04
*
『俺様のやさしさブレザーどうしたよ』
「今頃埃とオトモダチ」
『はあ!? おまえもしかして生徒会室に置いてきたんか!』
「そのもしかしてです会長。ていうか会長もしかしてぼくが可愛らしくわざわざ持って帰って次の日たたんで返しに来ると思ってたの? そんなキモイ妄想してたの? 馬鹿なの?」
『そのもしかしてです。ついでに埃取りでもしてくれたらなあと淡い期待をしてた……妄想だった』
「ざんねんでしたー。ぼくは……そんな殊勝な心構えはありませーん」
ぼくは里巳がいなきゃなにもしないし、できない。すこし前までなら当たり前のようにそう言っていて、今もつい口をついて出そうになったところを、ぐっとこらえる。
「ていうか今夜なんだけど!? なんでいい加減朝から夕方まで会ってる会長の声を、しかも電話越しに、夜まで聞かなきゃいけないの!? 不愉快なんだけど、切っていい?」
『相変わらずひどいねおまえ』
面倒くさい。こいつの電話なんか、でなきゃよかった。
「ほんとに何の用? 世間話なら今すぐ切る。ほんとに切るから」
机に並べられた資料に目を通しながら、おざなりに言う。今日は寝るって決めているけれど、期限が近いこれらだけはやっておきたい。終わらないと気持ちよく寝れないから急いでいるというのに、電話。
『いやいや。おまえ仕事持ち帰ったのかなって』
「はあ!? 持ち帰ったに決まってるし。今やってるんだから余計なこと聞かないでよ」
『あ、そうか。じゃ少し手伝う。持って帰った分俺全部終わらしちゃって手すきなんだ。鳥に行く』
「別にいい」
とんだくだらない電話だ。一思いに切った。そのままぽいとベッドに投げて、元の資料に目を通す。タイムロスだ。明日一日無視しよ。
しかしそんな思いとはよそにトントンと扉を軽く叩く音が聞こえたのは、さっきよりもたった三枚しか進んでいない頃――つまり数分後のことだ。
(あのバ会長……)
無視するのも手だったが、この期に及んでどれだけ邪魔すれば気が済むんだという愚痴をどうしても本人にぶつけたかったものだから、ついつい席を立ってドアの方へ向かった。
さっきの今で、あいつは頭狂ったのか!?
俺様キャラなら俺様キャラで統一しろよ! なんでいつもちょっと世話焼きなんだよほんとう。
催促するようにトントンという音が聞こえる。
「うるさい今行くよこのバ会長!」
そう言って扉を一気に開いた。向こうにいる会長の体に当たって吹っ飛べばいいと思いながら。
「あのねえしつこいんだけど! 会長の頭豆腐なの――」
だけど、思い切り開いたドアの向こうに人が吹っ飛ばされることもなく、しかもその向こうにいたのは、会長じゃなかった。反射的にドアを閉めようとしたけれど、一瞬の動揺が致命的になったらしく、すかさず入ってきた片足が、ドアを完全に閉めるのを防ぐ。
「……っ」
なんで。なんでいるんだ。
「素直に開けたと思ったら、なぜ会長が出てくるのですか、凛」
なんでこいつがいるんだ。
「な、で……おまえがいるんだよ……」
そのまま力任せに引っ張って閉めようとするけれど、力ではぼくは絶対に里巳には叶わない。やがて、隙間から伸ばされた里巳の手がぼくの体を引いて、バランスを崩したすきにするりと中へ入ってくる。
あまりにも鮮やかな手口。
バタン、とドアが閉まる。閉まったのに、里巳はぼくの手を離さない。
「……会長は、最近あなたの部屋に出入りしているんですか」
「おまえには関係ない……っ」
「凛」
ていうか、なんでこいつ怒ってるの。
いつも目元は冷えているが、今日はその倍――凍ってしまいそうなほど冷たい。
ふだん声を荒げたり不機嫌になったりという感情の起伏がないせいか、怒ったときのこいつの威圧感は正直……。
「は、なせよ……」
「俺の質問に答えてください」
「入ってるわけないじゃん。おまえ、ぼくが人を部屋に入れるのきらいなこと知ってるくせに」
視線を逸らしたまま、言い放つ。そうだ、ぼくは人を自分のプライベート空間に入れるのは苦手だ。里巳だけ。ついでにパーソナルスペースにいれるのもきらい。これも、里巳だけ。
里巳の溜飲が下がるのが分かった。手を放した里巳が、背を向けてそのままキッチンへ入っていく。その姿が、いつものように、当たり前のように何かを作ろうとするのは一目瞭然だった。
「てちょっと! どこ行くのさ! 帰ってよぼく忙しいの!」
「俺が見ていない間に、あなたはずいぶん痩せていますよ。おそらくちゃんとしたご飯を食べていないのでは」
「別におまえに関係ない!」
里巳のワイシャツを引っ張るように、掴む。里巳は止まらなかった。
「何か作ります。きっと今日も野菜ジュースで済ましたんでしょう。あなたは忙しくなるといつもそうです」
「……っ」
いやだ。全部、図星で、見抜かれているのが。
こいつはこうやってぼくの心をいつも溶かそうとする。我が儘で扱いにくくて仕方ないぼくを。
だけど里巳は違う。ぼくが里巳の心を溶かすことなんてない。
――ほしい? 九条のこと。
「き、きらい……」
歩いていた里巳の腕を、両手で思い切り掴む。そのまま玄関に戻すように、なけなしの力で引っ張った。
「おまえなんかきらい! いらない! もう出ていけ!」
「凛……」
「出ていけよ!」
香宮に里巳をあげるのも、里巳がきらいと嘘をつくのも、全部ぼくの我が儘だ。香宮みたいに心が綺麗じゃないぼくは、どうしようもなく、ひん曲がっている。
「……分かりました」
ぼくは、身長がない分力が弱い。普通の男子高校生よりも体格がいい里巳が、そんなぼくの力を振りほどけないわけがない。それなのに、里巳は諦めたように腕を引っ張るぼくの頭を、掴まれていない方の手でひと撫でして、踵を返した。
「せめて、なにか食べてください」
ぼくの身を案じる、たった一言だけ残して。
里巳のやさしさは、いたい。
いたくてしかたない。
「……っ」
扉が閉まると同時に、震えていた足が崩れ落ちた。大丈夫、きっと里巳にはバレていない。
小さな頃、里巳はぼくのものになった。それをひどくうれしいと感じた。
里巳はぼくのもの。だからずっとそばに。それが、成長とともにどんなに難しくて、切ないかを知った。
ぼくはどんどん我が儘になった。心が繋がっていないんじゃ、意味がないって。
里巳はぼくのもの。ぼくは里巳のものじゃない。
だったらいらない。
これ以上、頭の中、里巳でいっぱいになりたくない。
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