05



 まるで、はかったようなタイミングだった。玄関のチャイムが連続で鳴ったのは。今時小学生でもやらないような鳴り方で、何度も鳴らされる。

 文字通り、息を飲んだ。


「晃介?」


 様子がおかしいことに気づいたのか、向こうの伺うような声。ごめん、かけ直す、と、耳からスマフォを放した。鳴り続けるインターフォンを聞きながら、よろよろと立ちあがる。ふら、としたのは、風邪のせいだけじゃない。スリッパのまま玄関に手をついて、内鍵を開ける。

 インターフォンが鳴り止む。

 ドアを開こうと手をかけるその前に勢いよくそれが開いて、生ぬるい風と温かいオレンジの光に目を覆う。


「り、おう」

「どういうことだよ」


 あっという間に玄関まで入ってきたからだが、通せんぼするようにして、後ろ手で扉を閉める。おれの家だというのに勝手知ったる顔で内鍵までかける。

 見上げて、息を飲む。

 おれ、こいつのこんな顔見たことあったっけ?

 なんでそんな顔すんの。おれが苛めてるみたいじゃん。そんな辛そうな顔されたら、言いたくなるじゃん。おまえにとっておれって結構大切なわけ?て、うぬぼれるじゃんばか。



「なんで言わなかった。内部から一般に変えるって」

「内部で目指してた学部、一般狙える大学にもあるって知ったんだ。だから」

「そんなこと訊いてんじゃない」


 後ろに下がろうとするおれを止めるように腕が伸びる。掴まれた腕が、ひんやりと冷たい。その冷たさを感じると同時に、耳に届いた声。ちくしょう、なんて、らしくない声。


「ちくしょー、俺だけかよ。おまえとずっと一緒にいたいと思ってたのは」


 限界、だと思った。

 閉じ込めるにはとっくに飽和状態に陥っていた思いが、ドロドロと溶けだすように溢れた。

 拳を、ぎゅっと握りしめる。


「……おれだって」


 おまえと一緒にするな。おまえがどういうつもりでおれをここまで苦しめるのかはし知らないけど、おまえのずっとともだちでいたいみたいな軽い気持ちと。


(一緒にするな)


「おれだって、ずっと、一緒にいたい」

「晃介」

「だけど……っ。おれとおまえは、違うんだ……っ」


 おれはおまえに触りたい。おまえに触られたい。そういう、変な気持ちでいっぱいなんだ。今だってこんなときなのに、触られた腕がじんじんするんだ。

 違うんだ、里央。そう、掠れた声で呟いた。

 聞こえたのは頭上から向けられた舌打ちで、さっきまで止めるように掴んでいた手に力が増す。次の瞬間には、大きなその手に両頬を救われて、ぐい、と上を向かされる。


 見えるはずのだいすきな顔が、ぼやける。


「言えよ、晃介」

「……っ」

「どう違うんだ。おれとおまえの気持ちは」


 ぽたりぽたりと、頬を涙が伝って、里央の両手を濡らした。それでも、手は緩まなくて、おれは、里央の視線に捕まったまま逃げられない。


「晃介」


 この声が、すきだ。顔も。からだも。おまえのなかみもぜんぶ。


「頼むから、言えよばか」


 まるでじれったいとでもいうような焦りの表情に、射すくめられる。おれはほとんど反射的に目をつむった。ぎゅ、と。

 限界だった。そんなにされたら。



「すき」

「……」



 真っ暗の視界の中、里央の息遣いだけが、聞こえた。


「おまえが、すきだよ。おまえに、触りたい。でも苦しいからもう――」


 刹那、だった。引っ張られる感覚が。

 ぎゅっ、と背中に手を回されて、大きな胸の中に引き寄せられる。


「やっと言った……っ」


 ……熱い。なんだか、さっきまで頬を触っていた手は冷たかったはずなのに、全身が燃えるように熱かった。ぼんやりとした意識の中、ふと、自分はなぜ抱きしめられているのかについて考えてみた。


「……り、お?」


 冗談だったら、怒るぞ。そう言って押し返そうとしても、びくともしない。ぐらぐらとする頭で考える。


「……っ」


 これは夢か。都合のいい夢か。

 夢なら――。


「晃介? ……て、おい!」


 都合のいい夢なら、すこしくらいぎゅう、と抱きついても、いいかも。なんて、思った。それが最後だった。体がずうん、と沈んだ。


 小さな頃、ふたりで河原のまわりを走っていると、あっという間に夕暮れになった。ぼんやりとふたりで座っているとき、ふととなりを見ると、オレンジ色に染まる横顔があった。

 そんな夢を見ていると、また、視界がふわりと暗くなる。温かい温度を頬に感じて、目の前のなにかに向かって手を伸ばした。


(温かい)


 ――晃介。


 そう呼ばれた気がして、強く、しがみつく。ぎゅう、と。大きくて、おれのよく知っているシトラスの香り。

 頬に感じていた温度が、髪の毛に、おでこに、吸いつくみたいになる。気持ちいい。


「晃介」

「……ん」


 ぎし、という、すこしだけ控えめな音がする。耳元で囁くくすぐったい声。今、なにか聞こえたけれど、なんて言った?


