04



 所詮小さな子どもの足だ。風太は、そんな遠くに行ったわけではなかった。

 花屋から戻ってきたおれとは反対方向に走っていった風太は、それでも丘を登りきって逆にすこし下った人気のない隅っこで、痛々しいくらい小さくうずくまっていた。


 そばに座ると、すぐに体温を求めるようにして足の間に風太が体を入れて抱きついてくる。日陰で湿った土がズボンにくっついた。

 首にぎゅうぎゅう抱きついてきた風太は、静かに泣いていた。しゃくりあげる声が、耳元に大きく響く。ああ、また、泣かせてしまった。


 いつもの風太らしくない、泣き顔をさせてしまった。


 肩口は、みるみるうちに風太の目から落ちた水分を吸っていく。


「ごめんね、風太。また、哀しい思いをさせて」


 ふるふると、首を横に振られる。柔らかい髪の毛が、首元をくすぐった。さっきまで片手に持っていたはずのチューリップは、とっくにどこかに落としてきてしまった。からっぽになった両手で、風太を抱きしめる。


「風太」

「……っ」

「先生はね、風太のママのことがだいすきだったんだよ。それで、今でもきっとずっとだいすきなんだ。だから、おれと風太とここにきて三人の思いでを上書きしたくなかったんじゃないかな」

「ちがう……ちがうよお……っ」

「うん、それは分からない。だけど風太のせいじゃない。先生は風太を責めてなんかいないんだよ」


 おれひとりのことばが、この小さな傷ついた子どものどんな慰めになるというのだろう。風太は一層激しい嗚咽を漏らす。そして同じくらい強く、おれに抱きついてくる。

 風太が肩口にずっと顔を埋めていてくれてよかった。

 今、おれ風太とか先生には見せられないくらい、情けない顔になってる。きっと。


 ぽたぽたと頬を通って落ちた涙が、風太の体のぎりぎり奥を伝って、地面へ落ちていく。


 よかった。周りにはだれもいない。


 ――弱虫。


 せっかく先生に渡そうと思った綺麗な白のチューリップ、どこかに落としてきてしまった。きっと今頃、だれかに踏まれてしまっているかもしれない。どこで落としたかも、分からないのだから。

 全部全部、最悪だ。


 ――すみちゃん。


 たったひとつ、先生がおれに居場所をくれた。傷ついて風太とふたりきりになってしまった先生が、傷のなめ合いでもするみたいに、おれにやさしくしてくれた。だけど、それはきっと結局、愛なんかじゃない。

 先生の愛は、もう、奥さんに尽くしきってしまったのかもしれない。

 おれはどうしたって、ほんとうに先生のものにはなれない。


「風太、落ち着いたら、ごめんなさいしに戻ろうか。ね」

「すみちゃ……」

「ごめんね、おれが悪いんだ」

「ち、ちがうよ。すみちゃんは、わるくない。パパにおはなわたして、いっしょになってほしいって、わがままいったのぼくだよ……っ」


 すみちゃんは、わるくないよ。


 そう言って顔を上げた風太が、そのまま動きを止める。咄嗟に、顔をそむけた。


 ――やばい。絶対に、今、みられた。いい年して、泣いているところ。


 だけど一瞬動きを止めた風太の唇が、たしかめるようにおもむろに「ぱ、ぱ」と動いた刹那。



「ほんとう、すみちゃんはなにも悪くないよ」



「……っ」


 もう、これがないと息を出来なくなるんじゃないかってくらい触り慣れてしまった柔らかい体温が、覆いかぶさるように風太ごとおれを抱き寄せる。一瞬にして、体をすっぽりと包みこまれた。


 ――声にならなくて、喉が震える。視界が、ぶわりと歪んだ。


 泣きたいくらい、求めてやまない体温。


「せ、んせい」

「パパ……」


 風太の涙声が、耳元で響く。


「パパごめんなさい。……ぼくがわるいの、ぼくがすみちゃんに」

「風太は悪くないよ」


 おれを挟むように伸びてきた片手が風太の体を引き寄せるように抱きしめた。あっという間に三人団子状態でくっついてしまう。

 先生のもう片方の手は、かさりと音を立てておれの頭の上に置かれる。それに、滑るビニールの感触――。


 頭の上に片手を添えるように置かれているものに気づいて、息が詰まる。


「風太はパパがこれから言うこと、聞いているんだよ」


 気休めの夢なら、覚めてほしい。発狂しそうだ。

 頭上から香る微かなチューリップ独特の甘い匂いに、眩暈がする。


「すみちゃんがすきです」

「……っ」

「ずっと、一緒にいてください。僕と、風太と」


 どんなに近くにいても、満たされなくなってた。先生の心の最奥に、おれの手は届かないと思っていたから、近づけば近づくほどむなしかった。

 ことばは絶対じゃない。だけど。


「ぼくも、すみちゃんとパパといっしょがいいの!」


 胸に広がる先生のやさしいことばは、甘くおれを酔わせる。


「そうだね。風太とすみちゃんがまさかこんな可愛いことしようとするなんて、思ってなかったです」

「パパとちゅうまでおこってたくせに」

「それはごめんなさい。反省します」

「……すみちゃん、なみだ……ないてる?」


 ほんの一時で、いい。すぐに気が変わってしまってもいい。約束がほしかった。

 首元にきつく風太の腕が回る。ポタポタと落ちたなみだが、風太の髪の毛にくっついて、ふるりと震えた。風太に回った先生の片腕ごと、しがみつくように小さな体に抱きつく。


 まるで聞きわけなく、駄々をこねる子どもみたいに。


「すみちゃんは?」

 くぐもった、風太の不安げな声。喋ろうとするのに、嗚咽が邪魔をする。


「おれ……おれも……っ、風太と先生とずっと一緒がい……っ」


 ふたりがだいすき。

 ずっと一緒にいたい。たとえほんとうの家族じゃなくても。


 先生が、うん、とおれの耳元で頷いた。そしてひとつになってしまうほどおれとくっついていた風太にも聞こえないくらい、うんと小さな声で、「愛してます、すみちゃん」と囁いた。



 ママはおこっちゃったけど、すみちゃんはないちゃったね。おはな、あげたら。

 やや涙が引いたあとに、湿った手でしっかりとおれの手を握りながら、風太はカラカラと笑った。その表情から、以前のような暗さは払拭されている。


 見上げた風太に、微笑む。ほんとうは、おれが先生にチューリップを渡すつもりだったのに、その花は今おれの手の中で揺れている。風太は、笑っている。だから、もういい。


「ねえねえ、パパ」


 風太がおれから視線を放して、反対側へくるりと振り返る。反対側で手を繋いでいる先生が、ん、と首を傾げた。

 大きさの違うみっつの影が、繋がったまま伸びている。


「ぼく、ずっとパパにそうだんしてなかったんだけど、おおきくなったらすみちゃんとけっこんする!」


 ……パパらしい穏やかな笑顔は一瞬で固まった。


「そうしたら、こんどこそほんとうのほんとうにすみちゃんとさんにんいっしょだよ!」


 ね、ね、いいでしょう?

 食いつくようにぴょんぴょん跳ねながら、風太が先生に繰り返す。笑顔が固まっていた先生は、やがてゆっくりと考える素振りを見せた。頬をぽりぽりとかくようにして、うーんとキラキラした風太の視線から逃れるように顔を逸らす。


「これは困りました」

「え、なんかいった? パパ」

「いや……なんでもない」


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