03



     *



 とまあ俺の表現者としてのボロも出て、みんなに呆れられもしたが、もしかしてこれは俺得なのではないかと今、思っている。

 だって、俺が王子様で、悠里が白雪姫だ。つまりお話の中だけでとはいえ俺たち恋をするんだもん。


『和音、ぼく、演技が終わってほしくないと思った……っ。いつの間にかぼく、和音と恋人になりたいって……!』

『悠里、俺はずっとおまえを恋の対象として見てたよ』

『そんな和音! かっこいいっ』

『悠里はかわいいよ』

『かずね』

『ゆうり』

『かずね』

『ゆうり』


 ほんんわああああ。


「和音?」


 滝のように溢れる妄想の世界へと旅立ってしまったからだろうか、現実の悠里が不可解な表情をしている。そうだよね、悠里は『かずね』なんて甘い声で俺を呼んだりしない。これは妄想だ。妄想。


(でも、どうにかして、演劇通して現実になったりとか)


 草原のいうとおりこの学園がおホモマジックでもかけてくれるもんなら、かけてみてほしい。藁をもすがる思いである。


「かーずーね!」

「う!」


 ぱこ、と、委員長監督がやるみたいに台本を丸めて頭をはたかれる。

 夕焼けをバックにした悠里はほとほと呆れているようだ。

 そうだった! 棒な俺のせいで悠里放課後まで残したのに! 俺ったらトリップしてた!


「ごめん、悠里……なんか、ぼーっとしてた」

「あしたまた、委員長に怒られるよ」

「気をつけます」


 悠里がしょうがないなあというみたいに甘く笑う。俺は、こういう可愛い悠里がすきだ。


(本当に、きれいだよなあ)


 幼い頃こそぬいぐるみのような愛嬌のためみんなからおもちゃのようにされていた悠里だが(一方で男の子たちには弱虫オトコオンナといじめられていた)、今は綺麗になった。それこそ平凡がそばにいるのがおこがましいくらい。

 いかん、今は集中。


「どうも何回やっても、棒読みだよねえ。片言っていうか」

「うう」

「あんまり集中してないみたいだし」

「ごめんなさい」


 悠里の放課後を奪っておいてどんだけ嫌なやつなんだ、俺。

 そんなことを思っていたら、ぽん、と頭に悠里の手がのっかる。大きな手。見上げると、いいことを思いついた!と言わんばかりの悠里の表情。


「ねえ、和音! 久しぶりにうち来ない? 今日両親いないし、そこで練習しようよ! 秘密特訓」

「え、悠里の家……?」

「最近泊まりとか来なかったじゃん、おいでよ」


 汚れを知らないだろう悠里の瞳はキラキラと輝いている。少年みたいに。だけどそれはちょっと、いや、だって。両親いないってことは大好きな可愛い悠里と一緒にひとつ屋根のした夜を超えるということで。


(つまりそれは、俺の理性との闘い……)


 久しぶりに幼馴染の俺との泊まりが楽しげでうずうずしているのだろう。だけど俺は、気まずげに目をそらしてしまうだけだ。


「えっと、それは……ごめん、無理だ」


 悠里の眉は、一瞬にして下がった。


「いや! えっと……俺も悠里んち久しぶりに行きたいのはヤマヤマなんだけど」


 どうしよう傷つけている。

 ぐるぐると回る頭の中で考える。どうすれば悠里を傷つけずに断るか。だけどそもそもこれは俺の問題だよな。俺が悠里のこと好きなあまり我慢出来なくなるかもしれないという話であって、悠里に罪はないし。


 ……俺が我慢すれば。


 それに正直、悠里と四六時中一緒にいたいという気持ちも、ある。台詞の練習したいという気持ちは全くないけれど。

 ぎゅう、と拳を握りしめる。


(どうする我慢で男を見せるか)


