04



     *



「やっぱり松田を王子にしてよかったなあ」


 ホームルームが終わり周りを片付けている俺の机の上に、べっとりと張りついている委員長。その顔はほにゃんと緩んでいる。なんだか、それはそれで薄気味悪いけれど。


「なんだよ、委員長」

「いやあ。まさか松田がこんなに上手くなるなんて思ってなかっ……最初から原石であることには気づいていたのかな!? まさかぼくはプロデューサーとしての才能を……!?」


 これで文化祭の成功は間違いない。そこだけぼそぼそと喋る委員長を一瞥して、ため息を吐く。お礼なら悠里にいいなよ。棒じゃなくなった俺の台詞は、悠里の指導の賜物なんだから。

 しかも俺が人並みに出来るまで鬼だったくせに。出来るようになったらこれだ。


(現金な委員長だな)


 いっそすがすがしいくらい。


(なんか、最近はひっつかれて鬱陶しいけれど)


 文化祭までの日数も、残すところ数日となった。今週末は文化祭ということで、うちのクラスだと衣装班が一番血眼になっている気がする。草原が言うには出来ているのだがもっと細部まで凝っているから。と。

 俺や悠里は出来あがってからのお楽しみということでまだ見せてもらっていないけれど、一足先に衣装班を覗いてきた委員長は自慢のメガネをスチャッと上げてにやにやにやにやしていた。どうやらご満悦らしい。


「松田! 暇だろちょっと来い」

「え!? 呼び出しですか先生なんで和音くんなんですか!! もしかして準備室に連れていってア――――ッなこと……!」

「うるせえよどっから湧いて来たんだ。おまえが持ってきてもいいんだぞ数学のノート」

「あ、いえぼく可能な限り美形との接触は控えてるんで。はい。フラグ立ったらいやだし。腐男子には腐男子受けという見てる分には「けしからんもっとやれ」だけどいざ自分がってなると断固拒否な無視できないルートあるんで」

「はいはいはい」


 ほんとうに……今草原どこから出てきたのだろう。衣装班で格闘しているのではなかったのだろうか。

 そんなこと訊いたところで「チッチッチ、萌えのためならたとえ火の中水の中ね、フフッ」て言われるだろうから黙っておく。


 ていうかなんで俺。やっぱり委員会系の仕事につきたくないからって言って、前期に適当に決めた数学係なるもののせいか。草原が属する音楽係や悠里が属する理科係のように、全くもって仕事のやってこない係もあるというのに。

 うぐぐ、とうなっていると、「成績落とすぞ」って。それは横暴だ!


「せんせーいつも俺使う! たまには自分で運びなよ!」


 教卓の上にこんもりと積み重なっているクラス全員分のノートを持ち上げる。重い。


「腕が痛いんだよ、ねぎらえねぎらえ」

「それ前回持たせたときも言ってた」

「うるせーいいから運べ」


 絶対後期は数学係にならないぞ、と思いながらも根っこの部分では真面目な俺。重いノートをよっと持ち直し、先生に続いて教室を出た。


(あ、そうだ。今日練習ないんだった)


 ちらりと教室を見返すと、端っこで荷物をまとめている悠里が目に入る。


(約束してないけど、待っててくれるかな)


 近所だし。いつもは放課後になると俺が悠里の席まですっとんでいって一緒に帰ろうと言うから今日は帰っちゃうかな。


(う、最近の俺は妙に乙女思考だ)


 悠里のことばかり考えている。前からだけど。




「つ、疲れた……重かった」

「おーちゃくするからだ。二回に分けて持ってくりゃいいじゃんかよ」

「ただでさえ準備室遠いし、二往復なんて絶対やだね」


 職員室よりも奥にある、どこか埃とカビの匂いのする準備室にどさっとノートを置く。開いているところが見たことのないベージュのカーテンからかすかに漏れる光が準備室に立ちこむけれど、そこは埃がふわふわと舞っている。


(汚い……)


「それか宮間使えばいいだろうが」

「悠里は可愛いからだめ! 重いものなんて持てない!」

「そりゃおまえだけど……まあ、自覚がねえんならいいけどよお」


 なにごちゃごちゃ言ってんだ!

