにならないものだ。


「こいつ、変だから気にしなくていいぞ」

「ひどいな志野ちゃん」

「ちゃんをつけるな。あとおれはおまえよりも一つ学年が上だ。三年だ。敬語を付けろ」

「やだ」

「駄々こねるな」


 副委員長、赤ちゃんの相手しているみたい。

 それでもきっと会計が心配なんだ。きっと風紀だってパンク寸前だっていうのに、ひとりで頑張っている会計を気にかけているのだ。

 なんだか、いいなあ。

 ほほえましいふたりに、自然と笑みが零れる。


「あ」

「あ」

「笑った!」


 また、会計がおれをさして驚いたようにいう。それが面白くて、「ぼくだって笑います」って、またすこしだけ笑ってしまった。

 心がほぐれていく感じ。

 久しぶりに笑えた気がしたんだ。ずっとずっと、ほんとうはつらかったから。


 友達にも見放されて、代わりに馬鹿みたいに呼び出されて罵られていじわるされて、そして――。


(御影)


 同じ明日が来るなんて、なんて甘い考えなんだろうって。


 ――明日また来るね。


 ぼくは、あの日から一度も、屋上に足を運べてはいなかった。


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