04



     *



 変な別れ方をしてしまった。後悔したのは、それから三分も経たないうちだった。それでも引き返して謝るくらいの軽い気持ちではないので、そのまま濡れ鼠と化して家へ帰る。

 平日。どんなに悩んでも次の日の朝は学校に行かなくてはならない。

 どんな顔で会えばいいのか分からないまま勉強を進める手は止まり、最悪の気分で朝を迎えた。

 そしておれは、勉強をするという心の内の名目のもと、学校へ飛び出した。言い訳をしながら、奥底でほっとしている。朝は、会わなくて済むと。


『ほんとにどうした』


 新しくしたスマフォに届いたメッセージ。家に帰ってすぐに気づいた。なんでもないと送ったけれど、変なところ頑固に知りたがる里央が追跡を諦めるはずがない。


(いやだな)


 ほんとうに、ここまでくると、一層自分が心底親友だと思っている男から惚れられているという事実に気づいていないことまで、もどかしくなってくる。

 後から里央が後悔してほしくないから、こっちは必死に隠しているというのに。


(なんか、苛々してきた)


 頭がくらくらと回っていた。早めに学校についたはいいものの、結局単語なんか頭に入ってくるはずもなく、ぼーっとやり過ごす。多分半分くらい眠っていた。

 教室にちらほらと人が入ってくる。その中に沙羅もいた。


「早いじゃん」


 イヤホンを片耳だけ外した沙羅が挨拶もそこそこに言ってのける。


「勉強しようと思って。そのまま、ぼーっとしてたけど」

「無駄じゃん」


 朝いち、ぐさりと響く言葉。ほんとうに刺さっているような威力がある。諦めて、ぐでんと机に突っ伏した。受験生という姿からは程遠い。

 チャイムが鳴る音がする。頭にやけに響いて、目を閉じた。


 ――晃介!


 いつもふざけて明るく呼ぶ声とは違った、焦ったような声。背中に向けられた声に、振り向けなかった。ひどい顔をしていたから。

 どうして、そんなふうにおれに構うのだろう。

 たしかにおれたちはずっと一緒にいた。ともだちとしては、だれよりも近くにいた。だけど、強い繋がりまで求めようとしたことなんて、たったの一度もなかった。


(それ以上を求めて、期待するから)


 だから、耳障りだと思う。あの、なにかを逃すことを予感したような焦った声色が。おれを麻痺させる。

 いっそのこと、もう、楽になりたいと。ぜんぶ、思いのたけを、伝えられたらと。


「晃介!」


 ずいぶんと近くで名前を呼ばれていることに気づく。なんだかやけに重たい瞼を開くと、仏頂面の沙羅の姿。ぼんやりとしていると、その仏頂面がすこしだけ和らぐ。

 それは心配そうに眉を潜めるまでかわった。


「ずっと寝てたから昨日ばかやってたんじゃないかと思ってたんだけど、あんたもしかして体調悪い?」

「たいちょう?」

「なんか、様子おかしいし」


 ぴたりと、沙羅の細い手のひらがおれの額に当てられる。ひんやりと気持ちいいそれに目を細める。すぐに手が離れて、「やっぱり」という呟き。


「ばかね。昨日傘忘れて雨にでも濡れて帰ったんでしょ」


 エスパーである。

 どうやら気だるくて重たい体がただの悩み過ぎでないことがはっきりしてきた。たしかに、言われてみれば熱っぽいのかもしれない。普段健康で風邪を引かない体質だから考えることもしなかった。

 腕を引かれて保健室に向かわされる。強制送還の予感がした。


(風邪か)


 あのあと、里央はしっかり傘に入って濡れずに帰っただろうか。あの、可愛らしい折り畳み傘で。

 ほっとした。今日は、避けていたのではなく、風邪を引いて家に帰ったので偶然会わなかったという筋書きができた。そんなこと考えているおれは、この恋に、臆病になりすぎているのか。

 ぼう、とした頭で考える。テキストだの筆記用具だのはまとめて乱暴に沙羅が入れてくれた。早く帰れといわんばかりに。


「あんた、家に家族いんの?」

「うち共働きだし、いない」

「帰り、ドリンク剤でも買って、あとは布団かぶって寝てな」

「あい」


 そんな会話をしたのをうつらうつら覚えている。沙羅の命令どおり近くの薬局でドリンク剤を購入したおれは、家に帰るなり布団にすっぽり潜って目を瞑った。


(からだ、おもい)


 倦怠感と、安堵感。

 ふたつの相反するものが、一緒になって、胸の中にいた。七月なのに暑くなくて、熱がまた上がったことに気づいた。




 次に目が覚めたのは、スマフォが鳴る音でだった。

 画面の「沙羅」を確認しながら空を見上げると、オレンジ色であった。どうやら眠りこけていたらしい。なんだか空腹感もある。

 さっきよりもすこしだけ軽くなった体を起こしながら、通話を押す。


「もしもし」

「どう、体調は」

「へーき。おまえでも心配するんだな」


 というか、そういう感情持ってる人間なんだなあなんて言おうと思ったけれど、やめた。だれよりも色々な感情を持っている沙羅を知っているから。


「あんたいないと勉強はかどっていいわ」

「沙羅、友達いなくなるよ?」


 心にゆとりが出来る。沙羅との会話は、どきつい毒舌が飛び交うものの不思議なことに空気がまるで雲のようにふわふわとしている。楽だ。すごく。

 ふあ、とあくびをすると、「今まで寝てたんだ」という苦笑が聞こえた。


「うん。なんか、はらへったみたい」

「そのぶんじゃほんとにただの風邪ね。すぐ治りそうでなにより」

「心配かけてごめんね」

「いうほど心配してないから、大丈夫」


 それよりもさ――なんて、いいかけて、電話の向こうの声が詰まる。お茶を濁すように。

 言いたいことはなんだってばさりと切るように言う沙羅が、こんな風に躊躇するなんて、珍しいことがあるもんだ。なんて、


「その、あんたの想い人のことなんだけど」

「……っ」


 電話の向こうから聞こえる声色は、いつになく真剣だった。それでも言うのを躊躇って、また、深刻そうに、あのさ、と繰り返す。しばらくして、沙羅の声がやっと次に繋がる。


「まさかとは思うけど、晃介、ちゃんと言ってるよね? 進路のこと」

「……なんで」

「いや、放課後、すごい顔した里央くんだっけ?その人がうちの教室きて」


 歯切れ悪く続く言葉に、悪い予感しかしなかった。


(うそ、だよな)


「晃介の机んなか入ってた単語帳見つけて、なんか、顔色がさっと変わったっていうか」


(すこしずつ、離れていこうとして、その中で自分から言えればいいと思ってた)


「あいつ、内部だよな、て、確認するみたいに言ってきて――」


(それなのに、こんなかたちで気づかれるなんて)


 あんまりだと、思った。深刻そうな向こうの声も、上手く聞こえない。


「なんか、すごい勢いで教室出てったんだけど――」


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