03



 けっこん、おめでとう。



 そう言うつもりだったのに。それ以上先、開いた唇から零れたのは、小さなおれの吐息。

 たけちゃんが振り向いて、驚いたようにおれを見た。だけどなにか言われるよりも先に、前に向き直って、立てた膝に顔を埋めた。持っていた片手から離れたラムネが、音を立ててコンクリートに落っこちた。

 カラン、という、涼しげな音。ラムネの中で転がった、ビー玉の音。カラン、カラン。


「ご、ごめん」


 声は思った以上にくぐもった。


「上手く言えないや。結婚おめでとうって……あの電話のとき聞いてたから、言わなきゃって思ってて」


 滑り始めた口は、止まらない。

 こんなボソボソと言うつもりじゃなかった。もっと、しっかりと、笑って、目を見て、なんともないって感じで軽く言うつもりだった。それで終わると思っていた。


「それでね、おれ。おれね、志望校、もっと勉強しなきゃいけなくて。成績今のままじゃ足りてなくて。だから、おれ、もう……たけちゃんと、会わな」

「真夏」


 さっきよりも何倍も近くで、たけちゃんの声がした。喋ることに夢中で気づかなかったけれど、さっきよりもすぐそこにたけちゃんの体温があるのだ。すこしだけ熱くて、涼しげな。


「顔、上げろ」

「……っ」


 たけちゃんの手が、おれの頭に触れた。また、子ども扱い。

 その手を払いのけるように、ぺしんと叩く。

 花火の音は、続いていた。きっとさっきみたいにおれたちを明るく照らし続けている。


「ひ、ひどい……」

「どうして」

「おれの顔、さっき見た! なのに顔上げろだなんて――」

「うん。だから」


 頭を撫でていた手と、どこからか伸びてきたもうひとつの手が、俺の頭をぐいっと掴んで無理矢理上げさせる。

 また、眩しい花火。驚くほど近くに、たけちゃんがいて。

 きっと、おれのぐちゃぐちゃな顔が、晒されている。たけちゃんが、すこしだけ張りついたおれの前髪を、かきあげるように撫でた。



「悪かった、いじめすぎた」


 瞬間ふわっと香ったのは、車の中、すこしだけ密室ですこしだけ近い距離にいたたけちゃんから香った、やさしくてちょっぴり甘い匂い。


「たけちゃ……な、に」

「あー」


 状況が読み切れていないおれの体を、たけちゃんが包み込むように抱きしめる。肩越しに、目をそばめた。花火の音はまだ止まっていない。

 どうして、たけちゃん、おれの背中にぎゅう、と手を回しているのだろう。


「いじめすぎたし、これ以上我慢できないし、言うけど」

「たけちゃん?」

「おまえがすきだよ、真夏」


 一瞬花火のせいで聞きとれないなんて思ったのは、あまりにも現実的じゃない言葉だったからだろうか。

 宙ぶらりんになっていた指先が、ぴくりと、動く。


「花火で聞こえなかったか」

「き、こえ、た」

「だから泣き止め、俺が悪かった」


 後頭部に回された手を、ぎゅっと広い肩口に押し付けられる。じわりと、たけちゃんのシャツにおれの涙が吸いこまれていくのが分かる。痛いくらい、目元が熱い。


「なんで、けっこんするって言った」

「んなこと最初から言ってない。お見合いの話があるからみたいな話をちらっとおまえのお母さんにしたら、盛り上がっちゃったんだよ。結婚って。それをおまえが聞いたんだろう」

「じゃあおれ、かん、ちがい?」

「あー……そういうわけじゃなくて。故意に否定しなかったんだ。結婚するっておまえに思わせたら、おまえ」

「なに」

「おまえ、焦って俺に告白するかなって」


 かかっと頬に熱が集まるのが分かった。まるで、沸騰して頭のてっぺんから湯気が出てしまいそうなくらい、熱い。それに、恥ずかしい。なにそれ。ひどい。どういうこと。


「おれの気持ち、知ってたんだ」

「おまえな」


 すこしだけ距離を開けられて、後ろに回っていた手が前に戻る。そのまま俺を見下ろされて、すこしだけぐちゃぐちゃじゃなくなったおれの両頬を、たけちゃんが挟み込むように持ちあげた。そのまま見上げた先で、たけちゃんと視線が絡む。すこしだけ目を逸らす。