 だけど、とちらりと悠里を見上げる。もう口をへの字に曲げてこちらを縋るような目で見ている。目に毒なほど綺麗なものを、この手で追い詰めている気分になってしまう。


「和音」

「……」

「だめ?」

「…………わかった」

「やったあ!」


 花が咲くような笑顔だった。俺は嬉しいのか恐怖なのか分からない一夜に戦慄した。

 劣情ともいえる恋心がどうしようもないほど膨れ上がってからは、なるべく部屋に行ったりまして泊まりに行ったりなんてことはしなくなっていたから、なにも知らない悠里としては嬉しいのだろう。


(そうは言ってみたものの)


 悠里の家は目と鼻の先だ。というか隣だ。ご飯を食べ風呂を済ませてから行くと言うと当の本人は不満げだったがそこは譲らなかった。ゆったりとそれらを済ませ、ひと言母親に「悠里んちに行ってくる」というと珍しいわねーいってらっしゃい、だけで終わった。

 インターフォン、押そうか……。いつもならガチャッて開けて勝手に入っていたし。そっちの方が不自然じゃなくていいだろうか。いや、でも高校生だしちょっと失礼かな。

 季節は秋の入り口だ。やや冷たい夜風にパジャマ一枚は流石に寒くて、ええい、と門を押し開いて玄関に手をかけた。


(どうせ悠里のおかあさんたちいないんだし。いつもどおり!)


 俺の家よりもいくらか重い玄関を押し開けると、季節にそぐわないカラランという涼しげな風鈴の音がした。相変わらずこの家は一年中夏一色な玄関である。

 あまり変わっていなくて、ほっと一息ついた。


「かずねー? ちょっと待ってて−」


 リビングよりも随分近い場所から、くぐもった声が聞こえてくる。どこか確認しないうちに、一番手前の脱衣所の扉が横にガラガラと開いた。とたんに白い湯気が僅かに出ていく。


「早いね! ぼくの部屋行ってて」


 その間からひょいっと体を出した悠里は――、て風呂上がり!?


(う……)


 ちゃんと大事なものは腰に雑駁に巻き付けられたタオルでカバーされてはいるけれど、その他はあまりにも無防備だ。見ていられなくて、勢いよく顔を逸らした。


 あ、今変だったかも。

 なんて思うには、もう遅い。


「あれ、和音」


 素足が床を歩く音がする。湯上り独特のほかほかとした体のまま、悠里が玄関で仁王立ちになったままの俺のそばまでくる。直視できなくて、俯いた。


(うう……やっぱり泊まりは……)


 思わぬところからカウンターが来るものだ。ベッドのポジションだけ気にしていればと思っていたのだが。

 そんなことを思いながら床から生える足をぼんやりと眺めていると、髪の毛をやんわりと引っ張られる。驚いて上を向くと、想像以上に色っぽい悠里がいる。

 全身が、一気に硬直するのが分かる。血のめぐりが加速するように、体が赤に支配される。

 掴まれた髪の毛、熱い。


「和音、また髪の毛あんまり乾かさないで来たでしょう」

「そ……そんなこと」

「変わらないね、そのくせ」


 まだ僅かに濡れた感じのする指先が、確かめるように俺の髪を梳く。

 悠里ぺったんこになった髪の毛の先に溜まる雫が、頬を下りていく。なんだか湯上りだからか顔も上気していて、ほんとうに色っぽい。


(悠里、綺麗だ……)


 直視できないで、ふい、とまた顔をそむけた。


「ど……」

「ん?」

「ドライヤー、貸して」

「ぼくにやらせてくれないの? 濡れた髪で来た和音にドライヤーするのはぼくの仕事だよ」

「俺がやる!」


 靴を脱いで、まだ石鹸の匂いが残る脱衣所に駆け込むと、ドライヤーだけ持って二階へ駆けあがった。悠里の方は、見れなかった。


「すぐ行くねー」


 背中に悠里の声がかかる。

 いやだ、まだ熱い。


(ほんとう、綺麗になった、悠里)


