01



 ――おまえだれだ? 今すぐ出てけ、くつろぐ場所なら他を当たりな。

 はじめはひどいもんだったなあと思いながら後ろのぼくよりもずっと大きな背中にもたれかかると、じゃれるように重みが返ってきた。


「どうかしたか、紘」

「ううん。なんだか風が冷たいから、はじめて会ったときの御影を思い出した」


 背中あわせの向こうの御影は、きっとおもしろくなさそうに顔をしかめているのだろう。ぼくは本のページをめくることを忘れたまま、へへ、と笑った。


 ――え……。


 屋上を住みかにし始めてほんの一週間も経たない頃だった。突然屋上の扉が開いて、先生にばれるにしては早すぎだろうとおろおろしていたら御影が来たんだ。

 東京と呼ぶには躊躇してしまうような殺伐とした地域に立つこの高校は、昔は共学だったものの今じゃすっかりやばい嗜好のやつらが集まる住みかだ。

 お察しかと思われるが、周りのコミュニティから離れた閉鎖的な男子校なんて、ホモの巣に決まっている。ここにもまた、普通の高校生よりも顔がよくて勉強もできてスポーツも万能なハイスペック男子たちが猛威をふるう社会である。

 正直容姿頭脳ともどもフツウという肩書を持つぼくにとって、あまり興味のない話である。そんな男色は顔がよいやつらだけの娯楽程度にしか考えていないのだし。

 やれ生徒会だなんだとか、よく分からん。


(だいいちこの学校ってやっぱりすこし変だ)


 きゃーきゃーわいわいした男の子たちのいる教室よりかは、静かでぼんやりできるだれもいない屋上のほうが都合がいい。

 フツウも複雑な職業である。なんて、ぼくは思う。


 ぼんやり片手にとっていた本から目を離して御影を見て、すこしだけびくりとする。


 すらりと伸びた身長に、風に凪ぐやわらかそうな髪の毛、すこしだけ深めで秀麗な目元。つくづく化け物みたいな美形がいるもんだなあなんて思われるような美形だ。こんだけ目立つ容姿なら見たことがあってもよさそうなのに、知らない顔だ。

 その目は冷ややかにこちらを見下ろしている。


 ――聞こえなかったか? 出て行けと言っている。ここは俺の場所。

 ――ええ!?


 しかも相当な傍若無人と見た。


 屋上は広いのだからすこしくらいいいではないかと控えめに主張してみたが一蹴され、ほんの直径三メートルでいいから譲ってくださいとひれ伏してみたが一蹴され、じゃあ一番壁際に寄ってるからと言ったら呆れられた。そんなにここが好きかと。

 そりゃあこの人みたいな美形だって色々大変なのだろう。しかしフツウもフツウなりにフラストレーション溜まっているのだ。

 さすがにそこまで強く言うことは出来ずに無言で肯定する。


 ――おまえ、なに読んでんの。


 ぼくがほんのすこしのスペースだけ使うことを許した御影は、それから何日か経った頃にそんなことを訊いてくる。さいしょはぼくに話しかけているなんて分からずに無視した。そうしたらすごく不機嫌そうにもう一度訊かれた。


 ――おまえ、弁当?


 また何週間かしたら御影が不機嫌そうに訊いてきた。頷くと、そうか、とだけ返される。御影はいつも購買からかっさらってきたのだろうパンを食べている。


 ――おまえ、名前は?


 一ヵ月は経っていた頃だろうか。御影はついにぼくをテリトリーに引きいれた。


 ――斉田紘、です。……あのあなたは。

 ――御影でいい。敬語もいらない。


 屋上はついにこれ以上の侵入者をあらわすことなく、ぼくと御影の共通スペースになったということだ。

 最初はあんなに寄せ付けないオーラ出していたのに、今は――。


「紘はなれんな。寒い」


 美形ってほんとうにミステリーだなあなんて、ぼくは血まみれのミステリーを読みながら考える。御影がいるから、なんだか進みがわるいミステリー。


「御影、最初はぼくを端っこにぎゅうぎゅう詰めにしたくせに」

「悪かったって」


 なにかあるごとにぼくがこうやって悪口をいうから、御影も困ったものだろう。それを知っていてやっているぼくは、フツウの男よりもすこしだけ性格が悪いのだろうか。

 見れば見るほど、御影はこの学校でも類稀なる美貌を誇っていると思う。いくら生徒会やら親衛隊持ちやらに疎くても分かる。


(きれい、だなあ)


