05



     *



 走りまわって、泣いて、笑って。よほど有り余るほどのエネルギーに見ていている七歳は、毎晩「もうすこし起きる! ねむくない!」と喚いてこそいるものの、今日はさすがに疲れてしまったらしい。

 お風呂に入って夕食を食べ終えると、テレビを見ながらその体はうとうとと舟を漕ぎ始めた。


 それなのに、部屋まで風太を運んで先生の待つリビングへ戻ってから、今度はこっちというように先生の部屋の寝室まで少々強引に連れて行かれるまで、時間はかからなかった。


「ちょ、せんせ……っあ、ま……っ」


 制止の声を、問答無用と言わんばかりにキスの雨で黙らせるようにして、あっという間に高められる。逃げる隙も、なかった。

 おれは先生の他に男を知らない。だけど、先生のするセックスが、ちょっと物足りなくなるくらい丁寧で、やさしいのは知っている。行為そのものよりも、行為によって流れるその場の親密な雰囲気を味わうような、そんなセックス。

 溺れるような快楽ではなく、心がほっとするような安堵感。


「あ、……せん、せ……ッ」


 だから、こんなの知らない。


「待って……おねがっ」


 ごめん、無理。なんて、煽情的な低い声。

 初めて聞く欲情に濡れた、そしてそれを隠そうともしない双眸に、体の奥が、また痺れるように熱くなる。


 自分のものなのに、まるで言うことを利かなく飲まれていく体。


 待ってという制止の声が、とぎれとぎれではあるが聞こえているはずなのに、今日の先生は変だ。いつも、どんなおれのサインも見逃さないのに。


「んう……」


 不意に降ってきた小鳥がついばむような戯れのキスが、あっという間に荒い舌使いへと変わる。ついて行く暇もなく、ひとり翻弄される。

 向かい合ったままいつの間にやら準備されたそこに、先生のそれが侵入する。痛いはずなのに、脳内を占拠する甘い痺れのせいで、すべてがあられもない声に変わる。すこしだけ汗ばんだ先生のむき出しの背中に手を回して、いつもよりも荒く上下する肩に顔を埋めた。


 すみちゃん、と先生が呼ぶ。


「ん……」

「ごめんなさい、大丈夫?」


 首を横に振った。全然、大丈夫じゃない。目が回りそう。


「せ、んせいは……穏やかなのが、すきなんだと思ってた」

「あはは、それは違いますよ」


 笑いながらも、先生の声には隠しきれない妖艶な甘さが滲んでいる。また、体の芯がうずくのが分かった。


「いつも、どこかで我慢していたのかもしれません。やっぱり、すみちゃんに無理させたくないし。すみちゃん、淡白でしょう?」

「うう……おれ、先生こそ淡白なんだと思ってた」

「ごめんね、実はエロエロ性欲魔人で」


 だけど、と、先生がおれの脇から腰を、つ、と人さし指で撫でる。それだけで、疼きが全身に広がる。思わず響いた嬌声に、先生が口端を上げた。


「だけど、あんなことされたら、普通の男のタガは外れます」

「う……」

「可愛い。しかも、欲情に任せて抱いてみたら、もっとすみちゃん可愛くなるんだから。愛しくてしょうがないです」


 丁寧なことばのひとつひとつはいつもの先生と変わらないのに、おれと絡ませるその瞳は、驚くほど肉食獣じみている。頬がたちまち上気するのが分かる。

 そむけたいのに、どうしてか目が逸らせない。

 死ぬほど、恥ずかしいのに。


「お、おれほんとうは怖かった」

「どうしたの」


 先生の背中に回した手に、力を入れる。どくどくと、いつもよりもすこし早く波打つ先生の心音。


「風太には言わなかったけど、先生がいやだって、断ったらどうしようって。ずっと、怖かった」

「すみちゃん……」

「先生のここには、……きっと、ずっと奥さんがいる」


 しっとりとした先生の胸に、顔を埋める。心音と、年の割になめらかな素肌。


 うん、と、先生が頷いた。


「たしかに、愛していたよ」


 ずきん、心臓が、痛い。


「泣きそうな顔しているね。うん、愛してた。だけど、あの頃……元妻と風太と三人であの公園に行ったときくらいにはもう、なにかが元妻の中で冷めきっていたみたいで、どうしようもなくなっていたんだ」