「こんだけすきだすきだっていう視線を何年も受け続けてりゃ、だれでも気づく」

「う……」

「また赤くなる。そこもま、可愛いんだよ」

「ううう……」

「ひどい、おれたくさん悩んだのに……」

「おまえのお父さんもお母さんも知ってるぞ。おまえが俺をすきなの、それで俺もおまえがすきだったの」

「ええ!?」


 え、なに!? お母さんは時々意味深にニヤニヤとした視線を向けたり茶々入れたりすることあったから薄々分かってはいたけれど、おれとたけちゃんに関しては無関心だったお父さんまで知ってたの!? ナニソレ。


(死ねる、おれ、恥ずかしくて死ぬんだ、今から)


「これ以上赤くなってどうすんだよ」

「うるさい」

「俺はもうおまえの両親に話してたんだ。おまえのことがすきだって。だけど、おまえのお父さんは許さなかった。それで、おれに認めてほしいならと俺に条件を出したんだけど、それがまあ、俺からおまえに告白は一切しないことと、おまえが大人になるまで手を出さないことで……分かるだろう。俺、焦ったんだよ。おまえに告白されたくて」

「……っ」


 情けないけどなあ、なんてくしゃりと自分の頭をかくたけちゃんは、最高にかっこいい。


(そういうことなら許さなくもない……かも)


 なんておれは、既にほだされかけている。惚れた弱み、みたいに。


「たけちゃん」


 ぎゅう、とたけちゃんの背中に手を回す。それだけで、心臓が飛び出るほど跳ねた。この鼓動、きっと、たけちゃんに伝わってしまっている。ガキだって、また笑われる。だけど構わない。


「たけちゃん、だいすき」


 結婚、しないんだ。

 たけちゃん、こんな年下でガキで我が儘なおれのこと、すきでいてくれるんだ。それで、おれのこと、おれ自身よりも真剣に考えてくれてるんだ。

 胸が、いっぱいになる。考えてすらなかった、夢見な幸せ。


「知ってるけど。やっと、言ったな」

「んう……苦しい」

「おまえ、もう二度と嘘でも顔に「いやだ」なんて書きながらでも、結婚おめでとうなんて言おうとするな」

「……っ」


 コクコクと頷いた。よし、と、たけちゃんの大きな手がおれの頭をすこしだけ乱暴に撫でた。

 耳の奥で聞こえていたような花火の音が、また戻ってくる。

 まだ続くのか、花火はたくさんの色を放ちながら空を舞っている。光は止まない。


「ねえ、たけちゃん」

「ん」


 ぎゅう、と、たけちゃんの背中を掴む手がこわばる。


「あのさ大人になるまで、手、出さないの? おれに」


 また耳の奥に花火が押し込まれる。たけちゃんの小さな息遣いと、かすかな胸の鼓動がおれの鼓膜を占拠し始める。


「まあ、な」


 そんなの――。


(さわりたい。さわられたい)


 欲望は、止まらない。

 顔を上げて、背中に回していた腕を解くと、すこしだけ震えて固くなったおれの指先が、わずかにたけちゃんの顔にさわる。頬に、鼻先に、耳に、額、あと、唇。ほんの、すこしだけ。

 たけちゃんが、何を考えているかよく分からないポーカーフェイスで、おれを見下ろす。


「お、おれ」


 そっとたけちゃんに自分の顔を近づける。


「おれがまんできない」


 おれ、たけちゃんにさわりたい。

 そう言うと同時に、伸ばされた大きな手が、ガッとおれの両肩を掴んであと数センチの唇から離した。

 通常の距離に戻るその先には、無表情のたけちゃん。怒っているようにも、呆れているようにも、困っているようにも見える。


「たけちゃん?」


 丁度そのとき、今までよりも派手な音を立てて花火が打ち上げられた。はっと見ると、綺麗な金色の花火が幾重にも重なって打ち上げられている。これ、きっとラストスパートだ。


「たけちゃん、花火終わっちゃ――」

「来年だ」



 夢中になって花火に顔を向けていたおれを、たけちゃんがぐいっと立たせた。なんか良く分からないけれど、ほんの一瞬だった。ほんの一瞬で、たけちゃんはシートをしまっておれのそばにあったラムネの空を片手に持ち、もう片一歩の手で宙ぶらりんになっていたおれの手を強引に掴んだ。


「行くぞ」

「え。ええ!? でも今が一番いいところ――」

「うるせえ。来年また見に来るからいいだろうが」


 おえええ!?

 突然の展開にハテナマークを浮かべるも、たけちゃんは完全にシカト。いつもなら歩くスピードも当たり前のように合わせてくれるのに、今日は手を引っ張られるようにして早足で歩かされた。

 花火の音が聞こえる。辺りがちかちかと照らされているのだろう。きっと去年よりもパワーアップした花火が上がっているのだろう。それでも、後ろは振り返れなかった。


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