 行き慣れた階段を上がってすぐ左の部屋は、あちこちに悠里の生活感が漂っていて、悠里の匂いが蔓延していて、そこでもおかしくなっていた俺は腰を抜かした。

 顔の熱よ、止んでくれ。悠里がここにくるまでに。


(体、鍛えているのかなあ……)


 ちらりと見えた上半身を思い出す。細身なのに、筋肉はしっかりとついていると分かる体だった。悠里が着やせするタイプなんて知らなかった。

 俺は出来ごころでちょっとだけパジャマの裾を掴んで腹をめくったあと、勝手に自滅して落ち込んだ。


「ごめんねー待たせちゃったね」

「いいよ。俺が来たのが早かったんだし」


 悠里は中学のときの部活のスウェットだった。がん見していると「懐かしい?」と苦笑された。でも、心なしかちょっと小さめな感じがする。

 悠里、高校でも身長伸びているからなあ。俺は止まってしまったけれど。

 ベッドを背にして床に座る俺の横に、すこしだけ間を開けて悠里が座る。髪の毛はまだすこしだけ濡れていた。


「悠里、もう11時過ぎてるけど、ほんとうに練習やるのかよ」


 こんな時間から練習したら近所迷惑だし、何時までかかるか分からないし、明日も学校なわけだし。悠里がいるからそんなことにはならないんだろうけれど、寝坊したって委員長に怒られる。

 さっきまで目を通していた台本を閉じる。なんだか眠くなってきそうだし、集中できそうにない。


「うん、するつもりないよ」

「………………は?」


 思わず手から台本が離れて、ばさっと、俺と悠里の間に落下した。え?

 悠里は悪びれる様子もなく俺の落とした台本を手にとってページをぱらぱらとめくりながら「こんな夜中に練習したって効率悪いし、明日起きれなくなっても困るしねえ」と。それさっき俺が考えたことだ!


「な、……な、な、なんで」

「ただの名目だよ。ぼく、久しぶりに和音とお泊りしたかったんだあ」


 へへ、と悠里が笑う。ごめんね、と。不覚にもそんな表情は、可愛く映る。ぽ、と、自分の頬が赤く染まったのが分かった。

 なんだか、拍子抜けてしまった。理性がどうとか色々考えていたけれど、大丈夫そうだし。なにより悠里のこんな可愛い顔見て、どうこうしようと思えるほうが希少価値だ。


(そっかあ)


「あ、和音! 久しぶりに笑ったね」

「わ! 笑ってない!」


 悠里の俺に対するすきと、俺の悠里に対するすきは、全然違う性質のものだ。だけど俺はこうしていつも、まぎれもなく悠里から好かれていることを自覚させられる。


(もう、今はこれでいいかも)


 ぽす、と、体を横に倒せば、ちょうどよい位置に悠里の肩がある。いつの間にか、体重をかけても倒れないくらい男らしい体になったんだなあ。悠里に言ったら、いつのことだよって馬鹿にされそうだけど。


「……ふあ」


 なんだか、眠い。今日たくさん練習して疲れたからかなあ。泊まりとかいって、嫌に緊張していたからかなあ。

 すう、と自然に瞼が下りていく。頭が乗っかっていない方の手が俺をぽんぽんとあやすように撫でた。


(子ども扱い……)


 いつも逆なのに。俺がしてやっている方なのに。こういうのも、悪くないけれど。


「眠いの、和音」

「んー……」


 だって、おまえの肩、寝心地いいんだもん。

 俺の髪の毛に、悠里の湿り気を帯びた髪の毛が絡むように触れた。


「ゆうり」

「なに」

「このまま……おれ、」

「うん。このまま眠っていいよ。運んであげるから」


 最後の台詞も、その後に小さく呟かれた「可愛い」という声も、俺は知らない。急激に襲ってきた眠気に耐えられないまま、俺は意識を飛ばした。



「無防備だね。ぼくが襲っちゃってもいいのかな。ねえ、和音」



 ふわりと宙に浮かぶ感覚がする。全身に感じる悠里の体温がもっと欲しくて、もぞもぞと身を寄せた。

 それにしても、眠い。


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あきゅろす。
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