 風太はきっと両親の不仲に薄々感づいていた。昔のふたりに戻ってほしくてあげた白のチューリップに、まさか「失われた愛」なんていう哀しい愛の花ことばがあるなんて、知らなかったに違いない。


「すみちゃんは、さ」


 背中に回していた手を無理矢理引きはがされて、ふたたび両手をベッドに縫いつけられる。ぎしり、と軋むスプリング。

 天井を遮っておれをベッドに頭を付けたおれを見下ろす先生は、穏やかな顔をしているのに不思議なくらい壮絶な色気を放っている。


 縫いつけられた両手に、先生の長い指が絡む。


「肝心なところで、鈍感です」

「……あ」

「随分前から僕には、もう、すみちゃん以外のひととの生活なんて考えられないよ」


 きっと今先生は、おれでいい。おれがいいと、言ってくれたんだ。


「僕のここには、すみちゃんしかいないです。ずっと、そうやってきみを抱いてきた」

「……っ」


 一度味わった温かいしあわせは、手放せない。手放すのはこわいのに、ずっと一緒にいてほしい。いつ崩れるかも分からないいつまでも崩れることのないような平和な日常を暮らしながら、その胸中は不安で溢れていた。


 約束がほしかった。

 絶対じゃなくていいから、先生の世話を焼きながら風太の成長を見守っていられる、約束が。


「覚悟してくださいね、すみちゃん。三十路過ぎて人生の路頭に迷ったおじさんを、ほいほいたぶらかしたんだから」

「……っ」

「もうずっと、手放せないよ」


 先生はきっと知らない。そのことばでおれを縛るのが、どんなにおれにとってしあわせなのか。

 からめられた指を、握り返す。そのまま先生の手ごと先生の首元に伸ばした。すこしだけ下がったその唇に、自分の頭を浮かせて唇を重ねる。


 控えめに響く水音に、他でもないおれのほうが、恥ずかしくなって顔をそむけた。


「なにそれ」

「……うるさい」

「ずるい、すみちゃん。だいすきだよ、それに愛してる」


 あーもう。ほんとう、可愛い。

 そう言いながら、先生はおれの体に自分の体に重ねるように抱きついた。また大きく、ベッドが軋む。ぴたりと、吸いつくように合わさる肌。


「さて、と」

「ん……」

「おしゃべりは、おしまいにしようか」

「へ……? え、ちょ、せんせい?」


 先生の体が、急に勢いを増して、動き始める。


「え、今日、もう終わりじゃ、ないの……?」

「さっきのすみちゃんのちゅーで、先生のなにかが振り切れていますので」


 急に動かれて、忘れていたような快感がじわじわと戻っていく。さっきしたばかりでどこもかしこも敏感さを保っているみたいだ。すぐに、あのおかしくなるような感覚が戻ってくる。


「ま、待って! や、やだ……ん」

「ごめんね。今僕は、すみちゃんを抱き潰したくてしょうがないです」

「う……え、え!?」


 なんか、すごい変なことば聞こえた!

 聞き返そうとする前に、さっきおれが先生にしたキスよりも、ずっとずっと深いそれに阻まれる。


 そのまま荒波に流されるように、深い夜のシーツの中に溺れていく――。


純 白 の チ ュ ー リ ッ プ は 愛 を 語 る


( 大きくなって風太が、今日のおれとすみちゃんのやりとりをいわゆる「プロポーズ」だって知って、それでもすみちゃんと結婚したいって奪いに来たら、どうしよう )

先生が半分眠りについたおれを抱きしめながら笑った。困ったような、だけどしあわせで仕方がないというような。

――End――

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