「なんて、……?」


 眩しいひかりが入ってくる。もう一度閉じそうになる目をそれでも開いたのは、そのひかりの正体が自分の部屋の明かりであることに気づいたからだった。

 ば、と起き上がると、視界の端に捕えたカーテンはすっかり閉じられている。夜になってしまったらしい。


「起きた?」

「え……ええ!?」


 なんで起きてからすぐとなりにあるものに気づかなかったのだろう。おれのベッドの端っこがこんなにへこんでいることに気づかなかったのだろう。あまりにも驚きすぎて、大袈裟なくらい飛び上る。

 制服のままの里央が、今日もパーソナルスペースに入り込んでいる。慌てて距離を取ろうと思うけれど、これ以上横に行くと壁に寄り添うことになってしまい露骨な感じになる。


「え、里央……なんで」

「倒れられたからに決まってんだろうがばか。病院行こうと思ったわ」


 里央の大きな手がおれの額に伸びる。いつの間にか張ってあったひえぴたをもう一度やんわりと押した。


「取れそうになってる。後で、もっかい変えるか」

「う……」


 急に、さっきまでのことを思い出した。

 いつもふざけておれに触ることこそあるものの、今の里央はまるですきなひとに触るかのようなやさしい手つきだ。


 すきな、ひとに。


 ――やっと言った……っ。


 あれは夢か。都合のいい夢か。それとも。


「顔、赤いけど。おまえ、それテレてんの? それとも熱上がったの?」

「……っ」


 テレてない! けど熱は下がった!

 いつもほれぼれするほどいい男だとは思っていたけれど、今日の里央は一段となんかやばい。こう、男のフェロモンが垂れ流しになっているというか。なんか、かっこいい。


 ……乙女かおれは。きもちわるい。


「中学のときから、おかしいと思ってたんだ」

「え」

「おまえかわいい女の子との惚れた腫れたみたいな話全然しないし。最初はおれしか友達いないのかなと思ったんだけど、おまえ結構クラスでも人気あったし、それも違うし。だったらこいつなんなんだろうって」


 中学から、怪訝に思われていたのかおれは。

 おれのがっくりとした表情を一瞥した里央が、慌てたように「おまえがもしかしたら……て思ったのは、もうすこし後だけどな」と加えた。


「なんかおまえたまに、すげえ切なそうな顔するから」

「……っ」


 それは苦しかったからだ。

 幼い頃は同じ時間を一緒に過ごせればよかった。だけど見ているだけじゃ足りなくなったんだ。触りたい。だけどどうやっても触ることなんて出来なくて、それが苦しかったんだ。


「それから、なんかおまえのこと考えるようになって」

「え……おれ?」


 すっとんきょうな声を上げたおれに、里央が苦笑する。だっておまえ、女の子よりも全然不器用だしじゃじゃ馬だしうるさいんだけど、ちょっと可愛いんだもん。なんて、さらりとした爆弾発言をした。

 文字通り、火を噴くかと思った。かかか、と耳の裏まで熱が集中する。


「おま……ちょ、ええ!?」

「なあ、晃介」


 下を向いていたから、気づかなかった。パーソナルスペースなんてゆうに超えて、息が詰まるほど近くにいた存在に。不意にさした影に上を向いたら、すぐそこに里央の顔があった。

 咄嗟に後ろにのけぞろうとしたけれど、手を後頭部に回されていて、がっちりと固定される。


「おまえのすきは、どういうすき?」

「……っ」


 ――おれは、おまえに、触りたい。


「俺は、」


 ちゅう、と音を立てて、頬を吸われる。抵抗しようとした手が大きな手にすくわれて阻まれる。目の前を見れなくて、まぶたをぎゅ、と閉じる。

 髪の毛に、反対の頬に、耳に、きつく閉じた瞼に、夢にまで見た里央のくちびるの感触。


「俺は、おまえに、触りたい」

「……っ」


 シンクロする思いなんて、奇跡だなんて。すごくあほなこと思った。


「りお……う」

「普段うるさいおまえしか知らない分、なんか、新鮮だな」


 信じられないくらい近くにいた里央が、にやりと悪戯っぽく笑った。遊ばれてる!抵抗しようとするけれど、こんなイケメンなやつに勝てるわけがない。ましておれは今一応病人だ。

 なんか、流される。


「興奮するわ」

「……っておい! そりゃ聞き捨てならねえ! なに言ってんだてめえ頭湧いたのかこら!」


 相変わらず終わりそうにないキスの嵐で、黙らせられる。


(信じらんねえ、なに言ってんだこいつ)


 早鐘を打つ心臓が止まらない。なんだか力が抜けてきて、指先がじりじりと麻痺する。そのときおれはこいつがとんでもなにテクニシャンだということに気づいたのだった。


「つまり」


 唇を離した里央が、とろけるような甘い笑みを見せる。おれが十八年間生きてきた中で、初めて見る表情だった。きゅう、と心臓が鳴るみたいだ。


 また、見つけた。新しい、表情。


「おれはそういう感情を抱くって意味で、おまえのことがすきなんだけど」

「この……っ」


 この無駄に顔がよくて無駄にテクニシャンな幼馴染に、おれは勝てない。


「おまえはどうなの?」


 つまりおれは、どうしたってこの幼馴染に翻弄される。俯いたままどうすることもできなくて、そのままほとんどぶつけるように言った。


「触りたいって意味で、すき!」


 色気もへったくれもない叩きつけるようなせりふ。しんと、すこしだけ静かになって、おそるおそる見上げると、さっきの意地悪な笑みからはいってん、ぽかんとした表情。

 ん?と思って首を傾げていると、不意に思い出したように、里央の顔が今のおれみたいに真っ赤に染まった。

 オレンジにはほど遠い、これもまたはじめて見る里央だった。


オ レ ン ジ の き み


( じゃあ、気を取り直して遠慮なくいただ―― )

( ちょちょちょ! 待てばか! )

――End――

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