 全く。そりゃあ悠里は手伝ってくれようとするけれどね。なるべく重いものは持たせたくないというか。……ああ、俺も過保護だなあ。


 昔みんなにいじめられていた頃、先生への提出物押しつけられたり掃除させられたりしていた悠里を手伝っていたせいか、あまりそういうことはやらせたくないと今でも思ってしまう。


「まあごくろうごくろう。ほらお駄賃」


 ぽい、と手のひらに飴をみっつもらった。買収されたんだ俺。別に嬉しくないけど、とりあえずひとつは悠里に上げようかな。


「そうやってまた無自覚に笑う……」

「あ?」

「なんでもない。ほら出てけ。先生は煙草が吸いたい」

「不良だ」


 まあこれ以上先生と一緒にいる意味もないので、さっさと戻ろうと準備室を後にした。


(悠里はいちごかな……)


 そう思って、俺はレモンの飴をぽいっと口の中に入れた。思いのほかすっぱいそれが、じんわりと広がる。悠里、まだ待っているといいけれど。

 廊下から見上げた空はほんのすこしだけ色づいている。

 教室のそばまでくると、中から数人の声がする。まだだれかいるのだろうか。


「ねえねえ、悠里くん」

「ぼくたちちょっと訊きたいことあるんだけど――」


 悠里いるんだ! 嬉しくなってドアまでかけるけれど、直前で立ち止まる。ちらりと視界の端に映った悠里は、数人のクラスメートに囲まれていた。

 ……あの子たち衣装班の子たちと、小人の役やってる子たちだ。悠里に近づくその子たちの目を見て、体が完全に止まる。


 俺、あの子たちの目、知っている。

 高校に入って急激に身長が伸び出した悠里に、ああいう目の色をした可愛い男の子が告白するということが何回かあった。きっと、悠里になんらかの好意を抱いている子たちだ。


(可愛い)


 胸が、痛む。


 悠里を見上げて頬を染めながら、懸命に話しかけている子たちは、可愛い。がさつで言葉づかいも荒い俺とは全然違う。

 もやもやする。胸の最奥が、ずきずきと痛んでいる。それなのに、目が離せない。


 男の子たちの視線も、やさしく答える悠里の姿も。


 だけど悠里をはじめからずっとすきだったのは、俺だ。だれにも取られたくない。

 おもちゃを取られそうになっている子どもじみた考えなんてことは分かっている。だけど、どうしても悠里だけは譲れない。ぎゅう、と拳を握りしめる。


 そう思って、教室へと足を伸ばしかけた。


「ねえ、どうしていつも松田くんと一緒にいるの?」


 だけど、また、足が止まった。


「そうだよ。ぼくあの子ちょっと怖いかも」

「なんだかいつも怒ってるみたい。悠里くんにもきつい言い方するし」

「悠里くんは、嫌じゃないの?」


 悠里はそうだなあ、と考える素振りを見せる。俺の足は、完全に氷漬けにされたように固まってしまっていた。

 だって、怖い。訊きたくないのに、足が動かない。


「和音を――」


 悠里の言葉は、他のどんな子の言葉よりも、はっきりと鮮明に耳に入った。


「和音を上手く扱えるのは、ぼくだけだからね」


 周りの男の子たちの表情が、ほっとしたように緩んだ。そんな気がした。俺の足は動いた。じりじりと後退する。


「あ、でも――」


 その子たちの顔を改めてみようと顔を上げたのだろうか、悠里の目が、その子たちをすり抜けて俺を見た。瞬間、浮かべていた笑顔が消えた。

 それ以上傷をえぐられるのは、さすがに気が引けた。


「かず、ね」


 周りにいた子たちも気づいてこちらを向く。とたんにひそひそとなにかを喋り出したけれど、それ以上悠里がいる方を見ることができなかった。

 悠里が口を開く前に、今度は俺の足が勝手に動き出した。


「和音!」


(俺、やっぱり――)