 隠れるようにしてちら見するたびに思う。ひとり占めしているようで、学校内のカワイコちゃんたち(もちろん男)には申し訳ないことをしていると思う。御影もあまり目立ちたくないらしく学校ではひっそりと暮らしていると言っているのでバレてはいないのだろう。


「なに考えてる」

「べつに。御影は不思議だなあと思ったの」

「俺のどこが? フツウだよ」

「フツウはぼくだよ……」


 どこにこんなハイスペックなフツウがいるんだ。意味が分からない。


「紘がフツウね……」

「そうだよ。御影がフツウなんて嫌味だー」

「はいはい」


 そう思っていればいいよなんて、よく分からないことを言って、ちら見していたぼくの方を御影が振り返る。さっきまで背中合わせだったのに急にバランスが崩れて、体がぐらつく。

 そんなぼくの体をよ、と抱きとめて、御影が「おまえに手はないのか」と呆れる。

 まつげ、長いなあ。ニキビもないし、パーツのひとつひとつはすごく綺麗で、ううん。やっぱり御影は学校一のイケメンだよ。


「なに見てる」

「御影の顔」


 へへ、と笑っていると、顔をしかめられる。


「おまえはほんと」


 なにかボソボソと言っているけれど、御影の声が低すぎて全然聞きとることが出来ない。なに、と聞き返すけれど一瞥して、ふいっとそっぽを向かれた。なんだそれ。


「紘はいやしだよ」

「そうかな」


 おいで、なんて言いながら、御影はぼくの体を自分の方に引き寄せる。読みかけだったミステリーはしおりをしないままぼくの手を離れて屋上の床にすとんと落ちた。


「あ、血まみれミステリー」

「なに」

「なんでもない」


 別にいや。いつも御影といるときはあまり集中できていないのだから。結局ひとり後で読み直すのだし。


(いいにおい)


 かすかにかおるシトラスがすきだ。

 大きな体に抱きしめられながら、肩口に顔をうずめる。いつからだろう、こんなふうに御影がぼくにさわるようになったのは。

 どうして、さわるのだろう。こんなにフツウなぼくなのに。御影は大事そうに抱きしめる。

 大きな胸と密着させるようにぎゅう、と抱きしめられるたびになんだか落ち着かないような気分になってしまう。ぼくの胸の奥の方が、ぎゅ、と締め付けられるように。きついのは密着した体のはずなのに。


「……っ」

「落ち着かない?」

「ちが、くて、そういうわけじゃ……」

「緊張してる。最近ずっとそうだ」


(この気持ちはなんなんだろう)


 御影のせいだ。御影が、くらくらするほど格好いいのに、ぼくのことこうして抱きしめる。……なにか理由があるのだろうか。


 ――紘はいやしだよ。


 いやし? ペットみたいな?

 なんだろう。そういう風に考えたとき、一瞬だけよぎったのは、暗い気持ちの方だった。ほんの一瞬で、なにがなんだか分からなかったけれど。


「ひろ……」


 御影の吐息が、ぼくの髪の毛の先を揺らして、頬にかかる。じん、とそこが熱くなる感覚に、体をこわばらせる。


「……っ今日は、帰る!」


 耐えきれなくなったのは、ぼくの方だった。

 御影の体を精一杯押すと、それはなんの抵抗もなく離れていった。あっけないほどに。

 落としてしまっていた文庫本を拾い上げて、御影から距離を取る。

 相変わらず表情に出ないこのイケメンは、飄々とこちらを見下ろして首を傾げている。


「どうかした?」

「……なんでも、ない」


 ほっぺが、熱い。目を合わせられなくて、踵を返して屋上の出口へ向かう。

 紘、なんて声が聞こえたけれど、「明日また来るね」とだけしか答えられなかった。それ以外は、なにも。

 そのままぼくは急ぐようにして、屋上の扉の奥へ消えた。



「今日も、逃げられた」



 ぼくには見せたことないような捕食者の顔をした御影が、屋上の扉を見据えていることには、気づかない。

 ぼくが扉の向こうでへなへなと座り込んでいることは、きっと御影も気づいていない。


 ――明日また来るね。


 ぼくと御影がこうして同じ時間を屋上で共有することは、一日の日課みたいなものであって……。だから簡単に明日に回せたんだ。

 御影に抱き締められると心臓がうるさく跳ねるのはどうして?とか、ペットと聞いて嫌な気持ちになったのはどうして?とか、尋ねてしまうのを当たり前みたいに後回しにしてしまったんだ。


 明日がきっとあるからって。

 ぼくはこのことをすごく後悔することになる。

 同じ明日が来る保証なんてどこにもなかったというのに。


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