 ――和音を上手く扱えるのは、ぼくだけだからね。



 そうだ、しょせんただの幼馴染。きっと、我が儘な俺についてこれるのは自分だけだからって、悠里は。

 夢なんて見るんじゃなかった。悠里と両想いになるなんて。


「……っ」


 悠里が男の子をすきになるわけないし、まして男をすきになったとして、その中で俺を選ぶわけない。

 分かっていたのに、悠里との距離の近さに、目がくらんでいたんだ。


「和音、待って……!」


 ぐいっと左腕を引かれて、足が動かなくなる。それでも逃げようともがくけれど、追ってきた悠里の力は思った以上に強くて、逃げられない。

 はあ、と息を吐く俺の体を引き寄せるように引っ張る。顔を見られまいと、俯くけれど、それすらも許してくれない。


「和音、……」


 目を合わせさせるように俺の顔を引き上げた悠里が、息を飲んだのが分かった。それから、苦しげな顔で俺の頬に触れようとする。その手から逃れるように顔をそむけた。


「はなせ……っ」

「和音……お願い、泣かないで」

「泣いてない!」


 ――それでさあ。

 ――まじかよ!? おまえほんと……。


 どこからか、楽しげな話声が聞こえる。すぐそばにいるようだ。

 悠里が俺の腕を引っ張った。


「ここじゃ目につく。こっち、おいで」

「……っやだ!」


 いやだと、暴れているのに、悠里は俺を引きずるようにして近くの教室に押し込んだ。がらっとドアを締められる。

 電気のついていないほんのりと薄暗い教室は、さっきの準備室よりも一層濃い埃の匂いがした。


「なんだよ……、用がないなら、俺かえる――」

「和音!」


 ドアに手をかけるけれど、開ける間もなく後ろから追ってきた両腕に体ごと攫われる。背中を、熱い悠里の体温が包む。


「待って、お願い……」


 こんなに近くにいるのに、息が詰まるほど近くにいるのに。

 胸の高鳴りは感じない。あるのは、虚しさと、さっきから胸をさすじくじくとした痛みだけ。


「うるさい……」

「かずね」

「うるさい……もういい」

「よくないよ、和音、誤解してる」


 抱き締める腕が、放すまいと力を増す。だけど――。


「なにが、……誤解じゃないって言うんだよ」

「え?」


 ――和音を上手く扱えるのは、ぼくだけだからね。


 どんなに悠里が弁解しようとしたって、あの言葉がすべてだ。


(俺、ばかみたいじゃん)


 悠里の一番近くにいるって知ってて、悠里の気持ちも知らないで、両想いになれないかなと夢見て。


「……っ」


 自分が恥ずかしい。消えたい。


「和音?」

「はなせよ……はなせ」


 渾身の力で、悠里の肩を押す。


「もういい。やめる! おれおまえのそばにいるのやめる!」

「和音……」

「おまえなんか――」


 ぎゅう、と悠里の肩に置く手を握りしめる。ぽたぽたと、床に涙が落ちる。悠里が伸ばした手を跳ねのける。



「おまえなんか、きらい……っ」



 悠里の顔が、ぼやけた視界に霞んでいく。それ以上、なにも言えなかった。

 かっこわるい。悠里の気持ちを知って、向き合いたくなくて、嘘言って逃げたんだ。



 きらいなんて、嘘なのに。

 胸が軋むほどいたいのに。どうにかする術を、俺は知らない。



 だいすきなのに。今すぐその胸に飛び込みたいのに。

 俺、悠里のほうが見れない。


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